発情薬

寺蔵

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<叶さんとの八年>

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 このまま寝たら凍死するかな。
 するわけないか。コート着てるもん。

 寝ちゃおう。

 目を、閉じる。


 かちゃん、と、ドアノブが回る音がした。

 ?

 誰? 夢?

 今何時?

 ドアが開く。



 街灯に照らされて逆光になった大きな影、困ったような笑顔――――。

「――この、泣き虫が」

「叶さん…………!!!!」

 来てくれるなんて、叶さん、叶さん、叶さん……!!

「ごめんなざい、わがままいって、きでくれるなんて、オレ、おれええ…………!!」
「いいよ。年に一回の誕生日だしな。おめでとう、凛」
「うぅ~~~~~…………!!」
「また泣く。暖房もつけずに玄関に蹲ってるなんて……。心配でおちおち出張もしてられないな」

 笑いの混じった声に、オレは、泣いて、泣いて、大きな体にしがみ続けた。


 なんで叶さんはこんなに優しいんだろう。
 家族でもない、道端で拾ったオレみたいなガキ相手に、どうしてここまで優しくできるんだろう。


 ――――きっと、優しい家庭で育ってきた人だからだ。

 優しいお父さん、優しいお母さん、ひょっとしたらおじいちゃんやおばあちゃんもいたのかもしれない。
 家族のことを聞かれるのが嫌だから、叶さんにも家族の質問はできなかった。
 聞き返されたくなかったから。

 だから想像でしかないんだけど、こんな優しい人が育つぐらいだ。きっと、きっと、絵にかいたような、素敵な家族に違いない。

 お父さんもお母さんもいらない。
 叶さんがいればいい。

 叶さんだけがオレの家族だ。この人のために何でもしよう。
 叶さんが幸せになるために、なんでも。

 そのためにオレも最大限の努力をしよう。
 この人がやがて結婚して――――そして、子供を持つ姿を見たい。


 大好きです。叶さん……!!



 美咲ちゃんと会うのは、それから一年後のことだった。

 大学の講義で隣になったのが知り合ったきっかけだ。

 好きだと告白されたのは、十人ぐらいの大人数で水族館に行った帰り道。

「あたしと付き合ってよ、凛!」
「え」

 ど、どうしよう。こんなの初めてだ。
 男から冗談半分で告白されたことは何度もあるけど、女の子からなんて……。

「ごめん、気持ちはすげー嬉しいんだけど……、オレ、お金もないし、バイトと勉強で一杯一杯だから付き合うのは無理なんだ」
「お金なんて全部割り勘でいいよぉ! お試しにちょっと付き合うぐらいいいでしょ?」
「そ、そういう軽い気持ちでのお付き合いなんてできないよ……」
「凛って変なとこ真面目だよねー」
「変なとこじゃないと思います」

 最初は美咲ちゃんと付き合うつもりはなかった。
 話しやすいけどちょっと苦手なタイプかもしれないって考えてたぐらいだ。

 でも、友人関係は続けたまま、また、一年が経過した。その間にも何度か告白さえれたものの、オレは、ずっと断っていた。

 スマホが着信音を鳴らす。
 叶さんからの電話だ。

「はい、凛です!」
『久しぶりだな、凛。25日は開けておけよ』

「え?」

『お前の二十歳の誕生日だ。酒を呑ませてやるから俺の部屋に来い。二人で祝おう』

 高校一年生の頃、オレは、「叶さんと会うのは一か月に一度ぐらい」にしようって思ってた。
 でも、誘われたら嬉しくて何回も遊びにいってしまった。
 高校二年の頃は、夏までは一緒に遊んでたけど、その後は受験のために三か月に一度しか会わなくなった。
 そして、いよいよ受験の大詰めになった高校三年では年に数回しか会わなかった。

 中国から呼びつけるバカな真似までしてしまったから、できるだけ、会わないように、誘われても断り続けていた。

 でも……誕生日ぐらいは会いたいな……!

『絶対いきます!!!』

 初めて映画に誘ってもらった時と同じ返事をした。


 叶さんと会って五年。オレの身長は13センチも伸びていた。


 叶さんが準備してくれた酒はジュースみたいなカクテルとチューハイだ。
 初めて飲むお酒は予想以上に美味しかった。そして楽しかった。

 叶さんに甘えたような……気がする。

 というのも、オレ、全然覚えてなかったんだ。
 叶さんが焼いてくれた甘い卵焼きを食べて、あったかい炬燵に入りながら叶さんが準備してくれてたアイスケーキを食べて、甘い物ばかりじゃ飽きるからと辛い鍋が出てきて、それがめちゃくちゃ辛くてびっくりしたけど美味しくて!

