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<水無瀬葉月>

「お前が持ってた写真の男は誰だよ」

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 気が付くと、僕は、キッチンの椅子に座ってた。


 ……!?

 今、何時!?
 ご飯作らなきゃ、みんなが帰ってきてしまう!


 立とうとして足がふらついた。
 ひどい眩暈がしてシンクに手をついたまま床にしゃがみ込む。

 時計を見上げる。

 午前六時……!?

 早く朝ごはんを作らないと。

 眠くない。
 今日はホームパーティーがある。

 昨日、晩御飯はちゃんと作ったっけ……?

 うん、作った。
 ステーキとポタージュスープ、ライスサラダ。

 見た目を、華やかに、綺麗に、お母さんが「これなら明日のパーティーの料理も作らせていいわね」って褒めてくれた。
 ちがう。褒め言葉じゃない。昔は褒め言葉だって勘違いして嬉しかった。もう喜べない。

 兄さんがステーキをぐちゃぐちゃと食べながらずっと僕を睨んでいた。

 写真を見つけたのは兄さんだったのかも。



 朝ごはん、作らないと。
 立ち上がると眩暈がした。

 ひどくよろけて、自分が幽霊みたいで怖くなった。


 朝ごはんを作った。

 ソファに座ったお父さんの足に靴下を履かせた。


 お父さんと弟が出ていく。

 パーティーの準備、パーティーの準備。

 しばらくして起きてきたお母さんが、「今日は何の服を着ようかしら。あぁ、忙しくなるわ」と呟きながらソファーに座ってテレビを付ける。

 すぐにソファから立ち上がって、鬼のような形相で僕の首の後ろを掴んだ。
「あんた、まだ、テリーヌのレシピを書いてないじゃない! さっさとしなさいよ! ほら、早く!」
 ガンと、テーブルに押し付けられる。

 ごめんなさい。すぐ、やります。

 お母さんが横で見ている。字が震える。書いた字が紙の上で楽しそうに踊りだした。幻覚? それとも、この紙は普通の紙じゃなく液晶版で、書いた文字が躍る仕組みになってるのかな?

 料理は豪華で綺麗で可愛い盛り合わせを。

 今日来るお客様はお母さんのお友達だ。

 ローストビーフでサラダを巻いてる真っ最中に電話が鳴った。

 電話はリビングにある。リビングではお母さんが寝そべってテレビを見てる。一瞬、取ってくれるかなって期待しちゃったけど、そんなはずない。なんでこんな期待したんだろ? あ、そっか、遼平さんだったらきっと取ってくれてたからだ。

 軽く手を洗いキッチンを出て、廊下を走って、リビングにある電話に出た。

『いますぐチョコレートとコーラ持ってこい』

 電話は兄さんからだった。
 キッチンにいると二階の声が届かない。だからこうして電話を掛けるのが当たり前になっていた。
 答えるより早く電話が切れる。

 お皿にチョコレートを並べ、グラスに注いだコーラと一緒に二階に持っていく。

 兄さんはベッドに横になっていた。
 ベッドサイドにテーブルにはいろんな種類のカップラーメンの容器が重ねてある。
 倒さないように横に避けてお盆を乗せる。

 すぐに部屋を出ようとしたのだけど、「待て」と呼び止められた。

「お前が持ってた写真の男は誰だよ」

 写真の男。強面スーツさん。僕の大好きな人。
 顔を思い出そうとするとひどく頭が痛んだ。

「……同居人でした」

「いつ知り合った」

「アルバイトを初めて、すぐに」

 兄さんが立ち上がる。二重になった顎が揺れた。

「ここ出てすぐに男を捕まえたってことか。ビッチのガキはやっぱビッチってか」

 ビッチ? どういう意味? 男を捕まえる?

「う……!?」

 膨らんだ指が僕の髪の毛を鷲掴みにした。痛い、何!?

「したのか」

 した? 何を? 痛い。

「セックスしたのかって聞いてんだ」
 その部分だけ声を潜めた。下にはお母さんがいる。聞こえるのを恐れたんだろう。

「な。ぅ」

 僕はパニックに陥って咄嗟に否定もできなかった。
 そんな質問をされるだなんて夢にも思ってなかった。

「したのかよ!」

 ドン、と、お腹に重い衝撃が走った。
 殴られた。

 痛い、怖い、怖い、こわい、

 ひ、ぐ、

 息が詰まる。遼平さんの虐待の話が頭に浮かんだ。
 遼平さんの言葉通り僕の家族は変だったのかな?
 僕は虐待されてたのかな?

