僕らの村のコワガミサマ

津月あおい

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第二章 夜のお役目

14、鎖和墓地へ

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 0404/18:30/ジュン姉・宮内あやめ・園田/鎖和墓地


 陽はすっかり山の向こうに隠れ、村には夜が訪れていた。
 遠く波の音を聞きながら、家を離れる。
 湿った風。
 生ぬるいそれを頬に受けながら、僕は細い坂道を上っていた。

 ヨソモノは海から上がってくるという。
 砂浜に出現すると、そのまま村の中へと入ってくるのだ。

「…………っと!」

 とある道の角を曲がると、さっそく出くわした。真っ黒い影が電柱の側に立っている。
 外灯に照らされていたのは、全身黒タイツを着たような人だった。
 ただの人間ではない。どれだけよく見ようとしても、完全な闇色で塗りつぶされている……。

 影は、ひたすら何かをつぶやいていた。

「……ちゃん……ちゃん、どこ? どこに……? ……ちゃん……ちゃん」

 声の高さからして、女性ということがわかる。
 うまく聞き取れなかったが、どうやら子どもの名を呼んでいるようだった。
 僕は、その人影に見つからないよう下を向いて、しばらくじっとその場にとどまった。こうしていれば気付かれない。

 数分後――。
 ヨソモノはその場で探すのを諦め、別の場所に立ち去っていった。
 十メートル以上離れると、警戒する必要はなくなる。

 僕はまた、鎖和墓地に向けて歩き出した。
 廃墟のような街並みを抜けて、東の山裾の開けた場所に来る。そこにはあの梅林が広がっていた。すでに花は終わっていて、青い葉が茂りはじめている。
 その先は七折階段だ。僕と、ジュン姉との思い出の地……。

「ん? 変だな。ずいぶん久しぶりに来たと思ったけど……」

 なぜか妙な既視感があった。
 久しぶりに来た所のはずなのに……まるでつい最近訪れたような感じがする。
 僕は、今朝ジュン姉から言われたことを思い出した。

「また鎖和墓地に来て」

 たしか、そんなことを言われていた。
 また……?
 僕は昨日、ここに来たのだろうか?
 そしてこの山の上の墓地で、ジュン姉と会ったのだろうか?

 わからない。
 でもそれを深く考えるのは止めておくことにした。今それを考えてもしょうがない。どうせ昨日の記憶は消されてしまっているのだから。
 僕はまた、これからジュン姉と行動を共にする。ならば、もうどうでもいい。

 僕は階段を上る足を速めた。
 早く、会いたい。ジュン姉に……。

「ジュン姉……っ!」

 逸る気持ちを押さえながら階段を上り終えると、ようやく鎖和墓地に着いた。
 ここは村人たちが等しく埋葬される場所である。
 山肌にはおびただしい数の墓石が立ち並んでおり、その中に白いワンピースを着た人がいた。

 ジュン姉だった。
 ジュン姉は、今朝と同じく白いタコのようなお面を被っている。
 僕はジュン姉の元へと急いで駆け寄った。

「あっ、来た来た! リュー君ー!」

 向こうも気付いて、こちらに手を振っている。
 いつものジュン姉だった。
 ちょっと涙腺が緩んでしまう。いけない。担いでいた金属バットを降ろすと、僕は泣きそうになるのをぐっとこらえて笑顔を作った。

「……っ!?」

 だが、すぐにハッとした。
 ジュン姉の後ろに、二人の人間がいたのだ。
 それは、頭地区の宮内あやめと、園田という運転手の男だった。

 どうしてやつらがここに……。

「遅かったわね矢吹龍一。今日の日没の時刻は六時五分よ? だというのに……分かってるの? 遅刻よ、遅刻」

 日没の正確な時刻なんて、知るわけがない。
 あいまいな情報の中なんとかやって来たというのに……この仕打ちは無いと思った。やっぱり僕は彼女を好きになれそうにない。

「まあいいわ。明日からはもう少し早めに、六時までには来ていることね。その方が――」
「…………」

 僕はあやめの話を無視して、ジュン姉へ向き直った。
 というか……正確にはジュン姉を通した「コワガミサマに」だけど。

「ちょっと! 今わたしが話してるのよ! どういう――」

 外野がピーピーうるさいが、僕は慎重に言葉を選んでコワガミサマに言った。

「お待たせしました、コワガミサマ。僕はこれから……何をすればいいですか?」

 ジュン姉は小首をかしげていた。
 なぜ自分ではなく、コワガミサマに向かって話したのだろうといった困惑の表情だ。

 無理もない。
 村の掟では「自分からコワガミサマのお嫁さんに話しかけてはならない」といったルールがあった。逆に「コワガミサマ自体には話しかけても良い」というルールも。
 僕はその掟を逆手に取り、そうやって間接的にジュン姉と会話ができないかと試みていたのだ。
 
