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【陸王遼平】

お前がどこに逃げてもすぐ追いかけていくからな。

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 ワンワンワンワンニャーニャーニャーピヨピヨ。

 愛用の動物目覚ましが可愛い鳴き声を上げた。

「う……」
 寝ぼけ半分で目覚ましを止める。

「お早う、はづ……」

 これまた寝ぼけ半分で隣に居るはずの葉月を撫でようとして、掌が空を切った。
 葉月が居ない。

「葉月……!?」

 ベッドから飛び降りて部屋を出る。まさか、また、どこかに消えたんじゃ……!?

「葉月!」

 夕べとはまるきり逆に、俺がリビングに駆け込んだ。
 玄関ドアを開けようとする寸前で、横目に小柄な少年が映った。

 葉月は居た。

 ぶかぶかの俺の服を着たまま料理をしていた。
 驚く俺に、どうかした?と口を動かし小首を傾げた。

「よかった――――、また、あの家に帰っちまったかと思った……!!」

 ごん、と音がする勢いで葉月の頭頂部に額をぶつけグリグリ擦り付ける。
 葉月は俺をしがみ付かせたまま、スケッチブックにペンを走らせた。

『帰らないよ。遼平さんが出て行けって言ったらすぐ出て行くけど』

 ……。

 ペンを取り、すぐ下に返事を書く。

『じゃあ、一生一緒だな。良かった』

 葉月が俺の腕の中でソワソワしだした。

 耳まで赤くなって、俺の文章の下に『ありがとう(赤いハートマーク)』が書き足される。
 よっしゃ、ハートマーク二つ目頂きました!!

 けど……。
 びっくりするぐらい文字が小さいけどな。視力2.0ある俺でも立ってたら見えないぐらいだ。一粒が蟻程度だなこりゃ。ほんと葉月は無駄に器用だな。

「お前……、飯作ってくれたのか」

 テーブルの上に美味そうな朝食が並んでいた。

「病み上がりの上に無理させたってのに……。体きついだろ? 寝てて良かったんだぞ。って、おい、弁当まで作ってくれたのか!?」

 葉月が買ってくれた弁当箱がテーブルに乗っている。
 葉月が消えた日に、俺の私服と一緒にアパートの管理人に預けられていた品だ。

 こくこく頷き、よろけながらソファに歩いていった。昨日のが腰に来ているらしく、立つことは出来ても歩くとなるとふらついている。
 ソファに置いていた小冊子を手に戻ってきた。コンビニで取ってきた求人案内誌だった。

 開いていたページを懸命に指差す。

「なんだ? ……『ペコペコお弁当、店舗スタッフ募集中、経験者優遇』……?」

 また、葉月が頷く。
 ものすごくニコニコしてる。

 お弁当屋さんの求人があって嬉しかったんだろうなぁ。
 この求人を見つけた時の顔が目に浮かぶようだ。
 キラキラしてたんだろうなぁ……。


 ……無邪気に喜んでいる所、申し訳ないが……。



「働くのは禁止」



 きっぱり却下すると、葉月の頭の上にガーン!と大きな文字が浮かび上がった。

「せめて声が出るようになるまではここでゆっくり療養すること」

 葉月はしょんぼりとうなだれつつも、おとなしく頷いてくれた。
 こいつ自身、声が出ないんだから面接を通るのも難しいってわかってたのかもな。

「そうだ。葉月の首に鎖をつけておかないと」

 言うと、うなだれてた顔が喜色に輝いた。

 喜ぶんじゃねえよ全く。
 俺には大切な人を縛り付けるような極悪な性癖は無いんだぞ。

 充電していたスマホを葉月の手に握らせる。

「これがお前の鎖です。俺が電話したらすぐに出ろよ」

 きょとんと瞼を瞬かせる葉月に操作方法を教え、テレビ電話で通話する。葉月は感動して手元のスマホと目の前の俺を何度も見比べ、手を振ってきた。

 通話してる最中なのに、直接俺を見ながら振ってる。
 振るならスマホに向かって振ってくれよ。
 小さな子がやらかすような間違いに笑ってしまった。

「GPS機能もついてるから、お前がどこに逃げてもすぐ追いかけていくからな。覚悟しておけ」

 真剣に伝えると、葉月も真剣な顔で頷いた。

 携帯という名前の鎖を付け、ようやく、飯である。
 材料は昨日デパ地下で買ったのだが、さして高価な品は買ってない。それこそ、材料費千円以内だったというのに、俺の前には旅館の朝食さながらの豪華な飯が並んでいた。

「あれ、葉月、お前の分は? 一人分しかないなら俺は朝飯いらねえぞ。葉月が食え」

 テーブルに並んでる食事は一人分だった。俺の言葉に葉月は勢いよくぶんぶんと首を振り、レンジから巨大なボールを取り出した。
 昨日俺が作った爆弾握りだ。
 うきうきした様子でラップを剥いでいく。

