賭け

邦崎 静

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賭け

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その日私は海の見えるホテルの部屋にあるダブルベッドに横たわり、覆いかぶさる彼を下から見上げていた。

男性にしてはきめの細かい、すらりと長い2本の腕が私の首の両側に柱のように見え、端正な顔立ちが天井のように私を見据えている。


「いいんだな?」

真剣な表情の中に優しさを忍ばせた彼の眼差しを正面から受け止めながら小さくうなずくと、彼は一度起き上がり両腕で私の足首を持ち思い切り開かせ、彼自身をねじ込んでくる。

「んっ...」

私が軽く仰け反るように反応すると、大きな手で私の頬を掴み表情の変化に愉しむような目を向ける彼。

「あぁ、ついにこの日が来ちゃったか...」

私はそんなふうに思いながら、彼の愛を全身で受け止めていた。



私が彼と出会ったのはかれこれ4年ほど前。大学を卒業して入社した大企業で8人の新入社員と共に同じ事業部に配属されたのだ。

多くの女性が皆そうであるように、私も入社当時は同期の男の子になど目もくれていなかった。

仕事が出来る先輩や社内で顔の利く上司に目が行ってしまうのは女の子なら仕方のないことだろう。

入社してからの数年間は飲み会に誘われれば顔を出し、デートの誘いも気が向けば応じるなどそれなりに社会人生活を満喫していたように思う。

ただ、いつの日からだっただろうか、自分の世界が広がり会社の先輩や上司など及びもつかない世界がこの世にはあるのだと知るにつれ、徐々に社内の人々との接点は小さくなっていった。

出社しても何の刺激もなく、つまらない人たちに囲まれて淡々と業務をこなしていく日々。

そんな日常にため息をつく機会が増えていった私は、ある日、意を決して上司に退職届を提出したのだった。輝く(はずの)自分の未来を信じて。



彼が私と全く同じ日に退職するのだと知ったのは、辞める1週間ほど前のことだった。内職のようにコツコツと続けていたバイオの研究がビジネスになりそうだとかで、スピンアウトして起業するのだという。

「お前も辞めるんだって?」

同じ事業部の同期として年に数回、飲み会で顔を合わせる程度だった彼に話しかけられた私は「そうなのよ、会社作るんだって?バイトさせてよ」と冗談を返していたがまさかそれが本当になるとは。

そして、他の社員たちを見る目とは違った目で彼を見た途端「意外にイケメンじゃない」と思った自分が、まさかその数ヶ月後に彼に組み伏せられることになるとは思ってもみなかった。



実家暮らしで親が小さいながらも自営業を営んでいる私は、会社を辞めてもすぐに生活に困るということのない、比較的恵まれた身分だった。

そのため、つまらない大企業を退職してからもしばらくはブラブラするつもりで海外旅行のパンフレットを集めていたのだが、「ハワイでも行こうかな~それともバリでのんびりしょうかしら」などと考えていた私のところに、彼からLINEが届く。

会社設立の準備が思ったより忙しいので、時間があるなら手伝ってくれないか、という内容だった。

今思えば、数ヶ月はのんびりしようかと思っていた私がこの時の誘いを断らなかったのは既に彼にどこか心を奪われていたからかもしれない。

退職して間もない時期であったにも関わらず、私は再び、スーツを着て彼の新オフィスに通勤するようになった。

ああ、それにしても男とはなぜ、仕事をしている姿が素敵に見えてしまうのだろう。遥かに年配の企業経営者らと対等に話し、会社の方針を堂々と語る彼の姿はまさに優秀なビジネスマンそのものであった。


そんな彼に次第に心惹かれていった自分を責める気にはなれない。そして、いつの日か彼を支えることが生き甲斐になっていったことも。


一緒にランチを食べ一緒に残業し一緒に夕食を取る生活が続けば、誰だって親密になっていくだろう。

彼との空気感というか距離が小さくなるにつれ、私の心の中は彼の存在でいっぱいになっていった。

「誘われたら断れない...ううん、もう早く誘って欲しい」

そんなふうに思っていた矢先、チャンスが訪れた。

とあるホテルのレストランで商談に臨んだ彼に同行した際、帰りがけにバーで一杯ひっかけていかないかと言われたのだ。


彼の方も私を誘う機会を窺っていたに違いない。入り口に背を向けてカウンターに二人並んで座ると、仕事の話などには触れず、互いのプライベートを打ち明ける展開となったからだ。

私としては男らしく正面から口説いてほしかったが、明日からの会社での人間関係もある。経営者として当たって砕けろ的な自暴自棄は避けるべきと考えるのが正解であるのも理解できる。

ひょっとしたら私がへそ曲がりであることを見越して、正面から口説けば拒否されるだろうと考えたのかも知れない。それは確かに正解だ。逃げ道を用意せずに首を縦に振れるほど男性に向き合う覚悟など私にはないのだから。


そこで、なのかどうか私には知る由もないが、彼は「賭け」を提案してきた。次にこのバーに入ってくるのが男なのか女なのか、という「賭け」だ。

ここで彼の計算高さが窺えた。ルームキーをポケットから出したのだ。「お前が負けたら、ね」と言って。ずるい。賭け自体を冗談で済まさないように逃げ道を塞いでくるこの男。ずるい。でも言っても仕方がない。賭けは賭けだ。


「どちらに賭ける?」と言われ私は迷わず「女」と答えた。

そもそも女性一人でバーを訪れる客などほとんどいないだろうし、カップルであれば男性が先に入店し女性をエスコートするものだろう、と考えたからだ。

そう、私は敢えて負ける可能性の高い選択肢を選んだのである。その理由は説明するまでもないであろう。


案の定、次に入ってきたのは男性だった。後に女性が続いているがそんなものはどうでもいい。かくして私はこの男の軍門に自ら下ることとなったのだった。



たくさんの愛情で私を征服した彼は部屋の窓から海を見ている。

「やっとお前を手に入れたな」

そんな彼に私は心のなかで呟いた。

(ううん、私があなたを手に入れたのよ)


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