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第四章 海開き

34、夜のお役目

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 0723/18:55/成神さん・ジュン姉/七折階段


 僕と成神さんは、境雲神社を抜け出して鎖和墓地へと急いだ。
 前を走る成神さんが息を切らしながら叫ぶ。

「矢吹君っ。俺、あんまり運動とかっ、得意じゃないん……だっ」
「ぼ、僕もですっ!」
「でも、もう儀式始まっちゃうでしょ? だから、急がないとっ……!」
「はいっ」

 僕らは、成神さんのかけた術で誰からも知覚されないようになっている。
 いわば透明人間、幽霊みたいな存在だ。
 だから、誰も僕らに声をかけない。

 そんな状態を維持したまま、ひたすら村の中を全速疾走していく。

 郵便局の角を曲がって、小学校の前を通り、廃墟が点在する住宅街を進む。
 いままでは頭地区の北の山からの下り道だったけれど、今度は東の山を目指す道のりになるのでまた上り坂になっていた。さらにくねくねと曲がり道にもなっている。

 死ぬ思いで走り続けていると、やがて、ふもとの梅林が見えてきた。
 ここを抜ければさらに七折階段、そして鎖和墓地、だ。
 きっとそこに、ジュン姉が……。

「矢吹君。ジュンさんのことだけど……さっき幽体だけで活動していたね。あれは、正直予想外だった。もう少し対応を考え直さなければ」
「え? 幽体? どういうことですか?」

 意味がわからないので僕は聞き返す。

「人は肉体と魂と、そして幽体というものがある。さっき見たのは幽体であるジュンさんだった」
「え? 幽体? よくわかりませんけど……じゃあ他の肉体と魂は?」
「おそらく別の場所にあるだろうね。これは俺の予想だけど、きっと彼女がコワガミサマのお嫁さんになったときから、それらは分離していたはずだ」
「……僕には、いつも普通のジュン姉にしか見えなかったです。どう考えてもあれは肉体を持った普通の人でした。幽体……だったとは気付かなかったです」

 僕はなにか申し訳なく思ってそう言った。
 違いにまったく気づけなかった。
 精巧な擬態。
 それは、村の掟でジュン姉に触れなかったせいもあるだろう。

 ジュン姉のすぐそばにいたのに――。

「まあ、無理もない。神様レベルの存在が関わっていたんだからな。矢吹君が気付けなかったのは仕方ないだろう」
「……でも、それだと何か都合が悪くなるんですか?」
「……ああ。まあね。ただの肉体を持った人であれば、簡単に神と分離させることができた。でも、幽体では………」

 成神さんは言いづらそうに続ける。 

「人間でも動物でも……幽体が神様に憑依されると、あんな風に強力な存在になってしまうんだ。突然空中を浮いたり、姿を消したりね。それは次元をひとつ越えることができるようになるから、なんだけど……」
「次元?」
「君にはちょっと、理解できないことだと思う……。まあ、とにかく、これは編集長も驚くな。きっちり取材してこないと……」

 よくわからないことを言いながら、成神さんは遅くなってきた足に鞭を打つ。

「くそっ、動け、俺の脚! ああ、ほんと歳取ったなあ……」

 そんな風に愚痴をつぶやきながらも走り続ける。

 ――あれから成神さんは、もう一度ジュン姉が犯されていた部屋を確認しに行っていた。

 そしてそこで、コワガミサマがジュン姉の幽体を肉体から引きはがした痕跡を発見したらしい。
 ジュン姉は、だから空に浮いたり、別の場所に瞬間移動することができていたのだ。

 たしかに何回も、ジュン姉は神出鬼没なふるまいをしてきた。
 それは夢の中だったりしていたけれど。
 でも現実でも、毎朝お役目が終わった後、コワガミサマの光に包まれて僕の前からいなくなっていた。それは、こういう仕組みだったのか……。

 七折れ階段がようやく見えてきて、僕らはその前で足を止める。

「矢吹君。予定では、ここをジュンさんたちが下りて来るんだよね?」
「ええと……はい。たぶんそのはずです」
「じゃあここで待っていよう。この階段を今、上まで登る気には、なれない……」
「そ、そうですね」

 かなり息を荒くしている僕と成神さんは、おそらく同じ気持ちだった。
 今はちょっとでも、休憩して体力を回復させておきたい。

 梅林の木の陰に身を隠しながら、僕らはジュン姉たちがふもとに現れるのを待った。
 よく見ると、階段の前には黒い乗用車が何台も停まっている。
 あれは……おそらく宮内あやめたちが乗ってきた車だろう。前に同じ車種を汀トンネルで見た。

