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<水無瀬葉月>
僕の宝物
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この日は、みんなが寝静まったリビングで、めちゃくちゃになった服の手入れとアイロンがけ、お父さんの靴磨きをした。
――――――――――――――――――――
ほったらかしになって汚れが染みついてしまった靴下や洋服の手洗いも。
布団に入るのは、午前四時。
ただ今、遼平さん!
心の中で挨拶しながら布団に飛び込む。
昨日より香りが薄くなっていた。
もうすぐ消えてなくなっちゃう。
なるべく長く残しておきたいな。
三十分で起きよう。
僕の匂いが付かないようにしなきゃ。
遼平さん、怒ってるだろうなあ。
なるべく早く僕のことを忘れて貰えるといいな……。
「遼平さん」
ぽつりと、声に出して名前を呼ぶ。
大きな手、大きな背中、優しい笑顔――――。
なぜか、全てが断片的で、甘い靄でも掴むみたいな不確かな記憶でしか思い出せなかった。
――――幸せな夢を見てたのかもしれない。
色んな場所に行って一杯思い出を貰ったけど、遼平さんが実在してなかったって言われても驚かないよ。
重たい体を布団から引きはがして起き上がり、部屋の隅に置いてたダンボールを上げる。
そこには、写真が隠してあった。
ジェットコースターの前で撮影した、遼平さんと僕が並んで写ってる写真だ。
お母さんや弟、兄に見つかって問いただされるのが怖いから、ダンボールの中じゃなく、ダンボールの下に隠していた。
大切な大切なたった一つの宝物だ。
僕を引き寄せて笑う遼平さんの笑顔。
見るだけで、頬が熱くなる。
大好きな大好きな大切な遼平さん。
せっかく家族にしてくれたのに、僕みたいな人間に好きって言ってくれたのに、挨拶もせずに消えてごめんなさい。
『葉月が好きだ。大事にする』耳元に遼平さんの声が聞こえた気がした。
心がぎゅって痛くなった。そして、凄く、暖かくなった。自然と顔が綻ぶ。
遼平さんと一緒に過ごした時間は本当に幸せだった。
本当に。
この写真は僕の命より大切な宝物だ。
布団の匂いが消えるのが怖くて、結局、眠ることは無く掃除に取り掛かった。
カーテンレールの上、天井、見落としが無いように徹底的にチェックする。
外の玄関チャイムの上に埃が溜まってないかのチェックも忘れずに。
やがて外が白々と明けていく。
いつも通りに朝ごはんを作り、起きてきた弟とお父さんが食事をして家を出ていく。
「葉月ィ! 来い!」
「はい、」
午前八時。いつもより随分早い時間に、空音(くおん)兄さんに呼ばれ、慌てて階段を駆け上がった。兄は大学二年生。
一年生の半ば頃から学校に通わず、ずっと家に籠っていた。
「な、に?」
兄の部屋はまだ掃除してない。
さっさと片づけろって怒られるのかな……?
兄はベッドに腰を下ろしてた。
ベッドの壁際には山のように漫画本が積まれている。女の人の裸が描かれた表紙の本がいくつもあって、慌てて視線を逸らした。
兄さんはとても大きい人だ。といっても遼平さんのように身長が高いわけじゃない。体重が大きいんだ。
身長は僕と十センチ程度しか変わらないけど体重は二倍以上あるだろう。多分遼平さんよりずっと重い。
パンパンに膨らんだお腹のせいで足の爪が切れないので手入れをするのはいつも僕の役目だった。
家族の誰とも似てない僕とは違い、お父さんとお母さん両方によく似た顔立ちをしてるのが小学校の頃からずっと羨ましかった。
「何……?」
「服、脱げ」
え? 服?
「ぅ、ど、どうしてです、か……?」
ホコホコ弁当で毎日お客さんと話をするようになって、人との話になれてきたような気がしてたのに、家族と話すと駄目だ。
言葉が躓く。
「いいから、さっさとしろよ!」
ばん、と、漫画本が足元に叩きつけられた。
お父さんと同じ行動のはずなのに、根性なしの僕は一々指先が震える。
男同士だし、兄弟だ。恥ずかしくは無い。
ただ……なんだか気持ちが悪い。
断る勇気はなくて、震える指先でボタンを外した。
一つ、二つ、と一番上から。
兄さんはじっと僕を見ていた。
最後の一つまで外し、服を脱ごうと胸の合わせを開いたけど――やっぱり気持ちが悪くてこれ以上は脱げなかった。
肩から襟がずり落ちる程度、脱ごうか脱ぐまいかという中途半端な恰好で硬直して俯いた。
兄はさらけ出された僕の胸やお腹をじっと凝視した。
そして、無言のまま立ち上がる。
壁のような威圧感を感じて、僕は思わず一歩下った。
太い指が僕の胸に伸びてくる。
――――!
