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【陸王遼平】

葉月がスゲー美人だった!

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 危なかった。
 襲うところだった。

 帰りたくない。
 もう少し話をしていたい。
 コンビニから買ってきた菓子を一緒に食いたい。

 むしろ泊まって行きたい。それが駄目なら俺の部屋に泊まりに来て欲しい。

 そんな欲求が次から次に沸いて出たけど、
 一生懸命に我慢して、葉月のアパートを後にしました。

 よく我慢した、俺。
 よく耐えた、俺。

 葉月のアパートに戻りたい衝動をおさえながら、人通りの少なくなった暗い道を大股に進む。

 時間は二十二時。
 住宅地の道路にはすれ違う人の姿すらなかった。

 さっきは本当にやばかった。

 プリンに泣いた葉月の顔を撫でた時、余りの近さに緊張したのか、葉月が瞼を閉じた。

 ふるふると震える長い睫、
 誘うようにうっすらと開いた唇、
 目尻には電灯の光に煌く涙が残っていて――――。

 本能のままにキスをしそうになってしまった。

 キスだけじゃない。

 葉月は体に触るだけで過剰反応するぐらい人馴れしていない子どもだっていうのに、何もかもすっ飛ばしてセックスに持ち込むところだった。

 やばかった。俺があと五歳若かったら襲ってた。
 ほんと良く耐えたよ俺!

 けど、もう、色々と反則だろ。

 漠然と想像していただけに過ぎなかったが、葉月の素顔は、目が小さくて地味で、集団に埋没するようなどこにでもいる少年だと考えていた。

 あんなに美人だなんて想像だにしなかったぞ。

 密度の濃い睫に覆われた瞼、切れ長の目尻に、潤んで艶めく黒目がちの瞳。
 前髪と眼鏡ばかりに目が行ってたが、改めて見てみれば、鼻もつんと鼻筋が通り、ピンク色の艶めいた唇も、何かをねじこんでやりたくなるぐらい官能的だった。

 駄目だ! 考えるな!

 ポケットからスマホを取り出す。
 画面を砕く勢いでアイコンをタップして電話を掛ける。

 相手は静だ。

『どしたー?』
「葉月がスゲー美人だった!」
『あそう。よかったねーおめっとーさん』
「返事にやる気が無さすぎるだろ。マジで見たことがないぐらい美人だったんだぞ」
『だってお前って、惚れた相手に対して盲目になるじゃん。大学の時だって、『すっげー美人を彼女にした!!』ってはしゃいでたくせに、連れてきた女がジャミラだったし』
「俺の元カノに暴言吐くんじゃねーよ」
『浮気されて捨てられた癖にお優しいことでっと。今度はどんな怪獣? バルタン星人? ケムール人?』
「人類の形してねーだろそれ!」
『今「雪夜」で呑んでるからお前も来いよ。話を聞いてやるからさ』

「おう」

 大通りに出てタクシーを捕まえ繁華街へと向かってもらう。
 雪夜とは行きつけのバーだ。

 カウンター席しかないこじんまりとした店だが、マスターが気さくなオッサンなので大学時代からの行きつけにしていた。

 店内はそれなりに盛況で、席は半分以上埋まっていた。といえども、十席程度しかないのだが。
 マスターに挨拶しつつ静の隣の席に座る。

「で? 笑顔の可愛い子猫君にご飯をご馳走してもらいに行ったんだったよな。味はどうだった?」

「美味すぎてびびった。カレーの肉はとろとろ、エビフライはサクサク、茶碗蒸しがこれまた美味くてさ。味噌汁も安心する味なんだよ。あんな美味い飯生まれて初めて食ったかも」

「そりゃ良かったな。昨日貫徹してまで仕事上げたかいがあったじゃん」

「そのせいで居眠りしちまったけどな。くそ」

 しかも半分寝ぼけてたせいで葉月を毛布に引っ張りこんでしまった。
 ――『ゃぁ……!?』
 暗闇で聞いた葉月の濡れた声が耳の奥に蘇ってきた。
 やべえ。興奮しそうだ。

 酒を煽って熱をごまかす。

「あれ? そういや、弁当屋のバイトって男だっつってなかったか?」

 静が眉根を寄せた。

「今更かよ」
「マジで!? ちょ、とうとうそっちに転んだか! 昔から女運悪かったっつっても吹っ切れすぎだろ」

「吹っ切ってねえ。葉月だけが特別なんだよ。ほんと可愛いんだぞ。ちょっと触っただけでびっくりして固まってテンパって真っ赤になんの。今まで女運が悪かったのは葉月に会うためのフラグだったに違いない」

「前向きにも程があるな。元カノジャミラには浮気されて、その前のピグモンには『アタシィ。やっぱ顔の恐い人は無理っていうかぁ』って振られた癖によ」

「だから俺の元カノ達を悪く言うんじゃねーつってんだろが。浮気はともかく、顔が恐いって言うのは実際恐いんだからしょうがねーだろ。物心付いた時から何百回職質されたか覚えてもねえ」

