めぐるゆき

孤独堂

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その14

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 さて、そんな訳で僕はトイレから出て行く友樹を見送ると、自分も早々にその場を後にした。
 友樹に言われカッとした事もあって、さっさとゆきちゃんの遺影を見る為だ。
 しかしその時の僕の気持ちは、後になって思えばとても死者に対して無礼な気持ちだったのかも知れない。なにせ自分でも鼻から分かっていた事を、先に誰かに意見されたのだ。全く気持ち的には漫画なんかに良く出て来るアレだ。今から勉強しようと思っている時に必ず出て来る母親の「早く勉強しなさい!」だ。
 これは当事者的にはムカつく。
 自分では分かっていると思っていた事を、分かっていないと第三者に認識された上での発言だからだ。
 だから僕はイラついた心のままでトイレを出ると告別式会場へと向かって歩いた。
 多分そんな僕をホールにいた喪服を着た人々は怪訝そうな顔で見ていただろう。
 明らかに僕は目付きも悪く、おもしろくないという表情だったと思えるからだ。
 そしてそんな感情のまま僕は会場へと入ると、既に参列者の殆どが最後の別れを終えて、お坊さんのお経も終ったゆきちゃんの棺の前、祭壇へと向かう。
 僕の前にはもはや誰もいなかった。
 通路の両隣の席には親しかった人たちだろうか。疎らに人が座っていて、最前列には親族が並んで座っているのが見えた。
 そしてそれらは僕が脇を通る時、一様に小さく頭を下げる。
 だから僕も何度となく軽く頭を下げながら歩き、そして祭壇の前まで来た時、ひとり見覚えのある顔を見つけてはハッとしたのだった。
 ゆきちゃんのお母さんだ。
 彼女とはゆきちゃんの家に班で何度か遊びに行った時に、度々会っている。

「た…太郎くん?」

 ゆきちゃんのお母さんも僕を覚えていてくれていたのか、そう言うと席を立ち上がった。
 だから僕も慌ててそちらの方に体をちゃんと向けると一礼をして、「はい」と答えたのだ。
 本当ならもっとお悔やみの言葉とか何か気の利いた事も含めて話すべきなのだろうけれど、到底その時の僕にはそんな言葉等思い付く筈もない。ついさっきまで彼女と旅行気分で浮ついた気持ちでいた大学生だ、その上葬式というものに対しての経験も殆ど無い。そんな僕が果たして娘を亡くした母親にどんな言葉を言える? ただ僕は、僕自身もここに来て初めて溝口ゆきが死んだのだという実感を突然感じ始めていて、それを堪えるだけで精一杯だった。

「太郎君が来てくれたなんて、ゆきもきっと凄く喜んでるよ。ああ、懐かしい。大きくなったね。本当に、ゆきはあの頃太郎君の事が大好きだったから。あなた、ゆきの初恋の人なのよ」

「えっ」

 そう話しながら僕の体を懐かしそうに抱きしめるお母さんの腕の中で、僕はその話に思わず声を漏らした。

(なんだ。じゃあ初恋同士の相思相愛だったんじゃないか…)

 じゃあ何故? という疑問は残りながらも、僕はゆきちゃんのお母さんの言葉と抱擁にそれまでの刺々しい気持ちを鎮め、優しくも暖かい気持ちになっていくのを感じていた。
 お母さんからすれば娘のかつて仲の良かったクラスメイトを見て、あの頃を思い出しては興奮したのだろう。僕を抱きしめた腕は、「ごめんなさいね…」というか弱い小さな声と共に緩まり、そして僕を開放させた。
 それからは静かに僕を置き去りに、また現実という名の椅子に再度座り直す彼女。
 だから僕はそんな姿に再度、今度は深く一礼をすると、体の向きを180度変えて、ゆきちゃんの遺影のある祭壇の方を向いた。今はもう、人の死とちゃんと向き合う厳かな気持ちで。

