鈴音や君の名は

ころく

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二章 哀願童女

第四十三話 寿司 ‐オドシ‐

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「さ、遅い夕飯を摂ろうかの。供助、私はのり弁だからの」
「あん? のり弁は一個しか無ぇんだ、俺のだっての。お前は猫らしく魚が入ってる鮭弁食ってろ」
「のり弁にしか磯辺揚げが入っておらんではないか! 私は磯辺揚げが食べたいんだの!」
「何を言っても譲らねぇ。伸びてスープが無くなったカップラーメンじゃねぇだけ有り難いと思え」
「じゃあジャンケン! ジャンケンで勝負だの!」
「断る」
「あれだろう、私とジャンケンして負けるのが怖いのかの?」
「んな漫画みてぇな安い挑発に乗るかよ」

 先程までの静かでシリアスな雰囲気はどこへ行ったのか。気付けばいつものくだらないやり取り。いや、本人達にとっては真面目な事であるが。
 供助の家に騒がしさが戻り、外から聞こえていた夏虫の鳴き声もかき消してしまう。
 居間に戻ってもまだ猫又は引き下がらずにのり弁を求め、それを供助が拒んでもう一騒ぎ。居間の掃き出し戸に付けられて風に揺れる風鈴の音も、供助と猫又の声で聞こえやしない。
 口論すること約十分。結果は供助が勝ち、猫又は渋々諦めて鮭弁が夕飯になった。

「磯辺揚げ……」
「欲しがってもやらねぇぞ」

 人差し指を咥えて物欲しげな眼差しを送る猫又。
 それを鬱陶しそうにして、供助は自分ののり弁を猫又から遠ざけた。

「しっかし、毎日毎日飽きずに半額弁当……」
「間違えんな。飽きずにじゃねぇ、飽きても半額弁当だ」
「たまには贅沢してもバチは当たらんと思うがの?」
「俺だって出来るんモンなら贅沢してぇよ。出来ねぇからこうして節約してんだろうが」
「スーパーで売ってた刺身も良いが、やっぱり寿司が食いたいのぅ」
「鮭弁の鮭を炙りサーモンと思って我慢すんだな」
「マグロ、イクラ、ウニ、ホタテ……イカやエンガワもいいのぅ」
「黙って食え。食いモンがあるだけ有り難ぇんだ」

 供助は割り箸を口に咥え、弁当を包装していたビニールをビリビリと破いていく。
 もうどれだけ刺身や寿司を口にしていないか。猫又が寿司ネタを口にする度、供助の頭にも油が乗った美味そうな寿司が思い浮かぶ。
 しかし悲しいかな、今ある食料は半額弁当のみである。無い物ねだりをしても無い物は無い訳で、ただ虚しくなるだけ。

「のぅ、供助。明日はパーっと寿司にせんか、寿司に! 出来れば酒も……」
「却下、ウチの家計にそんは余裕はねぇ。諦めろ」
「のぅ供助ぇ、いいではないかぁ。ちょっとくらい贅沢してもー」
「今日だってタダ働き同然の仕事だったからな。儲けがなきゃ贅沢が出来る訳ねぇだろ」
「寿司ぃ……食いたいのーぅ」
「友恵から金を受け取ってりゃ、今頃は寿司を食えてたんだろうけどな」
「ふむ……やっぱり今からでも貰えたりせんかの?」
「おい。俺が金を受け取ると思ってキレてたのはどいつだよ?」
「冗談だの、冗談」

 てへぺろ、と舌を出してウインクする猫又。供助は口から手に持った割り箸を横に割ってしまいそうな程、強く握る。
 これ程ブン殴りたいと思った妖怪は初めてだった。

「しかし、寿司が食いたい衝動は抑えられんのぅ」
「諦めて弁当を食え」
「寿司ぃ、寿司ぃ……すぅーしぃー」
「あーもう、うっせぇな。文句あるなら弁当無し……あん?」

 テーブルのだらしなく突っ伏して駄々をこねる猫又。いい加減面倒だと思いながら、供助が割り箸を綺麗に真っ二つにした時だった。
 テーブルに置いていた携帯電話から音楽が鳴り始め、電話の着信を知らせてきた。

