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欄外編

126 崩れたジェンガ 2

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人生って、何があるか本当にわからない。知らない世界で知らない人のからだに入ってしまったわたしが言う台詞せりふでもないとは思うが、改めてそう思った。

きっかけは、ちょっとした興味で。セイと魔力属性の話をしていたら、いつのまにか大規模な調査になり、いつのまにか論文を共同執筆する羽目になった。しかもその褒章としてセイがわたしとの結婚を望むなんて、思いもしなかったんだ。




王宮を出る日の朝、窓から見た景色は雲一つない青空だった。

ここから見る景色もこれが最後だと思うと感慨深い。この世界にきてからほとんどの時間を王宮ここで過ごしてきた身としては、こんなにあっさりと離れることに対して、なんとも言えない気持ちになった。

今日、正式に私は王宮を辞す。決められたとおり、ゼレノイ家に嫁ぐために。

持ち出す荷物は多くない。アナスタシアから引き継いだ古びたトランク1つと、ルーが用意してくれた服や小物。それで全部。

午前中には迎えに来るというセイの言葉のとおり、支度を終えて部屋で待つ。

このことが決まってから、アレクと夜を共に過ごすことはもちろん、顔を合わせる機会すらほとんどなくなった。手続きの都合でわずかの時間顔を合わせることはあっても、うさんくさい作り物の笑顔で、必要な言葉しかかけてくれない。明らかに今までとは違う、一線を引いた態度だった。

与えられた”寵姫”という役割を途中放棄してしまうことに対して詫びたかったし、いろいろ言いたいこともあったが、とてもそんなことが言える空気はない。

最後までこの話に反対していたルーは、どうにも覆せないことがわかると、ついに王宮に寄り付かなくなってしまった。式典や王の警護などで必要な時にはもちろん出仕するものの、用が済むと体調不良と称してすぐに自分の屋敷に戻ってしまう。もちろん後宮に立ち寄ることもない。

気付くと、わたしのそばには、セイ以外は誰もいなくなってしまった。

(この先、どうなるんだろう)

言いようのない不安が胸をよぎる。

セイを幸せにしたいという気持ちは、いまでも変わらない。ただ、誰か一人の手を取るということは、他の手を放すことになるということに思い至らなかったのだ。

気付いたときには、もう遅い。

いつのまにか決定事項となっていた降嫁に対して、他の人ルーが好きだから取り消してほしいと言えるほどの図太さはなかった。

ちらりと時計を見る。そろそろ迎えが来る時間かもしれない。

最後に忘れ物を確認しようと立ち上がったタイミングで、空気が不自然に震えた。以前もあった、転移の予兆だ。

魔力の行使が禁じられている王宮内で魔法を使う人間を、わたしはひとりしか知らない。

期待を込めて何もない空間を見つめる。案の定、現れたのは身軽な服装をしたルーだった。再会するのは1か月ぶりくらいだろうか。これまで毎日のように顔を合わせていただだけに、もう何年も会っていなかったような気がしていた。

久しぶりに見た姿は、少しだけ疲れているように見える。紅玉の瞳が、わたしを捉えると柔らかく細められた。少年の面影を残すあどけなさの中に、言いようのない色気が滲む。いつもつけているイヤーカフが揺れた。

(もう、会えなくなってしまうんだろうか)

知りたくて、でも誰にも聞けなかった問いが頭をよぎる。

限られた時間で何を話せばいいか躊躇しているわたしに対して、ルーが願ったのは、たったひとつだけだった。

「ね、お別れのキスをさせて。」


邪推すれば、これ以上話すことはないという意味かもしれない。けれど、最後にそんなことを願うルーが相変わらずだと思って、こんな時だけど、ちょっと笑ってしまった。

目が潤みそうになるのを堪えて笑う。

銀色の魔術師は、美しい手で、私の両頬に触れた。ゆっくりと顔を近づけるのに合わせて、わたしは、目を閉じた。

はじめは、軽いキス。啄むように、なんども、なんども。

ルーはドアに背を向けて、わたしのことを隠すようにして両腕で囲う。わたしは、いつもしていたみたいに、彼の首に腕を絡めた。

次のキスは少し長くて、時折柔らかい舌先が私の唇に触れる。わたしのことを気持ちよくしてくれることを知っているから、待ちきれなくて迎え入れる。ぬるりとした生暖かい舌が侵入し、じっくりと味わうように咥内を舐めまわす。

「んっ、ふ…っ」

長い、長い時間、わたしたちはキスしていた。ドアのノックの音がするまで、ずっと。




──どれくらい、キスしていただろうか。コン、コン、コン、と3回ノックの音がして、我に返った。

ふたりの時間に終わりがきたことを知る。ルーは、名残惜しそうにわたしを離した。

「これ、持っていて。次にいつ会えるかわからないから。」

そう言って、わたしの手に小さな硬いかけらを握らせた。それから猫みたいに、するりと消えた。






セイが部屋に入ってきたときには、部屋にはわたしひとりだった。

「迎えに来ました。さあ、行きましょうか。」

潤んだ瞳のわたしを見て、セイは何か言いかけたが、やめた。

ルーと会っていたことに気付いたのかもしれない。でも何も言わなかったし、わたしも何も言わなかった。

そうして、ふたりで馬車に乗り、ゼレノイ家の別邸へと向かった。
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