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9月 リリィさんと海 (後編)
32 リリィさんと海
しおりを挟むリリーさんと未海さんと……俺と三人で……
いつもの防波堤の先端に来た。
リリィさんが歩くまま、俺と未海さんは黙って彼女の背中を見ながら只々、歩いてここまでやってきた。
もう、九月の陽は沈み加減で、1000mも無い、低い山並みが南北に連なる、遥か西の、遠くのなだらかな稜線を描く阿武隈山脈にオレンジ色の鮮やかな夕日を纏いながら、まさに太陽は沈もうとしていた。
穏やかな波の音がする防波堤の先端の、最近は来る事も無くなった、あの防波堤にリリィさんはゆっくりと腰かけると、未海さんも隣に座り込んだ。
リリィさんは微かに聞こえる波が砕ける音をバックに未海さんを見つめて静かに語りかける。
「私ね、ここに来るまで、日本に来るまで、海見たこと無かったの。
初めて見た海は大っきくて、テレビでみるよりもずっとずっと大きくて……
それに、この独特の潮臭いって言うの? この匂いあんまり好きじゃなかったけど……慣れるとなんか不思議ね、今はもうすっかり平気」
穏やかに微笑むリリィさんを見る未海さんは、俯き加減で、それでいて、優しく語りかけるリリィさんの目をしっかりと見ている
「私にとって海は、もの凄く嫌いな物で……もの凄く大切なもの……
それは、パパを私の元から連れて行ってしまったから……
パパは、まだ……私の元からいなくなる人じゃ無かった、だけど……いなくなってしまった。
ううん……
未海ちゃんを責めてるわけじゃないの……
ただ、その事実を言っているだけ……
海は、私にとって、大切なパパを私から奪った、とっても、大嫌いなもの……
私は……その後、ずっとお家で暮らしていたけど、お家から時々聞こえる波の音を聞くと、心が落ち着いてくるのがわかった。だから、外に出て……海に行ってみた。誰かに呼ばれるように私は向かったの。
そこで、やっぱり分かったのは、パパと遊びに来た海を見ると心が落ち着くって言う事……それに気が付いたの。
とっても、とっても不思議だったけど……パパを私から奪った海を見ていて気分が落ち着くなんて、変な話だけど、実際にそうだった……
ゆっくり、優しく繰り返す波の音を聞くと、とっても落ち着いて、パパが話しかけてくれるように感じていたの、波がゆーっくり引いて戻って来るときに砕ける波の音、スーッと引く波の音……それを聞いていると聞こえてくるはずのないパパの声が聞こえるような気になっていたの。
私はその波の音をたどって歩いたの……私が感じる、パパを感じる、ゆっくりと繰り返す波の音……
それは、とっても不思議なんだけど、ゆっくり、ゆーっくり寄せてくるリズム、時折、思い出す様に砕ける波の音、一番、私の中のパパを感じる場所が……それが、私が通い続けた、この防波堤の先端だったの。
ここに来るとパパが声をかけてくれるているように感じたの、そんな事ないって分かっていたけど、でも、私にはそんな風に感じられたんだ……
だから、通った。パパとお話ししたくて。
ずっと通ったんだ。
ねえ未海ちゃん……私はパパが大好きだったの。いまでも、そんな風にいないパパを求めて……こんな風に私の心は彷徨っているの。
そんな私の大好きなパパが、命をかけて助けたの、あなたの事……だから、パパをがっかりさせないで……
そんな事しないで……
未海ちゃん……学校に来て……」
リリィさんはスッと立ち上がると下でうずくまる未海さんを見た。
海風がリリィさんの長い髪を揺らす。
「……」
「きっと私が来たから、学校に来なくなったんだよね? 分かってるよ、だったら、余計にそんな事しないで……」
「……」
「私ね、未海ちゃんを許すとか許さないとか、そう言うんじゃないんだよ。きっとパパは、そんな事を望んでないよ。元気に楽しく学校に通う未海ちゃんを望んでいる。
絶対に……だから、……お願いだから、パパの願いをかなえて……このまま、学校に来ないとか私とお友達じゃないとかやめて……
もしも、私が、未海ちゃんを許せないとしたら、それは……
パパが繋いだ未海ちゃんの未来を無駄にしようとしていると思った時!
そんな事するなら、それは絶対に許さない!!
それは、未海ちゃんがこのまま学校に来ないような今の事!
いつまで学校に来ない気なの?
私の様に、なりたいの?
けんたろーみたくなりたいの?
きっとパパは、パパなら、そんな事をする未海ちゃんを許さない。ううん、パパを出すなんて卑怯だね……
私が許さない!
未海ちゃんが私に引け目を感じるなんてやめて!
