紫音の少女

柊 潤一

文字の大きさ
上 下
2 / 75

初めての世界

しおりを挟む
少女が一歩足を踏み出した時、空気が揺れた。

 まるで濃密に充満していたあらゆる気配が、少女によってかき乱されたかのように。

 今、少女の目の前には瓦礫と化し、荒れた町があった。

 日も暮れてはいないのに暗く、風もなく空気はどんよりと漂い、空には暗雲が立ち込めていた。

 少女は歩みを進めた。

 人の気配はなかった。

 ふと・・・

 瓦礫の間から鼠が顔を覗かせた。

 鼠は少女を見ると走り寄り、咥えていた食べ物を少女の足元に置いた。

 そして少女を見上げた。

 少女は優しい目で鼠を見つめると、微かに頷いた。

 鼠はまた食べ物を咥えると元の穴へ戻って行き、少女を暫く見つめたあと穴の中へ入っていった。

 少女の身なりは、所々擦りきれたワンピースを着ていて、背中まである漆黒の長い髪を首の辺りで無造作にくくっていた。

 紫がかった瞳の端正なその顔立ちは、どう見ても少女としか言い様のないものだったが、彼女からは三千世界の王のような威厳が漂っていた。

 少女は瓦礫の中をゆっくりと歩いていった。

 その時何処からか、呻き声のようなものが聞こえてきた。

 少女は声のする方へ歩いていった。

 その声は辛うじてまだ形を保っている建物の中から聞こえていた。

 少女は中に入っていった。

 薄暗い部屋の中には、粗末なベッドと壊れかけたテーブルと椅子が二脚あるだけだった

 ベッドには男が寝ていて両目を手のひらで押さえ、苦しそうに呻いていた。

 そしてそのそばでは、まだ幼い兄妹らしき二人の子供が、男を心配そうに見守っていた

 少女が入っていくと二人は驚いて振り返った。

 そして怯えた目で紫音を見た。

 紫音は二人に優しく話しかけた。

「驚かせてごめんね。あなた達のお父さん?」

「そうです」

 兄と思われる男の子がほっとした様子を見せながら答えた。

「病気なの?」

「いえ・・・この間の戦争で目を怪我しちゃったんです・・・みんなザィールの町に避難して、お医者さんもいないしどうしようもなくて。」

 そう言うと男の子は悲しそうに俯いた。

「そうだったの・・・ちょっと見せてくれる?」

 そう言いながら紫音は男に近づき、男の手をゆっくりと持ち上げて目を覗きこんだ。

 男の目は閉じられていて、乾いた血がこびり付いていた。

 紫音は男の左目蓋に手のひらを軽く乗せてから目を閉じ、意識を自分の手のひらに集中させたあと、男の目へ意識を移した。

 紫音の脳裏に男の眼球が写し出された。

 紫音は更に眼球の内部に入っていった。

 眼球の中には米粒程のレンガのかけらが一個は角膜に、一個は水晶体を動かす筋肉に、もう一個は眼球の端の方に埋まっていた。

 紫音は右目も同じ様に調べた。

 右目は一センチ程の長さの細いレンガのかけらが白眼の部分に突き刺さり、先は眼球から突き出て目蓋の内側を傷つけていた。

 紫音は男の顔から手を離し兄弟に言った。

「治せるから、安心して」

「ほんとですか?」

 心配そうに紫音と父親を見守っていた兄弟は、目を輝かせながら言った。

「お姉さんはお医者さんなの?」

 妹が言った

「そう思ってくれていいわよ」

 紫音は微笑みながら答えた。

「それじゃ始めるから、あなた達も手伝ってくれる?」

「はい」

「一人づつお父さんの手を握って元気付けてあげてね」

「わかりました」

 紫音は男に話しかけた。

「お父さん 今からあなたの目を治療します。痛むのと熱が出るかもしれませんが、我慢して下さい」

 男は微かに頷いた。

 紫音は男の左目蓋に手を乗せてレンガのかけらに意識を集中させた。

 その時、紫音の身体から鮮やかな紫色の水蒸気が湧きだした。

 男の目の中のレンガのかけらには肉が癒着し始めていたので、まずその肉をレンガのかけらから剥がさなければならなかった。

 紫音は意識で薄い膜を作りレンガのかけらを包んだ後、それを僅かに膨らませた。

 レンガのかけらから肉が徐々に剥がれていった

 それから意識の膜の中のレンガのかけらを超高速で振動させ、分子レベルまで粉々にしたあと、眼球のまだ塞がっていない傷口から目の表面へ押し出した。

 紫音の身体から湧き出た紫色の水蒸気は少しずつ大きく広がり、粒の一つ一つが順番に輝きながら、弾けては消えていった。

 粒は弾ける時に、それぞれ違う音階の澄んだ音を出し、それが連なってオルゴールのような音を奏でていた。

