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<凜と百瀬、それぞれの幸せ>――凜の、『知らない』幸せ
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ドッ。ドッ。ドッ。ドッ。
心音が嫌な音を立てている。
逃げたい。
いっそのこと忘れてしまいたい。
だが、オレはここから逃げ出すことは許されないのだ。
オレの住処であるボロアパートのドアの前で、胸倉をぎゅっと掴んで覚悟を決めた。
着てる服は百瀬さんと一緒に買ったパーカーだ。百瀬さん、勇気をください!
鍵を開き、ドアノブに手を掛ける。
このドアを開きたくない。
だが、ドアを開かねば先へは進めないのだ――――!!
「でやあああ!!!」
ばん!
ドアが外れるんじゃ無いかってぐらい勢いよく開け放つ。
このドアは通路側に開く。入り口の正面に立って開けるのではなく、ドアの影に隠れる格好で引っ張った。
その様はまるで犯罪者の立てこもる部屋に爆弾を投げ込まんとする兵士のような動きだったろう。
もしくはギャグマンガにあるような、ドアを開けた瞬間お嫁さんがお皿を投げてくると予想して、隠れてドアを開ける朝帰りの旦那さんのような動きだ。
自分で言っててよくわからない。
「……?」
室内は、静かだった。
あれ? おかしいな……?
オレ、てっきり、ドアを開けた瞬間、ゴキが雪崩のようにぶわわわーって逃げ出してくるのを想像してたんだけどな。
一瞬気絶。
うぅ、想像だけで死ぬかと思った。
びくびくしながらドアの影から部屋を覗きこむ。
家に帰らないまま百瀬さんとの逃亡生活に入ったので、生ゴミもそのままだったはずのオレの部屋は――――。
「え!? どうして……」
塵一つ無い、ぴかぴかキラキラに掃除されてた!
ゴミも全然残ってない!?
オレの部屋の合鍵を持っているのはたった一人だけ。
今日は平日だ。オレはまだ有給中だけど、その人は当然仕事中だ。
判っているのに、自分を制止する事もできずに連絡を入れてしまった。
すぐにコール音が途切れて、その人――叶さんが通話に出た。
『どうした? 凜』
「お仕事中にすいません。ひ、ひょっとして、オレの部屋、片付けてくれたんですか……!?」
『あぁ。空気の入れ替えに行ったついでにな。連絡もせずに入ってすまな――』
「全然構いません! それより、ゴミ、その、虫とか大丈夫でしたか……!? オレ完全に放置してたのに」
『かなり酷かったぞ。蛆もゴキブリもな。長期の旅行に行く時は気をつけろ』
ひぃいいい……!!ゴキやっぱりいたんだ……しかもううう蛆いいい!?
そんなもん見たら絶対死んでた! 掃除も出来ずに部屋に入ることさえできなかったよおお!
「あああありがとうございます! 叶さんはオレの命の恩人ですううう」
『大げさだな。虫ぐらいで』
「ぐらいじゃないです! 虫超恐いですもん、見るのも無理ですもん! お詫びに、今日は叶さんのお好きなものを何でも作ります。夕食、何がいいですか?」
『そうだな……。カルボナーラを作ってくれ』
「え……?」
カルボナーラはオレの元カノ、美咲ちゃんが好きな料理だ。
練習しまくったから誰に食べさせても店より美味いって言って貰える自信の一品だった。
『得意料理なんだろう?』
「はい……。でも叶さん、苦手だって言ってませんでした?」
当然、叶さんにも食べて貰いたくて作るって言ったのに、苦手だって断られた。
そのくせ、愛華さんのカルボナーラは食べてたからショックを受けたんだけどな。
『彼女の為に一生懸命練習したなんて言うから悔しかったんだよ。お前を取られたみたいでな』
ふぇ!? なんか脳内で変な声が出た。
『子どもみたいな真似をしてすまなかった。あの時のことは謝るから俺にも作ってくれ』
「は、はひッ。お任せください。作ります……」
『楽しみにしている』と、呆気なく電話は切られてしまった。
あぁ……も、もうちょっと話したかった……。いやいや、仕事中に迷惑過ぎるだろそれは。
ああああ、でも、オレを取られたみたいって……超嬉しいかも……!
叶さんには迷惑ばっかり掛けて、負担に思われてるんじゃないかって不安だったのに、オレを取られたのが悔しいって、悔しいって……!!
