妄想女医・藍原香織の診察室

Piggy

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恋愛編

56話【off duty】新條 浩平:待ち伏せ(藍原編)①

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 新條くんが出ていったあとも、あたしはずっと布団をかぶったままだった。もう、何もやる気が起きない。何が何でも隠し通そうとしてたことが、こんなふうに、バレるなんて。まさか、寝ながらオナニーしてるところを、新條くんに見られるなんて。

 もう二度と、新條くんの顔を見られない。やっぱり、引っ越すしかない。もう絶対に新條くんに会わないように……。ああ、でも職場と大学が近いから、仕事を辞めない限り、また会っちゃうかな? この前みたいに、外来に来たり……。やだ、そんなの、耐えられない。絶対、会うたびに、あ、あのエロいオナニー女だ、って思われるんだわ。変態ドエロ女だ、あんな澄ました顔をして医者なんかやっちゃって、って。

 ……やだ、そんなのいやだよ。
 布団の中で、めそめそと泣く。こんなこと、誰にも相談できない。せっかく新條くんとのデートも何とか乗り切って、また仲のいいお隣さんとしていい関係が築けるかな、ってちょっとだけ期待していたのに。一緒にいると何だかほんわかして、安心できて、楽しくて。仕事仲間とも、患者さんともちょっと違う、この関係が、少しだけ気に入ってたのに。自分の性癖のせいで、新條くんとの関係も、もう終わりになるんだ……。

 ひどい羞恥と自己嫌悪で、それから一睡もできなくて、日曜日になってもベッドから出る気になれなかった。朝も昼もやり過ごして、日曜日の夜になる。

 ……さすがに、おなかがすいた。明日からは、とりあえずまた仕事だし。ずっと落ち込んでもいられない。……何か、食べなきゃ。
 のそのそとベッドから這い出て、足元のフローリングがいつもとちょっと違うことに気づく。……ああ、ティッシュで拭いた跡か。新條くんが、……自分の、精液を、拭いて帰ったあとだ。

「……」 

 裸足の指の裏で、そっとなぞってみる。ごしごし拭いたせいか、フローリングのワックスがそこだけとれて滑りが悪い。
 ……ここに、新條くんの精液が……。
 突然ムラムラしてきて、慌てて頭を振る。何考えてんの、あたし! こんな状況だというのに……。

 ロングスカートにトレーナー、それにコートを羽織って、ノーメイクのまま財布を持つ。とりあえず、近所のコンビニまでごはんでも買いに行こう……。

 ガチャリ。

 のろのろとドアを開けて外に出た途端に、同じタイミングで出てきたお隣さんと鉢合わせ。

「あ……っ、藍原、先生、こんばんは……」
「う」

 しどろもどろに顔を赤らめる新條くんを見て、あたしはすぐ部屋に引っ込んでドアを閉める。まったく、何でこんなタイミングで出てくんのよ!? 
 とりあえずやり過ごそうと玄関で待っていると、突然ドアがコンコンと叩かれた。

「……あの、藍原先生……? おでかけするんですか?」

 もう、話しかけないでよ。

「ひょっとして、晩飯とかですか? 俺もちょうど腹減って、コンビニに行こうかと思ってたとこです」

 だったらさっさと行きなさいよ。

「……先生? あの、よければ俺、何か買ってきましょうか?」
「……結構です、どうぞお出かけください」
「あ、じゃあ、一緒に行きましょうよ」
「いいえ、あたしのことなど気になさらず、どうぞとっととお出かけください」
「……先生、怒ってる……?」

 怒ってなんかない、自分に呆れて恥ずかしくて死にそうなだけ。

「……あの、やっぱり……俺が、先生の部屋で、あんなことしちゃったから……絶対、許せませんよね……すみません……」
「ち、違うわ、新條くんに怒ってるんじゃない。もうとにかく、あたしのことはほっといて」
「先生……俺、先生とちゃんと話したい。出てきてよ」

 ……それは、無理。もうこれ以上晒し首になりたくない。これ以上、ダメージ食らいたくないから……。
 とにかく、新條くんが諦めていなくなるまで、部屋からは出られない。

 それからはずっとだんまりで、やがて新條くんの声も聞こえなくなった。すっかり音がしなくなってから、更に15分くらい待った。外に、人の気配はない。さすがにもう行ったかな?
 恐る恐るドアを開けて、外を覗いてみる。……うん、誰もいない。よかった。
 あたしはささっと部屋を出て階段を下り、コンビニへ向かった。帰り道の新條くんと出くわすかもしれない、気をつけていかないと――

「先生」
「きゃあああ!?」

 いきなり背後から声をかけられて、心臓が止まるほど驚く。電信柱の陰に、新條くんが立っていた。

「ななな何よっ、待ち伏せ!? びっくりさせないでよ!?」
「ごめん、でもこうでもしないと先生と話せないと思って」
「だから、あたしは話す気はないってば」

 歩き出そうとするあたしの手首を、新條くんが掴んだ。

「ダメだよ、先生。俺は話したいことがある。先生に伝えたいことがあるんだから、聞いてよ」

 新條くんは、恥ずかしそうな困ったような顔で、少しだけ頬を赤くして、そういった。振りほどこうとして、その手がとても冷たいことに気がつく。
 今は真冬だ。新條くんは、あたしを待ち伏せて、ずっと電柱の陰に隠れてたんだ。こんなに、手が冷えるまで……。

「先生。聞いてくれる?」

 結局あたしは、しばらく迷ったあと、少しだけうなずいた。
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