妄想女医・藍原香織の診察室

Piggy

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障害編

10話【off duty】神沢 隼人:「嫌いになって別れたわけじゃない」(藍原編)①

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 喫茶店を覗くと、窓際の席に神沢先輩が座っていた。

「……先輩! すみませんでした、こんなところまで来ていただいて」

 先輩は顔を上げると、いつもの穏やかな笑顔を浮かべた。

「香織ちゃん。大丈夫だよ、そっちこそ仕事はちゃんと終わったの? 急がせちゃったかな?」

 先輩、相変わらず気遣ってくれて優しい。

「大丈夫です。あの、IDカード……」
「ははは、香織ちゃん、せっかちだなあ。ねえ、せっかくだから晩御飯食べて帰ろうよ。この辺、いい店ある?」

 え、晩御飯? ……そんなつもりはなかったんだけど……。

「あの、いえ、晩御飯は、その……」

 断る理由を探していると、先輩が困ったように笑った。

「せっかくここまで届けに来たんだからさ。ちょっとくらいは、おしゃべりさせてよ」

 う……。それもそうだ。遠いところをわざわざ来てもらって、さっさと帰ってもらうのは申し訳ないかも……。

「あの……。じゃあ、本当に、ちょっとだけ……」

 結局あたしは、先輩と一緒に近くのこじゃれたレストランに入った。

「……香織ちゃん、彼氏、できたんだね」
「……はい」

 そう。やっとのことで、彼氏ができたんだから。もう、そっとしておいてほしい。

「そっか。……僕はまだ、香織ちゃん以上の人は見つけられてないよ」
「……」

 また、胸がざわつき始める。そういうことをいって、あたしを混乱させないでほしい。あたしなんて、先輩以上の人どころか、あの一件で自分の尋常じゃないエロさに気づいて、男の人と二人きりになるのだって怖かったんだから。彼氏を見つけるどころじゃなかった。エロが暴走しないように、一生懸命自制して、そのせいで、変な妄想癖までついちゃって。……全部、あのときからだ。

「今の彼氏は、どんな人なの?」
「……優しいです。すごく優しくて、あったかくて、……あたしに、ペースを合わせてくれるような……」

 いっていて、気づいてしまった。神沢先輩も、すごく優しくて、あったかくて、一緒にいると安心できるような、そんな人だった。……あたしは、新條くんに、先輩を重ねているのだろうか?

「……その人は、香織ちゃんを、満足させてくれてるの?」
「え……?」

 よく意味がわからなくて、先輩の顔を見上げる。先輩は声を落としていった。

「ほら……香織ちゃん、積極的だったから」

 かあっと全身が熱くなった。先輩が何をいってるのかはわかる。恥ずかしいのと同時に、怒りにも似た感情が沸き上がってきた。

「……先輩が! 先輩のせいで! あんなこといわれたから、あたしもう、怖くなっちゃって……っ、あれから、まともな恋愛なんてずっとできませんでしたっ!」
「え?」

 先輩がきょとんとしてるのが、また無性に頭に来た。あたしがこんなに長い間悩んでいたというのに、当の先輩は、自分がいったことも忘れて……!

「先輩にあんなふうにいわれてっ、あたしもう、怖くて……い、今の彼とだって、怖くて、まだ……っ」

 ああ、いわなくていいことまでいっちゃった。でも、先輩のあのときの一言がどれだけあたしにとって重かったのか、ちょっとはわかってほしい。

「……香織ちゃん、ごめん」

 初めて、先輩が謝った。

「あのとき、僕は……驚いたけど、それは、うれしい驚きだったんだよ。好きな女の子とたくさんエッチできるなんて、男にとっては、最高なことだよ。僕は舞い上がってしまって……今だって、あのときの香織ちゃんの感触は忘れられない」

 ドクンと心臓が跳ね上がる。先輩の手が、あたしの手に重なった。とても温かい。

「じゃあ……香織ちゃんの体を知っているのは、まだ、僕だけなんだね……?」

 やだ、そんないい方しないで。恥ずかしくて、体中が火照って、また頭が回らなくなってくる。

「香織ちゃん。やっぱり僕たちは、やり直すべきだ。あのときのすれ違いがなければ、僕たち今でも、付き合ってたはずだよ。僕たち、心も体も相性はぴったりだった。今でも香織ちゃんがほかの男を受け入れられないのはさ、そういうことなんだよ。僕たち、今からでもあのときの続きを始められるよ。そう思わない? だって――」

 先輩の手に力が入った。

「僕たち、嫌いになって別れたわけじゃない。そうでしょ?」

 先輩の目はずっと穏やかに、あたしを見つめていた。あのときと同じ、包み込むような目。

 嫌いになって別れたわけじゃない。

 それはそうだ。むしろあたしは、先輩を好きな気持ちを一生懸命捨てようとして、諦めようとして必死だった。あのときの誤解がなかったら、あたしは今でも先輩のことが好きなままで、新條くんと付き合うことにもなってなかったのかな……?
 ちゃんと、冷静に、考えなきゃいけない。なのに、先輩が目の前にいると、冷静になれない。もっとちゃんと、新條くんのことと、先輩のことを、考えなきゃ。
 考えなきゃ、考えなきゃ。
 そればっかり考えて、結局何も考えられなくて、料理の味もわからないまま、食事が終わった。でも、ほっとした。あとはIDカードを受け取って帰るだけだ。そうすればもう、先輩と会うこともなくなる。

 レストランを出て駅に向かう。

「……あの、先輩、IDカード……」
「ああ、そうだったね。ごめんごめん」

 先輩は笑って、カバンの中からあたしのカードを取り出した。

「これ、どこに落ちてたと思う?」

 差し出しながら、先輩がさりげなくいう。

「え?」

 受け取ろうとカードに手を伸ばした瞬間、先輩の手があたしの手首を掴んだ。

「……僕たちがキスをした、あの場所だよ」

 先輩があたしの体をぐいと引き寄せて、路地裏に押し込んだ。
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