一人で勝手に真っ赤になってベッドでごろごろ転がってしまう。
「うぁああもうすっげー幸せ……!」
あ、こんなことしてる場合じゃなかった。早く取りかからないと。
近所のスーパーから貰ってきた段ボールを組み立てて、本やゲームを片付けていく。
叶さんと一緒に住むための引越しの下準備だ。
ここにはたった一年半しか住んでない。しかも階段の先にあるアパートだから不便で、慣れるまでは後悔したものだった。
なのに引っ越すってなったら寂しく思ってしまう。
お世話になりました。誰も居ない部屋に囁いて、荷物を詰めた段ボールに蓋をした。
百瀬さんは今どうしてるかな?
偏執的でわかりにくいけど、八雲部門長は百瀬さんが好きなんだ。
好きだから閉じ込めるような真似をしていたんだ。
百瀬さんが部門長を好きだって言った以上、追い詰めるような真似はしないだろう。
部門長のやり口は本当に最低だ。
百瀬さんが好きなくせに、逃げ道を全部塞いで手に入れようとするなんて。
そんなの好きな人にすることじゃない。
卑怯な方法だし……怖くて痛くて心が壊れてしまう。
百瀬さんが可哀相だ。
まったく。叶さんの爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいよ。
部門長が叶さんみたいに優しかったら、百瀬さんは傷つかずに済んだだろうに。
いや、叶さん程優しい人なんて世界中探したって十人も居ないか。十分の一でもいいんだ。ほんと、見習って欲しいよ。部門長は確か三十四歳。叶さんより四つも年上のくせに。
夜に連絡しよう。
部門長が居たら今度こそ文句を言ってやる。
あ、そだ。叶さんの家、鍋やフライパンが無かったから持って行かないとな。
念の為に洗剤と買い置きしてたスポンジも持って行こう。
久しぶりに作るから、お昼作るついでに復習しようっと。
あー、叶さんに会いたいなぁ……!
早く夜になれー!
☆☆☆☆
よっしゃ完成―!
鈴森凜特製、厚切りベーコンのカルボナーラー!
ベーコンの塩気がたっぷり溶けたソースと心持ち多めの黒胡椒がポイントなのだ。
シンプルなお皿に盛って、帰宅してきたばかりの叶さんに差し出す。
「どうぞ!」
「さすが言うだけあって美味そうだな。いただくよ」
叶さんがフォークを手に取る。
……。
今更だけど、やっぱり叶さんってものすっごくカッコいいなぁ……。
全体的にシャープなラインなのに精悍で男らしい。
フォークを掴む長い指に見とれてしまう。浮き出た骨までカッコいい。なんか強そうで。
ついついフォークを目で追って、形のいい唇が開く様に見とれてしまう。
連鎖するみたいに、頬を、耳の後ろを唇で啄ばまれた感触を思い出してしまい、背中にゾクゾクって悪寒みたいなのが走った。
な、何考えてるんだオレのバカ! ご飯時に、こんなこと思い出すなんて!
恥ずかしくて一人で赤くなりつつ、グラスにワインを注いだ。
昨日は結局お祝いできなかったから、今日にお祝いの繰越をするのだ。
「うん、確かに美味い。こんなに美味いカルボナーラは初めてだ。……塩気と辛味が絶妙だな」
「! はい、そこがこだわりなんです……!」
判ってもらえるなんて嬉しいな。
オレも席についてパスタにフォークを入れる。
今日はお祝いだから献立を豪華にして、サーモンのカルパッチョと牛スジの赤ワイン煮込みも作った。
いつものオレの食事だったら、サーモンのカルパッチョどころか、鮭のアラをカリカリに焼いたのとご飯、味噌汁、そしてお漬物で終了だ。
お祝いだから奮発だった。
といっても、鮭のアラを焼いたのもご馳走だけど。
「そうだ、まだ生活費の話をしてなかったな。今後は俺が全額払う。もし何か必要があれば、この口座から引き下ろせ」
「え」
「ついでに、お前の奨学金も全額返済してしまおう。いくら残ってるんだ?」
「え」
「お前が毎月俺に払ってる金も、今後は一切受け取らないからな」
