僕らの村のコワガミサマ

津月あおい

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第四章 海開き

33、ジュン姉の秘密

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 0723/18:15/成神さん・ジュン姉/境雲神社


 今は夏。
 春とは違って、日没の時間はかなり遅くなっている。あたりはまだ明るく、森の奥からはカラスの鳴き声がまだしていた。

 僕と成神さんはさらに慎重に神社の奥へと進んでいた。
 成神さんの後につづいている僕は今、複雑な心境だった。
 ジュン姉に会いたいのに……会いたくない、そんな矛盾した気持ちを抱えている。

 たとえ出くわしたとしても、僕だけはコワガミサマから受けた天罰で、ジュン姉を見ることはかなわない。
 それなのに……。
 なんだか怖かった。
 知らないことばかりが次々判明して。

 ジュン姉とコワガミサマのことをあえて、知ろうとしてこなかったっていうのはある。でもそれは……知らされてショックを受けたくないという気持ちが強かったからなんだ。
 僕が、もっと早くに勇気を出していろいろ訊いていたら。

 宮内あやめと園田が言っていたことが、さっきから頭の中でぐるぐるしている。
 延命……。ジュン姉は死んでしまうのか? 僕がもたもたしていたせいで?

「この先、か?」
「……」

 成神さんがそうつぶやいたのは、細いしめ縄が天上からいくつもぶら下がっている廊下のあたりだった。
 その先には、障子戸が廊下の左右にずらっと並んでいる。なんだか気味が悪い場所だった。でも、おそるおそるそこを進んでいくと、やがて大きな暖簾が見えてくる。

 藍染の、一辺が二メートルはある正方形の布。
 その中央に白抜きで奇怪なタコの絵が描かれている。

「これは……ジュン姉が被っていたお面と同じ絵、か?」
「…………」

 近くに行ってよく見ると、それは藍色の正方形ではなく、縦に切れ目がある八つの短冊の集合体だった。僕はそのひとつをめくろうとして……。

「いや、ちょっとそれには触れない方がいいだろう」

 なぜか成神さんがそう言ったので、這うようにしてその下をくぐる。

 奥は暗がりだった。
 わずかな天窓からの光以外は、真っ暗な和室だ。雨戸が締め切られているのか、部屋の真ん中あたりしか明るくない。三十畳ほどの畳の中央には真っ白な布団だけが敷かれていた。
 布団……?
 僕はなぜか、嫌な予感がしてくる。

「誰も、いない……」

 布団は掛布団が無く、敷布団だけだった。
 周囲は怖いくらいの静けさだ。

「いや、いる……。君に見えない、ということは……」

 成神さんがそっとつぶやく。
 見えない? だったらそれは……。

「ジュン……姉? ジュン姉が、あそこにいるっていうんですか?」
「ああ。君にはやはり、見えないのか」
「ジュン姉は今、どうしているんですか。僕の代わりに見て、教えてください。成神さん!」
「……しっ」

 声が少し大きくなりはじめたのを、たしなめられた。
 成神さんは前方を見つめたまま眉根を寄せる。

「矢吹君。そのコワガミサマというのも、見えないかい?」
「え? コワガミサマも……あそこにいるんですか?」
「それも見えなくなっているのか」
「ええと……たぶん」

 そう。僕には今、何も見えていない。
 コワガミサマ自体も見えなくさせられている。だとしたら驚きだった。それもさっきの天罰に含まれていたのだろうか……。

 いや。

 目を凝らす。目を凝らす。目を、凝らす。
 すると、どうにか……ああ、うっすらと見えてきた。
 そうだ。昼間のコワガミサマはほぼ無色透明の姿だから、この暗い部屋の中ではよく見えなかったんだ。それだけのことだったのだとわかり、ホッとする。

「あ、ご、ごめんなさい。今ようやく見えてきました。透明で……大きな人が立ってます。あれは触手を……?」
「そうか。いや……見えるなら、いいんだ」

 成神さんはなぜかそう言いながら口ごもった。何か、とても言いにくそうに。
 どうして黙ったのだろうと思っていると、女性の悲鳴が突然聞こえてくる。

「ああっ、やだっ! やめてっ、コワガミサマ、うううっ!」

 それは聞き慣れた女の人の声だった。
 ……ジュン姉。
 ジュン姉が、あそこにいる!

 何も見えない中、僕は必死で耳をすませた。

「ああああああっ! り、リュー君、リュー君っ! うう~~っ、あああ~~っ!!」

 僕の名を呼んでいる。
 なぜか苦しみの声をあげながら。それは、助けを求めているようでもある。早く、早く何とかしてあげなくちゃ――。

「ジュン――」

 呼びかけようとして、隣にいた成神さんに口を塞がれた。
 な、なにを……!
 そう思いながら成神さんをにらみつけると、成神さんは押し殺した声で言った。

「落ち着け、矢吹君。今は……今は『調査』をしなくてはいけない。気づかれるわけにはいかないんだ。これは君にとって、最も辛い状況かもしれない。だが、まだしばらくは黙って見ていてくれ」
「……」

 僕は歯噛みをしつつ、しぶしぶ頷いた。
 すると成神さんは、そっと僕を離し、もう一度布団のある方向を示す。
 僕には相変わらずコワガミサマの触手が蠢いている様子しか見えなかった。いったい成神さんにはどんな光景が見えているのだろう……。

