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三日目
第11話 「魚屋アンナ」
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陽光が、燦々とサンダロスの街に降りそそいでいる。
アンナの魚屋は今日もにぎわいを見せていた。
「はーい、いらっしゃいいらっしゃい。新鮮で美味しい魚、たくさんあるよー。お兄さん、これひとつどうだい。フライにするとすっごく美味しいんだから」
道行く人々に声をかけるアンナを見て、黒猫はあくびを噛み殺す。
もう今日の分の食べ物は屋敷の少女にもらっていたので、他にやることがない。黒猫は、魚屋の店先の街路樹の上でのんびりと休んでいた。
「はい、ミツメウオを5匹ね。今量るから、ちょっと待ってて」
客に注文を受けたアンナは、銀色に輝くうろこの魚を5匹つかむと、天井から下げたばね式の皿秤に乗せる。表示板の赤い針が、ぐぐぐっ、と右側に傾いた。
「うーん、450グラムか……。一匹おまけするからさ、5ダロンでどうだい?」
そう交渉すると、客はちょうど5ダロン硬貨を持っていたのか、気前よく払ってくれた。
アンナは手早く秤から魚を降ろすと、紙に包んで渡す。
「はい、まいどありー! また買っておくれねー!」
威勢のいい声があがる。アンナは客を見送ると、売れた魚が無くなった場所を詰めた。香草を敷き詰めた台の上に、目が三つある銀色の魚が等間隔に並べられていく。
「うん、これで……良し! さあさあ、お客さん! 新鮮なうちにぜひウチで買っていっておくれー!」
商品がきれいに陳列できたのに満足すると、アンナはまた通行人たちを呼び止めた。
黒猫はそんな様子を眺めながら、以前ここにいたのは男の店主ではなかったか、と思い出す。そういえば、いつのまにかその男がいなくなって、この中年の女性が代わりに切り盛りしはじめていた。
そう考えている所へ、またあの漁師の青年がふらりとやってくる。
今度は籠いっぱいに海藻を抱えていた。
「おばさん! ……じゃ、なかった。アンナさん! 今日は海藻が獲れたんだけどいるかい」
「おっ、モーガンじゃないか。ありがとう。じゃ、そこらの籠に移しかえておいてくれるかい」
「ああ、わかった」
台の上にいくつか置いてある丸い籠に、モーガンは海藻を入れる。
手早く盛り付けながら、モーガンはアンナに話しかけた。
「そういえばさ、毎日毎日、繁盛してるみたいじゃないか? 一時は、どうなるかと思ったけど……この分じゃどうやら心配いらねえな」
「よしておくれよ。そんなにバカ売れってわけじゃないさね。ただ……最近はどういうわけだか口が上手く回るようになってね」
客足が少し途絶えたのか、手の空いたアンナがモーガンに振り返る。
「こんなの、あの人がいた頃にゃ考えられなかったことだよ。あたしはこれでも……生来口下手でね。いっつも店の裏方であの人の手伝いしかしてこれなかったんだ。それが……あの人が『目腐れ』で急死して、この店を背負ってかなきゃならなくなって。……あたしもよくやってこれた方だよ」
そう言いながら、アンナはふと木の上にいる黒猫を見やる。黒猫は急にアンナと目があったので驚いた。
「ああ、そうそう。あそこにふてぶてしそうな顔をした黒猫がいるだろ?」
「えっ? あ、ああ……そういや最近よく見かけるな」
モーガンは以前、内緒で黒猫に魚をやったことを思い出したのか、決まりが悪そうにそっぽを向いた。アンナはそんなことには気づかず、話を続ける。
「あの猫、あの人が生きてるときからよく、この店に顔を出してたんだ。売れ残った魚なんかを、よくあげたりしていてね」
「……へ、へえ」
「だからあの猫を見ると、主人を思い出してなんだか元気が出るんだよ。それで不思議と、あの人が使ってた口上なんかも頭に思い浮かんだりしてね。ふふっ、そうやって見ると、なんだか守り神みたいさね」
「守り神……? っていうほどすごいやつにゃ見えないけどな」
モーガンはそう言ってうさんくさそうにこちらを見てくる。
「ふふっ、それでもあたしにゃ元気の源だよ。さ、じゃあ、今週の代金だ。いつもありがとうね、モーガン」
「おう、こっちこそな。じゃ、また来るぜ」
アンナはいくらかのお札をモーガンに手渡すと、その姿を見送った。
目腐れ――。
たしか、アンナは先ほどそう言っていた。この店の前の主、つまりアンナの主人は例の目の病気にかかっていたらしい。たしか、半年ほど前だったはずだ。その頃から急に姿を見なくなったと黒猫は記憶している。
例の奇病にかかっているとわかったら、店の売り上げに影響が出ると思ったのかもしれない。なにしろ、原因不明なのだ。感染する病だと思う人もいるようで、いつの頃からか、そういった人間は街の店先に立たなくなっていた。
深く考えたことはなかったが、いつの間にか店の主人が変わったのはそういういきさつだったようだ。
黒猫は明るく口上を言っていた男の声を思い出した。
その声と、アンナの声が重なる。
「いらっしゃい、いらっしゃい。さあ、新鮮な魚だよ、昼のおかずにどうだい! どれもこれも美味しいよー!」
「すいません、ツルギウオ三本」
「はい、ありがとうございます!」
