池田戦記ー池田恒興・青年編ー信長が最も愛した漢

林走涼司(はばしり りょうじ)

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十 織田家混乱

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 恒興は駆けた。誰よりも早く。
 他人から見れば、赤塚での失態しったいを取り戻そうと功を焦っているように映るかもしれない。しかし、恒興の心は違うのだ。
 先頭を走る信長に追いついた恒興は、馬を並べて噛みついた。
「若殿、清州に月がいると知っていて進軍するのですか!」
「そうだ」
 信長は前を見たまま返事をした。
「若殿、清洲で梁田から文を預かった。まずは、足を止めて見てくれ!」
「もう、必要ない。中身はわかっている」
「中身は、何なのだ」
「中身は、人質をどうするかだ」
「月のことか、月をどうするのだ」」
「なるように任せる」」
「馬鹿を言え! そんなことすれば、戦乱に巻き込まれた月がどうなるかわかったものじゃない!」
「すまない」」
「あんたは、俺の知っている若殿じゃない。一体、どうしちまったのだ」
「どうしたもこうしたもない。俺は、元々、こんな薄情者だ。勝三郎、俺に夢を見るな!」
 信長は、そう言うと、馬に鞭を入れた。
「若殿、話はまだ……」
 恒興の馬は、信長について脚を速めた後続に飲み込まれた。
 
 清州攻めに信長三軍は、庄内川の渡しへ差し掛かかった。、そこに、また一軍が待ち構えていた。
「あれは、守山城の織田信光様の旗印です」
 信長が用心のために軍を止めると、信光自身が進んできた。
「俺は、信長に味方するぞ!」
 信光を加えた信長軍は、清州の南方、萱津かやつへ陣取った。
 辰の刻(午前八時ごろ)清州からも、坂井大膳に率いられた織田大和守軍が出陣し、信長軍と激突した。
「池田さん、あんた正気か!」
 般若介が、恒興に驚きの声をあげた。
「本気だ。俺は戦場を抜け出して、清州へ月を助に行く」
「池田さん、今、そんなことをすれば裏切ったと思われるぞ」
「それも承知している。だが、俺は行かねばならない」
「あんたの兵は、どうするのだ?」
「お前に任せた。誰も殺すな」
「おい、そんな無茶な。おい、池田さん!」
 恒興は、般若介が止めるのも聞かずに清州に走った。途中で、敵の足軽から具足を奪い取ると、己の甲冑と取り換えた。
 まんまと狙い通りに、清州へ忍び込んだ恒興であったが……。
「あんた、池田さんじゃないか」
 兵舎の横で、見覚えのある男が話しかけてきた。簗田弥右衛門だ。
「よいところで会った。熱田の加藤家の娘、月を知らぬか?」
「人質のことか、それなら松葉城の織田信氏様、深田城の織田信順様らと、一緒に守護邸に押し込められているはずだ。それを知ってどうするつもりだ」
「助けに行く!」
「それが若殿の命令か?」
「いや、俺の独断だ」」
「あんた馬鹿か、いくら戦の最中で警戒が手薄だからって、たった一人で助けに行くなんて馬鹿も休み休み言え!」
「なんと言われようと、行かねばならぬ」
「ちょっと待て、俺も行く。あんた一人を行かせて、みすみす見殺しにしちゃあ、滝川のお頭になんとお叱りを受けるかわからねぇ。名案があるぞ、俺の計画通りに動いてくれ」
 弥右衛門の計画はこうだ。清州城内の武器庫へ火を放ち城兵の注意をそちらに向ける。その隙に月を救い出す。
 問題は、尾張守護邸、斯波義統には関わりないこと。
 信長の織田弾正忠家と、織田大和守家の争いも、あくまで、斯波義統の家臣同士のいさかい。
 万が一、守護職である斯波氏を巻き込めば、同じ守護職で尾張を狙って、三河まで支配下に置く今川義元が、ここぞとばかりに出張ってくることは間違いない。 
 恒興の私情からの行動で、尾張はさらなる混乱状態に陥るかも知れない。それだけは、何としても避けなければならない。
 愛する女に感情を支配された恒興であっても、まだ、それぐらいの理性は持ち合わせている。
「それしかあるまい」
 恒興は、弥右衛門の忍仕事の要領で、清州城の武器庫に火を放った。
 案の定、武器庫から煙があがると、城内は騒然として混乱した。
「思い通りに参りましたぞ。池田さん、さあ、この隙に守護邸へ忍び込みましょう」

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