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十三信長の心
一
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「殿、あなたでしたか」
翌日、恒興は、月を弔った織田家の菩提寺萬松寺を訪ねた。
今日、ここへ来たのは。月を弔うためではない。父、恒利でもない。信長の心を確かめに来たのだ。
「勝三郎、お前も来たのか」
信長は、毎日、時間を見つけてここへ来る。
父、信秀を参り、傅役だった平手政秀を参り、死んでいった子分たちを参るのだ。
そして、決まって白百合を手向ける。
「この間、月を参った時、白百合が飾っていた。誰も知るはずのない墓に、不思議なことだと思ったのです」
信長は、菩提に手を合わせたまま、
「そうか」
「殿のお気持ちを正直におっしゃって下されば、俺だってあなたが心底憎いわけじゃない。ガキみたいに殴り合いの喧嘩なんてしなくてよかったのだ」
「お前の一発は効いたぞ」
「殿、なぜなのです。どうして敵ばかりおつくりになるのですか?」
「恒興、その話は、私から話しましょう」
恒興の背後から声がした。振り向くと、大殿信秀を弔うため仏門に入った母のお福こと養徳院が立っていた。
養徳院は信長に、
「殿、私が話してかまいませんか?」
と、確認した。
「かまわん。お福、お前が話せ」
お福の話はこうだ。信長は、幼いころから、母、土田御前に捨てられ、次々に、乳母をたらいまわしにされた。お福が乳母になるまで、母の愛“無償の愛”を知らない孤独の中に生きてきた。
大殿、信秀の嫡男とはいえ、年長の信広がおり、弟の信行は、母、土田御前が溺愛している。信秀の機嫌を損ねたら、いつ、廃嫡されるか分かったものではない。
味方になる家臣も、傅役の平手政秀だけだ。
信長は、命を的の戦国乱世に、誰一人として力ある者で信用できる者はなかった。
そんな中、子供だった信長が、自分の頭で考えた行動が、尾張に散らばる悪ガキたちを一人一人子分にすること。河尻秀隆、毛利良勝……彼らは、家を継げない次男、三男の子弟たちだ。
力だけでは、国を治めることはできない。次に、信長は、知を求めた。
腹違いの弟で、犬山城の織田信康の養子になったが、信康の死によって、追い返された織田信時。
武略百般を修めた下級武士の岩室重休。
信長は、通常なら取り立てない不遇の人材を集めた。
そして、恒興だ。
信長は、実母同然に、お福を慕った。その息子が勝三郎なのだ。
信長にとって、この乳兄弟は、馬鹿で、向こうっ気ばかり強くて、それでいて情に厚く、信じたものは裏切らない“仁の漢”。
信長が、最も、求めていたのは恒興なのだ。
信長は、心の内を語る人物ではないが、恒興には全幅の信頼を寄せている。
月の件は、信長の読みが違った。若さゆえ甘かった。
しかし、信長は、四方を敵対勢力に狙われた一国の主だ。簡単に頭を下げる訳にはいかない。
出来ることは、せめて、己が摘んだ白百合を仏前に手向けること。
祷りを終えた信長は、立ち上がって、恒興に向き直った。
「勝三郎、俺を殺すのか?」
恒興は、サッと全身の血の気が引いた。
「なんのことです」
「勝三郎、斎藤道三に、俺を殺せと命ぜられたであろう」
「……いいえ」
違う、図星だ。
「隠さずともよい。俺は知っている。それで、お前を裁くつもりはない」
「どういうことです」
信長は、腰の短刀を引き抜いて、恒興に突き出した。
「お前の家にあった。消えた籐四郎吉光だ。これで、いつでも俺が信じられなくなったら殺せ!」
恒興は、信長から生命与奪の権利を与えられた。籐四郎吉光を握る恒興の手は静かに震えた。
翌日、恒興は、月を弔った織田家の菩提寺萬松寺を訪ねた。
今日、ここへ来たのは。月を弔うためではない。父、恒利でもない。信長の心を確かめに来たのだ。
「勝三郎、お前も来たのか」
信長は、毎日、時間を見つけてここへ来る。
父、信秀を参り、傅役だった平手政秀を参り、死んでいった子分たちを参るのだ。
そして、決まって白百合を手向ける。
「この間、月を参った時、白百合が飾っていた。誰も知るはずのない墓に、不思議なことだと思ったのです」
信長は、菩提に手を合わせたまま、
「そうか」
「殿のお気持ちを正直におっしゃって下されば、俺だってあなたが心底憎いわけじゃない。ガキみたいに殴り合いの喧嘩なんてしなくてよかったのだ」
「お前の一発は効いたぞ」
「殿、なぜなのです。どうして敵ばかりおつくりになるのですか?」
「恒興、その話は、私から話しましょう」
恒興の背後から声がした。振り向くと、大殿信秀を弔うため仏門に入った母のお福こと養徳院が立っていた。
養徳院は信長に、
「殿、私が話してかまいませんか?」
と、確認した。
「かまわん。お福、お前が話せ」
お福の話はこうだ。信長は、幼いころから、母、土田御前に捨てられ、次々に、乳母をたらいまわしにされた。お福が乳母になるまで、母の愛“無償の愛”を知らない孤独の中に生きてきた。
大殿、信秀の嫡男とはいえ、年長の信広がおり、弟の信行は、母、土田御前が溺愛している。信秀の機嫌を損ねたら、いつ、廃嫡されるか分かったものではない。
味方になる家臣も、傅役の平手政秀だけだ。
信長は、命を的の戦国乱世に、誰一人として力ある者で信用できる者はなかった。
そんな中、子供だった信長が、自分の頭で考えた行動が、尾張に散らばる悪ガキたちを一人一人子分にすること。河尻秀隆、毛利良勝……彼らは、家を継げない次男、三男の子弟たちだ。
力だけでは、国を治めることはできない。次に、信長は、知を求めた。
腹違いの弟で、犬山城の織田信康の養子になったが、信康の死によって、追い返された織田信時。
武略百般を修めた下級武士の岩室重休。
信長は、通常なら取り立てない不遇の人材を集めた。
そして、恒興だ。
信長は、実母同然に、お福を慕った。その息子が勝三郎なのだ。
信長にとって、この乳兄弟は、馬鹿で、向こうっ気ばかり強くて、それでいて情に厚く、信じたものは裏切らない“仁の漢”。
信長が、最も、求めていたのは恒興なのだ。
信長は、心の内を語る人物ではないが、恒興には全幅の信頼を寄せている。
月の件は、信長の読みが違った。若さゆえ甘かった。
しかし、信長は、四方を敵対勢力に狙われた一国の主だ。簡単に頭を下げる訳にはいかない。
出来ることは、せめて、己が摘んだ白百合を仏前に手向けること。
祷りを終えた信長は、立ち上がって、恒興に向き直った。
「勝三郎、俺を殺すのか?」
恒興は、サッと全身の血の気が引いた。
「なんのことです」
「勝三郎、斎藤道三に、俺を殺せと命ぜられたであろう」
「……いいえ」
違う、図星だ。
「隠さずともよい。俺は知っている。それで、お前を裁くつもりはない」
「どういうことです」
信長は、腰の短刀を引き抜いて、恒興に突き出した。
「お前の家にあった。消えた籐四郎吉光だ。これで、いつでも俺が信じられなくなったら殺せ!」
恒興は、信長から生命与奪の権利を与えられた。籐四郎吉光を握る恒興の手は静かに震えた。
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