「ちょっと待ってください、そんなことできません! オレだって働いているんですから生活費は半額持ちます!」
全額と言えないのが悲しいところだけど。
「叶さんにお借りしたお金だって、ちゃんと返させてください」
「それじゃ不公平だろうが。ほとんど新卒のお前とじゃ年収だって違うんだぞ」
不公平って何がですか!? オレの借金と生活費は全然関係ないです。自分で返します、生活費も半額出します!って頑張ったんだけど、結局、オレが出すのは水道代のみってことになってしまった。どうしてだ……、オレ、頑張ったのに、なんか言いくるめられた……! しかもなぜ水道代で妥協してしまったんだ。どうしてそこで水道代。せめて光熱費まで頑張るべきだった。おかしい、こんなはずじゃ。
しかも、オレがご飯を作ったからって、皿洗いは叶さんがしてくれてる。
有給中なんだからオレがやるっていったのに。
ひょっとして、すごくレベルの高いダンナ様を捕まえてしまったんじゃないだろうか。オレも頑張らなきゃ。家事もだけど出世も。できる気はあまりしないけど……。叶さんが優しすぎて堕落してしまいそうで恐い。毎日気を引き締めていかないとな。
そうだ、今のうちに百瀬さんに連絡しよう。
コール音三回目で百瀬さんは電話に出てくれた。
『丁度よかった、僕も電話しようと思ってたんだ』
明るい声が返ってくる。
「部門長から酷いことはされていませんか? 大丈夫ですか?」
『うん。もう大丈夫だよ。心配してくれてありがとう。凜君は幸せ?』
「はい。幸せすぎて恐いぐらいです」
ふふって百瀬さんの笑い声が耳を優しく擽った。
その声が旅行中に聞いたものと同じで、会いたくて堪らなくなった。
電話越しなのがもどかしい。顔を見て話がしたい。百瀬さんの声を直接聞きたい。
『あっ……八雲さん……!』
急に百瀬さんの声が遠くなった。
「百瀬さん?」
『鈴森君ですね?』
あ。部門長が出た。
「はい……」
『雪乃なら大切に大切に扱ってますのでご心配なく。それでは』
穏やかな声で告げられたかと思うと、ぷつ、と電話を切られてしまった。
「え? まだ、何も」
話てないのに!
咄嗟に折り返したんだけど、『電波が届かないか、電源が入っておりません』の機械アナウンスが流れた。
携帯の電源が落とされてた。
……。
幸せならそれでいいんだけど……。
もっと話したかったな。部門長に文句を言う暇もなかったぞ。
ちょっとだけイラっとしつつ、オレも通話を切ったのだった。
心音が嫌な音を立てている。
逃げたい。
いっそのこと忘れてしまいたい。
だが、オレはここから逃げ出すことは許されないのだ。
オレの住処であるボロアパートのドアの前で、胸倉をぎゅっと掴んで覚悟を決めた。
着てる服は百瀬さんと一緒に買ったパーカーだ。百瀬さん、勇気をください!
鍵を開き、ドアノブに手を掛ける。
このドアを開きたくない。
だが、ドアを開かねば先へは進めないのだ――――!!
「でやあああ!!!」
ばん!
ドアが外れるんじゃ無いかってぐらい勢いよく開け放つ。
このドアは通路側に開く。入り口の正面に立って開けるのではなく、ドアの影に隠れる格好で引っ張った。
その様はまるで犯罪者の立てこもる部屋に爆弾を投げ込まんとする兵士のような動きだったろう。
もしくはギャグマンガにあるような、ドアを開けた瞬間お嫁さんがお皿を投げてくると予想して、隠れてドアを開ける朝帰りの旦那さんのような動きだ。
自分で言っててよくわからない。
「……?」
室内は、静かだった。
あれ? おかしいな……?
オレ、てっきり、ドアを開けた瞬間、ゴキが雪崩のようにぶわわわーって逃げ出してくるのを想像してたんだけどな。
一瞬気絶。
うぅ、想像だけで死ぬかと思った。
びくびくしながらドアの影から部屋を覗きこむ。
家に帰らないまま百瀬さんとの逃亡生活に入ったので、生ゴミもそのままだったはずのオレの部屋は――――。
「え!? どうして……」
塵一つ無い、ぴかぴかキラキラに掃除されてた!
ゴミも全然残ってない!?