 顔を上げて正面を見る。
 そこには僕の知らないゆきちゃんの顔があった。
 この遺影の写真は、最近撮られたものだろうか?
 大人びた僕らと変わらないその顔立ちは、酷く痩せ細り、その為か異様に目だけが大きく見えて、僕の知る昔の活発なゆきちゃんからは酷く遠のいたイメージで。その落差が先程のお母さんから聞いた初恋の話と相まって僕の心を締め付ける。

(本当に…病気で死んだのか…)

 この時初めて僕は自分の初恋の人の死というものを自分と重ね合わせて感じたのだろう。
 人はいつか死ぬ。
 それはある日突然で、どれ程恋しくて愛おしい人でも、その時はいずれ必ずやって来るのだ。
 僕は生前にもっとちゃんとゆきちゃんと話せば良かったな。会えば良かったなという後悔を感じながら下を向くと、お香を摘み目の高さまで持ち上げた。そして念じる。

(めぐるさんに会いたい)

 それがゆきちゃんの死を実感した後に僕の中に湧き出した想いだった。
 大切なものがいつか失われる日まで、僕はそれを抱きしめていつも側に置きたいと強く感じたのだ。

(ゆきちゃんは死んでしまってもうその想いを知る事も、僕の当時の想いを伝える事も出来ないけれど、僕には今、めぐるさんがいる。今すぐ彼女の側に行きたい。そして抱きしめたい。彼女が、めぐるさんが今この世の中に僕と共に生きているという事を実感したい)

 目の高さに上げたお香を、指を擦りながら香炉の中へと落としながら、僕のその想いは益々強くなって行き、僕は焼香を済ませると再び後ろを振り返り、深くゆきちゃんのお母さんを中心とした親族に頭を下げると、少しずつ歩調を速めて出口へと通路を歩いた。
 めぐるさんに今すぐ会いたくてしょうがなかったからだ。

 会場からホールへと出ると、先程受付で貰い損ねたお返しの品を係りの人が気付いて渡しに来た。
 だから僕はそれを軽く会釈して受け取ると、歩調は緩めず早足でそのまま斎場の出口へと向かう。
 そして斎場を出てから先は、兎に角走った走った。
 何故か今はめぐるさんへの想いの分だけ、僕はひたすら走る事が出来たからだ。
 別れ際ちょっと様子がおかしかっためぐるさんが歩いて行った道をひた走る。
 きっとこの先に巡雪神社なるものがあるのだろう。

 一本道をひた走る事七~八分。
 いつの間にか周りには住宅が立ち並ぶ景色はなく、変わって周りには田畑が見え始めた頃、目の前に石で出来た鳥居が現れた。
 此処がめぐるさんの言っていた巡雪神社だろうか?
 僕は正面まで来ると、鳥居の先にある十段以上はある石の階段を見上げる。

「あ、太郎君♪ でも来る前にLINEくれる約束だったのに…」

 頂上から一段下の石段に座り、僕を見つけためぐるさんがそう声をかけた瞬間、僕の方も彼女を見つけて少し頬が綻んだ。

「ごめん。なんか無性にめぐるさんに会いたくなっちゃって、それでLINEも忘れて急いで走って来ちゃってって、えっ!?」

 ここは気持ちを正直に伝えた方がめぐるさんも喜ぶだろうと、僕がそんな風にめぐるさんを見つめながら話している時だった。その異変に気付いたのは。

(なんだ…これは?)

 めぐるさんの座る石段の上、つまり頂上には、一組の男女が立ってこちらを眺めていた。
 更に頂上神社の入り口であろう両脇に立っている狛犬の像、その右側の上にはなんと、小学生ぐらいの女の子が跨って乗っているではないか。しかも彼女は…

「ゆきちゃん?」

 まさしく僕の思い出の中の溝口ゆきちゃんに瓜二つだったのだ。
 そしてそれに驚いた僕を静かに微笑んで眺めているめぐるさん…これは一体…



               つづく


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