 この顔がもう少しマシだったら人生楽だったろうに。もしくは身長が百七十で止まってくれれば……!
 ついつい、ウィスキーの入ったクリスタルグラスをギリギリと握り締めてしまう。
 マスターに苦笑で「そのグラス高いから割ったら弁償だからねー」と注意された。

「死ぬ気で葉月を落とすから何かあったら協力してくれ。あんないい子を逃したら一生後悔することになるからさ」

「大げさだねぇ」

「大げさじゃねーよ! エプロンしてキッチンに立つ後ろ姿なんか、めちゃくちゃ色っぽかったんだぞ。思わず抱き締めたらすっぽりサイズどころじゃない細さでさ。ちゃんと飯食ってんのかな、とか、こんな細いのに根性悪い女将さんのイビリに耐えてんのかって思ったらもう可愛くて可哀相でどうしょうもなくてさ」

「どんだけだよ……。協力ぐらいはしてやってもいいけど、溺れすぎんなよ。いい歳した男がみっともねえって呆れられっぞ」
「う」

 やべぇ。確かに浮かれすぎだな。少しは自重しないと。
 けど、あんな良い子を逃したら次は無いんじゃないかってのは心の底からの本音だ。


「なぁ、十八歳になるまでプリンを食べたことがない家庭環境って、どんなだと思う?」

「どうって……、虐待を疑うかな。それか恐ろしく貧乏だったか。子どもの頃に一回もファミレスに連れて行ってもらったことが無いってダチがいるよ。母子家庭で貧乏だったからって」

 虐待……か……。
 葉月は触られることに緊張はするものの、怯えはしない。

 性格に鬱屈したところも無い。同世代の少年と比べると素直すぎるぐらいだ。

「葉月ちゃんの家庭が複雑そうなのか? あまり口出ししようとすんなよ。お前はたまにおせっかいが過ぎるからな。相手によっちゃ逃げられるぞ。家庭問題なんて一番デリケートな部分なんだ。相手から話してくれるのを待たねぇと。ガキならともかく、十八なんだろ?」

「判ってるよ……」

 バーで軽く呑んで、解散する。
 静は女と次の店に消え、俺はそのまま帰宅した。


 翌日は、葉月に伝えたとおり、朝から弁当を買いに行くことはできなかった。

 十三時になんとか時間が開いたので弁当屋まで車を走らせる。

 コインパーキングに駐車して、『ホコホコ弁当』へと向かう。

 カウンターには眼鏡を掛けたいつもの葉月が居た。

 綺麗な顔をしているのにメガネと前髪で隠すなんて勿体無いな。
 けど、あいつが素顔を晒したらライバルが増えるから、俺としてはそのままの姿で居てくれたほうがありがたい。

 葉月の素顔は俺だけが知ってる――。それで充分だ。


 葉月は接客中だった。
 カウンターの前に立っていたのは、見るからにパチンコ帰りと言ったガラの悪いカップルだ。

 ん?

 様子がおかしいぞ?
 不穏な雰囲気に、早足に葉月に駆け寄る。

「テメェ、オレの女をエロい目で見てたろうが! ふざけんなよ!」
「そ、そんな、僕は、み、みみ、見てませ」
「ちょー見てたしー。愛美、マジで怖かったんだけど」

 なんだありゃ。
 葉月から金でも揺すろうとしているのか?
 わけわかんねぇ難癖付けやがって。男が足を上げてカウンターを蹴ろうとした。

「おい、やめろ」

 我ながら不穏な声が出た。
 カップルがギョッとした顔で俺を振り仰いで――――。

「ひぃ」と喉の奥で叫んだ。

 ひぃってなんだ俺は化物じゃねーつってんだろうが。

「文句があるなら俺が聞いてやる。何の用だ」

 「も、もう行こう」「お、おう」と、カップルが逃げ去って行く。

 ガキの頃からこの顔には散々苦しめられてきたが、こう言う時には便利だな。
 わざわざ暴力を振るわなくとも睨んだだけで追い払える。

「大丈夫だったか? 葉月」

「う、うん、見てもなかったのに、いきなり怒鳴られてびっくりしたよ……!! ありがとう遼平さん。遼平さんが居なかったら、きっと僕、あの男の人に殴られてた」

 怖かった……と葉月がうな垂れた。

 腕を伸ばして、長い前髪を摘みあげる。

「遼平さん……?」

 こんな見るからに大人しそうな顔をしているから、あんな連中に絡まれたんだろう。

 こいつが素顔を晒していれば。

 女だけじゃなく、男さえ見惚れていただろうに。

 こいつの素顔を知っているのは俺だけで良い。
 そんな独占欲もあるが…………。

 葉月のためにも、ちゃんと、してやるのが、俺の――というか大人の役目か。
 ライバルが増えてもいいじゃないか。

 俺が葉月の一番になれるように、目一杯幸せにしてやれば何の問題も無い。
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