鈴音や君の名は

ころく

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二章 哀願童女

第四十二話 仇敵 ‐キョウツウテン‐

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「ふぃー、すっきりさっぱり。やっぱり風呂は良いのぅ」

 帰宅して風呂上りの猫又。お湯の余韻で唇はんで赤く、少しはだけた着物姿は妙に色っぽい。
 濡れた髪をバスタオルで拭きながら、茶の間の引き戸を開ける。

「待たせたの、供助。弁当を食べ……おろ?」

 茶の間に一歩踏み入って、猫又は部屋に誰も居ない事に気付く。
 風呂に入る前には居た筈の供助の姿は見えず、電気が点けっぱなしになった茶の間は無人だった。
 居ない人から返事がある訳も無く、テレビも消えていて静か。開けられた掃き出し窓からは網戸越しに夏虫の鳴き声が聞こえるだけ。テーブルに買ってきた弁当が二つ置いてあり、横に箸もある。

「はて、どこに言ったのか……かわやかの?」

 厠と言うのは、昔の言葉で言うトイレの事。
 しかし、猫又が風呂場から茶の間に来る途中でトイレの前を通ったが、明かりが点いていなかった記憶があった。という事はトイレでは無い。

「ふむ、靴はあるの。外に出た訳ではないか」

 頭だけを廊下に出して玄関を見ると、供助の靴はちゃんと二足あった。
 隣の台所にはいる様子も無くて、なら消去法で二階の自室かと考えた所で。

「……む? 奥の部屋から気配がするの」

 頭の猫耳をぴくんと動かして、猫又は正面に伸びる廊下の奥に目を向ける。
 縁側の廊下に沿って部屋が二つある事を猫又は知っているが、実際にその部屋を使った事も入った事も無かった。
 一応匂いを嗅いでみると、確かに奥の部屋から供助の匂いがする。やはりそこに供助が居るのは間違いなさそうだ。
 だが、供助が居るであろう部屋から明かりが点いているようには見えなく、廊下には暗闇だけが広がっている。
 早く弁当を食べたいという空腹から。何より供助が何をしているのか、という好奇心から。猫又は足音と気配を消して廊下を進み始めた。

「くっく、もしやエロ本でも読み耽っているのかのぅ」

 声を殺して悪戯な笑みを浮かばせ、そろりそろりと部屋に近付く猫又。
 抜き足、差し足、忍び足。お化け見たく手を前に出し、背中を丸め、土踏まずを付けないようつま先で歩く。その姿はもう、コントに出てくる泥棒そのものである。
 縁側の戸袋はまだ閉められておらず、外からは月明かりが差し込む。
 そして、一番奥の部屋。開けられた戸の向こうに、畳に胡座で座る供助の後ろ姿が見えた。
 やはり部屋は無灯で、頼りになる明かりは月明かりだけ。

「……にひっ」

 こっそりと近寄り、エロ本を読んでいるであろう供助を驚かせようと。猫又は慌てふためく供助を想像して、悪戯する子供のように口元を緩めた。
 供助との距離は一メートル。背中を軽く叩こうと手を伸ばし、猫又は静かに息を吸う。
 大声を出すのと同時に供助の背中を押す準備が整い、さぁ今だと息を飲んだ――――瞬間。

「――ッ」

 供助の向かいにある物が目に入り、猫又は僅かに目を見開いて手を止めた。それと同時に、猫又は己がしようとした行いを後悔し、反省する。 
 外から差し込む月光が薄らと照らし見えたのは、仏壇。供助は目を瞑り、手を合わせて静かに拝んでいた。

「……供助」
「おわっ!? っと、ビックリした。居たのか」

 猫又が声を掛けると、驚いて後ろを振り向いた。
 足音を消して近付いていたのもあったが、拝むのに集中していた供助は猫又に気付いていなかった。

「家族の……かの?」
「……まぁ、な」

 猫又が仏壇へ視線をやると、供助も再び正面を向いて答えた。
 小さめで黒色の仏壇。扉は開かれ、中には位牌が置かれてある。線香立てには灰しか入ってなく、部屋に匂いが無い所を見ると線香は焚いてないようだ。

「両親のだ。俺が小学六年の時……五年前に、逝っちまった」
「そうか……若くして亡くなってしまったか」

 猫又は仏壇の前で膝を突き、仏具の輪を輪棒で二回鳴らす。そして、目を瞑って手を合わせた。
 部屋に響くは沈黙の静寂。鎮魂の意を込めて、静かに拝む猫又。
 供助はまだ高校生という若さ。さらに五年前となると、供助の両親がまだ多くの年を重ねず他界したのは聞かずとも解る。

「ま、今更隠すつもりもねぇし、想像ついてんだろ」

 十秒ほどの間を空けて。猫又が拝み終わるのを見計らい、供助は口を開いた。
 猫又は手を下ろし、仏壇に置かれている写真立てを見つめる。淡い月明かりが青白く照らす写真には、優しく微笑む女性と、その女性に気恥かしそうに寄り添う男性が写っていた。

「俺の両親は……人喰いに喰われた」

 供助は縁側の外へ視線を向け、夜空に浮かぶ月を見上げる。
 互いに反対を向く二人は顔は見えない。供助がどんな表情をし、何を思うのか。
 今すぐ振り向いて回り込めば見る事が出来るが、猫又はしない。結果が予想出来るからだ。
 顔を見ても供助は本心を見せない。どうせいつもの面倒臭そうな態度で気怠そうに、しれっとした様子のまま。
 そしてきっと、素直じゃない供助は……強がるのだろう。心の奥底に煮え滾った憤怒を隠し、悲しみを誤魔化す――――他人に弱さを見せないようにと。

