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十四蝮との対面と村木砦
八
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こうしては居られない。今川の軍師、太原雪斎の死期が近いのを、何としても殿に伝えないといけない。こんな所で今川の兵と共に死ぬ訳にはいかない。俺は、この戦が終われば桂月と所帯を持つのだ。早く、桂月を探してここを脱出しなければ。
恒興は桂月を探した。
「あれは!」
桂月は、具足を脱ぎ忍び装束で村木砦の館の屋根に上がっていた。おそらく恒興同様に、太原雪斎の死期の情報を掴んで裏取りのため、その目で確かめるつもりなのだ。
「やめるのだ、桂月、危険を冒すとはない!」
と、心中で叫んでみても桂月の耳には聞こえるはずがない。
桂月は、恒興の心配をよそに、屋根板をはがして忍び込んだ。
「ええい、ちくしょー!」
恒興は、仕方なく、太原雪斎が居る館へ向かった。
村木砦の屋形は簡易なものであった。雨風が凌げればそれでよい。太原雪斎がここにいて織田家と水野家を分断する付(つけ)城(しろ)だ。だだっ広い広間に、太原雪斎は、床に伏していた。
眠っているはずの太原雪斎は、しっかりと目を閉じてはいるのだが、目は見開かれているように感じる。
「誰だ?」
天井から桂月。表戸から、恒興が近づくと、擦(かす)れた声で太原雪斎が呼び止めた。雪斎は、目はしっかり閉じている。言葉こそ発したが、眠っている。
天井の桂月が、恒興の他に誰もいないことを確認して、広間に飛び下りた。
「太原雪斎様、お命頂戴仕る」
刀を構えた桂月に恒興が目を剥いて、
「桂月! お前は、人の母になるのだ。人を殺めちゃいけない」
恒興が止めた。
「勝三郎、こいつが生きて居っては、お味方がどれほど損害を受けるかわからない。命を奪うなら今しかない」
恒興は、静かに首を振って、
「ダメだ。俺の子供を産む女は、人を殺めることは許さない。殺すなら俺がやる。刀を貸せ!」
恒興は、桂月の忍(しのび)刀(かたな)を奪い取ると、太原雪斎に刃を剥けた。
恒興は、これまで戦場で数多の命を奪って来た。この男の命の重さは違う。こんな暗殺のような形で奪うには疑問が過った。
「勝三郎、殺さぬのか?」
目を閉じたままの太原雪斎が、恒興と桂月の会話から覚えた名を呼んだ。
太原雪斎は、慧眼を携え、まるで生き仏のように迷いも、憂いも、この世のどんなしがらみからも解き放たれたような顔をしている。
(この男の命は、こんな奪い方をしてはならない)
恒興は、太原雪斎は戦場で刀を突きさされて奪われるような人物ではないと感じた。雪斎の顔に光が差し込んだ。まるで、王光(おうこう)だ。死期迫る身体からも、滲み出る仏の力のようなものを感じるのだ。
恒興は、刀を放り出した。
「勝三郎、なぜ、一思いに殺(や)らぬのだ!」
桂月が、残念そうに尋ねた。
「この男は、どんなことがあっても殺しちゃいけない。殺すな! と、俺の心が言っているのだ」
「馬鹿を申せ、お前が殺らぬなら私が殺る」
桂月は、忍刀を拾って太原雪斎に刃を剥けた。
シュパンッ!