 それは、紫音の持つ特殊な生命エネルギーを使った時に溢れ出た物が、この世界と反応して起こる現象だった。

 部屋の中は今、紫色の透明な水蒸気と煌めく光と、厳かで何故か懐かしく感じる不思議な旋律で満ち溢れていた。

 紫音は、同じようにして他のレンガのかけらを処理したあと、涙腺を刺激した。

 粉になったレンガのかけらは涙に混じって目から流れ出ていった。

 紫音は次に、右目のかけらも同じように意識の膜で包んで膨らませたあと、目蓋を開けてかけらをゆっくりと押し出していった。

 こうして、両眼からかけらをすべて取り除くと、今度は傷付いた部分の細胞の位置を調べ、目の奥の神経の束から細胞の生成を促す神経を辿り脳へと入っていった。

 そして命令を出している核を見つけると、穴の空いた部分の細胞を再生させる核を付け足した。

 そのあと、核に微弱な電気で刺激を与えて再生を促し、両目を見守った。

 目の傷付いた部分の細胞が活動を始めた。

 細胞は大きくなり二つに分離し、分離した細胞はまた大きくなりを繰り返し、細胞はどんどん増えていった。

 やがて両目の傷付いた部分はなくなった。

 男は細胞が再生を始めた頃からうっすらと汗をかき始めたが、今は落ち着いてぐっすりと眠っていた。

 部屋に充満していた紫色の透明な煌めく霧は徐々に薄くなり、不思議な旋律もやがて消えていった。

 ずっと父親の手を握りながら紫色の透明な霧に包まれ、恍惚とした表情で不思議な旋律を聞き、煌めく光を眺めていた兄妹は我に返って紫音を見た。

「お父さんの目は治ったわよ。」

「ほんと?」

「うん。今は疲れて眠ってるから、寝かせてあげてね」

「うん、お姉ちゃんありがとう」

 兄弟はお互いに、良かったねと言いながら喜び合っていたが、やがてベッドに上半身を乗せて眠ってしまった。

 紫音も床に座り、壁にもたれかけ眠りについた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R18】もう一度セックスに溺れて

ちゅー
恋愛
-------------------------------------- 「んっ…くっ…♡前よりずっと…ふか、い…」 過分な潤滑液にヌラヌラと光る間口に亀頭が抵抗なく吸い込まれていく。久しぶりに男を受け入れる肉道は最初こそ僅かな狭さを示したものの、愛液にコーティングされ膨張した陰茎を容易く受け入れ、すぐに柔らかな圧力で応えた。 -------------------------------------- 結婚して五年目。互いにまだ若い夫婦は、愛情も、情熱も、熱欲も多分に持ち合わせているはずだった。仕事と家事に忙殺され、いつの間にかお互いが生活要員に成り果ててしまった二人の元へ”夫婦性活を豹変させる”と銘打たれた宝石が届く。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

結構な性欲で

ヘロディア
恋愛
美人の二十代の人妻である会社の先輩の一晩を独占することになった主人公。 執拗に責めまくるのであった。 彼女の喘ぎ声は官能的で…

いや、あんたらアホでしょ

青太郎
恋愛
約束は3年。 3年経ったら離縁する手筈だったのに… 彼らはそれを忘れてしまったのだろうか。 全7話程の短編です。

お馬鹿な聖女に「だから?」と言ってみた

リオール
恋愛
だから? それは最強の言葉 ~~~~~~~~~ ※全6話。短いです ※ダークです!ダークな終わりしてます! 筆者がたまに書きたくなるダークなお話なんです。 スカッと爽快ハッピーエンドをお求めの方はごめんなさい。 ※勢いで書いたので支離滅裂です。生ぬるい目でスルーして下さい(^-^;

二人目の夫ができるので

杉本凪咲
恋愛
辺境伯令嬢に生を受けた私は、公爵家の彼と結婚をした。 しかし彼は私を裏切り、他の女性と関係を持つ。 完全に愛が無くなった私は……

未亡人となった側妃は、故郷に戻ることにした

星ふくろう
恋愛
 カトリーナは帝国と王国の同盟により、先代国王の側室として王国にやって来た。  帝国皇女は正式な結婚式を挙げる前に夫を失ってしまう。  その後、義理の息子になる第二王子の正妃として命じられたが、王子は彼女を嫌い浮気相手を溺愛する。  数度の恥知らずな婚約破棄を言い渡された時、カトリーナは帝国に戻ろうと決めたのだった。    他の投稿サイトでも掲載しています。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

処理中です...