オレの部屋の合鍵を持っているのはたった一人だけ。
今日は平日だ。オレはまだ有給中だけど、その人は当然仕事中だ。
判っているのに、自分を制止する事もできずに連絡を入れてしまった。
すぐにコール音が途切れて、その人――叶さんが通話に出た。
『どうした? 凜』
「お仕事中にすいません。ひ、ひょっとして、オレの部屋、片付けてくれたんですか……!?」
『あぁ。空気の入れ替えに行ったついでにな。連絡もせずに入ってすまな――』
「全然構いません! それより、ゴミ、その、虫とか大丈夫でしたか……!? オレ完全に放置してたのに」
『かなり酷かったぞ。蛆もゴキブリもな。長期の旅行に行く時は気をつけろ』
ひぃいいい……!!ゴキやっぱりいたんだ……しかもううう蛆いいい!?
そんなもん見たら絶対死んでた! 掃除も出来ずに部屋に入ることさえできなかったよおお!
「あああありがとうございます! 叶さんはオレの命の恩人ですううう」
『大げさだな。虫ぐらいで』
「ぐらいじゃないです! 虫超恐いですもん、見るのも無理ですもん! お詫びに、今日は叶さんのお好きなものを何でも作ります。夕食、何がいいですか?」
『そうだな……。カルボナーラを作ってくれ』
「え……?」
カルボナーラはオレの元カノ、美咲ちゃんが好きな料理だ。
練習しまくったから誰に食べさせても店より美味いって言って貰える自信の一品だった。
『得意料理なんだろう?』
「はい……。でも叶さん、苦手だって言ってませんでした?」
当然、叶さんにも食べて貰いたくて作るって言ったのに、苦手だって断られた。
そのくせ、愛華さんのカルボナーラは食べてたからショックを受けたんだけどな。
『彼女の為に一生懸命練習したなんて言うから悔しかったんだよ。お前を取られたみたいでな』
ふぇ!? なんか脳内で変な声が出た。
『子どもみたいな真似をしてすまなかった。あの時のことは謝るから俺にも作ってくれ』
「は、はひッ。お任せください。作ります……」
『楽しみにしている』と、呆気なく電話は切られてしまった。
あぁ……も、もうちょっと話したかった……。いやいや、仕事中に迷惑過ぎるだろそれは。
ああああ、でも、オレを取られたみたいって……超嬉しいかも……!
叶さんには迷惑ばっかり掛けて、負担に思われてるんじゃないかって不安だったのに、オレを取られたのが悔しいって、悔しいって……!!
一人で勝手に真っ赤になってベッドでごろごろ転がってしまう。
「うぁああもうすっげー幸せ……!」
あ、こんなことしてる場合じゃなかった。早く取りかからないと。
近所のスーパーから貰ってきた段ボールを組み立てて、本やゲームを片付けていく。
叶さんと一緒に住むための引越しの下準備だ。
ここにはたった一年半しか住んでない。しかも階段の先にあるアパートだから不便で、慣れるまでは後悔したものだった。
なのに引っ越すってなったら寂しく思ってしまう。
お世話になりました。誰も居ない部屋に囁いて、荷物を詰めた段ボールに蓋をした。
百瀬さんは今どうしてるかな?
偏執的でわかりにくいけど、八雲部門長は百瀬さんが好きなんだ。
好きだから閉じ込めるような真似をしていたんだ。
百瀬さんが部門長を好きだって言った以上、追い詰めるような真似はしないだろう。
部門長のやり口は本当に最低だ。
百瀬さんが好きなくせに、逃げ道を全部塞いで手に入れようとするなんて。
そんなの好きな人にすることじゃない。
卑怯な方法だし……怖くて痛くて心が壊れてしまう。
百瀬さんが可哀相だ。
まったく。叶さんの爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいよ。
部門長が叶さんみたいに優しかったら、百瀬さんは傷つかずに済んだだろうに。
いや、叶さん程優しい人なんて世界中探したって十人も居ないか。十分の一でもいいんだ。ほんと、見習って欲しいよ。部門長は確か三十四歳。叶さんより四つも年上のくせに。
夜に連絡しよう。
部門長が居たら今度こそ文句を言ってやる。
あ、そだ。叶さんの家、鍋やフライパンが無かったから持って行かないとな。
念の為に洗剤と買い置きしてたスポンジも持って行こう。
久しぶりに作るから、お昼作るついでに復習しようっと。
あー、叶さんに会いたいなぁ……!
早く夜になれー!
☆☆☆☆
よっしゃ完成―!
鈴森凜特製、厚切りベーコンのカルボナーラー!
