妄想女医・藍原香織の診察室

Piggy

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迷走編

64話【off duty】戸野倉 凛太郎 18歳:二丁目(藍原編)③

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 6時に起きてもまだ凛太郎くんは爆睡してた。とりあえずそのままにしといて、あたしはささっとシャワーを浴びる。あがったところで着替えを用意し忘れてたことに気づいて、バスタオルを巻いてそっと部屋に戻ったら……

「ひゃあっ!?」

 びっくりした! 凛太郎くんがいつのまにか起きてて、お行儀よくベッドに腰かけた状態であたしをじーっと見てる。

「り、凛太郎くんっ! 起きたのね! た、体調は大丈夫?」

 凛太郎くんは、じーっと見てるんだかぼーっとしてるんだかよくわからない表情で、しばらくしてから口を開いた。

「……ここ、香織さんの家ですか?」
「そ、そうですよ。あなたが二丁目で絡まれてるのを見つけて、とりあえず保護しました」

 昨夜、何度か名前を呼ばれたけど、やっぱり記憶にないのね。凛太郎くんはぽりぽりと頭を掻いた。

「……すみません、ご迷惑をおかけしました……すぐ、帰ります……」

 立ち上がって玄関に向かおうとするのを、慌てて止める。

「あ、待って、あなた今、一文無しよ!? それに、ここがどこかわからないでしょ、どうやって帰るの」

 凛太郎くんが振り返り、ややあってから。

「……そうですか」

 いや、そうですか、じゃなくて……。なんなの、もう。凛太郎くん、二日酔いだとこんな感じになるのかしら?

「と、とりあえずあたし、もうすぐ出勤するから。一緒に、駅まで連れて行ってあげる。そこからは自分で帰れるわよね? あ、お金も貸すから、今度外来に来たときにでも返してね」
「……はい、すみません……」

 バスタオルを巻いたままの恥ずかしい格好で、そんなやりとりをする。ゲイだからかしら、あたしはこんなに恥ずかしいのに、凛太郎くんは眉ひとつ動かさない。やっぱり、男の人にしか発情しないのね……。

「洗面所そっちだから、顔とか洗っていいわよ? 気持ち悪いでしょ?」
「? ……あ、二丁目で、僕、顔に何かされてました?」
「ええ!? 何かって?」
「何か、かけられたり……」

 ななな、なんですかそれは!? 二丁目って、そういうところなの!? 酔い潰れると、見知らぬ人に顔に何かかけられちゃうようなとこなの!? こ、怖すぎるっ!

「いや、あたしは何も見てないけど、ただ普通に、そのまま寝ちゃったから気持ち悪いかな、って……」

 凛太郎くんがふっと笑った。

「優しいですね、香織さん。じゃあ、お借りします」

 のそのそと動き出す凛太郎くん。ちょっとだけ、いつもの調子が戻ってきたかしら? あたしはその間にささっと部屋でお着替え。

「……ねえ、あんなこと、よくあるの?」

 心配になって、聞いてみる。

「……たまに、あります。いつも記憶がなくなるので、よくわかりませんが……」

 ホントに!? 凛太郎くん、よく今まで無事に生きてこられたわね……。

「何か大変なことがあったんじゃないかって、心配したわよ?」
「……僕、昨夜、何かしました?」
「え!?」

 ギョッとしたけど、慌てて取り繕う。

「えっと、別に何もしなかったけど、その……林さんの名前呼んで……泣いてたから……」

 酔って勘違いしたとはいえ、女のあたしにうっかりキスしたなんて知ったら、凛太郎くんもショックだろうから、それは黙っておこう。それより……あんなに辛そうに、泣いていたことのほうが、気になる。
 凛太郎くんは洗面所から出てくると、はかなげな笑みを浮かべた。

「……そうですか。その程度なら、よかったです」

 何それ……あれくらいのことなら、たまにあります、ってこと? また、凛太郎くんのことが心配になってくる。

「ねえ……何か、あったんじゃないの? 本当に大丈夫なの?」

 凛太郎くんは、今度は困ったように笑った。

「大丈夫かどうかはわかりませんが……仕方のないことなので」

 林さんへの実らない恋のことをいってるのかしら。もしかして……フラれちゃったり、したのかしら。

「僕では、先生を満足させてあげることができない……そんな自分に、ちょっと嫌気がさしただけです」

 ぽそりとそれだけいって、凛太郎くんは口を閉じてしまった。林さんも心配だけど、凛太郎くんのことも、相当心配。凛太郎くんの心は、深い。あたしみたいに、好きだとか好きじゃないとか、エロいとかエロくないとか、そんな単純なことじゃなくて、もっと複雑な部分で悩んでる。凛太郎くんは、林さんを好きで、尊敬していて、男性として求められたいのと同時に、林さんの芸術的な欲求を自分が満たしてあげたいと思ってる。それらは切り離せるものではなくて、林さんの求める芸術は性的な欲求と深い関係があるから、想いの通じない凛太郎くんの苦しみは何重にも彼を苦しめているに違いない。

 なんにしても……ヌードのモデルも断っちゃったし、あたしが助けてあげられることは、ないんだわ。
 胸がチクチクするけど、気を取り直してカバンを手に取る。小さなポーチにお金を入れて、凛太郎くんに渡す。

「はい。帰りの電車賃。行きましょうか」

 凛太郎くんを連れて部屋を出る。鍵をかけようとしたところで――

 ガチャリ。

 突然隣のドアが開いて、新條くんが出てきた。

「あっ、新條くん、おはよう! 今日も早いのね――」

 普通に声をかけようとして、新條くんの視線があたしの後ろにいる凛太郎くんに固定されたのを見て、ハッとする。
 こっ、これはっ! 早朝に美形男子を連れて部屋から出てきたあたし……っていうこの状態……ま、まずい! これはまずいわ、さすがにまずすぎる!?

「あっ、し、新條くんっ、これにはわけがあって……っ」

 ひゃあ、いかにも怪しく声が裏返っちゃった! ど、どうしよう、ちゃんと説明しなきゃ! ちゃんと新條くんに、説明しなきゃ――!
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