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本編
28 願わくば花の下にて4 【side アナスタシア】
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――その夜、夢を見た。
見たことがない景色だった。高い場所から眺めている目線。眼前には辺り一面に白い花弁の花が咲き、落ちた花びらが地面に降り積もって雪のように見えた。
ひらり、ひら、ひら。
風に吹かれて、花弁が、舞う。
隣では、いとおしげに私の手に指を絡めたまま、いつものように彼が微笑んでいる。でも、今まで人の目を気にして2人で外に出たことなんて一度もなかった。だから、これは、ただの夢だ。
セイが、ふわりと寂しげに、笑う。
愁いを帯びた表情は、呆れるほど美しかった。でも、わたしが見たかったのは、そんな表情じゃない。そう言いたいのに言葉がでなくて目で訴える。
私の気持ちに気づいてくれたのか、冷たい指が、私の頬に触れる。
しかし、形のよい唇から紡がれたのは、別れの言葉だった。
『隣国では、他国から嫁いだ王妃がこの花を見て祖国を偲んだという言い伝えがあります。あなたもこの花を見たら、祖国を、そしてわずかの間ですが一緒に過ごした哀れな犬のことを、思い出してください。』
なにか言いたいのに、声がでない。
まっすぐに、私を見つめる、澄んだ青い瞳。こんな時なのに、おそろしく綺麗に笑う、憎らしい男。
『最後に、あなたと一緒にこの景色が見れて幸せです。、、、どうか、お幸せに』という声が聞こえた。
(待って、行かないで。私の話を聞いて)
遠ざかる姿に必死で手を伸ばしても、届かない。
涙で目の前が滲み、美しい青い瞳が見えなくなった。
(おねがい、行かないで。セイ)
目が覚めると、私の頬は涙で濡れていた。
翌日の夜、言われたとおりに支度し迎えを待つ。窓から見える夜空に月はなく、広がるのは暗闇。
親の決めた婚約を受け入れ、言われるがまま来てしまったが、迷いは消えない。本当にこの選択で良かったのだろうか、という思いが頭から離れない。セイと私を繋ぐ手段だった魔道具は、後でセイに届けるよう侍女に託してしまったから、もう手元にはない。本当にもう会えないのだと実感する。
今回の儀式用として神殿側が用意したドレスは純白で、丈は裾を引くほど長いものだった。午前中から準備を始めて世話係の女と見習いのような少女2人に支度を手伝ってもらったが、かなりの時間を要した。結局最後は間に合わず、化粧は自分で簡単に施した。
なにも知らない少女たちは、口々に私の美しさとドレスの見事さを褒めたたえた。しかし愛想笑いすらする気力がない。
部屋に置かれた姿見に映る姿は、これから皇室に嫁ごうとする女の表情ではなかった。
それなのに、皮肉にも精緻に編まれたレースのヴェールを被った姿は、さながら花嫁衣裳だ。
神殿の扉を抜け、大神官に連れられて秘密の地下通路を進む。
しばらく歩いて辿り着いたのは、想像していたよりも広い部屋だった。明々と魔力灯が輝いており昼間のように明るい。中央には天蓋付きの椅子が置かれているほかは、目立った調度もない。
部屋の中には真っ白な長衣を身に付け、目の部分だけが見える頭巾を被った男が3人いた。異様にも映る姿は『特別な儀式』だということを彷彿とさせる。足を進めると、むせるような、ラベンダーの強い香りが鼻をつく。頭がぐらぐらする。催眠系の香に慣れている自分ですら目が回るほどとは、よほど強く焚いているのだろう。
心臓が早鐘のように鳴った。どくどく、という音がいやに大きく響いた。
顔を上げ、ヴェール越しに男たちを見た。
「これより召喚の儀を始める。」
男の1人が抑揚のない声で儀式の始まりを告げる。額と手の甲に聖別された香油を塗られ、天蓋がついた椅子に腰かけさせられた。
朗々と呪文を詠唱する声だけが聞こえる。徐々に瞼が重くなり、頭が朦朧としてきた。ぼんやりするなかで頭に浮かぶのは、親のことでも将来のことでもなく、ただひたすらに、セイに何も伝えなかったことに対する後悔だった。
恋人じゃないと言い聞かせて、自分の気持ちに嘘をついていた。
悪女に擬態した自分を見破られたくなかったから。
親に望まれたとおりの選択をしたのは間違いだったのか。
後悔しても、自分の気持ちに素直になるべきだったのか。
──せめて正直に、好きだと言えばよかった
彼に何も告げなかったのは、迷惑をかけたくないというのもうそではない。しかし何も言わずに突然姿を消せば、ずっと私のことを忘れないでくれるのではないか、という浅ましい気持ちもあった。
いつだって優しかった手も。低くて耳に残る声も。焦らすような愛撫も。
何もかも、あなたから与えられるものは私にとって宝物だった。
(この気持ちが愛かどうかはわからない。でも、あなたと一緒にいたかったのは、うそじゃない。)
どれが正しくて、どうすればよかったのかなんて。もうわからない。
リーン、と小さく鳴るのは鐘の音か。
あたたかい魔力の気配。別の魂が混じって、溶けていく。私はこの魂を受け入れる。
――かみさま。