だから……
行こう……」
リリィさんは未海さんに手を差し出した。
ニィと笑うリリィさんは未海さんを見つめて呼吸を整えた。
「私の手を取って、未海ちゃん……
あなたが海で無くした私への気持ちを……もう一度、取り戻して。
そして……またやり直そうよ……
私達の……海に置き去りにしちゃった1年を、これから、始めようよ……未海ちゃん……」
「うううううう……私……ごめんなさい……ううう」
未海さんが大粒の涙を流して言葉を継げないでいる。
「謝らないで、私達友達だったじゃない、私が日本に来て最初に話しかけてくれて最初に友達になってくれたのは未海ちゃんだよ。忘れた?」
下で首を振る未海さんにリリィさんは手を差し伸べ続ける。
「私達が仲良くする事が一番、パパも喜ぶよ。さあ、一緒に手を繋いで帰ろう!」
蹲る未海さんがゆっくりと右手を差し出すと、身体の大きなリリィさんは差し出された手をスッと掴み優しく引き上げ……未海さんを抱き寄せた。
「リリィちゃん……ありがとう……ごめんなさい」
「だから謝るなって」
「ううん、違うの。辛いのはリリィちゃんなのに、私を悪くない様にしてくれている事が嬉しくて、ありがとうで、ごめんなさいなの。
リリィちゃん、私ずっと、今も……リリィちゃんのこと大好き……本当にこれからも友達でいてくれる? 私がいなかったらリリィちゃんのパパは---」
「未海ちゃん、同じ話、もう済んだこと、今、こうして、温かい未海ちゃんとお話している。それが全て。これからもずっと仲良し、私とあなたは何も変わらない。それが分かったら、もうこの話は終わり……永遠に終わり……いいね?」
リリィさんに抱かれ小さな未海さんはリリィさんの胸元で小さく頷いて、
「ありがとう」
と呟いて涙を只、流している。
「けんたろー?」
少し離れて様子を見ていた俺に未海さんを抱くリリィさんは体制を変えて、
「けんたろーにも言いたい事が有るの、こっちに来て」
美少女を抱く良い笑顔のリリィさんが俺を指名してきた。
陽が沈み、太陽の残り火でほのかに明るい西の空が照らす、わずかばかりのオレンジ色の照明が優しく微笑むリリィさんの表情を明るく見せる。
「けんたろー、ありがとう。けんたろーにも言いたい事がるの……」
「なんだい?」
「さっき言ったでしょう? パパとお話ししたくて、ここにずっと通ったんだって」
首を縦に振る俺に、
「そしたら……ある日……
パパは現れなかったけど……けんたろーがやって来た。
忘れもしないあの日……
先に防波堤の先端で椅子に座って海を見つめる、けんたろーを見て、怖くなった。
後ろ姿だったけど、けんたろーの後姿がパパに見えたの」
驚く俺を見て、
「……ごめんね……でも、その時、一瞬だけそう思ったの……それでけんたろーに声を掛けたの……でも振り返った男の人は、パパじゃなかった……当たり前……だよね。
それで、何か色々余計な事話しちゃった……
変な話だけど、最初からけんたろーに甘えちゃった……
でもね……
今は、凄くありがとって思っているよ。
お母さんの事、未海ちゃんの事、私の事。
とても私だけじゃ……絶対、私だけじゃ出来なかったもん。
本当にありがとう……今は、最初はお父さんの代わりの様に思って……見ていたけど……今は……全然そんな事無いよ……
私の掛替えのない大好きな大人同級生、佐藤健太郎君。
いっぱい、いっぱいありがとう……大好きよ」
良い笑顔の、ニィと笑ういつものリリィさんが未海さんを抱いたまま、こちらを見て瞳を潤ます。
ゆったりとしたリズムで時折聞こえてくる波の音だけが、俺とリリィさんの間に静かに心地よく響いている。
ああ、俺だって、子供小学生のお前が大好きだよ……
子供としてだけどな……
「リリィさん……お礼は要らないよ。
俺は、たぶん誰にでも同じにすると思う。それがリリィさんだからってわけじゃじゃないよ。
だから、変に恩を感じることは無い。
それに、最初は校長先生の指示だったんだからさ。俺の本心から、そうしたいって思ったわけでは無いしね……
でも、どうかな?
リリィさんとは多分ここで知り合っていたんだと思うな……俺にもここには……父さんと母さんとの大切な思い出が有った場所だから……きっと、君とは巡り合っていたのかもしれないな……
俺が学校に通う様になって、ここに来る時間が変わったのが、偶然なのか必然なのかは分から無いけど……そうだな……君とは絶対にここで会っていたんだろうと思う。昼間に会えば、今の俺なら、間違いなく不審に思って声を掛けると思うよ」
俺は軽く右手を上げておどけてみせた。
「けんたろー、こっち来て」
腕を伸ばし俺を抱き寄せるリリィさん。
美少女2人に抱きしめられる俺……
ほんと、社会的に消されても文句言えないよ……でも嬉しい。
「これからも、よろしくね」
リリィさんが小さく呟いた。
「ああ、よろしくお願いします。二人共」
「ねえ、けんたろー、ありがとうのチューしていい?」
恩人と言った俺を早速消す気か?
「要りません。さあ、暗くなってきた、帰ろう」
いたずらに微笑むリリィさんの笑顔とさっきまでとは別人のように、いつもの可愛い未海さんに俺は当たり前の、小学生としての現実に戻るように促したつもりだ。
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