上 下
34 / 67
十 織田家混乱

しおりを挟む
 天文二十一年(一五五二)四月十七日。
 駿河・今川に与した三河・松平へ備え、国境の鳴海なるみ城の山口やまぐち教継のりつぐ教吉のりよし親子が謀反むほんした。
「まったく若殿が、大殿の葬儀で、仏前に抹香をぶつけたりするからこうなるのだ」
 信長に続いて出陣した毛利良勝が愚痴をもらした。
 信長の葬儀での行動が、死者を冒涜ぼうとくする暴挙に見え、要所を任された城主たちが相次いで見限った。
 まずは、信長の従兄、犬山城の織田信清が、岩倉城の織田伊勢守信安を担いで独立し、養子の信時を送り返して来た。
 次に、清洲城の織田大和守信友は、態度を明らかにはしていないが、葬儀に参列した家老の坂井大膳が、
「あの大馬鹿者が!」
 と、罵って去った。
 同調して去ったのが山口教継だ。
 信長の古参の側近である河尻秀隆も毛利良勝も、戻って来た信時も、恒興もこれには頭を抱えた。新参の丹羽長秀だけが、違う見解を示した。
「守山城の叔父、織田信光様だけは『あの方こそ国持大名になるお人だ』と、殿に太鼓判を押されました。私もそう思います」
 頭の良い奴の考えはわからない。恒興は、熱田の加藤家の目付として出向している岩室重休や、丹羽長秀と比べると頭がはるかに劣る。
 最近は、メキメキ学問に励み、信時と同程度の仕事が出来るようになった。
 それでも、あの日の信長の行動は乱行に映った。
 あの日、熱田から遅れて来た岩室重休に話を聞かせたら、
「恒興、お前の目には若殿の乱行と映ったかも知れぬ。しかしな、その行動は、明国みんこくから伝わった史書ししょにあるのだ」
「明国の史書?」
「ああ、若殿は、って王の死をいたんだ忠臣が黄泉の国から連れ戻そうと、王の仏前に抹香をぶつけた故事に習ったのだ。若殿は、それほどに大殿の死を悲しんでおられる」
 知らなかった。重休に比べれば文盲に近い恒興も、世間一般も知るはずがない。学問に精通している重休にしても出典が不明だ。
 現代の感覚でいえば、起業家の発想が先進過ぎて周りの人間には暴挙に見える。成功して初めて称賛するが、それまでは否定しつづけるのと同じだ。信長の行動は、一部の者にしか理解できないのだ。
 信長は、それをやってのけたのである。
 他にも狙いがあった。
 第一に「大うつけ」の評判を近隣に広めるためだ。婚姻関係にある斎藤道三はもちろん、今川義元をも油断させたい。
 第二に、家中でくすぶる敵味方のあぶり出しだ。鳴海城の山口親子、犬山城の織田信清、清州城の織田信友と坂井大膳が敵になりそうで、信用できるのは守山城の織田信光。 家老では、傅役の平手政秀をおいて他にない。
 第三に、弟の信行の本心。少なくとも信行の家老衆は信長を追い落として、信行を織田家の当主の座に就けようと思っているに違いない。
 それら試金石の戦いが、この山口親子の謀反を契機とする戦いだ。
 信長は、この鳴海城への出兵に際して、各家に檄を飛ばした。
 もっとも、味方に近い叔父の信光にしても「力を示せ」と静観を決め込んでいる。弟の信行も「万が一に備えて誰かが残らねばなりません」と断って来た。
 頼れるのは己のみ。信長は、清州大和守信友の空き巣狙いの出兵に備えて、平手政秀を残し、自身の精鋭八百を率いて那古野を出た。
 鳴海城への陣立ては、副将に居残った家老の内藤勝介を据えた。古参の側近、河尻秀隆、毛利良勝、織田信時、新参の丹羽長秀、それに、恒興だ。
「俺も戦に加えてくれ!」
 と、槍を担いで自ら売り込んできた蜂屋はちや般若はんにゃのすけが加わった。
 般若介は顔が見えない。常に般若の仮面をかぶっている。ただでさえ、裏切り者の山口親子との戦いである。敵味方の区別が難しい。
 信長は、「さればこそ、この男が必要なのだ」と取り立てた。
「若殿、般若介は寝首を搔くつもりかもしれませんぜ」
 いつもは、のんびりの秀隆まで心配している。
「こんな所で寝首を搔かれるようでは、遅かれ早かれ俺は死ぬだろう構わんさ」
 と、信長は笑い飛ばした。
(若殿が、死んでどうする!)
 信長の身を心配するのは、皆、家族があるからだ。秀隆の家には、三歳の息子が居り、恒興にしても熱田の加藤月との間に女の子が生まれたばかりだ。ここで家族を路頭に迷わすようなことはできない。
「若殿、俺や河尻さんは、もう、簡単には死ねないのだ」
 恒興は、思い切って率直な気持ちをぶつけた。
「ならば、死ぬな! 生きて見せよ‼」
 訳が分からない。まるで禅問答だ。
 人の良い秀隆は、それでも納得したようだが、恒興は違う。仲間内にも素顔を見せない般若介が信用ならない。だって、こいつは何者なのだ。
 恒興は、用心深く般若介の素顔を見てやろうと、朝、顔を洗う時、飯を食う時、寝る時に、注意深く観察した。
 般若介は、顔を洗わない。飯を食う時は顔半分だけの頭巾を被る。寝る時も然り。
 なんなのだ、こいつは、怪しすぎる。
 その感情を毛利良勝にぶつけると、「一度、試してみる!」と、般若介と槍を合わせた。
「あいつは腕が立つ。いいじゃないか」
 と、あべこべに実力を認めてしまった、
 信時に相談すると、「般若介はあんななりはしていますが、なかなかに算盤も達者で、話してみればイイ奴ですよ」と、これまた認めしまった。
(岩室さんは熱田だから、ここは、長秀に聞くしかないか……)
「長秀、般若介をどう思う?」
 後に、尾張に伝わる小唄で「米五郎左こめごろうさ」と渾名あだなされることになる丹羽長秀は、戦にも、政略にも明るく、生きるためには不可欠な“米”のような人で目の付け所が違う。
「私は、般若介を使いとうございます」
 と、恒興が想像もしない答えが返って来た。
 人を使う。恒興にはない概念だ。戦働きや政略は、己が経験を積み行うものとしか頭になかった。この新しい知恵袋、丹羽長秀は、怪しい般若介を使うという。
「では、どのように使うのだ?」
「簡単です。裏切れないように、河尻さんや毛利さん、池田さんでも構わない。いつでも般若介を前面に立てて、我らが背後を押さえて戦えばよいのです」
 思いもしなかった。般若介は知勇兼備の男だ。味方としておけば、これ以上に心強いことはない。
 恒興たちが常に、背後で目を光らせておけば、勝手な真似はできない。まったく、この長秀は名案を思いつく。
「それなら、般若介の背後を見張る役目は、俺が引き受けた」
 これには、恒興なりの考えがある。
 武闘派の秀隆や良勝を、般若介の見張りにつけるのは、戦働きが期待できる二人にはもったいない役目だ。それに、この二人の性格だと、見張るつもりが煩わしくなって、そのまま刺し殺した方が楽だと判断しかねない。
 信時ならばどうか。武勇より政務の人の信時は、見張るつもりがあべこべに返り討ちにあいかねない。
 では、長秀はどうか。知略は般若介の上を切り、武勇も劣らない。長秀ほどの人物ならば、やはり若殿の側近くに置いて助言をする方が役に立つ。
 そうなれば、この役目を引き受けるのは、俺がちょうどいい。
 恒興は、般若介を戦場で見張る役目を引き受けた。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