ふらりとやってきた次の客に、アンナは威勢よく返事をする。
黒猫はその客に見覚えがあった。それは以前、教会前で迷子を捜す母親と出くわした、修道女だった。
アンナの魚屋は今日もにぎわいを見せていた。
「はーい、いらっしゃいいらっしゃい。新鮮で美味しい魚、たくさんあるよー。お兄さん、これひとつどうだい。フライにするとすっごく美味しいんだから」
道行く人々に声をかけるアンナを見て、黒猫はあくびを噛み殺す。
もう今日の分の食べ物は屋敷の少女にもらっていたので、他にやることがない。黒猫は、魚屋の店先の街路樹の上でのんびりと休んでいた。
「はい、ミツメウオを5匹ね。今量るから、ちょっと待ってて」
客に注文を受けたアンナは、銀色に輝くうろこの魚を5匹つかむと、天井から下げたばね式の皿秤に乗せる。表示板の赤い針が、ぐぐぐっ、と右側に傾いた。
「うーん、450グラムか……。一匹おまけするからさ、5ダロンでどうだい?」
そう交渉すると、客はちょうど5ダロン硬貨を持っていたのか、気前よく払ってくれた。
アンナは手早く秤から魚を降ろすと、紙に包んで渡す。
「はい、まいどありー! また買っておくれねー!」
威勢のいい声があがる。アンナは客を見送ると、売れた魚が無くなった場所を詰めた。香草を敷き詰めた台の上に、目が三つある銀色の魚が等間隔に並べられていく。
「うん、これで……良し! さあさあ、お客さん! 新鮮なうちにぜひウチで買っていっておくれー!」
商品がきれいに陳列できたのに満足すると、アンナはまた通行人たちを呼び止めた。
黒猫はそんな様子を眺めながら、以前ここにいたのは男の店主ではなかったか、と思い出す。そういえば、いつのまにかその男がいなくなって、この中年の女性が代わりに切り盛りしはじめていた。
そう考えている所へ、またあの漁師の青年がふらりとやってくる。
今度は籠いっぱいに海藻を抱えていた。
「おばさん! ……じゃ、なかった。アンナさん! 今日は海藻が獲れたんだけどいるかい」
「おっ、モーガンじゃないか。ありがとう。じゃ、そこらの籠に移しかえておいてくれるかい」
「ああ、わかった」
台の上にいくつか置いてある丸い籠に、モーガンは海藻を入れる。
手早く盛り付けながら、モーガンはアンナに話しかけた。
「そういえばさ、毎日毎日、繁盛してるみたいじゃないか? 一時は、どうなるかと思ったけど……この分じゃどうやら心配いらねえな」
「よしておくれよ。そんなにバカ売れってわけじゃないさね。ただ……最近はどういうわけだか口が上手く回るようになってね」
客足が少し途絶えたのか、手の空いたアンナがモーガンに振り返る。
「こんなの、あの人がいた頃にゃ考えられなかったことだよ。あたしはこれでも……生来口下手でね。いっつも店の裏方であの人の手伝いしかしてこれなかったんだ。それが……あの人が『目腐れ』で急死して、この店を背負ってかなきゃならなくなって。……あたしもよくやってこれた方だよ」
そう言いながら、アンナはふと木の上にいる黒猫を見やる。黒猫は急にアンナと目があったので驚いた。
「ああ、そうそう。あそこにふてぶてしそうな顔をした黒猫がいるだろ?」
「えっ? あ、ああ……そういや最近よく見かけるな」
モーガンは以前、内緒で黒猫に魚をやったことを思い出したのか、決まりが悪そうにそっぽを向いた。アンナはそんなことには気づかず、話を続ける。
「あの猫、あの人が生きてるときからよく、この店に顔を出してたんだ。売れ残った魚なんかを、よくあげたりしていてね」
「……へ、へえ」
「だからあの猫を見ると、主人を思い出してなんだか元気が出るんだよ。それで不思議と、あの人が使ってた口上なんかも頭に思い浮かんだりしてね。ふふっ、そうやって見ると、なんだか守り神みたいさね」
「守り神……? っていうほどすごいやつにゃ見えないけどな」
モーガンはそう言ってうさんくさそうにこちらを見てくる。
「ふふっ、それでもあたしにゃ元気の源だよ。さ、じゃあ、今週の代金だ。いつもありがとうね、モーガン」
「おう、こっちこそな。じゃ、また来るぜ」
アンナはいくらかのお札をモーガンに手渡すと、その姿を見送った。
目腐れ――。
たしか、アンナは先ほどそう言っていた。この店の前の主、つまりアンナの主人は例の目の病気にかかっていたらしい。たしか、半年ほど前だったはずだ。その頃から急に姿を見なくなったと黒猫は記憶している。
例の奇病にかかっているとわかったら、店の売り上げに影響が出ると思ったのかもしれない。なにしろ、原因不明なのだ。感染する病だと思う人もいるようで、いつの頃からか、そういった人間は街の店先に立たなくなっていた。
深く考えたことはなかったが、いつの間にか店の主人が変わったのはそういういきさつだったようだ。
黒猫は明るく口上を言っていた男の声を思い出した。
その声と、アンナの声が重なる。
「いらっしゃい、いらっしゃい。さあ、新鮮な魚だよ、昼のおかずにどうだい! どれもこれも美味しいよー!」
「すいません、ツルギウオ三本」
「はい、ありがとうございます!」
ふらりとやってきた次の客に、アンナは威勢よく返事をする。
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