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Cantabile 〔歌うように〕

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自分の音楽は何かに欠けている。
宮瀬真尋はずっとそう感じていた。

昨年参加した国際的なヴァイオリンコンクール。当然、優勝を目指して挑んだ。コンクールの前はそれ以外の全てを排除することさえした。
しかし、結果は2位だった。決して悪くはない結果だ。世界で2位。周囲からはそれはもう持て囃された。だが、真尋は素直に喜べなかった。まあ表面的には喜んで見せたが、でもそれだけだった。結果発表の瞬間から、これまでずっと感じていた正体のわからない虚無感が自分の音楽を侵食し始めるのがただわかっていた。

所謂スランプというものなのだろうか。コンクールの後から、どうにも納得する演奏が出来ない。
弾けば弾くほど泥沼にズブズブと沈んで行くように思えて、俺はとうとうヴァイオリンを手放した。

「少し疲れているんじゃないか?」

「そうですね。少し休んでみます」

先生にもそう言われて、苦笑で返す。そんなことじゃないと不機嫌を撒き散らそうかと思ったが、止めた。優しい口調と微笑み。余計なものに煩わされないための処世術だ。お陰で「宮瀬真尋は爽やかな好青年だ」という評判は盤石なものとなっている。爽やかな笑みを浮かべて、思ってもないような綺麗事を並べる度に、自分を覆う皮が厚くなって音が内に籠もる気がして息苦しい。最近は特にそうだった。

休むと言ってしまったからには、それ相応の行動をするべきか。レコーディングに、演奏会の練習。本当なら入っていた予定が、猫かぶりのお陰であっさり休みに変換された。
常に背負っていたヴァイオリンケースを置いてふらふらと街に出てみる。趣味と実益を兼ねたヴァイオリンを置いてみれば、何をすればいいのかわからない。当てもなく電車に乗り、人の流れのままに適当な所で降りる。そうしてたどり着いたのはひっそりと佇むようなバーだった。
たまには酒を飲むのもいいだろう。そう思って店内に足を踏み入れたのが、俺の最大の幸運だった。

「なんだこれ……」

思わず口から感嘆の言葉が溢れた。
バーの奥にはピアノがあり、そこで一人の男が演奏していた。全く知らないピアニストだ。音が体の芯を掴んで揺さぶる。直接響くような音に頭が痺れた。「聞かないなんて許さない」と言うように、そこにいるもの全てを否応なく音楽に引きずり込む。

「なんだよこれ」

なんでこんなやつがこんなところにいるんだ。これはこんなとこに居ていいやつの音楽じゃない。テクニックは荒削りで、雑なところも多々ある。それでもそれを補って余りある表現力。まるで音に色がついているようだ。情動のままに演奏される音楽は、聞き手に世界を見せる。
奏者から目を話せないままふらふらと席について、適当な酒を注文した。飲んでないのにまるで酔っているような気分だ。実際、その音に酩酊しているのかもしれない。
曲と曲の合間。夢中で弾いているように見えた奏者が、ふと客席に目をやった。自分の他にはほんの数名しかいない狭い店内だ。視線がかち合って、それを知覚した瞬間無意識に声を出していた。

「あの、リクエストをお願い出来たりしますか?」






そうして繋がった縁は、真尋にとって人生最大の幸運だった。
自ら掴み取った愛しい半身、今も隣にいる。
コンサート前のリハーサル。チューニングをする真尋を待つ間、手慰みに細い指が音階を並べる。
ただ順に鍵盤を押しているだけなのに、耳に届くそれは鮮やかで、聞き入らずにはいられない。
長年、側にいて共に演奏してきた真尋でさえ、それには抗えなかった。
手を止めた真尋を、奏始が首を傾げて見やる。
整いすぎた顔は表情を失くすといっそ恐ろしい。
そんな奏始が1番輝くのは、ピアノを弾いている時だ。つくづく音楽の化身のような男だと思う。
そんな男をパートナーとしている自分は、本当に幸運だ。そして同時に、絶対に負けたくないとも思う。追い越し、追い越され、どこまでも二人で行くんだ。
音を食べて生きていく。愛を奏でて死んでゆく。
あの夜からずっと揺るぎない光景が真尋には見えている。万雷の拍手の中で微笑む己の番は世界一綺麗だ。

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