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第五十九話 約束の日
しおりを挟むあれから三日が経った。
美冬のゲーム開始から十四日目。水曜日。
夕方四時半。
マンションの渡辺の部屋。
「ああ、なるべく早く来てくれ。場所は多分そこだ。電車で、そう、その駅だ。それじゃあ俺は、来たら彼女と出掛ける。ああ、そろそろ電話は切る。宜しく頼むぞ。これが最後の大仕事だ。多分。じゃあ」
渡辺はそう言ってスマホの通話を切った。
これから行く所はある程度想像が付いていた。
その所為でどうにも落ち着かず、渡辺はそわそわしてはシャツの胸ポケットからタバコを取り出すと、ライターで火を点け、窓を開け、空き缶を灰皿にタバコを吹かし始めた。
フー
一時間程前に彼女からの連絡が入ってから、もう五本目になる。
最近は高校生達と過ごす中で吸わないでもいられたものが、前に逆戻りだ。っと、室内との温度差で外に流れる煙を見ながら渡辺はボーッと思った。
タバコを吸い終わり、出掛ける支度をする。
ジャケットを羽織り、ポーチの中に財布を入れる。
ピンポーン
その時チャイムが鳴った。
「あ、今行く!」
渡辺は玄関の方を向いて声を出す。
しかしその声は当然玄関の外の人には聞こえてはいなかった。
だから直ぐに、
ピンポーン
またチャイムが鳴った。
「ああ、もう!」
慌てて玄関に走り寄ると、ドアノブを握りドアを開けた。
そしてそこに立っていたのは、制服姿の美冬だった。
「用意出来た?」
「ああ、行けるが。大丈夫なのか? 俺なんかと連絡とって、出掛けたりして」
美冬の言葉に渡辺は少し気まずそうに尋ねる。
「そもそもお父さんには言ってないから大丈夫。もう一人暮らししてるんだから、どうせ分かりやしない。それより行きたい所があるの。早く連れてって」
「やれやれ、俺は君のアッシーか」
嫌そうに言いながらも渡辺の表情はまんざらでもなく、頬は緩んでいた。
そのまま渡辺はドアに鍵を掛け、二人はマンションをあとにする。
秋も中頃になると、五時半にはもう外は夕暮れから夕闇へと変わりつつあった。
渡辺の運転する車は、なにやら地図をコピーした様な紙を見ながら指示する美冬の言葉通りに進んでいた。
「何処へ行く気だ?」
「内緒。もう少しで着くから」
そう言われると、渡辺はそれ以上聞けなかった。
「それより覚えてる? おじさんと最初会ったばかりの頃。お互いにまだ良く分らなくて、娘さんに会いに行く車の中。つっけんどんだったよね」
「そうだったか」
正面を向き、運転しながら渡辺は、美冬の話に無愛想に答えた。
「そう。あ、次の信号右に入って」
「え、こんな狭いトコ入るのか」
渡辺はハンドルを回しながらぼやいた。
「あとは少し道なりで。それでね、二日前、娘さん。遥さんに会って来た」
「なに!」
突然の話に渡辺は美冬の方を振り向き、思わず叫ぶ。
「おじさん! 前見て! 危ない!」
慌てて叫ぶ美冬の声に渡辺も直ぐに前を見る。
「何しに行った?」
前を見ながらも渡辺は尋ねる。
「そこ、左に入って。そう、で、直ぐまたそこを右に」
突然の美冬の説明に、話途中で渡辺はハンドルを切りざるをえなかった。
相変わらずの入り組んだ狭い路地が続く。
「猫、覚えてる? アパートで飼っているって言っていた」
「遥がか?」
美冬の話に渡辺は記憶を手繰り寄せた。
「そう、遥さんに話を聞いたの。お母さんは寂しいから猫を飼ってるんじゃないのかって。男友達はいるけれど、付き合っている人とかはいなくて、本当は今でも渡辺さんの事好きなんじゃないかって。だって、彼氏とかいたら、猫飼うかなあ。猫をアパートに置く事で、欠けた人数を合わせている様に思えたの」
「は、何かと思えば。猫ぐらい飼うさ。俺とは関係ない。俺は一度断られてる」
そう言いながら渡辺は、元妻に会った時の事と、娘に会った時の事を、交互に思い出していた。
「それは本当の気持ちのままに生きられないからでしょ。本当はこうしたい、あーしたいって思いがあっても、それを世間体とか常識とかがストップかけてるんじゃないのかなぁ。本当はヨリを戻したいのに、それを駄目だって、自分を戒めてる」
「まさか」
「あ、着いたよ」
狭い路地を抜け出た先は、元妻と娘の暮らすアパートの前だった。
「おじさんに気付かれないようにね。裏道を選んで来たの」
「何を企んでる」
渡辺は何となくは気付いてはいたものの、いざアパートを目にし、思わずそう尋ねた。
「遥さんは友達と映画を観に行っていていない。部屋には奥さんだけ。だからもう一度、ヨリを戻す努力をしてみて。遥さんと話し合ったの。お母さんが頷けば、本当は遥さんもまた三人で暮らしたいって。だから努力して。ちょっとやそっと断られたからって、諦めないで。土下座して、謝って、しつこく粘ってみて。きっと今でも好きな筈だから、自分から離婚切り出した人間が、甘えてヨリを戻しちゃいけないと、自分に厳しくなってるだけなんだから。みんな本心のままには生きられないんだよ。だから半ば強引に、居座るつもりで頑張って。遥さんは遅くまで帰って来ないから。諦めないで粘って」
「美冬ちゃん。君も」
「なに?」
渡辺の声に美冬は渡辺の方を向いた。
美冬は真剣な顔をしていた。
「いや、何でもない」
本当は、『君も本心のままには生きられなかったのか?』と、言うつもりだったのだが、その顔を見た瞬間渡辺は言うのを止めた。
「しかし美冬ちゃんの言う通りとは限らない。アイツが俺をそう思っているとは限らない」
渡辺はまだ渋っていた。
「遥さんから聞いた話。老後に向けてお金貯めなきゃって、最近はいつも言ってるそうよ。一人で生きて行く為に。それと、たまに猫に向かって、『お父さん』って、呟くんだって。こっそりと。だからもう行って。直ぐには頷かないかも知れないけれど。粘って」
「そうか…」
美冬の話を渡辺は暫く噛締めていた。
そして三分程が経った頃に、渡辺は重そうに車のドアを開けた。
「分ったよ。有難う。行ってみるよ」
渡辺は美冬に向かってそう言うと、立ち上がって車内からその足を外へと踏み出した。
つづく
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