願わくば、あのひとが幸せでありますように。そして次に出会うときは、ちゃんと好き、と言えますように。
・・・そして私は、長い眠りについた。
見たことがない景色だった。高い場所から眺めている目線。眼前には辺り一面に白い花弁の花が咲き、落ちた花びらが地面に降り積もって雪のように見えた。
ひらり、ひら、ひら。
風に吹かれて、花弁が、舞う。
隣では、いとおしげに私の手に指を絡めたまま、いつものように彼が微笑んでいる。でも、今まで人の目を気にして2人で外に出たことなんて一度もなかった。だから、これは、ただの夢だ。
セイが、ふわりと寂しげに、笑う。
愁いを帯びた表情は、呆れるほど美しかった。でも、わたしが見たかったのは、そんな表情じゃない。そう言いたいのに言葉がでなくて目で訴える。
私の気持ちに気づいてくれたのか、冷たい指が、私の頬に触れる。
しかし、形のよい唇から紡がれたのは、別れの言葉だった。
『隣国では、他国から嫁いだ王妃がこの花を見て祖国を偲んだという言い伝えがあります。あなたもこの花を見たら、祖国を、そしてわずかの間ですが一緒に過ごした哀れな犬のことを、思い出してください。』
なにか言いたいのに、声がでない。
まっすぐに、私を見つめる、澄んだ青い瞳。こんな時なのに、おそろしく綺麗に笑う、憎らしい男。
『最後に、あなたと一緒にこの景色が見れて幸せです。、、、どうか、お幸せに』という声が聞こえた。
(待って、行かないで。私の話を聞いて)
遠ざかる姿に必死で手を伸ばしても、届かない。
涙で目の前が滲み、美しい青い瞳が見えなくなった。
(おねがい、行かないで。セイ)
目が覚めると、私の頬は涙で濡れていた。
翌日の夜、言われたとおりに支度し迎えを待つ。窓から見える夜空に月はなく、広がるのは暗闇。
親の決めた婚約を受け入れ、言われるがまま来てしまったが、迷いは消えない。本当にこの選択で良かったのだろうか、という思いが頭から離れない。セイと私を繋ぐ手段だった魔道具は、後でセイに届けるよう侍女に託してしまったから、もう手元にはない。本当にもう会えないのだと実感する。
今回の儀式用として神殿側が用意したドレスは純白で、丈は裾を引くほど長いものだった。午前中から準備を始めて世話係の女と見習いのような少女2人に支度を手伝ってもらったが、かなりの時間を要した。結局最後は間に合わず、化粧は自分で簡単に施した。
なにも知らない少女たちは、口々に私の美しさとドレスの見事さを褒めたたえた。しかし愛想笑いすらする気力がない。
部屋に置かれた姿見に映る姿は、これから皇室に嫁ごうとする女の表情ではなかった。
それなのに、皮肉にも精緻に編まれたレースのヴェールを被った姿は、さながら花嫁衣裳だ。
神殿の扉を抜け、大神官に連れられて秘密の地下通路を進む。
しばらく歩いて辿り着いたのは、想像していたよりも広い部屋だった。明々と魔力灯が輝いており昼間のように明るい。中央には天蓋付きの椅子が置かれているほかは、目立った調度もない。
部屋の中には真っ白な長衣を身に付け、目の部分だけが見える頭巾を被った男が3人いた。異様にも映る姿は『特別な儀式』だということを彷彿とさせる。足を進めると、むせるような、ラベンダーの強い香りが鼻をつく。頭がぐらぐらする。催眠系の香に慣れている自分ですら目が回るほどとは、よほど強く焚いているのだろう。
心臓が早鐘のように鳴った。どくどく、という音がいやに大きく響いた。
顔を上げ、ヴェール越しに男たちを見た。
「これより召喚の儀を始める。」
男の1人が抑揚のない声で儀式の始まりを告げる。額と手の甲に聖別された香油を塗られ、天蓋がついた椅子に腰かけさせられた。
朗々と呪文を詠唱する声だけが聞こえる。徐々に瞼が重くなり、頭が朦朧としてきた。ぼんやりするなかで頭に浮かぶのは、親のことでも将来のことでもなく、ただひたすらに、セイに何も伝えなかったことに対する後悔だった。
恋人じゃないと言い聞かせて、自分の気持ちに嘘をついていた。
悪女に擬態した自分を見破られたくなかったから。
親に望まれたとおりの選択をしたのは間違いだったのか。
後悔しても、自分の気持ちに素直になるべきだったのか。
──せめて正直に、好きだと言えばよかった
彼に何も告げなかったのは、迷惑をかけたくないというのもうそではない。しかし何も言わずに突然姿を消せば、ずっと私のことを忘れないでくれるのではないか、という浅ましい気持ちもあった。
いつだって優しかった手も。低くて耳に残る声も。焦らすような愛撫も。
何もかも、あなたから与えられるものは私にとって宝物だった。
(この気持ちが愛かどうかはわからない。でも、あなたと一緒にいたかったのは、うそじゃない。)
どれが正しくて、どうすればよかったのかなんて。もうわからない。
リーン、と小さく鳴るのは鐘の音か。
あたたかい魔力の気配。別の魂が混じって、溶けていく。私はこの魂を受け入れる。
――かみさま。
願わくば、あのひとが幸せでありますように。そして次に出会うときは、ちゃんと好き、と言えますように。
・・・そして私は、長い眠りについた。
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