鈴音や君の名は

ころく

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三章 人因怨呪

第五十八話 二重 ‐ハヤイモノガチ‐

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 聞こえるは己の足音のみ。静寂が漂う空間には、足音がよく響く。
 廊下、教室、階段、踊り場。各所で気絶している多くの生徒達。人は大勢居るのに人気を感じさせない校舎は、異質さが際立つ。
 そんな中を、供助きょうすけ達は足早に歩を進めていく。

「供助、どうにかすると言って出て来たはいいが……何か作戦はあるのかの?」
「ねぇよ。ある訳ねぇ」
「はぁ、だろうの。聞いてはみたが期待はしとらんかった」
「第一、作戦を考えてる時間なんてあるか?」
「無いの」

 供助の言葉に、猫又は溜め息混じりで答えた。
 まだ生徒達の症状は重くなく、喰われるまでは時間がある。が、楽観視は出来ない。
 横田が手配した払い屋の増援が来るまで、あと一時間半は掛かる。それまで生徒達が保つかと聞かれたら……口を紡いでしまう。

「俺等が不巫怨口女の相手をして気を引く。増援が来るまで持ち堪えるしかねぇ」
「やはり、それしか手は無いか。大仕事だの」
「前に一度言ったが、俺達が不巫怨口女の気を引き付ければ、生気を吸い取る力が弱くなるかもしれねぇ」
「それを期待して、横田が寄越した増援が到着するまで私達が踏ん張るしかない、か。猫の手を借りたいどころではないのぅ」
「それでもやるしかねぇんだよ。やらなきゃ、死んじまう」

 早歩きで廊下を進む供助。
 策も無い。案も無い。増援が来るのもまだ先。孤立無援に近いこの状況。供助が払い屋になってから一番の難題だった。
 自身の霊力を遥かに凌ぐ妖気を持つ妖怪、不巫怨口女。数百年前に封印され、御霊みたましずめを行われていたにも関わらず、途方も無く底無しの怨念を孕んでいる。
 消えず、癒えず、忘れず。人間にされた行いを、犯した罪を。妖怪と化した数百年後の今となっても、怨み晴らし肉喰らう。
 上級の払い屋でも苦戦必須である妖怪に、見習いの払い屋一人と猫の妖怪一匹で交戦しなければならない。正直言って、五体満足で朝日を拝むのは難しいかもしれない。
 しかし、やらなけらば死んでしまう。喰われてしまう。先生が、生徒が、クラスメートが、友人が、幼馴染が。
 やらなければ学校に居る人間全員が、朝日を二度と浴びる事が出来無くなるのだから。

「供助、止まれ」
「んっだ、猫又?」

 不巫怨口女の瘴気によって、まともに機能しない猫又の嗅覚。だが、鼻が捉えた。嗅ぎ間違いではない。確かに猫又は嗅ぎ取った。
 そしてそれは、既にそれだけ近くに居る、という事。

「この、匂いは……!」

 鼻を突くのは、とある匂い。学び舎である校舎では嗅ぐ事はまず無い、紫煙の香り。
 小さい火元を口に咥え、煙草の煙を纏わせて。
 彼は、前兆も突拍子も無く、そこに居た。現れた。



「やぁやぁ、君等も来てたのか」



 黒い革ジャンに革のズボン、ブーツ。今だ残暑があるこの時期に、暑苦しい格好をしている。そして、深く被ったニット帽から僅かに伸び出る、赤い髪。
 同業者であり、商売敵。奴が当たり前のように、居た。

「お前ぇは、祓い屋……!?」
「供助の真似では無いが、面倒な奴が現れたもんだの」

 供助は僅かに目を細ませ、猫又は嫌悪感を隠さず身構える。
 対して祓い屋――七篠ななしのは、不巫怨口女の妖気や瘴気も気に介さず、街中と変わらず平然と煙草を吸っていた。

「何しに来やがった?」
「んん? 何しにも何も、この学校に妖怪が現れて、俺の職業は祓い屋。教えなくても分かるだろ」
「ってぇ事は、標的はやっぱ……」
「不巫怨口女。こんなデカイ仕事、見過ごすのは勿体無い」
「ちっ、二重依頼か……!」

 二重依頼。一つの払い屋だけでなく、他の所にも同じ依頼を頼む場合がある。
 基本、そんな事をすれば互いに足を引っ張り合って仕事に支障が起きたり、依頼者側が信用を失って今後依頼が受けてもらい難くなる。
 そのようにデメリットも多く滅多に二重依頼がされる事は無いのだが、今回はその滅多に無い事が起きた。
 今回の依頼は不巫怨口女を倒し、祓うのに成功した場合に報酬が貰える。前金、依頼遂行の手間賃、経費等々、一切出ない。つまり、そういう事だ。
 この条件なら、依頼者側は二重三重に他社へ依頼をしても払う金額は変わらない。

「依頼者の野郎、裏でコソコソとムカつく事しやがる……しかも、よりによって祓い屋たぁな」
「ま、俺にとっちゃあ二重依頼だろうが何だろうが、仕事を貰えて金が稼げればどうでもいいがな」

 二重依頼がされていたという事はすなわち、供助達を信用していなかったという事。
 最初の移送管理で不巫怨口女の封印術式の偽った情報を与え、不巫怨口女が封印から解かれれば倒せと無理難題を言い、終いには二重契約。腹が立つのは当然だ。

「供助、今は無駄話をしている暇など無い。奴など放って早う不巫怨口女を探しに……」
「……」
「供助?」

 言って、猫又がきびすを返そうとする。が、供助から返事は無い。猫又が横目で見ると、何か考え込むように視線を下げていた。
 そして、小さく鼻から空気を吸い。供助は再び七篠を見やる。