「葉月、さっさと片付けなさい!!」
お母さんの声が階下から響いた。
「は、はい!」
慌ててボタンを付けて、兄さんの部屋を飛び出した。
全身が冷える。暑くも無いのに冷や汗が止まらなかった。
――――――――――――――――――――
ほったらかしになって汚れが染みついてしまった靴下や洋服の手洗いも。
布団に入るのは、午前四時。
ただ今、遼平さん!
心の中で挨拶しながら布団に飛び込む。
昨日より香りが薄くなっていた。
もうすぐ消えてなくなっちゃう。
なるべく長く残しておきたいな。
三十分で起きよう。
僕の匂いが付かないようにしなきゃ。
遼平さん、怒ってるだろうなあ。
なるべく早く僕のことを忘れて貰えるといいな……。
「遼平さん」
ぽつりと、声に出して名前を呼ぶ。
大きな手、大きな背中、優しい笑顔――――。
なぜか、全てが断片的で、甘い靄でも掴むみたいな不確かな記憶でしか思い出せなかった。
――――幸せな夢を見てたのかもしれない。
色んな場所に行って一杯思い出を貰ったけど、遼平さんが実在してなかったって言われても驚かないよ。
重たい体を布団から引きはがして起き上がり、部屋の隅に置いてたダンボールを上げる。
そこには、写真が隠してあった。
ジェットコースターの前で撮影した、遼平さんと僕が並んで写ってる写真だ。
お母さんや弟、兄に見つかって問いただされるのが怖いから、ダンボールの中じゃなく、ダンボールの下に隠していた。
大切な大切なたった一つの宝物だ。
僕を引き寄せて笑う遼平さんの笑顔。
見るだけで、頬が熱くなる。
大好きな大好きな大切な遼平さん。
せっかく家族にしてくれたのに、僕みたいな人間に好きって言ってくれたのに、挨拶もせずに消えてごめんなさい。
『葉月が好きだ。大事にする』耳元に遼平さんの声が聞こえた気がした。
心がぎゅって痛くなった。そして、凄く、暖かくなった。自然と顔が綻ぶ。
遼平さんと一緒に過ごした時間は本当に幸せだった。
本当に。
この写真は僕の命より大切な宝物だ。
布団の匂いが消えるのが怖くて、結局、眠ることは無く掃除に取り掛かった。
カーテンレールの上、天井、見落としが無いように徹底的にチェックする。
外の玄関チャイムの上に埃が溜まってないかのチェックも忘れずに。
やがて外が白々と明けていく。
いつも通りに朝ごはんを作り、起きてきた弟とお父さんが食事をして家を出ていく。
「葉月ィ! 来い!」
「はい、」
午前八時。いつもより随分早い時間に、空音(くおん)兄さんに呼ばれ、慌てて階段を駆け上がった。兄は大学二年生。
一年生の半ば頃から学校に通わず、ずっと家に籠っていた。
「な、に?」
兄の部屋はまだ掃除してない。
さっさと片づけろって怒られるのかな……?
兄はベッドに腰を下ろしてた。
ベッドの壁際には山のように漫画本が積まれている。女の人の裸が描かれた表紙の本がいくつもあって、慌てて視線を逸らした。
兄さんはとても大きい人だ。といっても遼平さんのように身長が高いわけじゃない。体重が大きいんだ。
身長は僕と十センチ程度しか変わらないけど体重は二倍以上あるだろう。多分遼平さんよりずっと重い。
パンパンに膨らんだお腹のせいで足の爪が切れないので手入れをするのはいつも僕の役目だった。
家族の誰とも似てない僕とは違い、お父さんとお母さん両方によく似た顔立ちをしてるのが小学校の頃からずっと羨ましかった。
「何……?」
「服、脱げ」
え? 服?
「ぅ、ど、どうしてです、か……?」
ホコホコ弁当で毎日お客さんと話をするようになって、人との話になれてきたような気がしてたのに、家族と話すと駄目だ。
言葉が躓く。
「いいから、さっさとしろよ!」
ばん、と、漫画本が足元に叩きつけられた。
お父さんと同じ行動のはずなのに、根性なしの僕は一々指先が震える。
男同士だし、兄弟だ。恥ずかしくは無い。
ただ……なんだか気持ちが悪い。
断る勇気はなくて、震える指先でボタンを外した。
一つ、二つ、と一番上から。
兄さんはじっと僕を見ていた。
最後の一つまで外し、服を脱ごうと胸の合わせを開いたけど――やっぱり気持ちが悪くてこれ以上は脱げなかった。
肩から襟がずり落ちる程度、脱ごうか脱ぐまいかという中途半端な恰好で硬直して俯いた。
兄はさらけ出された僕の胸やお腹をじっと凝視した。
そして、無言のまま立ち上がる。
壁のような威圧感を感じて、僕は思わず一歩下った。
太い指が僕の胸に伸びてくる。
――――!
「葉月、さっさと片付けなさい!!」
お母さんの声が階下から響いた。
「は、はい!」
慌ててボタンを付けて、兄さんの部屋を飛び出した。
全身が冷える。暑くも無いのに冷や汗が止まらなかった。
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