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第二話 電波塔の少女 その②
しおりを挟む結局小百合が職員室を出て、自分の下駄箱のある昇降口に辿り着いたのは、あれから一時間近くも経った午後五時の事だった。
だから上履きを靴へと履き替えて、昇降口を抜けた先の空は既にコバルトブルーの色へと変わっていた。
「はぁ~」
校庭を眺めながらその脇を歩く小百合は思わず溜息をつく。
疲労と寂しさからだ。
あの雲がおかしいと皆が気付いた時から、学校での部活動は一切禁止されていた。
義務教育である小中学生は、授業が終り次第なるべく速やかに帰宅するようにとの通達が、つい三日程前に出たからだ。
しかし政府が調査に乗り出したというわりには今現在この町の空に自衛隊機の一機も見かけた事はない。
そんな事をポツポツと思い出しながら、薄暗がりの人気のない校庭と、その上の空を小百合は立ち止まり静かに眺めた。
ドーナツ状の雲は、夜になっても毎日見える。
この雲の上に更に雲が重なるという事はないし、この雲が発生してからというもの、この町に雨が降るという事もなかった。
だから雲はいつも月明かりに照らされながら、下の方を少し濃い色に、上の方を少し透かして、昼間同様にその存在を誇示し続けていたのだった。
更に今は月がドーナツ状の雲の外に傾いているから良いが、これが深夜にもなると雲の穴の中に入る様になる。小百合は一度だけお手洗いに起きた時に眺めた事があるのだが、それはまるで巨大な人の目の様だった。巨大な人がこの町を覗く様な…それ以来小百合は以前にも増して、一人で夜外に出るのが寂しくて怖くなってしまった。
ブルブルブルッ
そんな不気味な雲を立ち止まり眺めていた所為か、小百合のお尻から太ももにかけて小刻みに震えが襲う。
(またこの雲を見ていた所為で不安な気持ちになって来た。折角職員室では少しいい気分でいられたのに…)
眺める程に苦しくなって来た胸に手を置くと、立ち止まった事を小百合は反省して、空から視線を外しては正面を見据える。
そして再び校門へと向かって歩き出した。
───────────────────────────────
小百合の家は、学校から歩いて二十分程のところにあった。
学校の前を横切る国道を十分程歩くと、その脇に小さな山を崩して作られた新興住宅地の入り口の坂が見える。その坂の上の住宅群の中に、小百合の家もあったのだ。
だから今、小百合は下を向きながら、その坂をトボトボと一人登っていた。上を向くと坂だから余計に空が見えてしまう様な気がしたからだ。
実際車でも通れば少しは怖さも紛れただろうが、意外と広い道幅のわりに今日は一台もこの坂道では車に出くわす事はなかった。街灯も疎らで頂上の平らな所まで行かなければ住宅もその灯りもこの辺は見えては来ない。
そんな風に普段でも夜に一人で歩くには怖い場所で、更に妙な不安感を感じてしまうあの空をわざわざ顔を上げて見よう等とは、今の小百合にとっては有り得ない話だった。
そしてその時そうやって下を向いて歩いていたからこそ、その声に直ぐに気付いたのかも知れない。
「ソ ドレ ミソソソ ラソミ」
(えっ? 何この声? 歌?)
その声は、突然耳に入って来た。
しかもその声には聞き覚えがある。
小声で囁く様に歌っているそれはかなり近く、直ぐ側から聞こえている様に小百合には感じられた。
だから恐怖心も忘れて思わず顔を上げる。
「小巻ちゃん…」
小百合の直ぐ目の前で背を向ける様に立っている人影。
それは紺色の上下のジャージに、背中にスクールバッグは背負ってはいないが、小百合が見間違える筈はない。確かに放課後も見かけた三原小巻であった。
(スクールバッグを背負っていないから、一度は家に帰ったのだろうか?)
「あ、小百合ちゃん。どうしたの。今帰り?」
小百合がそんなどうでも良い様な事を考えている間に、小巻は自分の名を呼ばれた様な気がして後ろを振り返ると、ニコニコした顔でそう小百合に尋ねた。
やはり約束は忘れてしまったのだ。
「どうしたのって、小巻ちゃんこそどうしたの。こんな所で歌なんか歌って。それ、『星めぐりの歌』でしょ」
友人の顔に小百合は心細さもなくなったのか、少しはしゃぐように話す。
「星めぐり…へー、そうなんだ。知らなかった」
「知らなかったって。じゃあどうして歌っていたの? これは宮沢賢治の作った歌で、学校で習ったじゃない」
「そうだったっけ? 私はただ、星の楽譜を読んでいただけ」
「えっ?」
そう言うと小巻は再び小百合に背を向けた。
そして坂の頂上の少し上の空を指差す。
「これ」
小巻の指差した方向には幾重かの折り重なる電線と、その隙間から見える星々があった。
つづく
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