 結果的には、大成功だった。
 コワガミサマからの天罰はすぐには発生しなかった。
 代わりに、ジュン姉の口から低い声が漏れ出す。

【矢吹龍一……我は餓えておる。早急に、我の嫁とともに村へと下り、ヨソモノを探し出せ。あとは我が役目を担う】
「わかり……ました」

 餓えている。
 餓えている、とはいったいどういうことだろう。
 ヨソモノたちの願いを叶えるのが、ジュン姉の、そしてコワガミサマのお役目のはずだ。
 その本当の「目的」はなんなのだろう。

 もしかして……コワガミサマは、ヨソモノを食べるのか?
 ジュン姉が夜の村に行くのを怖がって拒否している間に、コワガミサマはその「食事」らしき行動を中断させられていた、ということだろうか。ということは……。

 いや、きっと今に全部わかることだろう。これから僕は、その現場に立ち会うのだから……。 

 金属バットを肩に担ぎ直す。
 不良っぽい仕草で気が引けるけれど、でもこうでもしないと、もともと筋力のない僕は重さで腕がしびれてきてしまう。
 ジュン姉はそんな僕を見てけらけらと笑っていた。

「あははっ。リュー君すごい。『武器』なんて持ってきたの?」

 僕はあいまいに笑った。

「まあ、こういう時、初期装備って大事ですしね……。念のため、一応持って来てたんですよ。不要だというのなら、置いていきますが」

 今のは一見、ジュン姉に対して答えたように見えるが、実はコワガミサマに対して放った言葉だった。
 コワガミサマは、そんな僕を見透かすかのように笑う。

【フハハッ、妙なことを考え付くものよ。そのようなもの、本来は必要ない。ヨソモノは村の者に対しては大きな害を成すことはないからな。だが、己自身と我の嫁がそれで安心する、というのなら携帯せよ。それと……我の嫁が話しかけた際には、応じよ。我の嫁の悲しむ様は、悲しみの感情は、我の好むところではない】
「……い、いいのですか」

 僕は目を丸くした。
 コワガミサマが……コワガミサマが、特例ともいうべきことを許可している。ジュン姉をそれだけ気にかけているということだろうか。
 僕はたまらずにジュン姉の方を見た。

「じ……」

 ジュン姉、と言おうとして、口をつぐんだ。
 許可されたのは「ジュン姉から話しかけられた場合」だ。
 こちらから直接話しかけることは、まだ許可されていない。きっとそれをしたらまた天罰を喰らうだろう。そうしたら、僕は……今夜のお役目を、ジュン姉の付き人としてのお役目を果たすことができない。

「……」

 悔しさに押し黙っていると、ジュン姉がぽつりと言った。

「良かったねリュー君」
「え……?」
「わたしからなら、お話しできるって!」
「……ッ」

 思わず涙腺が緩みそうになった。
 僕はぐっと金属バットの持ち手部分を掴んで、堪える。
 そして下山するべく一歩を踏み出――。

「ちょっと待ちなさい」

 そこに「待った」がかかった。
 宮内あやめだ。
 またか……。そううんざりしながら振り返る。
 大きなポニーテールを揺らして近づいてきた「お嬢様」は、僕の目の前まで来るとギロリと睨みつけてきた。

「いーい? あなたがコワガミサマのお嫁さんの付き人でいる間だけよ。わたしたちが静観しているのは……。ずっと監視してるんだからね! お役目が解かれた瞬間、覚悟なさいよ!」
「…………」

 ビシッと人差し指を突きつけられるが、特に何とも思わない。
 聞く価値がないと判断して視線をそらすと、宮内あやめはまたキーキーとわめきだした。

「ああっ! もう、またシカトっ!? 信じられないっ! 園田、何なのよコイツは!」
「お嬢様……しかるべき時が来るまで、大人しくしていましょう。この少年は村のルールからかなり逸脱した者のようです。これ以上我々が注意したとしても、おそらく……」
「あーっ、もうっホント……覚えてなさいよ、矢吹龍一! わたしたちはいっつもあなたたちを見てるんだからねっ! 何かあったら、ただじゃおかないんだから!」

 宮内あやめを見ていると、本当にこの子は「お嬢様」なのかと疑う。
 でも、もうどうでもいい。
 僕にはジュン姉だけだ。
 ジュン姉さえ幸せでいてくれれば、あとは何だっていい。

「じゃあ、行きましょうか。コワガミサマ……」

 そう言って、僕はジュン姉を促す。
 気にしなくてもいいのに、ジュン姉はちらちらと宮内あやめたちの方を振り返っていた。

「ねえ、リュー君? あんな態度とっちゃあ、あの子が可哀想だよ。あの子、頭地区の人で、ずっとわたしを陰から支えてくれてたんだよ。だから……」
「ジュン姉」

 言おうか迷ったけど、思い切って僕は言った。

「ジュン姉は、あの人たちになにかしらの恩義を感じてるのかもしれない。でも、あの人たちは……基本的にジュン姉を『人』として扱ってないんだ。あくまで村のための人身御供として……『物』として見てるだけなんだよ。僕は、それが許せない」
「リュー君……」
「行こう、ジュン姉。怖かったらいつでも言って」
「う、うん……」

 僕らは七折階段を下りると、村の方へと向かった。

 その先に、どんな恐怖が待ち受けているかも知らないで――。
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