彼女の音が聞こえる

孤独堂

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第一話 早起きは三文の得。

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 元秋はいつもの様に朝六時、家の近くの川原の土手を走っていた。
 佐野元秋は親が佐野元春のファンだった事からこの名前を付けられた。高校二年陸上部に入っているが成績はそれ程良くない。一年の夏頃から朝学校に行く前、こうして五キロ程ランニングしている。
 「ほっ、ほっ、ほっ」
 ここの川原はいつも人影が無く、静かで、元秋の息遣いだけが聞こえる。
 いつもなら。

 河川敷で川の方に向かって、トランペットを吹いている女の子がいた。
 と、言っても静かだ音がしない。
 土手の上から見下ろしていた元秋は土手を下り、川の側に立つ女の子の側まで駆け寄ってみた。
 ここで若い人に会うのが珍しかったからだ。
 彼女は緑色の制服を着ていた。髪を後頭部で束ね、ポニーテールにして、頬をいっぱいに膨らませ、必死にトランペットの音を出そうとしていた。
 スー
   スーーー
 しかし音は欠片も出ない。
 「トランペット」
 元秋は後ろから突然声をかけた。
 「えっ!」
 女の子は本当に驚いた様で、元秋には縦に飛び上がった様に見えた。
 そして元秋の方を振り返った。普通に可愛い。元秋はそう思った。
 「音、出ないね」
 元秋が言った。
 「始めたばかりだから」
 彼女が言った。
 元秋はその声に驚いて、好感を持った。声優かと思うような可愛い声だった。
 「高校だよね?何処の高校?俺、あ、僕は東高の二年だけど。その制服」
 元秋は緑色の制服に覚えがあった。市内の高校のどれかだと思った。
 「私は、西女の一年です。野沢奈々です」
 彼女は少し恥ずかしそうにしかし、丁寧に名前まで言った。
 地方の街では良くある事かも知れないが、奈々の西女は私立の女子高で偏差値は四十位。この辺ではDクラスの学校だ。元秋の東高は県立で男女共学、偏差値五十五以上のBクラス。進学校だ。この街には大学が二つ三つ程しかなく、もっぱら高校で人を見る所があった。
 「野沢さん。あ、ごめん。僕は佐野元秋」
 そう言うと元秋はニヤニヤしながら更に続けて言った。
 「野沢さん、あだ名絶対、野沢菜じゃない?」
 すると奈々は一瞬にして真っ赤になって言った。
 「そうです」
 「やっぱりー!あはははは」
 元秋は腹を抱えて笑いながら更に言った。
 「野沢さん、イイよ、可愛いよ。気に入った」
 その間中、奈々は赤くなって下を向いてた。
 元秋もその姿に恥ずかしがっているのが分って、直ぐに笑うのを止めた。
 「ごめん。調子に乗り過ぎました」 
 そう言うと元秋はぺこりと頭を下げた。
 あまりにもあっさりと頭を下げて謝る元秋を見て、ビックリして奈々が言った。
 「いいんです。慣れてますから」
 「明日も来る?」
 元秋が尋ねた。
 「多分。何もなければ」
 奈々が答えた。
 「じゃあ、また明日会えるね。楽しみ出来たー。そろそろ帰って着替えなきゃ。奈々ちゃんは?」
 元秋がちょっとふざけた感じで言った。
 「私は土手の後ろに自転車置いてあるから、真っ直ぐ学校行くし。もう少し練習して行きます」
 奈々が言う。
 「そう。じゃあ、俺、あ、僕はもう行くね。また明日」
 そう言うと元秋は手を振りながら川原の土手を目指してランニングを始めた。
 「あ、はい。また」
 奈々はそう言うと元秋の走っていく後姿を確認して、一呼吸してから思い切りトランペットを吹いた。

 プゥ~

 変な音だけど、初めて鳴った。
 「聞こえたよー。オナラみたいな音ー。良かったねー!」
 土手の上から元秋の声がして振り向くと元秋が手を振っていた。
 「オナラじゃないですよー」
 嬉しそうに奈々は言った。
 土手の来た道を元秋は戻って行った。
 奈々からは段々見えなくなって行った。
 「初めて鳴った。あの人神様?」
 奈々は呟いた。

 元秋は、明日はもう少し早く来ようと思った。


   つづく

 
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