上 下
12 / 53
三日目

第11話 「魚屋アンナ」

しおりを挟む
 陽光が、燦々とサンダロスの街に降りそそいでいる。
 アンナの魚屋は今日もにぎわいを見せていた。

「はーい、いらっしゃいいらっしゃい。新鮮で美味しい魚、たくさんあるよー。お兄さん、これひとつどうだい。フライにするとすっごく美味しいんだから」

 道行く人々に声をかけるアンナを見て、黒猫はあくびを噛み殺す。
 もう今日の分の食べ物は屋敷の少女にもらっていたので、他にやることがない。黒猫は、魚屋の店先の街路樹の上でのんびりと休んでいた。

「はい、ミツメウオを5匹ね。今量るから、ちょっと待ってて」

 客に注文を受けたアンナは、銀色に輝くうろこの魚を5匹つかむと、天井から下げたばね式の皿秤に乗せる。表示板の赤い針が、ぐぐぐっ、と右側に傾いた。

「うーん、450グラムか……。一匹おまけするからさ、5ダロンでどうだい?」

 そう交渉すると、客はちょうど5ダロン硬貨を持っていたのか、気前よく払ってくれた。
 アンナは手早く秤から魚を降ろすと、紙に包んで渡す。

「はい、まいどありー! また買っておくれねー!」

 威勢のいい声があがる。アンナは客を見送ると、売れた魚が無くなった場所を詰めた。香草を敷き詰めた台の上に、目が三つある銀色の魚が等間隔に並べられていく。

「うん、これで……良し! さあさあ、お客さん! 新鮮なうちにぜひウチで買っていっておくれー!」

 商品がきれいに陳列できたのに満足すると、アンナはまた通行人たちを呼び止めた。
 黒猫はそんな様子を眺めながら、以前ここにいたのは男の店主ではなかったか、と思い出す。そういえば、いつのまにかその男がいなくなって、この中年の女性が代わりに切り盛りしはじめていた。

 そう考えている所へ、またあの漁師の青年がふらりとやってくる。
 今度は籠いっぱいに海藻を抱えていた。

「おばさん! ……じゃ、なかった。アンナさん! 今日は海藻が獲れたんだけどいるかい」
「おっ、モーガンじゃないか。ありがとう。じゃ、そこらの籠に移しかえておいてくれるかい」
「ああ、わかった」

 台の上にいくつか置いてある丸い籠に、モーガンは海藻を入れる。
 手早く盛り付けながら、モーガンはアンナに話しかけた。

「そういえばさ、毎日毎日、繁盛してるみたいじゃないか? 一時は、どうなるかと思ったけど……この分じゃどうやら心配いらねえな」
「よしておくれよ。そんなにバカ売れってわけじゃないさね。ただ……最近はどういうわけだか口が上手く回るようになってね」

 客足が少し途絶えたのか、手の空いたアンナがモーガンに振り返る。

「こんなの、あの人がいた頃にゃ考えられなかったことだよ。あたしはこれでも……生来口下手でね。いっつも店の裏方であの人の手伝いしかしてこれなかったんだ。それが……あの人が『目腐れ』で急死して、この店を背負ってかなきゃならなくなって。……あたしもよくやってこれた方だよ」

 そう言いながら、アンナはふと木の上にいる黒猫を見やる。黒猫は急にアンナと目があったので驚いた。

「ああ、そうそう。あそこにふてぶてしそうな顔をした黒猫がいるだろ?」
「えっ? あ、ああ……そういや最近よく見かけるな」

 モーガンは以前、内緒で黒猫に魚をやったことを思い出したのか、決まりが悪そうにそっぽを向いた。アンナはそんなことには気づかず、話を続ける。

「あの猫、あの人が生きてるときからよく、この店に顔を出してたんだ。売れ残った魚なんかを、よくあげたりしていてね」
「……へ、へえ」
「だからあの猫を見ると、主人を思い出してなんだか元気が出るんだよ。それで不思議と、あの人が使ってた口上なんかも頭に思い浮かんだりしてね。ふふっ、そうやって見ると、なんだか守り神みたいさね」
「守り神……? っていうほどすごいやつにゃ見えないけどな」