 当然、自分がどれだけ飲めるかなんて知りもしなかったオレは飲み過ぎてしまい。

 ものの見事に記憶がとんでしまったのでした。

 鈴森凛、20歳。生まれて初めてお酒の怖さを知りました。

「俺意外と飲むときは気を付けろよ。昨日みたいな調子で酔いつぶれたら道端に放置されかねないぞ」
 なんて叶さんに笑われてしまった。

 叶さんの出社に合わせてオレも家を出る。家に帰って寝直そうかとも思ったけど、なんとなく大学へ向かった。
「りーんー! 誕生日おめでとー! これ、プレゼント」
「あ……りがと」

 美咲ちゃんから袋を受け取る。柔らかい感触。手袋かな。靴下かな。そんな感じの感触がする。

「あと、あたしもプレゼントだよーなんつってぇ」
 横から抱き付いてきた美咲ちゃんに、オレは、答えた。

「じゃあ……いただきます」
「え」
 美咲ちゃんが絶句する。
「まじで?」
「マジで。オレでよかったら末永くよろしく。ただ、浮気だけはしないでほしいんだけど」
「浮気なんかするわけないじゃん! やったー!」

 美咲ちゃんとの生活は予想外に楽しかった。

 寂しくなる暇がないほどに、いつも一緒だった。
 オレが甘えても許してくれるもったいないぐらいの最高の彼女だった。

 同棲を始めたのは付き合いを始めた8か月目だ。
 美咲ちゃんのマンションに転がり込んで一緒に生活を始めたんだ。
 気が早いといわれるかもしれないけど、美咲ちゃんと結婚するんだろうなーってまで思ってた。
 この人がオレの家族なんだって、そう、思ってた。

 でも、10か月目に、破たんした。

 あて先不明のアドレスから送られてきた、オレの悪口をいう美咲ちゃんの声と、男の性器を舐める写真。

 見た瞬間に吐いて、泣いて、また、叶さんに縋りついた。

 同棲するにあたり、オレはアパートを引き払ってた。

 叶さんは一緒に住んでいいと言ってくれたけど、美咲ちゃんに裏切られたことがトラウマになり叶さんの傍にいることが益々怖くなった。

 叶さんの部屋には一泊させてもらっただけで、友達のアパートを泊まり歩き、すぐに次のアパートを探した。前に住んでいた安アパートよりずっと環境も家賃も悪くなったけど、一人になれる場所であれば充分だった。

 叶さんの結婚相手である愛華さんを紹介されたのは、オレが22の頃。

 オレは既に、叶さんと同じスカイバイオテクノロジー社に勤めていた。
 東京本社勤めの叶さんとは違い埼玉の支社に配属されてたんだけど。

 叶さんのお嫁さんになるぐらいの人なんだから、アイドルも裸足で逃げ出すような容姿を想像していたんだけど、愛華さんは特筆するほどの美人じゃなかった。

 でも、いいお母さんになりそうな癒される雰囲気を持った人だった。

「初めまして、鈴森凛です!」
「福山愛華です。貴方のことは直樹から聞いています。高校生の頃から面倒を見ている弟みたいな存在だと」

 直樹……。
 叶さんの名前を呼び捨てにする女性の姿にちくりと心のどこかが痛んだ。
 笑顔を崩さないよう細心の注意を払いつつ続ける。

「はい! ずっとずっとお世話になってるんです。叶さんはオレの憧れの存在で、ずっと尊敬してて……」
「ほら、凛、話は着席してからにしろ」

「あ、すいません」

 叶さんが引いてくれた椅子に座る。

「叶さんが結婚しちゃうなんて実はちょっと寂しいかったんです……。でも、愛華さんを見て安心しちゃいました。叶さんにぴったりの素敵な人ですね。オレ、今から二人の子供が楽しみです」

「いくらなんでも気が早すぎるな」

「ふふふ、でも、私も30だから早めに子どもは欲しいわね。女の子がいいわ」

「……!!!」
 なぜか、オレの喉がひゅ、と小さく鳴った。

 指が震える。フリルの残像が脳を焼く。
 なんだ、これ。

「子供は授かりものだ。希望通りの性別にはならないぞ。なぁ、凛」

「あ……ぁ、か、叶さんは……希望は無いんですか? 男の子とか、女の子とか……」
「無いよ。健康に育ってくれればそれで充分だ」

 体に蔓延していた緊張が一気に楽になる。

「叶さんは……やっぱり、いいお父さんになりそうですね」

 どこか、呆然とした気持ちのまま、オレの脳を通さずそんな言葉が零れた。

「そうか?」

 はい。

 ……! そうだ、愛華さんにもちゃんとフォロー入れとかなきゃ。叶さんだけ褒めるなんて感じ悪い。愛華さんにも嫌われたくない。

「愛華さんも、いいお母さんになりそうだし、ほんと、理想の家庭になりそう。オレ、今から凄く楽しみです!」

 本当に、すっごく楽しみ。
 叶さんの腕に抱かれるのはどんな子供なんだろう。


 それを見れたら……、オレ……。




 オレは――――――――。





『凜、起きろ』






「ふぁい!?」

 一気に現実に引き戻されてソファから飛び起きる。

 ここはドコ? 私はだれ? みたいな気分で周りの景色を見渡す。
 スカイバイオテクノロジー社の叶さんのオフィスだ!

 学生時代の夢を見てたから学生時代に戻ったみたいな気分になっちゃってたよ……!

 オレの上にオレのサイズより一回り大きいスーツが掛けてあった。
 う。働いてる人の前でグーグー寝ちゃったのに、スーツを貸してくれてたのか。

「すいません、叶さん……。ありがとうございます、うぅ……すっげー寝てました……!」
「気にするな。俺こそ待たせて悪かったな」

 立ち上がり叶さんの背中にスーツを広げる。

 叶さんは苦笑して広げたスーツに腕を通した。

「今時、こんなことするのはお前ぐらいのものだぞ」
「そうでもないっす。サザエさんがマスオさんにしてました」

 「あれはマンガだろ」「アニメです」なんて話しながら、会社を出たのだった。

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