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プロローグ 何気ない日々の終わり

4、自宅で裁縫箱を探す

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 0401/19:20/母さん/矢吹家


 母さんの部屋は、リビングの壁を一枚隔てた向こう側にある。
 僕は砂金を制服のポケットに入れると、さっそく廊下に出た。
 少し奥に行って、右を向くとドアがある。そこは洋室で、フローリングの床の上に一畳ほどのラグとダブルベッドがあった。

 僕はまず手始めに、手前のクローゼットを調べる。
 たしか裁縫道具は母さんの部屋にあったはず……そう思い返しながら、荷物を出していく。しかし、いくらひっくり返してみても、それらしいものは全く出てこなかった。

「おかしいな。どこにやったんだろ」

 そうこうしている間に、母さんが帰ってくる音がする。
 玄関の戸が開き、ただいまーと言う声。

「やばっ」

 僕はあわてて、また荷物をクローゼットの中にしまいはじめた。

「龍一、いるのー?」

 母さんが僕の名を呼んでいる。
 きっと僕が二階の自室にいると思っているのだろう。でも返事がないので、諦めてダイニングへと移動したようだった。
 急にザアアア、と流しの水が流れる音がする。

「ふう。僕がまだ昼寝してると思われてるならいいけど……」

 そう、僕はたまにジュン姉と遊んだ後、疲れて自室で寝てしまうことがあった。そういうとき母さんは、帰ってきてもしつこく僕を呼びつづけるということはない。
 今回もたぶんそうしたのだろうと思い、今のうちに早く片づけてしまうことにした。しかし、うっかりアイロン台と思われる大きな板を床に落としてしまう。

 ゴトンッ!

「な、なにっ? 今の音……龍一?」

 気付かれてしまった。
 母さんのぱたぱたという足音が近づいてくる。

「うっ、ま、まずい!」

 見つかってしまう……。
 僕は観念したが、せめて元の状態にみえるようにしておかなければと、あわててクローゼットの扉を閉めた。

「龍一、ここにいたの?」

 部屋に入ってきた母さんは、そう言って呆れた顔をした。

「なにやってんのー、そこで」
「あ、えーとその……裁縫道具を探してて……」
「裁縫道具?」
「そう。ちょっと、使いたくて……」
「ふーん。何に使うか知らないけど、とりあえずそこにはないわよ」
「え?」
「こっち」

 鼻を鳴らすと、スーツ姿の母さんはすたすたと歩いていった・
 僕も大人しくあとをついていく。
 母さんが向かったのはダイニングだった。

 え? ダイニング?

 盲点だった。食器棚の上に手を伸ばしている。食器棚……そうだった。よく見たらあそこにあった。上部に取っ手が付いた木の箱、あれが我が家の「裁縫箱」だ。

「あんた、家の物の位置くらい、把握しておきなさいよー。ホントそういうところ、お父さんにそっくりなんだから……」

 そう言って、母さんはドンとそれを食卓の上に置く。
 僕はちょっとむくれながら言った。

「悪かったね、父さんに似て。でも似るのは親子なんだから、仕方なくない?」
「そうだけど。でも悪いところは似なくていいわよ。で? いったい何に使うの? 服が破れたとかなら母さんがやってあげるけど」
「いや、そうじゃなくって、その……」

 なんと説明しよう。
 なんとなくジュン姉から頼まれたとは言い出しにくかった。だって言ったら絶対からかわれそうだったから。

「ああっ、もういいから放っといて!」

 とたんに恥ずかしくなって、奪うようにして裁縫箱を持っていこうとした。けれど、母さんが僕のその手を止める。

「待って。その前に……母さん、あなたに話しておかなきゃならないことがあるの」
「え?」
「いいから、ちょっとそこに座りなさい」
「う、うん……」

 いつになく真剣な表情の母さんに、僕はその手をほどきながら食卓についた。
 母さんも僕の対面に座る。
 なんだろう。改まって。僕はなんとなく嫌な予感がした。僕のテストとか成績のことかな? それはとても耳が痛いんだけど……。

「あのね、龍一。今日ちょっと、母さん帰るの遅かったじゃない?」
「え? あー、そうだっけ?」

 僕はすぐダイニングの壁にかけられている時計を見た。
 そういえば、いつもは六時台に帰ってきているのに、今日は七時を越えてしまっている。

「ああ、たしかにね。それで? 何かあったの?」
「うんまあ……。あのね、母さん今日、仕事が終わってから公民館に呼び出されたの。それで遅くなったんだけ……」
「公民館に? 呼び出されてたって……誰に。なんで――」
「町内会。緊急町内会が開かれてたのよ。昼間っからね。母さんは昼にそれを電話で知らされたわ。でも、仕事があったからすぐには行けなくて……終わってから向かったの。そしたら、そこにはすでに五地区全部の代表者が集まっていたわ。あれは実質、村の全体集会だったわね」
「村の、全体集会? それって……」

 祭りがあるわけでもないのに、それだけ人が公民館に集まるなんて……「ただ事」ではない。
 いったい何が起きたというのだろう。
 僕はさっきとは別の嫌な胸騒ぎがした。

