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第四章 花嫁修行
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「君は恋をしたことがないだろう? だから君が書く物語は夢見る乙女の絵空事。綺麗すぎる」
乙女がギリッと唇を噛む。悔しいが綾鷹の言う通りだからだ。
「故に恋愛小説なのに色気を感じず、読後も心に残らない。薄っぺらいということだ」
言葉の刃がブスブスと身をえぐり、挙げ句、底なし沼にズブズブと墜ちていくような気がした乙女は、これではいけない、と気持ちを奮い立たせるように、グラスを掴むと水を一気に飲み干した。
「これはこれは!」
乙女が、ぶはー、と息を吐き出したところに、場違いに聞こえる野太い声が聞こえる。
「梅大路綾鷹様、珍しいところでお出会いしますなぁ」
「小金澤公爵もお越しでしたか」
小金澤と呼ばれた男は綾鷹よりはるかに年上のようだが、謙った物言いやわざとらしい作り笑いが彼を卑賤に見せた。
「私はこちらのライスカレーが大の好物でして、三日と開けずに通っております」
でっぷりとしたお腹を揺すりながら、小金澤が赤ら顔で可笑しくもないのに大袈裟に笑う。
「ところで、こちらのお嬢さんは?」
笑いを収めると、小金澤はぎとぎとと脂ぎった目を乙女に向けた。
綾鷹はその視線に気付くと小さく舌打ちをして、「彼女は私の許嫁です」と答えた。
「なっ、なんと! とうとう見合いをされたのですか?」
小金澤は本当に驚いているようだった。
「私はてっきり険支路様のお嬢様、蘭子嬢と……」
そこまで言ってハッと口を押さえる。
「おや? 言葉半ばで止めるとは気持ちが悪い。で、蘭子嬢と何ですか?」
笑みは浮かべているが、綾鷹の眼は笑っていない。
「いえ……あの、あっ、そうだった。急ぎの用がありますので、これにて失礼致します」
小金澤は逃げ出さんばかりにその場から立ち去った。
その後ろ姿を見ながら、フンと綾鷹が鼻を鳴らす。
「まぁ、いい。これで見合いの話は一気に広まるだろう」
「えっ? あっ、まさか!」
「おや?」と綾鷹が口角を上げる。
「流石は作家。分かりましたか?」
「あの方がいらしているのを知っていて、このお店にされたのですか?」
「ビンゴ。彼は拡声器と異名を持つ男です」
小金澤に秘密を知られたら半日で国中に広まるらしい。
「私を思ってこのお店にされたのではなかったのですね?」
「心外だなぁ。貴女を思ってです。でも、彼がいることも知っていた」
「一石二鳥ということです」と綾鷹は悪びれた様子も無く涼しい顔で答える。
「最低! 何て男!」
「ご注文はお決まりですか?」
苛立ち交じりの言下に艶のある声が割り入った。
乙女は店に入ったときから気付いていた。先程の女給の目が、熱く綾鷹を見つめていたことを。
「オムレツライスをケチャップ多めで、それとビフテキを……あっ、ビフテキのライスはパンに変えられるかな?」
綾鷹の質問に、女給が花を咲かせたような笑みで答える。
「はい! ケチャップ多めとパンですね。賜りました」
「それと、食後にコーヒーを二つとデザートは、このカステーラを貰おうかな」
「かしこまりました」
女給は極上の笑みを浮かべて返事をした後、チラリと乙女を見遣り、ツンと顎を上げると奥の間に消えた。
「何あの勝った、みたいな態度」
確かに彼女の方が妙に色っぽく胸もある。
「でも、化粧ババアじゃない」
怒りのボルテージが沸点に到達した乙女は、イーダと歯を剥き出す。
「君は何をやっているのかな?」
「いっいえ、別に!」
「キュートなフェースが台無しだよ」
「その異国語混じりの言葉遣い、癇に障ります!」
「そうかい? 君にも学んでもらうつもりなんだけどね」
「はい? どういう意味ですか?」
「それも花嫁修業の一環だと言うことだよ」
綾鷹曰。「私の仕事は陛下の護衛もだが、梅大路次期当主として、異国の者が大勢参加する社交の場に顔を出す役目も担っている。彼らは必ず奥方を伴ってくる。だから君にも異国の言葉を覚える必要があるということだ」ということらしい。
「それは私にも社交の場に顔を出せと仰せなのですか?」
「ああ、妻として当然の義務だろ?」
妻……乙女はここにきて改めて綾鷹に尋ねる。
「本当に私と結婚するおつもりですか?」
「何を今さら、冗談だとでも?」
綾鷹の片方の眉が上がる。どうやら怒っているようだ。
「諦めの悪いお嬢さんだ。私は一度決めたことは曲げない主義でね」
「そこを今回は……」
「ダメだ!」
一刀両断する綾鷹に、乙女は深い溜息を吐く。それを見ながら綾鷹が語気を強め言う。