 モーガンはそう言ってうさんくさそうにこちらを見てくる。

「ふふっ、それでもあたしにゃ元気の源だよ。さ、じゃあ、今週の代金だ。いつもありがとうね、モーガン」
「おう、こっちこそな。じゃ、また来るぜ」

 アンナはいくらかのお札をモーガンに手渡すと、その姿を見送った。

 目腐れ――。
 たしか、アンナは先ほどそう言っていた。この店の前の主、つまりアンナの主人は例の目の病気にかかっていたらしい。たしか、半年ほど前だったはずだ。その頃から急に姿を見なくなったと黒猫は記憶している。
 例の奇病にかかっているとわかったら、店の売り上げに影響が出ると思ったのかもしれない。なにしろ、原因不明なのだ。感染する病だと思う人もいるようで、いつの頃からか、そういった人間は街の店先に立たなくなっていた。

 深く考えたことはなかったが、いつの間にか店の主人が変わったのはそういういきさつだったようだ。

 黒猫は明るく口上を言っていた男の声を思い出した。
 その声と、アンナの声が重なる。

「いらっしゃい、いらっしゃい。さあ、新鮮な魚だよ、昼のおかずにどうだい! どれもこれも美味しいよー!」
「すいません、ツルギウオ三本」
「はい、ありがとうございます!」

 ふらりとやってきた次の客に、アンナは威勢よく返事をする。
 黒猫はその客に見覚えがあった。それは以前、教会前で迷子を捜す母親と出くわした、修道女だった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

Lily connect

加藤 忍
恋愛
学校でぼっちの四条遥華にはたった一人の親友がいた。どんな時もそばにいてくれた信頼できる友達。 ある日の放課後、ラブレターが下駄箱に入っていた。遥華はその相手に断りと言うつもりだった。 だけど指定された場所にいたのは親友の西野楓だった!? 高校生の同性愛を描いたラブストーリー (性描写少なめ)

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】引きこもり令嬢は迷い込んできた猫達を愛でることにしました

かな
恋愛
乙女ゲームのモブですらない公爵令嬢に転生してしまった主人公は訳あって絶賛引きこもり中! そんな主人公の生活はとある2匹の猫を保護したことによって一変してしまい……? 可愛い猫達を可愛がっていたら、とんでもないことに巻き込まれてしまった主人公の無自覚無双の幕開けです! そしていつのまにか溺愛ルートにまで突入していて……!? イケメンからの溺愛なんて、元引きこもりの私には刺激が強すぎます!! 毎日17時と19時に更新します。 全12話完結+番外編 「小説家になろう」でも掲載しています。

元侯爵令嬢は冷遇を満喫する

cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。 しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は 「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」 夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。 自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。 お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。 本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。 ※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

会うたびに、貴方が嫌いになる

黒猫子猫(猫子猫)
恋愛
長身の王女レオーネは、侯爵家令息のアリエスに会うたびに惹かれた。だが、守り役に徹している彼が応えてくれたことはない。彼女が聖獣の力を持つために発情期を迎えた時も、身体を差し出して鎮めてくれこそしたが、その後も変わらず塩対応だ。悩むレオーネは、彼が自分とは正反対の可愛らしい令嬢と親しくしているのを目撃してしまう。優しく笑いかけ、「小さい方が良い」と褒めているのも聞いた。失恋という現実を受け入れるしかなかったレオーネは、二人の妨げになるまいと決意した。 アリエスは嫌そうに自分を遠ざけ始めたレオーネに、動揺を隠せなくなった。彼女が演技などではなく、本気でそう思っていると分かったからだ。

病弱な幼馴染と婚約者の目の前で私は攫われました。

恋愛
フィオナ・ローレラは、ローレラ伯爵家の長女。 キリアン・ライアット侯爵令息と婚約中。 けれど、夜会ではいつもキリアンは美しく儚げな女性をエスコートし、仲睦まじくダンスを踊っている。キリアンがエスコートしている女性の名はセレニティー・トマンティノ伯爵令嬢。 セレニティーとキリアンとフィオナは幼馴染。 キリアンはセレニティーが好きだったが、セレニティーは病弱で婚約出来ず、キリアンの両親は健康なフィオナを婚約者に選んだ。 『ごめん。セレニティーの身体が心配だから……。』 キリアンはそう言って、夜会ではいつもセレニティーをエスコートしていた。   そんなある日、フィオナはキリアンとセレニティーが濃厚な口づけを交わしているのを目撃してしまう。 ※ゆるふわ設定 ※ご都合主義 ※一話の長さがバラバラになりがち。 ※お人好しヒロインと俺様ヒーローです。 ※感想欄ネタバレ配慮ないのでお気をつけくださいませ。

処理中です...