発情薬

寺蔵

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<総務部での朝>

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「おい、凜、聞いたか? 『運命の赤い糸プロジェクト』の参加者の選抜が終了したらしいぞ」

 隣の席のゴロー先輩が、片手をノートパソコンの上に置いたまま身を乗り出してきた。オレより三歳年上の二十六歳。なんだけど、かなり老け顔で三十五、六に見える。
 入社したての頃、歳を聞いて本気で驚いてしまい腹に容赦の無いパンチをされた。

「マジっすか! 誰になったんでしょうね」

 オレの勤めるこの会社は、国内でもかなり大手のバイオテクノロジーベンチャー企業のひとつで、国と連携して様々な研究を進めている。

 先輩の言う『赤い糸プロジェクト』とは、メルヘンチックなプロジェクト名でありながらも、進み行く少子化問題の解決の糸口となる重要な計画の一つだった。

 オレは遺伝子分野にはてんで疎い、単なる事務の総務部所属だ。

 そんなオレにも判るように噛み砕いて説明された『運命の赤い糸プロジェクト』の内容はというと、一言でいうと、『遺伝子レベルで適合する相手を発見できる新薬の開発』だった。

 もっと言うと、『遺伝子レベルで適合する相手の香りを意識しやすくなる』薬らしい。

 嘘か本当か知らないけど、人は、自分と違う免疫情報を持つ相手を匂いで判別できるのだという。

 より強くて丈夫な子孫を残すため、自分とは違う免疫情報を持つ相手を本能的に欲しがっているからだ。これが違えば違うほど、子供もできやすくなるんだって。

 そのため、自分と違う免疫情報であればあるほど、その相手の匂いに惹かれてしまうのだそうだ。

 女の人が、特定の男性の香りを良い匂いだと思うのは、この免疫情報のせいらしい。

 今回研究されたのは、そんな、人間の持つ能力を増幅させる薬で、女性だけでなく男性にも効果があるという話だ。

 そんな薬が二ヶ月前に完成した。

 だけど、薬の効き目をチェックする「治験」の段階で問題が発生した。
 治験とは「治療の臨床試験」の略で、わかりやすく言ってしまうと、新薬の人体実験だ。

 今回の薬の治験参加者は数十人にも及んだそうだけど、無害ということがわかっただけで、いまだ運命の相手と出会った人が居ないのだ。
 遺伝子レベルで相性のいい相手なんてそうそう居るものじゃない。
 おまけに、万が一副作用が出た場合に備え、治験参加者の方々には病院に缶詰になってもらってた。
 行動範囲が病院内しかないのに運命の相手と出会えたらそれはそれで奇跡的すぎる。

 今ではそのモニターの方々も日常生活に戻っている。

 運命の相手との出会いがあり次第、報告してもらうことになっているそうだ。
 ところがいまだに何の成果も上がらない。

 なので、この会社からも選抜された独身者が薬の治験に参加する事になったのだ。

「俺だったらどうしよう……。絶対嫌だぜ? 『発情薬』の治験なんてよー」
 先輩が嫌そうに顔を歪める。

「また……。ゴロー先輩、発情薬なんて言ってるのを部長に聞かれたら怒鳴られちゃいますよ」

 薬の社内での正式名称はEI005389。

 だけど、親しみを持ってもらうために『運命の人を発見できる運命薬、『赤い糸チェッカー、ミスクトール』』という商品名で売り出されることが決定していた。
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