「あ、来た」

 しばらくすると、成神さんがそう言って階段の方を見つめた。
 そこにはうぞうぞと蠢く黒い何かが降りてきている。

「え?」

 あれは……コワガミサマ、だろうか?
 異形の者が出現している。
 僕が付き人をやっていたころは、あんな風な姿を初めから現していたりはしなかった。いつもジュン姉の中にいて……低い声を時たま出していただけだったから。
 でも今は、まるで人の形をとりながら、その輪郭から幾本もの触手をはみ出させているような怪物になっている。

「矢吹君、今の君には何が見える?」
「え?」
「俺には、君の幼馴染の綺麗なお姉さんと、コワガミサマと呼ばれる邪悪な存在が見えている。でも、今の君にはきっと……コワガミサマという存在だけが見えているんじゃないか? 違うかい?」

 そんなことを、こそっと成神さんが耳打ちしてくれる。

「は、はい。でもどうしてそれを……」
「わかるさ。俺はね、いつも二重に見えているんだ。現実のものと、幽世《かくりよ》のものがね。今は……ジュンさんの幽体と、コワガミサマの霊体が重なって見えてる」
「え!?」

 やはり、この人は只者ではないと、そう思った。

「でも、あの……幽体と霊体ですか? それって、どこがどう違うんですか?」
「ああ、その説明はややこしいんだよね。あんまり今詳しくはやりたくないんだけど……。要は幽体っていうのは、魂の一部の事なんだ。大部分の魂は神社にある肉体に残されたままになっているはず。だから、そっちが無事な限り一応本体に影響はないはずなんだ。一方コワガミサマは……あれが本体だね。肉体は無い。霊体と幽体がずっと、ほぼ一つになって存在し続けている」
「……よく、わかりません。けど、さっき言ってましたけど今はジュン姉とコワガミサマが重なりあってるってことですよね? 僕にはコワガミサマの姿だけしか、見えない。いや、見えなくさせられているからそれしか見えない、のかもしれないですけど……」
「そうだね。そうやって彼女たちは重なっていて……いや、あれはほとんど融合してしまっているのかな。あれを分離させるのは相当難しそうだ」
「え……?」

 苦い顔をしてそう言う成神さんに、僕は急に不安になった。
 難しいって……そんな。
 ジュン姉を元に戻せなくなってしまうのか?

 コワガミサマのすぐ後ろには黒服が数名と、宮内あやめがついていた。
 僕とは正反対に、彼らはどことなくリラックスしているように見える。

「ま~ったく、最初からこうしてれば楽だったのよ。あいつがいなくなってホントせいせいしてるわ」
「お嬢様、まだ矢吹龍一の所在は掴めていません。もう終わったかのように言うのは尚早かと」
「……そうね。今もどこかから見ているかもしれないしね」

 ギクッとする。

「ま、一応注意しときましょうか。みんな、引き続き周囲の警戒をして」
「はい」
「はい」
「かしこまりました」

 宮内あやめと黒服たちは、その後もぼそぼそと会話を続ける。
 どうやら今夜も、彼らはジュン姉たちを見守るらしかった。僕はあやめたちがこんなにすぐ近くで待機していたことに、いまさらながら驚いていたのだった。

 思えばいつも、僕はジュン姉の事しか頭になかった。
 彼らがどのくらい接近していたかなんてあまり考えていなかったのだ。
 それとも、彼らのことを気にしないように、コワガミサマからなんらかの「操作」をされていたのだろうか。

 そんなことをつらつらと考えながら、ジュン姉がいるだろう場所を見る。
 そこにはうねうねと黒い触手を動かし続けるコワガミサマだけがいた。コワガミサマは何も言わず、そのまま廃墟が点在する住宅街へと移動していく。

「行くぞ」
「はい!」

 僕らもその後をそっと追いかけていった。
 するとほどなくして、一行の前にふらふらと一体の黒い人影が現れた。

「あれは……ヨソモノか!」

 成神さんが興味深そうに「それ」を見つめる。

「んあああああ……! シゴト、シゴトォォオオオオ!」

 ヨソモノが絶叫しながら、ジュン姉、もといコワガミサマの方へと突き進んでいった。

「あ、危ないッ!」

 思わず僕は声を上げてしまった。
 サラリーマン風のヨソモノが、がばっとコワガミサマに抱き付こうとしている。
 僕はいてもたってもいられなくなり、飛び出そうとして成神さんに引き留められた。

「矢吹君……」
「あっ……すみません」

 幸い今の声は誰にも聞かれていなかったらしい。
 でも、僕はさすがに成神さんに注意されてしまった。

「そんなに大きな声をだすと周りに気付かれてしまうよ」
「はい、すみません……」

 コワガミサマはヨソモノの接近を避けていた。
 ヨソモノは、勢い余ってそのまま地面に倒れこむ。

「シゴト、シゴトォォォオ……! 行きたく、ないっ!!」

 仕事?
 どうやらヨソモノは「仕事に行きたくない」と叫んでいるようだった。
 コワガミサマは、そんなヨソモノに例の言葉をかける。

【ヨソモノよ……お前は普段、何に対して一番罪悪感を覚える?】
「……ザイアク、カン?」

 ヨソモノはハッとして顔を上げた。

【罪悪感を我に捧げよ。さすればお前の願いを叶えよう】

 ヨソモノはコワガミサマを見つめると、しばらく考えこんでからこう言った。

「ワタシハ……私、は……非人道的なことをする人間の……クズです。何も知らない、ウブな新人を……騙して……金のためにあんな、ひどいことを……。上司からの、パワハラもすごくて……板挟みで。だからもう、その会社では働きたくなくて。平穏な日々を……取り戻したい……!! お金が……欲しいっ!!」

