池田戦記ー池田恒興・青年編ー信長が最も愛した漢

林走涼司(はばしり りょうじ)

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三 お善の縁談

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「勝三郎、まあ待て。子供のお前が一人で行っても、若殿が一度決めたことをそう易々と撤回はしまい。ワシも一緒に行って頼んでやる」
「養父上、ありがとうございます」
 勝三郎は、物心つく前に、亡くなった父恒利と、生まれてすぐに吉法師の乳母に上がったきり顔を見たこともない母お福よりも、この養父を実の親以上に信頼している。普段、秀勝は口うるさいのは勝三郎を思ってのことだ。むしろ、秀勝に拳固を頭に喰らわせられるのは、養父の愛情が感ぜられて嬉しいくらいだ。勝三郎は心から秀勝に頭を下げた。
「しかしじゃ、ワシが詫びを入れた後、勝三郎、お前の処遇をどうするかが問題だ」
「お善の縁談さえ撤回してもらえたら、俺の処遇ならなんだって受け入れます。頭を丸めて寺へ入れでも、家を出て一人で生きて行けでも、なんなら潔く腹を切れだって受け入れます」
 勝三郎の覚悟の強さを聞いた秀勝は「ウム」と静かに頷いて「ちょっと、待っておれ」と立ち上がって四半時(約三十分)ほど部屋を出た。秀勝は、戻ってくると居住まいを正して、勝三郎に『丸に二つ引き』の紋が入った西陣織の袋に包まれた短刀を差し出した。
「養父上、これはなんですか?」
 秀勝は、勝三郎を真っすぐ見つめて、
「これは、勝三郎。お前の母お福が、お前をワシに預けて行くときに、一緒に預けて行った池田家に伝わる刀だ」
 この刀は、お福の父が京の都で将軍家に仕えていたころ、直接、十二代将軍足利あしかが義晴よしはるからたまわった一品だ。
籐四郎とうしろう吉光よしみつじゃ」
 籐四郎吉光は、鎌倉時代の刀工粟田口あわたぐち吉光よしみつによって作られた短刀で刀長三寸(およそ二十六センチ)元幅六分(およそ二・三センチ)反りは内反りである。勝三郎は、秀勝に差し出された籐四郎吉光の袋を解き、目映いばかりに輝く切っ先を引き抜いた。
「これは美しい短刀でございます」
「ワシも抜き身を見るのは初めてじゃ」
「養父上どうしてこれを?」
 すると秀勝は、懐からさきほどしたためておいた手紙を勝三郎に差し出した。
 宛名は「お福様」と、一字一字心を込めて丁寧に認められていた。
「勝三郎よ。この短刀と手紙を持って、古渡ふるわたりじようのお福様へ会いに行く」
「古渡城? あの大殿が居られる古渡城で?」
「そうだ。お福様は、大殿の側室として一緒に居られる」
「大殿の側室?」
「側室のお福様だ。またおおち様とも呼ばれておる。この那古野城を任されておる三郎吉法師様の乳母……勝三郎、お前の母お福様じゃ」
「なんですって!」
 勝三郎は、幼いころより母が若殿の乳母になったから、自分は捨てられたものと思っていた。代わりの養母、おだいは、居候いそうろうの勝三郎には内緒で、我が子の籐左衛門に依怙贔屓えこひいきして隠れて甘い菓子を食べさることもあるが、温厚篤実な養父、秀勝の公平な接し方で。この森寺家に居場所を得ている。今更、自分を捨てた実母に会って、暮らしがどうなるって言うのだよ。と、どうしてもひねくれた感情が頭をもたげる。
「俺、おっ母には会いたくない」
「勝三郎、お前の母上に会えるのだぞ。ワシも面倒事を持ちかけるようで心苦しくもあるが、こんな事でもなければ、大殿の側室となられたお福様には会えぬのだぞ」
 若殿に吹っ掛けられたお善の嫁入りをひっくり返すには、若殿の乳母だった、いや、大殿の側室になったお福の立場は絶大である。そんなことは勝三郎もわかってはいるが、自分を捨てた母への反発心がどうしても気持ちを支配する。けれど、お善の縁談をぶっ壊すには母の力を借りるほかない。
 勝三郎は、母に会いに行くため、髪を結いなおし、どこから引っ張り出したのか池田家の家紋が入った紋付き袴を着せられて、腰に、子供ながらに秀勝から借りた脇差しを差し、余所行きの装いに改めた。
 同じように姿を改めた秀勝の馬の後ろについて家を出た。
 勝三郎も、森寺家は騎乗の身分を許されているから、秀勝に習って馬の乗り方も訓練している。義弟の籐左衛門もほぼ同じ時期から習っているが、馬の扱いは、年長でもあるし、持って生まれた勘のようなものがあり勝三郎は筋がいい。 
 門を潜ると、隣の荒尾善次とお善の父娘おやこが待っていた。
「お善、絶対、俺が若殿の無茶苦茶な」命令をひっくり返してやる」
 お善は、その勝三郎の言葉を聞くまで、勝三郎を悪者にしないように、一人ですべての事を胸の中に納め耐えてきたのであろう。目にいっぱいの泪が溢れた。
「勝三郎、私をどこへもやらないで」
 と、勝三郎の袖を握った。
 お善は、それ以上はなにも言わなかったが、勝三郎の胸にはお善の気持ちがズシリと伝わった。
 若殿に嵌められた賭け喧嘩「なんでいきなり俺を子分にだなんて、こんな手の込んだ嫌がらせをするのだろう……」と、勝三郎は、若殿三郎吉法師の動機を想像してみた「だって考えても見ろ、本気で子分にしたけりゃ養父に命じて正式に話を通せばいい。そしたら、子分でも家来でもして、いきなり『腹を切れ!』と命じれば、俺の命は思いのままだ。それがわざわざ、手の込んだ喧嘩を吹っ掛けて、賭けの約束通り縁談まで進めてくる。
(まるで、俺への嫌がらせとしか思えない)
 若殿は、なんらかの理由で俺に腹を立てて此度の一件を仕組んだ。そのくらいのことは、あの大うつけならやりかねない。
 と、勝三郎は結論付けた。
(それにつけても不憫なのは、あの大うつけの罠に嵌まった馬鹿な俺の犠牲にならんとするお善だ。お善だけは、いつでも俺の味方をしてくれる優しい奴だ。なんとしても意に沿わぬ縁談なんて認める訳にはいかない。お善にはいつか俺と……)
「勝三郎、お願いよ」
 勝三郎が、想像を巡らし、自分のお善への気持ちに行きつきかけたとき、勝三郎を信じて希をかけるお善の真っすぐな瞳が飛び込んできた。
「わかったよ、お善、絶対にお前の事だけはなんとかしてみせる」
 勝三郎は、お善の瞳を受け止めしっかりと頷いた。
「では、勝三郎、参るぞ」
「はい、養父上!」
 養父秀勝について母、お福に会いに向かう勝三郎は騎乗の人となり、どことなく一回り男として大きくなったように見えた。
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