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四日目
第19話 「黒猫の葛藤」
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塀の上に跳び乗ると、黒猫は周囲をぐるりと見回す。
素晴らしく晴れた空。
その下に広がる、赤い屋根が連なる街並み。
堀の水面は穏やかな風に吹かれ、ゆらゆらと揺れている。
屋敷の南側の跳ね橋の上を、一台の馬車が渡っていった。
幌馬車ではない。黒塗りの屋根つきの馬車である。屋敷の誰かが乗っているのだろうか。それを見送ると、黒猫は屋敷の西側に降りた。
例によって崩れた石垣の上をぴょんぴょんと跳び越え、対岸に着く。土手を登っていると、妙な人間がその上にいるのを見つけた。
――――なんだ? 変わった格好のやつだな。
背の高い男だった。真っ黒な長衣に、黄金の鎖を首からぶら下げている。その先には太陽のような形のモチーフが付いていた。
男はじっと物憂げな表情で屋敷の方向を見つめている。
「ダニエル神父! ダニエル神父~!」
そのとき、大きな声で名を呼ぶ者が走ってきた。
黒猫はすばやく草陰に身をひそめる。
白い頭巾をかぶった修道女だった。ファンネーデルは、この人間はどこかで見た顔だと思った。たしかに何度か街で見かけている。修道女は堀の岸辺に立っているその男に駆け寄ると、一通の手紙を差し出した。
「お、王都の教会から、で、伝書鳥が来ました。どうぞ!」
「わざわざ持って来てくれたんですか。ありがとうございます、メアリーさん」
ダニエル神父と呼ばれた男は、その場で手紙を読み始める。
「なるほど……早くても二日後、ですか……。ずいぶんと遅いですね」
男はその内容にあまり満足できなかったようで、眉根を寄せている。
「あの、ダニエル神父。それって例の件……ですよね? 問い合わせしてたんですか?」
「ええ。しかし……準備に時間がかかるということで、本部の応援は二日後になるんだそうです」
「何で……そんなにかかるんですかね?」
「おそらく、貴族対策のあれこれがあるんでしょう」
「あれこれ?」
神父の言葉に、修道女は首をかしげてみせる。
「ええ。仮にも相手はサンダロスの街を治める領主ですからね。そこを押さえるために、彼よりも上の貴族や、王の許可が必要になってくるんですよ。教会お決まりの『手続き』です」
「なるほど……。じゃあ、それ待ちですね」
「ええ。今はその間に、地道に情報を収集していくしかありません」
「それで、何かわかりましたか?」
「それが……」
神父はもう一度屋敷を見上げたが、首を左右に振った。
「サッパリです。ここからじゃ、中が見えませんしね。当然といえば当然ですが……ガーネットという少女がいるかどうかも、全然わかりません」
「はあ、ダメじゃないですか……」
修道女がガックリと肩を落とす。
ファンネーデルはガーネットという名前が出てきたので、耳をぴんと立てた。
――――なんで。なんでこいつらは……あいつがこの屋敷にいるかどうかを探って……いや、「知って」いるんだ?
不穏なものを感じた黒猫は、さらに耳をそばだてる。
「近くまで来てみたら、何かわかるかと思ったんですけどねえ、甘かったようです。やっぱり教会で、また密告者が来るのを待ちましょうか」
「ええ、それがいいですよ。伯爵様だって、きっと厳重に隠そうとしてるはずですし……こんなところで見ててもわかるわけないです。さ、帰りましょう。朝のミサの時間です」
修道女はそう言うと、神父とともに街の方へと戻っていった。
――――密告者?
ファンネーデルは今聞いた言葉を、頭の中で復唱する。
密告者。密告者。
誰かが、ガーネットがこの屋敷にいることを、あいつらに教えたということだろうか。そうであれば、いったい誰がそんなことをしたのか。まったくわからない。だが、少なくともこれで、あの少女はこの屋敷から出られるようになるはずだ。
元の村へと帰れるかもしれない。
それを知ったら、あの少女はいったいどれだけ喜ぶことだろう。
ふとそんなことを思って、ファンネーデルは首を振った。
――――いや、別にボクにはもともと関係ないことだろ。あいつがどうなったってボクは……あれ?
胸の中のざわざわが少しだけ大きくなって、黒猫はハッとした。ちらりと自分の胸元を見下ろしてみる。
――――な、なんなんだよ? ほんと、ボクどっかおかしくなっちゃったのかな。
さっきも、食べ物をあげられなくなると告げられたのに「それでも来てやる」なんて口走ってしまった。食べ物がもらえるから行っていたのに。それが無くなったらもう行く意味はないはずだ。なのになぜ、あんなことを言ってしまったのか。
――――なんにも、いいことないのにな。人間と話をするのだって、そもそもすごく変なことだし……あいつ以外の人間に乱暴されたり、危険だってあるはずなのに。なんで……。
あの娘に会いに行きたくなるのか。
黒猫はそう考えそうになって、強く首を振った。
――――違う、違う! ボクは、一時的に一緒にいただけだ。すぐに……また……あいつだって母さんみたいに、いなくなるんだから!