 コワガミサマの足元にひれ伏して、切々と訴える。

【お前は、その行いに罪悪を抱くのだな……。自分よりさらに弱いものにつらく当たることを……。では一人、お前の知っている親しい人間を死に追い込め。身内でも、職場の人間でもかまわない。そして、それによってさらなる罪悪感を抱き続けるのだ。さすれば一生遊んで暮らせる金をその手に引き寄せさせてやろう】
「それは……た、宝くじ、とかですか? わ、わかった。か、間接的にでもいいなら……やってみます!」

 ヨソモノはそう言って、コワガミサマの話に嬉々として応じる姿勢をみせた。

【ではこれより、契約の儀式をはじめる】

 その声と共に、黒い触手がまた周囲にぶわっと広がる。
 そして、それが中央に集約されたかと思うと、「何か」をからめ取るような動きとともに触手は上空に移動していった。

 あれだ。
 あの中心に、ジュン姉がいる!

 ジュン姉が、また締め上げられながら捧げられている。
 僕にはいまだに何も見えなかったけれど、それでもジュン姉が苦悶の表情を浮かべているのはなんとなくわかった。
 現に苦しそうな声が響きつづけている。

「ああああっ! くっ、いやああああっ!!」
「……待てっ」

 しかし、そこに待ったの声がかかった。
 発したのは、成神さんだった。

 その雰囲気になぜか怖気づいたヨソモノは、すごすごとその場を立ち去っていく。

 大きな声を意図的に出したので、自動的に成神さんの「不感知」の術が切れてしまった。つまりそれは、僕も同時にその術が切れてしまったということで。みんなが一斉にこちらを見た。

「なっ、何、誰? いきなりそこに現れたわ!」
「例の裏切り者と、部外者……のようですね」
「あいつらいったいどこから? 何なのよ、もうっ」

 宮内あやめと黒服たちが明らかに動揺している。

【お前が……そうなのだな。矢吹龍一によって招かれた『招かれざるヨソモノ』よ】

 触手を蠢かせながら、コワガミサマが成神さんに向かって話しかけている。
 どうやら、彼が脅威になる者ということぐらいはうすうす感づかれていたようだ。

「そうだ。俺は成神という。お前を祓い、いずれは神に成り替わる者だ。その娘と、この村を解放させてもらうぞ、侵略者」

 神になり替わる者……という意味はよくわからなかったが、なにかカッコイイ決め台詞だと思った。
 成神さんは変わった自己紹介を終えると、ポケットから何かを取り出してそれを右の掌の上に載せる。
 そして、コワガミサマの元にいるであろうジュン姉に強く叫んだ。

「日向純さん!」
「え? あ、はい」

 聞き慣れた、ジュン姉の声がした。
 ジュン姉!
 姿は見えなくなってしまったけれど、たしかにジュン姉の声が聞こえる。少しの間しか離れてなかったのに、もうものすごくさびしくなっていた。僕は胸がいっぱいになり泣きそうになる。

「ここに、君の幼馴染の男の子がいます。矢吹龍一君です!」
「え? リューくん? リュー君もそこにいるの?」
「ジュン姉! ここだ。ここに僕もいるよ!」

 僕はジュン姉にもよく見えるように、一歩進み出た。
 成神さんはさらにジュン姉を落ち着かせるように言う。
 
「そう。だから安心してほしい。俺は、彼に呼ばれてこの村に来た者です。そして君の味方でもある」
「……ああそう。アナタが……。リュー君の言っていた……」

 ジュン姉がそうつぶやいたのを聞いて、僕は少し安心した。
 そうだ。これでいい。これでジュン姉が解放されるはずなんだ。
 僕は非力だけど、きっと成神さんにまかせていればなんとかなる。

 そう、さっきまでは思っていたのに……なぜかそれっきりジュン姉は黙りこくってしまった。
 妙な胸騒ぎがする。

「フフフ……ではさっそく、大祓《おおはらえ》の儀式といこう!」

 成神さんは自信たっぷりにそう言うと、いきなり手にしていた何かを握りこんで破壊した。
 成神さんの右手がそれを機に白く光り、そのままその掌を足元の地面に押し当てる。

「すべては、夢。混沌の夢よ、覚めろ」

 そして、異界が広がった。
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