「……あんたも依頼を受けたってんなら、今この状況がどういうのか知ってんだよな?」
「当然。依頼を受けた時に電話で話は聞いていたが、こうして見ると酷いもんだ」
「敵はかなり強ぇ上に、早く倒さねぇと学校に居る生徒が手遅れになる」

 近くに倒れている女性を一瞥し、七篠は煙草を吹かす。
 だが、自分の事でなければ他人事だと。道端で倒れている犬猫を眺めるのと同じく、小さな同情はあっても深い関心は無く。

「どうだ? ――――今回に限り、手を組むってのは」
「……なるほど、共同戦をしようってのか」

 供助は真っ直ぐと七篠を見て、自身が出した最良であろう案を持ち出した。
 七篠は咥えていた煙草を指で挟んで離し、口端を上げる。

「なっ……何を言い出すんだの、供助っ!?」
「緊急事態だ。すがれるモンには縋るしかねぇ」
「奴は祓い屋、商売敵であろう!? それに頼むなど……」
「猫又。俺の安いプライドで皆が助かる確率が上がるなら、半額弁当より買い得だ」
「供助……」

 供助が出した提案に、猫又は勢い良く首を曲げて大声を出す。
 勿論、猫又は反対だったからだ。得体も正体もよく解らない、商売敵である祓い屋。嫌がり反対するのは自然の流れである。
 だが、しかし。短い会話でその意思は猫又から消えた。
 供助の言葉に、覚悟に、想いに。何より優しさに。これを無下にするなど、猫又には出来なかった。

「確かに、今回の妖怪は一筋縄じゃあいかない厄介な奴だ。君等と組めば一人で対処するよりも効率的だろうな」
「……答えは?」

 左手で顎を摩り、薄らと笑みを浮かばせて話す七篠。供助はじっと見やり、祓い屋の意思を求める。
 そして、返答は。


「断る」


 拒否。
 一言、二文字。短い答え。

「俺と君等は商売敵だどうだ言う気はさらさら無い。が、報酬の取り分が減るなんてのは絶対に嫌だね」
「不巫怨口女の影響によって気ぃ失っている人間が何人も、何十人も居る。そいつ等が喰い殺されるかも知れねぇってのに、てめぇは金が第一か……!」
「なぁんか勘違いしてないか、少年?」
「あぁ?」
「俺は“不巫怨口女を祓え”という内容の依頼を受けた。気絶してる人間を救う救わないはそっちの都合で勝手なエゴだろ。ここに居る生徒がどうなろうと俺には関係無い」

 七篠は煙草を持つ右手を軽く上げ、人差し指と中指に挟まれた煙草の尻を親指で軽く弾き、落とされる先端の灰。
 床に倒れている女性生徒の頭に落ちそうになるも、気にしていない。そう、七篠は気にしていないのだ。自分に関する事じゃ無い限り、七篠は気にしない。
 仕事に、金に、儲けに。それ等に関係しないのなら、気にしない。気にならない。気に、掛けない。 
 だから、報酬金額が左右されないのなら学校の生徒の安否など、微塵も気にしない。関係無い。

「俺は与えられた依頼を内容通りに仕事をするだけだ。それ以上の手間なんて掛ける気は全く無いし、必要も無い。依頼は依頼。それ以上でも以下でもない」
「こ、の、男は……ッ!」

 ギリ、ギリリ。
 込み上げてくる怒りに、七篠という男の最低さに。猫又は奥歯を強く噛み締め、目を見開いて鋭い猫目を晒す。

「怒りの矛先は俺じゃなく依頼主様に向けるんだな。人命優先にする良識人なら、こんな依頼内容にしなかっただろうよ」
「貴様も十分に同類であろうが、祓い屋……!」
「過度なサービスは相手が付け上がる場合がある。線引きはきっちりと。それが仕事の出来る人間ってもんだ。金にならないボランティア、無駄な労働、サービス残業……そんなのは絶対にゴメンだ。少年もそう思うだろう?」
「何が出来た人間だの。腐った人間がよく言う」
「ま、交渉は決裂したが敵になるって訳じゃあない。君等が俺の邪魔さえしなければ、こっちから手を出す事もしないさ」

 協力はしないが敵意は無いと、七篠は右手の煙草を口へ運ぶ。

「……あぁ、そうだな。あんたの言う通りだ」
「供助っ!?」
「行くぞ、猫又」

 振り返り、背を向け。
 そして、背中越しに。七篠を睨み付け、しかし静かな口調で。

「交渉が決裂した以上、こんな野郎と話すのぁ“無駄な労働”だ。“金にならないボランティア”以下のくだらねぇ事に時間を使うのは勿体無ぇ。時間が無ぇ今は特にな」
「うむ、今はこんな奴の相手をする暇なんて無いからの!」

 供助は別ルートから不巫怨口女を探そうと足を進める。
 追うように猫又も供助に付いて行き、七篠の方へと一度振り向いて。

「イーッ! っだの!」

 去り際に、唇を左右に引いて白い歯を剥き出し、不愉快の意を顔で表して行った。 

「あらら、随分と嫌われちゃったようで。結局は払い屋と祓い屋。そうそう相入れる事は無いか」

 七篠は去っていく二人を眺めながら、微かに苦笑いを浮かべて肩を竦めた。
 静かになった廊下に立ち、煙草を一息吸って。

「ま、互いに仕事だからな。ここからは何があっても恨みっこ無しって事で」

 目深まぶかに被るニット帽を左手で少し上げ、七篠は紫煙を吐いた。

「さぁて、俺も働きますかぁ」
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