「君は事の重大さが分かっていない。今、君はこの国のキーパーソンなのだよ」
はい? 乙女には綾鷹の言っている意味が全く分からなかった。
乙女がギリッと唇を噛む。悔しいが綾鷹の言う通りだからだ。
「故に恋愛小説なのに色気を感じず、読後も心に残らない。薄っぺらいということだ」
言葉の刃がブスブスと身をえぐり、挙げ句、底なし沼にズブズブと墜ちていくような気がした乙女は、これではいけない、と気持ちを奮い立たせるように、グラスを掴むと水を一気に飲み干した。
「これはこれは!」
乙女が、ぶはー、と息を吐き出したところに、場違いに聞こえる野太い声が聞こえる。
「梅大路綾鷹様、珍しいところでお出会いしますなぁ」
「小金澤公爵もお越しでしたか」
小金澤と呼ばれた男は綾鷹よりはるかに年上のようだが、謙った物言いやわざとらしい作り笑いが彼を卑賤に見せた。
「私はこちらのライスカレーが大の好物でして、三日と開けずに通っております」
でっぷりとしたお腹を揺すりながら、小金澤が赤ら顔で可笑しくもないのに大袈裟に笑う。
「ところで、こちらのお嬢さんは?」
笑いを収めると、小金澤はぎとぎとと脂ぎった目を乙女に向けた。
綾鷹はその視線に気付くと小さく舌打ちをして、「彼女は私の許嫁です」と答えた。
「なっ、なんと! とうとう見合いをされたのですか?」
小金澤は本当に驚いているようだった。
「私はてっきり険支路様のお嬢様、蘭子嬢と……」
そこまで言ってハッと口を押さえる。
「おや? 言葉半ばで止めるとは気持ちが悪い。で、蘭子嬢と何ですか?」
笑みは浮かべているが、綾鷹の眼は笑っていない。
「いえ……あの、あっ、そうだった。急ぎの用がありますので、これにて失礼致します」
小金澤は逃げ出さんばかりにその場から立ち去った。
その後ろ姿を見ながら、フンと綾鷹が鼻を鳴らす。
「まぁ、いい。これで見合いの話は一気に広まるだろう」
「えっ? あっ、まさか!」
「おや?」と綾鷹が口角を上げる。
「流石は作家。分かりましたか?」
「あの方がいらしているのを知っていて、このお店にされたのですか?」
「ビンゴ。彼は拡声器と異名を持つ男です」
小金澤に秘密を知られたら半日で国中に広まるらしい。
「私を思ってこのお店にされたのではなかったのですね?」
「心外だなぁ。貴女を思ってです。でも、彼がいることも知っていた」
「一石二鳥ということです」と綾鷹は悪びれた様子も無く涼しい顔で答える。
「最低! 何て男!」
「ご注文はお決まりですか?」
苛立ち交じりの言下に艶のある声が割り入った。
乙女は店に入ったときから気付いていた。先程の女給の目が、熱く綾鷹を見つめていたことを。
「オムレツライスをケチャップ多めで、それとビフテキを……あっ、ビフテキのライスはパンに変えられるかな?」
綾鷹の質問に、女給が花を咲かせたような笑みで答える。
「はい! ケチャップ多めとパンですね。賜りました」
「それと、食後にコーヒーを二つとデザートは、このカステーラを貰おうかな」
「かしこまりました」
女給は極上の笑みを浮かべて返事をした後、チラリと乙女を見遣り、ツンと顎を上げると奥の間に消えた。
「何あの勝った、みたいな態度」
確かに彼女の方が妙に色っぽく胸もある。
「でも、化粧ババアじゃない」
怒りのボルテージが沸点に到達した乙女は、イーダと歯を剥き出す。
「君は何をやっているのかな?」
「いっいえ、別に!」
「キュートなフェースが台無しだよ」
「その異国語混じりの言葉遣い、癇に障ります!」
「そうかい? 君にも学んでもらうつもりなんだけどね」
「はい? どういう意味ですか?」
「それも花嫁修業の一環だと言うことだよ」
綾鷹曰。「私の仕事は陛下の護衛もだが、梅大路次期当主として、異国の者が大勢参加する社交の場に顔を出す役目も担っている。彼らは必ず奥方を伴ってくる。だから君にも異国の言葉を覚える必要があるということだ」ということらしい。
「それは私にも社交の場に顔を出せと仰せなのですか?」
「ああ、妻として当然の義務だろ?」
妻……乙女はここにきて改めて綾鷹に尋ねる。
「本当に私と結婚するおつもりですか?」
「何を今さら、冗談だとでも?」
綾鷹の片方の眉が上がる。どうやら怒っているようだ。
「諦めの悪いお嬢さんだ。私は一度決めたことは曲げない主義でね」
「そこを今回は……」
「ダメだ!」
一刀両断する綾鷹に、乙女は深い溜息を吐く。それを見ながら綾鷹が語気を強め言う。
「君は事の重大さが分かっていない。今、君はこの国のキーパーソンなのだよ」
はい? 乙女には綾鷹の言っている意味が全く分からなかった。
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