「ああ、むごい……。あんな……」

 ぽつりとこぼされた言葉に、僕は背筋が冷たくなった。
 むごい、って? 何?
 ジュン姉は、コワガミサマに何かされてるんだろうか。いったい、いったい何を……。

 しばらくすると、うめき声を上げていたジュン姉の声がぱたりと止んだ。そして突如、何もない布団の上にたくさんのミツメウオが湧いてくる。

「え?」

 ボタボタとグジュグジュとそれは布団の上に発生した。そしてさらに奥の座敷へと飛び跳ねていく。

「なっ? えっ……?」

 一瞬何が起きたのかわからなかった。
 やがて、奥の部屋から水音がしはじめる。十匹以上はいたであろうミツメウオたちは、すべてその水音がした場所に集まっていた。

 暗がりに慣れてくると、そこには大きい丸い桶があるというのがわかった。
 ミツメウオたちはその桶の中で元気よく跳ねまわっているのだ。バシャバシャ、バシャバシャと。
 和室には本来ありえない物音が響きわたっている。

【今日の対価は、もらった。明日も我の子を孕め。そしてその産みの罪悪感を我に捧げよ】

 コワガミサマの低い声がした。
 え?
 何? 今何を……。産みの罪悪感?

「成神、さん……今『子を』とか『孕め』とか……聞こえたような気がするんですけど……聞こえました?」
「ああ」
「何……どういうこと、ですか? ジュン姉は何を……されてたんです?」
「…………」

 成神さんは何も言わず、呆然自失の僕を部屋の外まで連れだしてくれた。

「矢吹君……」
「……あの、ねえ? 成神さん?」

 軽く失神しそうになるのをこらえながら、成神さんに訊ねる。

「なんで……どうして。答えて、ください。僕には見えなかったんだ。だから、僕の代わりにちゃんと説明してくれなきゃ、困るじゃないですか……!」
「本当に、それを聞きたいかい。矢吹君」
「はい……はい、聞きたいです」
「本当の本当に?」
「しつこい、ですよ。いいから早く……早く話してください!」

 そう言ってつめ寄る僕に、成神さんは目を伏せながら言った。

「彼女は……君の幼馴染のお姉さん『ジュン姉さん』は……あの触手の化け物に……犯されていた」
「犯……え?」
「何かを孕まされ、そして、あの魚を……出産させられていた」
「出……産……」

 理解が、追いつかない。
 そんな……そんなことが……成神さんは僕の状態を見ながら、それでもさらに言いにくそうに続けた。

「そんな非現実的なこと、信じたくはないだろう。でも、現に、彼女は……」

 僕はそこまで聞くと、声にならない悲鳴をあげた。
 口元を両手で押さえ、足踏みをしようとしてバランスを崩す。すぐ目前に廊下の木目が迫った。それにぶつかった後、ぶわっと涙があふれ出す。

 なんで。
 なんでジュン姉が……!
 なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで!!!!!

 わけもわからず、疑問をひたすら繰り返す。

「できれば伝えたくはなかった。でも、あれは……神の子を孕むなんて。まるで、苗床だ――!」
「……!!」

 なんてことを、なんてことを言うんだ。
 あまりの言い方に、僕はついカッとなって成神さんの胸ぐらを掴みあげた。

「ジュン姉、をっ……! ジュン姉のことをそんな風に言うなっ! たとえそれが事実であっても、そんな、そんな……!」
「ああ、す、すまない。俺だってまさかあんなことをされているなんて……あまりの衝撃でつい……」
「ああああっ、ああああああっ! うう~~~っ!!」

 僕はパッと両手を離すと、またその場にうずくまった。
 どうして、どうしてジュン姉がこんなことをさせられなきゃならないんだ? どうして、どうして……。
 そう思っていると、奥の部屋からジュン姉の嗚咽が聞こえてきた。

「ああっ、ごめん。ごめんねリュー君……。リュー君……ああっ……あなたを救うためには、こうしないと……。あなたに会うためには、こうしないと……。ううっ、でもごめんなさい。いやだ、嫌われたくない。死んで……ほしくない! リュー君、リュー君っ!!」

 最後の方はもう絶叫と化していた。
 今、ジュン姉がどうなっているのだろう……・成神さんにもう一度訊いてみたかったが、その勇気はなかった。

 ジュン姉はかつてこう僕に言っていた。「どうやって叶えてもらったか、なんて……それを知ったら、きっとリュー君に嫌われちゃうよ」と――。

 その頃から、おそらくこんなことを強要されていたのだろう。
 たしかに、これは相当の罪悪感を抱く行いだ。好きでもない人……というか神様と、セックス……するなんて。絶対誰にも言えないことだ。

 どんなに辛かっただろうか。
 それを思うと、強烈に胸が痛んだ。

「ジュン姉、ジュン姉……」

 僕はぼろぼろと泣きながら自分の無力さを呪った。今度こそ呪った。
 どうして何もできないんだ。ジュン姉がこれほど苦しんでいるというのに。なんて非力なんだ。死にたい。死んで詫びたい。能天気に、夜のお役目をデートだなんて言ったりして。その間にも、ジュン姉はこうして毎日辛い思いをしてきたのに――。

「さあ、矢吹君。立って!」

 成神さんは僕の手を取ると、強引に立ち上がらせた。

「さあ、ここの『調査』は終わった。これから、最後の調査……例の『夜のお役目』とやらを見にいくよ。そこで、いよいよあのコワガミサマを消滅させる」
「コワガミサマ、を……消滅……」
「そうだ。まだ、ついて来てくれるかい? 矢吹君」

 僕は涙に濡れた目で彼を見上げた。
 唯一の希望は、もうこの人だけだ。そう思った。
 成神さんは優しい微笑みを浮かべている。まるで天使のようだ。でも、今から思うとあれは、悪魔のようだったのかもしれない。
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