そう、深入りしちゃだめだ。
ファンネーデルはもう一度屋敷の方を眺めると、何かを振り切るようにして駆け出した。
素晴らしく晴れた空。
その下に広がる、赤い屋根が連なる街並み。
堀の水面は穏やかな風に吹かれ、ゆらゆらと揺れている。
屋敷の南側の跳ね橋の上を、一台の馬車が渡っていった。
幌馬車ではない。黒塗りの屋根つきの馬車である。屋敷の誰かが乗っているのだろうか。それを見送ると、黒猫は屋敷の西側に降りた。
例によって崩れた石垣の上をぴょんぴょんと跳び越え、対岸に着く。土手を登っていると、妙な人間がその上にいるのを見つけた。
――――なんだ? 変わった格好のやつだな。
背の高い男だった。真っ黒な長衣に、黄金の鎖を首からぶら下げている。その先には太陽のような形のモチーフが付いていた。
男はじっと物憂げな表情で屋敷の方向を見つめている。
「ダニエル神父! ダニエル神父~!」
そのとき、大きな声で名を呼ぶ者が走ってきた。
黒猫はすばやく草陰に身をひそめる。
白い頭巾をかぶった修道女だった。ファンネーデルは、この人間はどこかで見た顔だと思った。たしかに何度か街で見かけている。修道女は堀の岸辺に立っているその男に駆け寄ると、一通の手紙を差し出した。
「お、王都の教会から、で、伝書鳥が来ました。どうぞ!」
「わざわざ持って来てくれたんですか。ありがとうございます、メアリーさん」
ダニエル神父と呼ばれた男は、その場で手紙を読み始める。
「なるほど……早くても二日後、ですか……。ずいぶんと遅いですね」
男はその内容にあまり満足できなかったようで、眉根を寄せている。
「あの、ダニエル神父。それって例の件……ですよね? 問い合わせしてたんですか?」
「ええ。しかし……準備に時間がかかるということで、本部の応援は二日後になるんだそうです」
「何で……そんなにかかるんですかね?」
「おそらく、貴族対策のあれこれがあるんでしょう」
「あれこれ?」
神父の言葉に、修道女は首をかしげてみせる。
「ええ。仮にも相手はサンダロスの街を治める領主ですからね。そこを押さえるために、彼よりも上の貴族や、王の許可が必要になってくるんですよ。教会お決まりの『手続き』です」
「なるほど……。じゃあ、それ待ちですね」
「ええ。今はその間に、地道に情報を収集していくしかありません」
「それで、何かわかりましたか?」
「それが……」
神父はもう一度屋敷を見上げたが、首を左右に振った。
「サッパリです。ここからじゃ、中が見えませんしね。当然といえば当然ですが……ガーネットという少女がいるかどうかも、全然わかりません」
「はあ、ダメじゃないですか……」
修道女がガックリと肩を落とす。
ファンネーデルはガーネットという名前が出てきたので、耳をぴんと立てた。
――――なんで。なんでこいつらは……あいつがこの屋敷にいるかどうかを探って……いや、「知って」いるんだ?
不穏なものを感じた黒猫は、さらに耳をそばだてる。
「近くまで来てみたら、何かわかるかと思ったんですけどねえ、甘かったようです。やっぱり教会で、また密告者が来るのを待ちましょうか」
「ええ、それがいいですよ。伯爵様だって、きっと厳重に隠そうとしてるはずですし……こんなところで見ててもわかるわけないです。さ、帰りましょう。朝のミサの時間です」
修道女はそう言うと、神父とともに街の方へと戻っていった。
――――密告者?
ファンネーデルは今聞いた言葉を、頭の中で復唱する。
密告者。密告者。
誰かが、ガーネットがこの屋敷にいることを、あいつらに教えたということだろうか。そうであれば、いったい誰がそんなことをしたのか。まったくわからない。だが、少なくともこれで、あの少女はこの屋敷から出られるようになるはずだ。
元の村へと帰れるかもしれない。
それを知ったら、あの少女はいったいどれだけ喜ぶことだろう。
ふとそんなことを思って、ファンネーデルは首を振った。
――――いや、別にボクにはもともと関係ないことだろ。あいつがどうなったってボクは……あれ?
胸の中のざわざわが少しだけ大きくなって、黒猫はハッとした。ちらりと自分の胸元を見下ろしてみる。
――――な、なんなんだよ? ほんと、ボクどっかおかしくなっちゃったのかな。
さっきも、食べ物をあげられなくなると告げられたのに「それでも来てやる」なんて口走ってしまった。食べ物がもらえるから行っていたのに。それが無くなったらもう行く意味はないはずだ。なのになぜ、あんなことを言ってしまったのか。
――――なんにも、いいことないのにな。人間と話をするのだって、そもそもすごく変なことだし……あいつ以外の人間に乱暴されたり、危険だってあるはずなのに。なんで……。
あの娘に会いに行きたくなるのか。
黒猫はそう考えそうになって、強く首を振った。
――――違う、違う! ボクは、一時的に一緒にいただけだ。すぐに……また……あいつだって母さんみたいに、いなくなるんだから!
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