恋し、挑みし、闘へ乙女

米原湖子

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第四章 花嫁修行

3.

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「君は恋をしたことがないだろう? だから君が書く物語は夢見る乙女の絵空事。綺麗すぎる」

 乙女がギリッと唇を噛む。悔しいが綾鷹の言う通りだからだ。

「故に恋愛小説なのに色気を感じず、読後も心に残らない。薄っぺらいということだ」

 言葉の刃がブスブスと身をえぐり、挙げ句、底なし沼にズブズブと墜ちていくような気がした乙女は、これではいけない、と気持ちを奮い立たせるように、グラスを掴むと水を一気に飲み干した。

「これはこれは!」

 乙女が、ぶはー、と息を吐き出したところに、場違いに聞こえる野太い声が聞こえる。

「梅大路綾鷹様、珍しいところでお出会いしますなぁ」
小金澤こがねさわ公爵もお越しでしたか」

 小金澤と呼ばれた男は綾鷹よりはるかに年上のようだが、へりくだった物言いやわざとらしい作り笑いが彼を卑賤ひせんに見せた。

「私はこちらのライスカレーが大の好物でして、三日と開けずに通っております」

 でっぷりとしたお腹を揺すりながら、小金澤が赤ら顔で可笑しくもないのに大袈裟に笑う。

「ところで、こちらのお嬢さんは?」

 笑いを収めると、小金澤はぎとぎとと脂ぎった目を乙女に向けた。
 綾鷹はその視線に気付くと小さく舌打ちをして、「彼女は私の許嫁です」と答えた。

「なっ、なんと! とうとう見合いをされたのですか?」

 小金澤は本当に驚いているようだった。

「私はてっきり険支路様のお嬢様、蘭子嬢と……」

 そこまで言ってハッと口を押さえる。

「おや? 言葉半ばで止めるとは気持ちが悪い。で、蘭子嬢と何ですか?」

 笑みは浮かべているが、綾鷹の眼は笑っていない。

「いえ……あの、あっ、そうだった。急ぎの用がありますので、これにて失礼致します」

 小金澤は逃げ出さんばかりにその場から立ち去った。
 その後ろ姿を見ながら、フンと綾鷹が鼻を鳴らす。

「まぁ、いい。これで見合いの話は一気に広まるだろう」
「えっ? あっ、まさか!」

「おや?」と綾鷹が口角を上げる。

「流石は作家。分かりましたか?」
「あの方がいらしているのを知っていて、このお店にされたのですか?」
「ビンゴ。彼は拡声器と異名を持つ男です」

 小金澤に秘密を知られたら半日で国中に広まるらしい。

「私を思ってこのお店にされたのではなかったのですね?」
「心外だなぁ。貴女を思ってです。でも、彼がいることも知っていた」

「一石二鳥ということです」と綾鷹は悪びれた様子も無く涼しい顔で答える。

「最低! 何て男!」
「ご注文はお決まりですか?」

 苛立ち交じりの言下に艶のある声が割り入った。
 乙女は店に入ったときから気付いていた。先程の女給の目が、熱く綾鷹を見つめていたことを。

「オムレツライスをケチャップ多めで、それとビフテキを……あっ、ビフテキのライスはパンに変えられるかな?」

 綾鷹の質問に、女給が花を咲かせたような笑みで答える。

「はい! ケチャップ多めとパンですね。賜りました」
「それと、食後にコーヒーを二つとデザートは、このカステーラを貰おうかな」
「かしこまりました」

 女給は極上の笑みを浮かべて返事をした後、チラリと乙女を見遣り、ツンと顎を上げると奥の間に消えた。

「何あの勝った、みたいな態度」

 確かに彼女の方が妙に色っぽく胸もある。

「でも、化粧ババアじゃない」

 怒りのボルテージが沸点に到達した乙女は、イーダと歯を剥き出す。

「君は何をやっているのかな?」
「いっいえ、別に!」
「キュートなフェースが台無しだよ」
「その異国語混じりの言葉遣い、癇に障ります!」
「そうかい? 君にも学んでもらうつもりなんだけどね」
「はい? どういう意味ですか?」
「それも花嫁修業の一環だと言うことだよ」

 綾鷹曰。「私の仕事は陛下の護衛もだが、梅大路次期当主として、異国の者が大勢参加する社交の場に顔を出す役目も担っている。彼らは必ず奥方を伴ってくる。だから君にも異国の言葉を覚える必要があるということだ」ということらしい。

「それは私にも社交の場に顔を出せと仰せなのですか?」
「ああ、妻として当然の義務だろ?」

 妻……乙女はここにきて改めて綾鷹に尋ねる。

「本当に私と結婚するおつもりですか?」
「何を今さら、冗談だとでも?」

 綾鷹の片方の眉が上がる。どうやら怒っているようだ。

「諦めの悪いお嬢さんだ。私は一度決めたことは曲げない主義でね」
「そこを今回は……」
「ダメだ!」

 一刀両断する綾鷹に、乙女は深い溜息を吐く。それを見ながら綾鷹が語気を強め言う。

「君は事の重大さが分かっていない。今、君はこの国のキーパーソンなのだよ」

 はい? 乙女には綾鷹の言っている意味が全く分からなかった。
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