一本の矢が桂月の胸に突き刺さった。
「軍師殿の館に曲者だ! 皆の者、出あえ! 出あえ!」
巡回の今川の兵が大声で仲間を呼んだ。
「桂月!」
恒興は、胸に矢が深く突き刺さった桂月を抱き起こす。
「勝三郎様、私はもう助かりません。私を置いて逃げて下さい」
「馬鹿を申すな、そんな真似が俺に出来るか! 桂月、お前も承知のはずだ、一緒に逃げるぞ」
恒興は、桂月を担いで館をでた。
恒興と、桂月が姿を消した後に、松平義春が駆けつけた。
「軍師殿、ご無事にございますか!」
「織田信長が来たようじゃ。起きねばならぬ。義春殿、肩を貸してくれ」
「軍師殿、起きても大丈夫なのですか?」
「備えねばならぬ。信長が来たからには、ワシが動かねば、この砦は守れん」
「しかし、無理をなされてはお命が……」
「ワシの命の命数は、あと少しじゃ。残された命で、今川のために出来ることはこれぐらいしかない」
恒興は桂月を探した。
「あれは!」
桂月は、具足を脱ぎ忍び装束で村木砦の館の屋根に上がっていた。おそらく恒興同様に、太原雪斎の死期の情報を掴んで裏取りのため、その目で確かめるつもりなのだ。
「やめるのだ、桂月、危険を冒すとはない!」
と、心中で叫んでみても桂月の耳には聞こえるはずがない。
桂月は、恒興の心配をよそに、屋根板をはがして忍び込んだ。
「ええい、ちくしょー!」
恒興は、仕方なく、太原雪斎が居る館へ向かった。
村木砦の屋形は簡易なものであった。雨風が凌げればそれでよい。太原雪斎がここにいて織田家と水野家を分断する付(つけ)城(しろ)だ。だだっ広い広間に、太原雪斎は、床に伏していた。
眠っているはずの太原雪斎は、しっかりと目を閉じてはいるのだが、目は見開かれているように感じる。
「誰だ?」
天井から桂月。表戸から、恒興が近づくと、擦(かす)れた声で太原雪斎が呼び止めた。雪斎は、目はしっかり閉じている。言葉こそ発したが、眠っている。
天井の桂月が、恒興の他に誰もいないことを確認して、広間に飛び下りた。
「太原雪斎様、お命頂戴仕る」
刀を構えた桂月に恒興が目を剥いて、
「桂月! お前は、人の母になるのだ。人を殺めちゃいけない」
恒興が止めた。
「勝三郎、こいつが生きて居っては、お味方がどれほど損害を受けるかわからない。命を奪うなら今しかない」
恒興は、静かに首を振って、
「ダメだ。俺の子供を産む女は、人を殺めることは許さない。殺すなら俺がやる。刀を貸せ!」
恒興は、桂月の忍(しのび)刀(かたな)を奪い取ると、太原雪斎に刃を剥けた。
恒興は、これまで戦場で数多の命を奪って来た。この男の命の重さは違う。こんな暗殺のような形で奪うには疑問が過った。
「勝三郎、殺さぬのか?」
目を閉じたままの太原雪斎が、恒興と桂月の会話から覚えた名を呼んだ。
太原雪斎は、慧眼を携え、まるで生き仏のように迷いも、憂いも、この世のどんなしがらみからも解き放たれたような顔をしている。
(この男の命は、こんな奪い方をしてはならない)
恒興は、太原雪斎は戦場で刀を突きさされて奪われるような人物ではないと感じた。雪斎の顔に光が差し込んだ。まるで、王光(おうこう)だ。死期迫る身体からも、滲み出る仏の力のようなものを感じるのだ。
恒興は、刀を放り出した。
「勝三郎、なぜ、一思いに殺(や)らぬのだ!」
桂月が、残念そうに尋ねた。
「この男は、どんなことがあっても殺しちゃいけない。殺すな! と、俺の心が言っているのだ」
「馬鹿を申せ、お前が殺らぬなら私が殺る」
桂月は、忍刀を拾って太原雪斎に刃を剥けた。
シュパンッ!
一本の矢が桂月の胸に突き刺さった。
「軍師殿の館に曲者だ! 皆の者、出あえ! 出あえ!」
巡回の今川の兵が大声で仲間を呼んだ。
「桂月!」
恒興は、胸に矢が深く突き刺さった桂月を抱き起こす。
「勝三郎様、私はもう助かりません。私を置いて逃げて下さい」
「馬鹿を申すな、そんな真似が俺に出来るか! 桂月、お前も承知のはずだ、一緒に逃げるぞ」
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