「太一からか」

 画面に着信相手の名前が表示され、早く出ろと音楽は鳴り続く。

「猫又、電話すっから声出すなよ」
「すぅぅぅぅぅしぃぃぃぃぃ……」
「おい、駄猫」
「聞こえておる。では静かに貧相な弁当を食すかの。はぁ、寿司……」

 ようやく諦めたようで、溜め息しながら猫又は弁当の包装を解いていく。
 しかし、諦めても未練はあるようで。溜め息を一つ吐いてから口先を尖らせた。 

「おう、太一」
『あ、ようやく出たか供助! 何回も電話したんだぞ』
「あー悪ぃ、ちょいと立て込んでてよ。気付かなかった」
『ウンコかー?』
「ま、そんなとこだ。なかなか出が悪くて手間取ってよ」

 電話の相手は、供助の数少ない気の知れた友人の一人。小学校時代の友人でもある太一。
 太一の冗談に受話器越しに笑って見せて、供助は冗談で返す。その様子を、猫又は弁当を口に運びながら眺める。
 供助が笑う所を見るのは別段珍しい事ではないが、いつもと少しだけ違う表情に新鮮さを感じていた。
 猫又に見せるものとはちょっと違う、知らなかった供助の一面。猫又の相棒でもなく、払い屋としてでもない。学生らしい、年相応の無邪気さが混ざった笑顔。
 知った一面とは別の一面。初めて見た供助の顔に、猫又は口に入れたおかずを噛むのを忘れて見ていた。

『あーわかってるって、今言うから』
「ん? 誰と話してんだ?」
『今学校帰りでさ、祥太郎も一緒なんだ』
「学校帰りって……今日は土曜で休みだよな?」

 学生である供助は社会人と違い、完全週休二日制である。供助は勿論、太一も祥太郎も部活に入っていない。なのに休日である土曜日に、何故学校なんて行ったのか。
 学校では大人しい優等生で通っている祥太郎なら何か用事があったのかも知れないが、供助と同じ不真面目な太一の場合、休日に学校に行くなんて一体どういう風の吹き回しか。
 明日の天気は雨が降る可能性が出て来た。

『文化祭の準備だよ、文化祭の』
「うへぇ、こりゃまたご苦労なこって」
『お前は知らないだろうけど結構進行が遅れてんだよ』
「遅れてんのは知ってっけど、そんなになのか?」
『委員長が終始ピリピリしてたぜ。お前がいたら確実にイビられてたな』
「誰が休日にまで学校に行くかよ」

 太一達が休みの日まで学校に行っていた理由を聞き、供助は納得する。
 確かに先週の時点で進行が遅れていたし、この間のロングホームルームで委員長が切羽詰った様子でクラスメートに指示を出していた。
 まぁそれでも供助は対岸の火事。同じクラスなのに、まるで他人事のように興味を持たない。
 一応登校日の放課後には供助も文化祭準備の手伝いをしているが、それは与えられた仕事を最低限だけ。周りが他の仕事を手伝っていようと、供助は自分に役割りされた分を終わらせたら即帰宅。
 別に間違った事をしている訳ではない。だが、文化祭準備の進行が遅れて忙しいというのに、あまりに協調性が無い供助。
 それが理由で委員長とは頻繁に言い合いになっている。いや、言い合いと言うか、委員長がほぼ一方的に口撃するのだが。
 対して供助は飄々ひょうひょうと聞き流し、面倒臭そうに怠そうな態度。それが余計に委員長へと油を注ぐという展開が毎度行われている。

『で、そろそろ本題に入るんだけどさ』
「なんだ?」
『今からお前ん家に行くから泊まりで遊ぼうぜ。って言うか、既に向かっててもう着くんだけど』
「……はぁ!?」

 太一が言っている事を理解するのに数秒の間を空け、供助は素っ頓狂な声を上げた。

『いやぁ、時間が時間だし、祥太郎も電車で帰るの面倒だって言うし。明日は文化祭準備が無いからさ』
「いきなり過ぎんだろっ!」
『でも最近、お前の家で集まってなかっただろ? 久々に夜通し遊ぼうぜ。この時間に起きてるって事はバイト無いんだろ?』
「いやまぁ、無いけどよ……」
『んじゃ行くからなー。食料ももう買ったから』
「ちょっと待てっての、今日はあんま乗り気じゃ……」
『散らかってても今更気にしないって。あとちょっとで着くぞ。って言うか着いた』
「早いなオイ!」
『電話しながら歩いてたからなー。私メリーさん、今あなたの家の前に居るの』