浅井長政は織田信長に忠誠を誓う

ピコサイクス
歴史・時代
1570年5月24日、織田信長は朝倉義景を攻めるため越後に侵攻した。その時浅井長政は婚姻関係の織田家か古くから関係ある朝倉家どちらの味方をするか迷っていた。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

枢軸国

よもぎもちぱん
歴史・時代
時は1919年 第一次世界大戦の敗戦によりドイツ帝国は滅亡した。皇帝陛下 ヴィルヘルム二世の退位により、ドイツは共和制へと移行する。ヴェルサイユ条約により1320億金マルク 日本円で200兆円もの賠償金を課される。これに激怒したのは偉大なる我らが総統閣下"アドルフ ヒトラー"である。結果的に敗戦こそしたものの彼の及ぼした影響は非常に大きかった。 主人公はソフィア シュナイダー 彼女もまた、ドイツに転生してきた人物である。前世である2010年頃の記憶を全て保持しており、映像を写真として記憶することが出来る。 生き残る為に、彼女は持てる知識を総動員して戦う 偉大なる第三帝国に栄光あれ! Sieg Heil(勝利万歳!)

本能のままに

揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください! ※更新は不定期になると思います。

獅子の末裔

卯花月影
歴史・時代
未だ戦乱続く近江の国に生まれた蒲生氏郷。主家・六角氏を揺るがした六角家騒動がようやく落ち着いてきたころ、目の前に現れたのは天下を狙う織田信長だった。 和歌をこよなく愛する温厚で無力な少年は、信長にその非凡な才を見いだされ、戦国武将として成長し、開花していく。 前作「滝川家の人びと」の続編です。途中、エピソードの被りがありますが、蒲生氏郷視点で描かれます。

天下布武~必勝!桶狭間

斑鳩陽菜
歴史・時代
 永禄三年五月――、駿河国および遠江国を領する今川義元との緊張が続く尾張国。ついに尾張まで攻め上ってきたという報せに、若き織田信長は出陣する。世にいう桶狭間の戦いである。その軍勢の中に、信長と乳兄弟である重臣・池田恒興もいた。必勝祈願のために、熱田神宮参詣する織田軍。これは、若き織田信長が池田恒興と歩む、桶狭間の戦いに至るストーリーである

処理中です...