「……そうであったか」
「薄々気付いてはいただろ」
「まぁ、の。少々古いとは言え、二階建ての一軒家に両親不在で一人暮らし。さらには人喰いを探し、異常な執着を見せていればの……想像するに容易たやすい」
「この家は元々事故物件っだったんだとよ。幽霊が出るってんで格安で購入して、両親が祓ったらしい」
「なるほどの。まだ若い大人が一軒家を手に入れれたのには、そんな理由があったのか」
「確かに両親は二十代後半で亡くなったけど、なんで若いって解んだ?」
「供助は高校生であろう? ならば逆算してある程度の歳は予想出来る」
「……そういうもんか」

 供助が月から目を離して仏壇の方へ向くと、ほぼ同時に猫又も供助へと振り返った。
 暗闇の黒色と月明かりの青白さ。そして、微かに香る畳の匂い。
 目が合っているのにも関わらず、二人の会話は止まって静寂が流れる。野外からの鈴虫の鳴き声が耳を撫で、無声の部屋。
 先に目を逸らしたのは供助だった。小さく息を吐き、頭を掻いて。

「……聞かねぇのか。なんで両親が人喰い喰われたか、をよ」
「聞かん。興味が全く無い……という訳では無いが、私は猫ではあるが好奇心だけで生きている訳ではないからの。どうしても聞いて欲しいと言うならば聞いてやるが」

 正直、人喰いの話には多少の興味があった。だが、猫で妖怪と言えど、猫又にもある程度のモラルは持っている。
 聞いていい話と聞かない方がいい話、それ位の判断はつく。

「その場合は酒と刺身を用意してもらおうかの」
「はっ、残念。酒の肴にゃ合わねぇ話だ」
「ふむ。しかし、話は合わなくとも刺身は酒に合うぞ?」
「そっちは合う合わねぇ別で買う金が無ぇ」

 小さな笑みを浮かべ、供助はわざとらしく肩を竦め。それに合わせるように、猫又もまた唇を緩ませた。
 そして、おもむろに。着物の袖に腕を入れて腕を組む猫又は。緩ませていた口元を引き締め、僅かに顎を落として口を開いた。

「――――私もな、喰われた」

 無表情……いや、内心にある感情を押し殺して平常を装い。
 猫又は淡々とした口調で言葉を発した。

「共喰いが友を喰ったのだ。生きたままな」

 閉じた口の奥で、奥歯を強く噛み締める。
 怒り、悲しみ、憎しみ、憐れみ。様々な感情が渦を巻き、心の中で混ざり合う。
 細く微かに開けられた目。視線を落として青白い畳の網目を見つめ、猫又は過去を思う。二十年以上も前の出来事を、忘れもしないあの日の事を。
 友の血を啜り、骨をしゃぶり、肉を咀嚼する奴の姿。手を真っ赤にさせて、血が滴る口を大きく歪ませて狂笑う――――金色の髪をした妖怪。狐の妖。

「前は共喰いを探している理由を話そうとしなかったってのに、どういう風の吹き回しだ?」
「なに、ちょいとな。供助の話を聞いて、私も話さなくては公平ではないと思った。それだけだの」
「……互いに恨み辛みを持って生きている、か。それも二人揃って仇討ちたぁ、嬉しくもねぇ共通点だ」
「人を呪わば穴二つ、と言うが……妖怪相手ではどうなのだろうの」
「要らねぇよ、てめぇが入る穴なんかよ。要るのは仇を討ったってぇ吉報と、墓前に添える花で十分だ」
「ふふっ、そうだの。自分まで墓穴に入ってしまっては墓参りも出来ん」

 無表情に近い真剣な面持ちだった猫又に、再び小さな笑みが零れた。

「居間に戻るか。腹減って死にそうだ」
「墓穴は要らんと言った次の台詞が死にそうだとは、矛盾してるの」
「うっせ。お前ぇと違って俺は今日なにも食ってねぇんだ」

 供助は横目で猫又を見ながら立ち上がる。
 縁側から差し込む月明かりで影を作り、居間に戻ろうと仏間から廊下へと出た。

「……よいのか?」
「あ? 何をだ?」
「共喰いの話、詳しく聞かなくての」

 供助は肩越しに顔だけを向けて、猫又は座ったまま話す。

「俺は人食いを探している理由を言った。お前は共喰いを追っている理由を話した」
「……気にならんのか?」
「別に。それにこれ以上話したら、お前が言う公平とやらが公平じゃなくなるだろ」

 そして、供助は小さな含み笑いを見せる。
 猫又とは違い、供助は特に共喰いへの興味も関心も特に持っていなかった。
 自分は自分で、他は他。面倒事が嫌いで面倒臭がりの供助は、他人に興味を持つ事は殆んど無い。
 周りが騒ぎ盛り上がっていても、自分が乗り気でなければ無関心。今、学校では文化祭の準備で忙しいのに第三者のような態度を取っているのがいい例だろう。
 良く言えば周りに流されない。悪く言えば協調性が無い。

「ま、どうしても聞いて欲しいってんなら、飯を食いながら聞いてやるけどよ」
「ふん、止めておこう。折角の夕飯を不味くしとうないからの」
「そりゃ良かった。飯は美味く食いてぇし、なにより俺は長話を聞くのは苦手だ」
「私も自分語りというのはどうも苦手での。口を動かすなら御飯を食べる方が何倍もマシだの」

 そんないつもの調子の供助。口が悪く、皮肉を言い、遠回しな気遣い。
 供助の不器用さ、素直じゃない捻くれた性格。猫又はおかしくて自然と唇を吊り上げ。
 供助の後ろを付いていって、猫又も居間へと戻っていった。
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