ベーコンの塩気がたっぷり溶けたソースと心持ち多めの黒胡椒がポイントなのだ。
シンプルなお皿に盛って、帰宅してきたばかりの叶さんに差し出す。
「どうぞ!」
「さすが言うだけあって美味そうだな。いただくよ」
叶さんがフォークを手に取る。
……。
今更だけど、やっぱり叶さんってものすっごくカッコいいなぁ……。
全体的にシャープなラインなのに精悍で男らしい。
フォークを掴む長い指に見とれてしまう。浮き出た骨までカッコいい。なんか強そうで。
ついついフォークを目で追って、形のいい唇が開く様に見とれてしまう。
連鎖するみたいに、頬を、耳の後ろを唇で啄ばまれた感触を思い出してしまい、背中にゾクゾクって悪寒みたいなのが走った。
な、何考えてるんだオレのバカ! ご飯時に、こんなこと思い出すなんて!
恥ずかしくて一人で赤くなりつつ、グラスにワインを注いだ。
昨日は結局お祝いできなかったから、今日にお祝いの繰越をするのだ。
「うん、確かに美味い。こんなに美味いカルボナーラは初めてだ。……塩気と辛味が絶妙だな」
「! はい、そこがこだわりなんです……!」
判ってもらえるなんて嬉しいな。
オレも席についてパスタにフォークを入れる。
今日はお祝いだから献立を豪華にして、サーモンのカルパッチョと牛スジの赤ワイン煮込みも作った。
いつものオレの食事だったら、サーモンのカルパッチョどころか、鮭のアラをカリカリに焼いたのとご飯、味噌汁、そしてお漬物で終了だ。
お祝いだから奮発だった。
といっても、鮭のアラを焼いたのもご馳走だけど。
「そうだ、まだ生活費の話をしてなかったな。今後は俺が全額払う。もし何か必要があれば、この口座から引き下ろせ」
「え」
「ついでに、お前の奨学金も全額返済してしまおう。いくら残ってるんだ?」
「え」
「お前が毎月俺に払ってる金も、今後は一切受け取らないからな」
「ちょっと待ってください、そんなことできません! オレだって働いているんですから生活費は半額持ちます!」
全額と言えないのが悲しいところだけど。
「叶さんにお借りしたお金だって、ちゃんと返させてください」
「それじゃ不公平だろうが。ほとんど新卒のお前とじゃ年収だって違うんだぞ」
不公平って何がですか!? オレの借金と生活費は全然関係ないです。自分で返します、生活費も半額出します!って頑張ったんだけど、結局、オレが出すのは水道代のみってことになってしまった。どうしてだ……、オレ、頑張ったのに、なんか言いくるめられた……! しかもなぜ水道代で妥協してしまったんだ。どうしてそこで水道代。せめて光熱費まで頑張るべきだった。おかしい、こんなはずじゃ。
しかも、オレがご飯を作ったからって、皿洗いは叶さんがしてくれてる。
有給中なんだからオレがやるっていったのに。
ひょっとして、すごくレベルの高いダンナ様を捕まえてしまったんじゃないだろうか。オレも頑張らなきゃ。家事もだけど出世も。できる気はあまりしないけど……。叶さんが優しすぎて堕落してしまいそうで恐い。毎日気を引き締めていかないとな。
そうだ、今のうちに百瀬さんに連絡しよう。
コール音三回目で百瀬さんは電話に出てくれた。
『丁度よかった、僕も電話しようと思ってたんだ』
明るい声が返ってくる。
「部門長から酷いことはされていませんか? 大丈夫ですか?」
『うん。もう大丈夫だよ。心配してくれてありがとう。凜君は幸せ?』
「はい。幸せすぎて恐いぐらいです」
ふふって百瀬さんの笑い声が耳を優しく擽った。
その声が旅行中に聞いたものと同じで、会いたくて堪らなくなった。
電話越しなのがもどかしい。顔を見て話がしたい。百瀬さんの声を直接聞きたい。
『あっ……八雲さん……!』
急に百瀬さんの声が遠くなった。
「百瀬さん?」
『鈴森君ですね?』
あ。部門長が出た。
「はい……」
『雪乃なら大切に大切に扱ってますのでご心配なく。それでは』
穏やかな声で告げられたかと思うと、ぷつ、と電話を切られてしまった。
「え? まだ、何も」
話てないのに!
咄嗟に折り返したんだけど、『電波が届かないか、電源が入っておりません』の機械アナウンスが流れた。
携帯の電源が落とされてた。
……。
幸せならそれでいいんだけど……。
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ちょっとだけイラっとしつつ、オレも通話を切ったのだった。
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