 携帯電話の向こうから聞こえる太一の声と同時に、家の呼び鈴が鳴った。

「マジかよっ!?」

 供助が走って居間の戸から廊下に顔を出して玄関を見ると、確かに玄関の磨りガラスに人影が映っている。どうやら太一達が来たのは本当らしい。
 困る。非常に困ると、いつも怠惰感を丸出しの供助が珍しく焦っていた。
 友人である太一と祥太郎には、供助が霊感がある事や払い屋の仕事をしている事を秘密にしている。となると当然、隠さなければならないモノがある。いや、居る。
 供助は振り返り、その隠さなければならないモノへと視線をやった。

「んむ?」

 そこには口一杯にご飯をかっ込み、頬っぺをまん丸に膨らませている悩みの種が居た。
 思わず頭を抱える供助。急かすように鳴る呼び鈴。迫る時間と選択。

「供助の友人なのだろう? 入れてやればいいではないか。私は気にせん」
「お前が気にしなくても俺がすんだよ……」

 猫耳と二本の尻尾を妖気で隠せば人間として通せるが、問題はそこじゃない。
 猫又は中身に問題があるが、黙って大人しくしていれば美人の類に入る。年頃の学生の家に同棲する美女。これを知られたら面倒な事になってしまう。
 太一達は口が固いから言いふらされる事は無いだろうが、同居している経緯や理由をどう誤魔化すかが面倒かつ大変なのである。
 何より二人が同居している事を知れば面白がり、さらに供助の家に入り浸ってしまう可能性が高い。
 悩んでいる間にも忙しなく鳴る呼び鈴。供助は悩む時間も無い中、ど安定の選択を取る事にした。

「猫又、二階の俺の部屋に隠れてろ」
「む? 供助の部屋にかの?」
「理由は解んだろ」
「まぁの」
「パソコンや漫画があるから暇はしねぇだろ。俺のダチが帰るまで頼む」
「しょうがないのぅ。どれ、では移動する……」

 供助の心情を察し、食べかけの弁当を持って立ち上がる。
 そのとき猫又に、電流走る! 圧倒的閃き、悪魔的思考――――!

「どした、猫又? 早く二階に……」
「供助」
「あん?」
「私、寿司が食べたいのぅ?」

 にっこりと満面の笑みで、猫又は供助にお願いする。
 猫又は可愛らしい笑顔で言ったつもりだったが、供助にとっては笑顔には見えなかった。
 細目で眉間に陰りを作り、三日月のように吊り上げた唇。もはやそれはゲス笑いそのものだった。

「はぁ!? ふざけんな、んな豪華なモン食える余裕なんか……」
「そうか。さて、テレビでも見ながらゆっくり弁当でも食うかの」
「こんの糞猫、脅すつもりか……!」
「え? 脅すってなぁに? 私はお寿司を食べたいって言っただけだの?」
「何度も言ってんだろ、寿司なんて無理……」
「あ、昨夜依頼があって見れないから録画していた深夜アニメでも見ようかの」

 猫又は再度座り、テーブルに置いてあったテレビのリモコンをいじり始める。

「だぁぁぁぁ、クソッ! わあったよ、今度の依頼で金が入ったら食わせてやる!」
「本当かのっ!?」
「本当だから頼む、早く二階に……」
「ひゃっほーい! 寿っ司、寿っ司ぃ! 絶対だからの、約束だからの!?」
「あぁ、約束するから早くしてくれ」
「うむ、ではの! 寿っ司っ食いっねぇー! だのーぅ!」

 目をキランキランに輝かせ、騒がしく二階に上がっていく猫又。予想外の出費が確約され、供助は項垂れ額に手をやる。
 寿司が約束されてテンションが上がっていても、ちゃっかり弁当まで持って行っている辺り猫又の食い意地にも呆れてしまう。
 悩みの種かつ騒音の原因が退場して一気に静かになる。呆れと疲れと脱力感に、供助は大きな溜め息を吐かずにはいられなかった。
 そして、静かになった居間に響くは――――。

 ピンポピンポピンポピピンポーン

 友達が連打する、呼び鈴の音だった。
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