 ……どうでもいいか。

 僕は、今、18歳だ。

 親が居ないと生きられない小さな子たちとは違う。

 逃げようと思えば逃げられる。
 実際、逃げ出して、ホコホコ弁当で働いてお給料をもらって生活していた。

 逃げる場所すらない可哀想なちっちゃな子たちとは違う。

 僕が逃げ出さない理由はただ一つだけ。

 遼平さんに僕が汚いと知られたくないからだ。

 僕が逃げれば、お父さんとお母さんは僕が汚いと言いふらす。

 初めて出来た家族――遼平さんに汚いって言われる。


 それだけは嫌だ。


 知られたくない。そのためならなんでもできる。






 これは、利害の一致だ。





 


 本当は、告白された時に、僕は汚いんだって、自分の口から言わなきゃならなかったのに。





 僕は卑劣な人間だ。






 続けざまに振りかぶった手で頬を打たれた。痛い。耳がキーンと鳴った。





「葉月!! 早く準備しなさい!!!」




 お母さんの怒鳴り声でぼんやりしてた意識が戻った、


 下に戻ってパーティーの準備しなきゃ。

「うっせーんだよクソババァ。料理できもしないくせデパ地下で肉だの魚だの買ってきやがって全部腐らせてるくせによ。んな金があるなら俺に等身大レナちゃんのフィギュア買えっつってんだろうが。それさえあれば勉強できるってのに」

 兄さんが早口でブツブツ言い出した。フィギュアって人形のことだよね?
 この部屋には百体以上ある。
 実物の人間の大きさのも、床に横たわってゴミに埋もれてた。あの子たちはいらない子たちなのかな。レナちゃんを買っても、時間が経てばいらない子になっていくのかな。

 まるで僕みたいだ。
 人形が可哀想だ。

「葉月!!!」

 駄目だ、考えてる暇はない。料理を作らなきゃ。


 さまざまなパーティー料理に取り掛かる。

 ダイニングのテーブルに料理を並べていく。レイアウトもこだわって怒られないように。
 ピカピカのリビング。豪華な料理。

 そういえば、僕、昨日もご飯食べてない。

 お腹減らない。


 チャイムが鳴った。
 一人目のお客さんが来たんだ。
 お母さんがチッっと舌打ちした。

「まだ十五分も前だっていうのに……。葉月、判ってるでしょうね、絶対にキッチンから出るんじゃないよ」

 はい。わかっています。料理をしているのはお母さん。
 レイアウトも、盛り付けも、全部お母さんがしたこと。
 水無瀬葉月は居ない。

 ぺこりと頭を下げてキッチンへと戻った。

「わー素敵なお家ねぇ……! お庭も素晴らしかったわ」
「料理もおしゃれ! すごいわねえ、私じゃとても無理よ……!」
「どうしてここ一か月間もパーティーを開いてくださらなかったの? 寂しかったじゃない」

 賑やかな声がリビングから聞こえてくる。
 何回か来た人もいれば初めて来る人もいるみたいだ。

「忙しかったのよ。ほら、息子が三人もいるからこの時期はどうしてもね。さぁ、それより、どんどん食べて。今日はダイエットなんて言葉も忘れて頂戴」

 メインのブイヤベースが出来上がる。
 お母さんがそれを持って行って、ようやくほっと一息ついた。
 後はデザートだけだ。

 フルーツと包丁を手にまな板の前に立つ。

 ドアが開いた。
 お母さんかな? 食べ物は全部持って行ったのにどうしてキッチンに? まさか、美味しくない料理があったのかな……!?
 顔を上げないまま体を硬直させた。

「あら、あなた……やっぱりねー」

 ドアを開けたのはお母さんじゃなかった。
 女の人が二人、クスクスと笑いあってる……!

「おかしいと思ったのよー」
「水無瀬さんが料理なんてねぇ」

 僕が料理してるのを見られてしまった。
 どうしてここに入って来たの!?
 怒られる。ざぁっと全身から血の気が引いた。
 心臓がドクドクと早くなる。痛い。痛い。

「ちょっと、あなた、その頬どうしたの? 顔も真っ青じゃない」
「何をしてるの!!? キッチンを覗かないで!!」

 お母さんの金切声が響き二人はビクリと体を揺らした。
「ご、ごめんなさい。どんなキッチンなのか気になっただけでぇ~」
「ふざけるんじゃないわよ、あんた達、人のプライバシーをなんだと思ってるの!!」
「そう怒らないでもいいじゃない」

「さっさとこの家から出て行きなさい!! 訴えてやるから覚悟しておきなさい!! この……親に恥をかかせて……!!」

 お母さんが僕の胸ぐらを掴んで前後に振った。首が痛い。怖い。
 幻覚の口まで僕の周りを回って叫び散らし始める。


 パーティーはめちゃくちゃになった。


 お母さんが叫び散らしてお客様を追い出し、テーブルの上に並べてた料理を全部叩き落としてしまった。
 サラダも、前菜も、メイン料理もワインも、ぐちゃぐちゃになって床を汚してる。グラスやお皿が割れてる。

 お母さんはおじいさんに電話をした。

 恥をかかされたって。
 訴えたいって。
 おじいさんも、お母さんのお兄さんも、弁護士だ。

 80歳近いおじいさんは引退してるけど、お母さんのお兄さん――僕のおじさんは大きな法律事務所を持っている。お父さんもそこで働いていた。

 おじいさんはお母さんをなだめているのに、お母さんの大声は止まらない。
 すぐに、お父さんが帰ってきた。

 お父さんも悪いのは全部僕だとテーブルを叩きながら怒鳴った。

 僕は、ただ、ひたすら、謝罪を繰り返した。食べ物がぐしゃぐしゃに散乱した床に土下座して、二人に許してもらえるまで謝り続け、大声に震えることしかできなかった。
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