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<水無瀬葉月>

思い出させてくれてありがとうぴょん太

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「それにしても今日は意外と人が多いな」

 ひと。
 人? うん、確かに多い。
 家族連れだけじゃなくて恋人同士でいる人も、キャンパスを立てて絵を書いてる人もいる。

 突然強い突風が吹いて高く上がってた水柱が横殴りになった。
 霧雨のように水滴が飛び散り、巨大な虹ができる。

「遼平さん、あれ、あれ!」
「おー、でっけーな」

 僕たちの隣には家族連れが居た。三歳か四歳ぐらいの女の子とお母さんとお父さんだ。

「にじー!」
 女の子は虹に誘われるみたいに駆け出す。

 あ、危ない!
 ただでさえ子供の体格は不安定だ。走り出すと同時にバランスを崩して噴水側に転んでしまった。バシャーンと大きな水音が上がり、僕まで咄嗟に目を瞑ってしまった。

「うぅ……」
 濡れたショックか痛みにか、女の子が顔を歪める。
 大変だ。怪我をしてなきゃいいけど――

「だから噴水の傍を歩くなと言っただろうが!!!」

 女の子のお父さんがいきなり大声で怒鳴った。


 ひゅ。


 喉が鳴った。

「このバカが!! その恰好でどうやって帰るつもりだ!!!」

 大声がガンガン頭に響く。ひどい眩暈に景色が歪む。
 怖い、怖い、怖い。
 足元に巨大な穴が開いた錯覚がする。足が震える。

「はっ」
 息が出来ない。

「葉月!?」

 体が浮く。遼平さんが近くなる。空が広がる。
 あ、抱きあげてくれたのか。

 遼平さんはすぐにその場から走り出して、噴水から遠く離れたベンチに僕を抱いたまま座った。

「大丈夫か、葉月」

 ぎゅうぎゅうに抱きしめ背中を撫でてくれる。

 大きな体に包みこまれ遼平さんの匂いを嗅ぐと、怖かったのが嘘みたいに気持ちが楽になった。

 変な感じになってた呼吸も自然と落ち着く。

「ごめん……人の怒鳴り声が苦手で……うぅ……まだ心臓が痛い……ほんと臆病でごめんなさい……」

「それは臆病って言わないだろ。人が怒鳴ってるのを見るのは俺も嫌だぞ。さっきも素でびっくりしちまったしな……。あんな小さな子相手にまさかいきなり怒鳴りつけるとは想像の範疇を超えた。あのオヤジ、40歳越えてそうだったのにありゃないわ……」

 撫でていた手がトン、トン、とあやす動きになる。

 もし、僕の血が汚れてるってばれたら、遼平さんもあんな風に怒るんだろうな。

 『お前の血はこんなに汚れていたのか! お前は汚い、どうして俺を騙した――――!!』

 遼平さんが怒鳴るのを想像して一気に体温が下がった。
 は、と、また、呼吸が短く途切れる。
 怖い。
 心臓が喉の奥までせり上がったってぐらい強く鳴り響き、寒くも無いのに歯の根がガチガチと震えた。

 想像だけでも苦しい。先にお願いしておかないと。

 歯を食いしばって顎に力を入れ、お腹に力を入れる。

「その、」

 絞り出した声が震えた。

「り――遼平さんが、僕を怒りたくなったら、人が居ない場所でお願いします。さっきのは、まだ、マシな方で、怒鳴られたら、もっともっと、挙動不審になるから、」

 さっきは距離があった分ショックも少なかったのに、それでも足が竦んだ。

 ホコホコ弁当の奥さんの怒鳴り声でも駄目だ。

 大好きな遼平さんに大声で怒鳴られたら倒れ込んでしまうかも知れない。人前でそんなことしたら益々迷惑を掛けてしまう。

「泣いたり、するし、息もあんまりできなくて立ってることもできなくて、その、人に笑われるぐらい変になるから、」

 情けないことに僕は、怒られるだけじゃなく「わー!」って怒鳴られるのさえ怖い根性無しだ。

 兄と弟に面白半分に何度も怒鳴られて、体が震えるのを笑われた。幼い頃から何度もやられたのに何度やられても慣れなかった。本当に自分が情けなくて嫌になる。


「怒鳴らないよ」


 トントンと僕の背中を叩きながら呟くように答えてくれた。
 僕をすっぽり抱きしめたまま、視線は空に向けながら。

「俺みたいなでかいのが葉月みたいな小さい子を怒鳴ったりできるわけないだろ? 心臓麻痺を起したらどうするんだ。それに、こう見えても昔から怒鳴ったことはないんだよ。俺みたいなのが怒鳴ったら、相手だけじゃなく周りの人間まで怖がらせるから。怒るより先に話し合いをしたい。だから葉月も怒鳴らないでくれよ? 腹が立ったらまずは話し合いをしような」

 後半は冗談みたいに言って笑う。

「――――」

 そっと遼平さんの肩から胸を撫でる。
 服の上からでも硬い筋肉が分かった。

 この人は僕を軽く抱き上げる。
 その上、抱き上げたまま走れるぐらいに強い。

 こんなに力のある人なら、百の言葉で話し合うよりも一言の恫喝がよっぽど簡単だろう。

 僕みたいな非力な人間が相手ならなおさらだ。

 なのに、怒鳴るよりも話し合いをしたいなんて。

 すごいなぁ。
 世の中にはこんなに優しい人もいるんだ……。

 遼平さんが優しいのは知ってたはずなのに感動してしまった




 全身真っ黒の僕から遼平さんの体に黒いのが移っていく。

 遼平さんが汚れる。離れなきゃ。
 膝から降り、体に触らないように距離を開けて座る。



 真っ黒の僕がベンチの上に座り込む。



 遼平さんと知り合って、一か月とちょっと。


 こんな早い時期で、遼平さんから離れる決意が出来てよかった。
 僕は道具なのだと気が付いてよかった。


 こんな人の傍に居たら、絶対に感覚が麻痺してしまう。

 甘やかされるのが当たり前になる前に、奥さんの言葉を思い出せてよかったよ。

 思い出させてくれてありがとうぴょん太。
 違った、あれはぴょん太じゃなかった。幻覚のぴょん太だ。
 ううん、それも違うか。僕はぴょん太を通じて自分自身と会話してたから。

 毎日が一杯一杯で頭のまわらない僕の変わりに、ちゃんと冷静に周りを見てくれていた、僕の中のもう一人の僕、ありがとう。

「キャッチボールはやめて海に行こうか」
「ん……!」

 噴水に戻ることはなくそのまま駐車場に向かう。
 ずぶ濡れになった女の子、無事かなあ。風邪を引かなきゃいいけど。





 あの子は、僕みたいにならなければいいな……。



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