「葉月はそれだけなのに、俺ばっかり豪華な朝飯を食っていいのか?」

 葉月が爆弾握りを片手にペンを走らせる。

『遼平さんが作ってくれたお握りはごちそうだよ! まだ、から揚げを発掘してないんだ。宝探しみたいですごく楽しい!!』

 宝探しかぁ。
 たたがおにぎりなのに、こんなに大事に食べてくれるなんて作ったかいがあったな。

 だが、結局、またも爆弾握りは残った。だいぶ減りはしたものの、それでも三分の一はある。
 残った分を俺が食うと取り上げようとしたのだが逃げられ、Hの口で抗議されたので諦めざるを得なかった。

『あとはお昼の楽しみにとっておくんだ』
「傷んでたら捨てろよ。腹を壊したら大変だからな」
『僕、お腹は丈夫だから平気だよ!』

「駄目だ。約束な」

 指きりで約束させる。

 葉月には三種類の薬が出されていた。
 内訳は錠剤が二つ、カプセルが一つだ。
 決死の表情でコップを手にし、薬を口に入れる。
 葉月は薬を飲むのがやたらとへたくそだった。

 喉につっかえてしまうようで、くっくっ、と肩を揺らしてる。
 水を何度も飲み懸命に呑みこみ終わると、飲んだよ!とでも言わんばかりに俺に笑顔を向けた

「よし、良く飲めたな。お利口さんだ」
 頭を撫でまわして健闘を讃える。

 出勤の準備をし、ネクタイが曲がってないか鏡の前で確認を済ませ、玄関に立つ。
 片手に『行ってらっしゃい』と書かれたスケッチブック、もう片手にぴょん太を抱いて葉月が見送ってくれる。

「遅くとも六時までには帰ってくる。昼飯はデリバリーを手配してるからベッドで休んでおくんだぞ。晩飯も何か買って帰ってくる。今日は一日、家事禁止な」

 再び葉月がショックを受けた顔で顔色を青ざめさせた。
 今度はガーンだけじゃなく、ガーンガーンガーンとエコー付きだ。
 家事……するつもりだったのか……昨日まで入院してたってのに……。

 白魚のような指が俺の袖を掴んだ。
 ぱくぱくと口を動かして何かを必死に訴えてくる。

 ぴょん太を靴箱の上に乗せ、乱れた字でスケッチブックに書き殴った。
『ぼくはりょうへいさんのお弁当屋さんじゃなかったの?』
「今日は休業な。お弁当屋さんだって具合悪い時はお休みしないと」
『じゃあ、ぼくは何をすればいい?』

「何もしなくていいって。休むことがお前のお仕事だ」

 葉月の瞳の焦点がぶれた。

 ペンは動かないのに唇が小さく動いている。

 ――うえあいる……?

 ひょっとして――捨てられる――か!?
 昨日の『捨てないで』より深刻になってるじゃねーか!

 内心で動揺しながらも、俺の頭は一気にクリアになった。

 前にも考えたことがある。例え百万回以上、「大事だ、家族だ」と葉月に伝えようとも、他人から「陸王遼平はお前を愛していない」そう言われれば葉月は簡単に信じてしまう、と。
 葉月を縛り付けておくには言葉だけでは駄目なんだ。
 優しさだけでは救えない。
 葉月は昨日、俺に体を投げてよこした。

 それに、食いつこう。

「葉月」

 掌を立てて耳元にこっそりと囁く。

「元気になったら、セックスは週三でお願いします」

(びゃ)

 白くなっていた葉月の頬に血色が戻り、無理な方の鳴き声を上げた。

『しゅう3?』
「はい。週三回」

『遼平さん、夜中に帰ってくることもあったよね。なのに週3?』

 よし、スケッチブックの文字に漢字が戻ってるな。落ち着いたか。

「はい。週三回です」

『遼平さんが過労死する……!!!』
「しないしない。逆にすっげー元気になるから頼んだぞ。なんなら週4でも俺は嬉しいです」

 葉月がすっげーショックな顔してる。
 安易に体を与えたことをじっくり反省しろ……と内心ほくそ笑むが、週四回ってそんなに変か?
 俺が葉月と同じ年頃の時はもっとサカってた記憶があるけどなあ。それこそ週十二ぐらい。

「行ってきます」

 ちゅ、と音を立て葉月にキスをして手を振りながら玄関を出る。
 葉月はこわばった表情ながらも、俺を見送ってくれた。

 こりゃ、こまめに電話したほうが良さそうだな。
 自己卑下と自己否定と自己嫌悪が行動原理の葉月との戦いはまだまだこれからだ。
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