「いい、龍一? 心して聞いてね」
「う、うん……」

 母さんの表情がいっそう険しくなる。
 僕は思わず生唾を飲み込んだ。

「コワガミサマの……現お嫁さんである『シゲ婆さん』がね、今朝亡くなったの」
「え?」

 シゲ婆さんが?
 シゲ婆さんはもう九十近くなる神社の巫女さんだ。その人が亡くなったということは……。

「それで……それでね。次のお嫁さんが……なんと、隣の家の純ちゃんに決まってしまったのよ」
「え?」

 トナリノイエノジュンチャンニキマッテシマッタノヨ。

 何を……言ってるのかよくわからない。

「なに、それ」

 僕は理解が追いつかなくてそんなマヌケな一言しか言えなかった。

「あんたと純ちゃんは……小さなころから仲良しだったから、わたしも伝えるのがとても辛いわ。でも、もうこれは決まってしまったことなの。純ちゃんも拒否しなかったらしいし……明日にはもう輿入れするって」

 コシイレスルッテ。
 コシイレ? コシイレ、って何だ?

「シゲ婆さんのことは、あんたもよく知ってるでしょ? 純ちゃんはその……これからはずっと、そのシゲ婆さんみたいなことをするの。あの山の上の境雲神社に住んで、それで……。だからせめて、明日は純ちゃんをちゃんと見送ってあげなさい。ね?」
「ま、待ってくれよ! ねえ……そんな、そんな嘘でしょ? ジュン姉がそんな……」

 僕の言葉に、母さんは残念そうな顔を向けるだけだった。

「わたしだって、これが嘘ならどんなにいいかって思ってるわ。でも……誰かが、誰かがやらなきゃいけないの」
「嫌だ」
「龍一……」
「嫌だ! そんな。なんで、なんでジュン姉が!!」

 僕は食卓の上の裁縫箱をつかむと、そのまま二階の自室まで駆けあがった。

「嘘だ! 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ! なんでジュン姉が!」

 そう叫びながらドアを開けると、ベッドの上に勢いよく倒れ込む。

「どうしてっ!! なんで、なんでジュン姉も断らないんだよっ! さっきだって、なんにも言って――」

 そこまで言ったところで、ジュン姉の今日の態度を思い出した。
 そういえば、なんだかいつもと様子が違っていた気がする。めったにしない頼み事を……あの砂金の加工を僕にお願いしてきたりして。
 僕はポケットの中を探って、例のブツを取り出してみた。

「僕にこれを頼んだってことは……もう覚悟してたってこと……なのかな? もしかして僕のことを忘れないために……?」

 ジュン姉が何を考えていたかはわからない。
 あくまでもこれは僕の希望的観測だ。
 でも、そういう風に、僕との思い出を残したいと……思ってくれていたのだとしたら。それはとてもとても嬉しいことだけれど……むちゃくちゃ悲しいことでもあった。どうして、どうしてジュン姉なんだ……。
 じんわりと目頭が熱くなってくる。

「泣いてる場合じゃ、ない……な」

 もしそれが、「最後の」ジュン姉のお願いだったとしたら、叶えてあげなければならない。
 僕が……ジュン姉をさらって、ここではないどこかに連れて行って、村との一切のかかわりを絶つことができたら、そうできるだけの力があればよかったけれど。
 僕はただの中学生なのだ。
 何の力もない。

 自転車の通学だってひいひい言ってるような非力な人間だ。
 どんなに好きな人でも、「命に代えて守りたい!」なんて思ってても、何もしてあげられない。それが……今の僕のすべてだった。

「どうして……どうしてジュン姉が……」

 僕が苦しいと感じている理由はもう一つあった。それは、ジュン姉がこの件を「拒否しなかった」ということだった。
 なにかしら、嫌だと抵抗してほしかった。
 なんなら僕にも助けを求めてほしかった。
 でも、ジュン姉は……何も言ってくれなかった。そんなそぶりも一切……見せていなかった。

 それは僕を頼れないという意志の表れだった。

 僕に言ってもどうしようもない。だから最後まで余計なことは言うまい、心配させまいと思ったのだろう。ひとりで、運命を受け入れたのだ。
 それが、僕はどうしようもなく悲しかった。

 少しは頼ってほしかった。
 頼れない、年下の幼馴染だとしても。

 唯一ジュン姉に頼ってもらえたのは、この「お願い」だけだった。なら、僕はこのお願いを全力で叶えるしかない。それしかもう僕にできることはないのだから……。

 僕はもう一度手の中の砂金を見る。

「身に着けられるようにしてほしい、か……」

 すぐに裁縫箱の引き出しを開けた。
 中には、糸や針、そしていくつかの端切れなどが入っている。

「ジュン姉。僕は……料理と洗濯と掃除はできるようになったけど……裁縫は全くダメなんだよ。でも頑張る。これからジュン姉がやらなきゃいけないことに比べたら……きっと、たいしたことじゃ……ないんだから……」

 ぼろぼろと目から熱いものがあふれてくる。けど、僕はそれを制服の袖で拭った。
 ジュン姉が好きそうな柄の布を選び、裁断する。そして、針に糸を通し、縫っていく。

「ジュン姉……ジュン姉……」

 そうして僕は泣きながら、徹夜で「それ」を完成させた。
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