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十二恒興、闇に落ちる

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 父、信秀の死後、土田御前の生んだ子供たちは、そのまま、信行の末森城に残り、側室たちはそれぞれの息子の所や生家へ戻された。
 お福こと養徳院はというと、恒興の池田家へ戻ることはなく自らの意志で信秀の菩提を弔うため末森城に残った。
 他に、信長の兄弟は、庶子しょしではあるが長男の信広、同じ腹の信時、九郎(信治)。熱田、加藤家縁続きの商家の娘を母に持つ信照のぶてる(幼名不明)、源五(長益ながます)、又十郎(長利ながとし)がある。
 妾腹めかけはら兄弟でも元服しているのは、兄、信広と信時ぐらいで、他の兄弟は、傅役をつけて那古野城で養育している。
 信広は、信秀から最前線。三河領、安祥あんじょう城を任されていたのだが、今川方に奪われ、現在は、信長が城を開ける時に腹を切った平手政秀の代わりに留守居役を務めている。
 信時も、同じようなもので、養子先の犬山城を追われてからは信長の子分に戻った。
 これは、織田弾正忠家の信長と庶子派と、正妻の土田御前と信行派との主導権争いだ。
 信時は、長男、信広と母が同じ兄弟だ。
 信時が末森へ走れば、いつ、信広がそちらへ味方するか分からなくなる。信広まで末森に行ってしまっては、信長に味方する一族の者が誰もいなくなる。
 一族の支えもなく家老の支えもなくなればどうなるかは明白だ。
 信長は、ガキの頃から一緒に育った信時を信頼している。その上で、お七を養女にして嫁に出し、尾張の支配力向上を図ったのだ。
 信時に、末森に逃げられては元も子もない。
 信長は、自ら馬を飛ばして信時を追った。
 畦道を足早に急ぐ信時とお善を先に見つけたのは恒興ではなく信長だった。
「待て、信時!」
 信長が、信時の進路に馬で立ち塞がった。
「兄上、道をあけて下さい」
「いいや、行かせるわけにはいかない」
「兄上、ならば、私達親子を引き裂くような命令は撤回してください」
「それはできない」
「ならば、私は、末森の信行兄のところへ参ります」
「ダメだ」
「ならば、お七を、何処かに嫁がせる話を、物心がつく年齢まで伸ばして下さい」
「それもならん」
「ならば、幼い子を持つ親として、どうあればよいとおっしゃるのです」
「俺のために生きよ!」
「ならば、お七の件を……」
 もはや、押し問答だ。
 ダッダ! ダッダ! ダッダ!
 そこへ、恒興が駆けつけた。
「間に合ったか」
 信長は、恒興に光る眼を放った。
「勝三郎、何しに来た」
「俺は、信時を止めに来た」
「その任は、俺、自らがする。お前は帰れ!」
 なんだって! 元はといえば、信長あんたの勝手が原因でこうなったのだろう。信時のような心優しいやつから、我が子を奪い取り、身を引き裂くような命令を下すから、こいつは悩んだ末に、あんたの元を去る決断をしたのだ。
「いいや、殿。俺はあんたの命令には従わない。俺が、信時を連れ戻して、一緒になってあんたの勝手な命令を撤回させる」
 信長は、凍ったような瞳で、
「それは出来ない。もう決まったことだ」
 馬鹿いうな! それは、あんたの腹の中の話だ。お七の親である信時が嫌だって言っているのだ。撤回するまで引き下がるものか。
「ならば、俺は信時を末森まで送り届ける」
 信長は、目を細めて、
「勝三郎、俺は、お前を信用している」
 信用しているだって! あんたは俺の愛する女と子供を奪ったのだ。今、俺の親友の親子から愛する子供を奪おうとする。放っておけるか! ならばどうする。
 恒興は、馬を下りて、信時を庇うように、信長の前に立ち塞がった。
「殿、久しぶりに喧嘩をしよう。武器は無しの素手と素手での正々堂々の殴り合いだ。俺が勝てば信時は末森に行かせる。あんたが勝てば好きにしていい。どうだ?」
 主従関係を越えた挑戦である。その場で斬り捨てられても文句はいえない。
「いいだろう」
 信長は、ゆっくりと馬を下りて、恒興に向き合い拳を握った。
 恒興と信長は、拳を交えて語り合った。
 今度の喧嘩は、子供の頃のような物とは違う。体が整った大人のものだ。殴るにしろ蹴るにしろ組む投げる。力加減を間違えば相手を殺してしまう。
 恒興も恒興なら、信長も信長だ。喧嘩するのに加減するつもりなどこれっぽっちもない。
 もはや、主従関係を越えた意地と意地とのぶつかり合いだ。
 恒興が殴れば、信長は二発返す。信長が二発殴れば、恒興は三発返す。
 双方、負けるつもりなど毛頭ない。
 恒興が放った一撃を信長は躱して、お返しの一発を顎に見舞った。
 グラリ!
 恒興は、のされてしまった。
 あとは、信長が馬乗りになって、恒興が完全に気を失うまで殴った。
「兄上、おやめください。恒興が死んでしまいます」
「止めるな、信時! こいつは、こうでもしないと人の命がどれほどの重みがあるかわかっておらんのだ」
 信時が、信長を羽交い絞めにしたが、信長は振り払い尚も殴り続けた。
「確かに、俺の読みが外れて、月を死なせることになったかもしれぬ。だがな、そのことで清州は油断して俺たちの急襲に後れをとった。それで、どれだけ味方の命の犠牲を抑えられたことか」
「兄上、分かりました。私は、兄上について行きます。娘のお七も兄上にお任せします。だから、どうか、どうか、恒興を許して下さい」
「いいや、こいつには体に叩きこんでおかなければ、いずれ戦で命を無駄にする。それでは俺が困るのだ」
 信時は、体を恒興と信長の間に投げだして防ぎに入った。
 ドドッ、ドドッ、ドドッ!
 信長を追いかけて、河尻秀隆と毛利良勝が追いついた。
 恒興と信長の間に身を投げ出す信時を見た秀隆と良勝は「これはいかん」と、力尽くで信長を引き離した。
 恒興は、信時が止めに入り秀隆と良勝が引き離さねば、信長にあのまま殴り殺されていただろう。

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