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二章 哀願童女
第三十八話 報酬 ‐ニマンエン‐
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友恵の家に明かりが点き、一階の窓から光が漏れる。明かりが点いた家が並ぶ住宅街の中、孤立したように暗かった友恵の家。
だが、家内の惨状を知って叫ぶ両親の声と共に、友恵の家も住宅街の一軒に馴染んでいった。
一件落着、依頼完了。友恵の家族を苦しめていた妖怪は完全に祓い、これでいつもの日常がやってくる。
妖怪のせいで友恵の両親は喧嘩をして仲違いしていたが、元々は仲が良ければ修復に時間は掛からないだろう。
これで家に帰れる。供助は疲労を吐き出すように溜め息を一つ。
「しかし、供助」
「んあ?」
「良かったのかの? 友恵の両親に妖怪の事を話してしまって」
「あー、その事か。別に問題無ぇだろうよ。それに言っちまった方が面倒じゃねぇ」
「面倒でない?」
供助は視線を少し上げ、後頭部を数回掻いて答える。
その答えを聞き、猫又は片眉を下げた。
「人間てぇのは面倒臭い生きもんでよ。何か理由があった方が生きやすいんだよ」
「理由、とな?」
「喧嘩したのも友恵を悲しませたのも。全てを妖怪のせいにすりゃ、自分に否はねぇと突っ掛かり合う事も無ぇだろ。全部が妖怪が悪かった、で済むからよ」
「ふむ……まぁ、妖怪のせいにすると言うが、元々妖怪のせいなんだがの」
「原因や理由、ストレスや不満の捌け口が他にあれば、互いに言い合って衝突する事も無くなる。だから隠さねぇで妖怪の事を言った」
「なるほどの。確かに原因は自分達だったと言えば、両親は互いに互いへと罪を擦り付けていたかもしれん。最悪、それが原因で本当に仲違いをするかものぅ」
「けどそれも、何か理由がありゃ余計な事も起きねぇ。出来ていた溝も簡単に埋まっちまうもんだ」
本当に面倒臭ぇ生き物だ、と。
供助は自嘲するように小さく笑った。
「それに、ああ言ってはいても殆んど信じてねぇだろうよ」
「信じてはいない……が、信じた振りはするだろうの。妖怪のせいだと理由を作る為に」
「それでいいんだよ。妖怪のせいにしても言い訳でもなんでもねぇ。事実なんだからよ」
猫又は供助の話を聞き、確かに人間は面倒臭い生き物だと納得する。
理由を作る為に信じてもいないものを信じた振りをする。内心では馬鹿らしいと思いながらも。
しかし、今回は妖怪が原因という特殊なケース。それに供助が言った通り、妖怪が原因なのは事実。理由を作ると言ってもそれは本人達の主観である。
とにかく、せっかく依頼を終わらせて問題を無くしたのに、結局友恵の両親が仲が悪くなっては後味が悪い。妖怪の事を話したのは正しいかどうかは別として、供助はこれでいいと思った。
それにもし自分が友恵と同じ立場になったら、両親が喧嘩をする所も、仲違いする所も見たくなかったと思うから。
「仲が良い両親だったと友恵から聞いておる。なら、また自然と関係は修復するであろう。そう心配は要らんの」
「真っ暗返しが取り憑いたって事ぁ、それなりに幸せだったって証拠だ。この程度の不幸でへこたれやしねぇだろうよ」
「うむ。友恵の家族も家に入ったし、私達も帰ろうかの」
「あー、腹減った」
今は血が止まっているとは言え、供助の頭部には裂傷。加えて体中の痣。
児亡き爺によって負わされた生々しい傷が多くある。重傷ではないが、手当はした方がいいだろう。
しかし、供助にとっては多少痛みがあっても傷は問題ではなかった。それよりも空腹を早く何とかしたかった。
天性の打たれ強さのお陰で見た目よりもダメージは少なく、供助はこの程度の怪我は慣れている。
それよりも問題は、食い逃したカップ麺。今頃はテーブルの上で伸びきっているだろう。
「あ、よかった! まだ居た!」
ガチャ、と。扉が開く音。
供助と猫又が玄関に目を向けると、少し開けられた扉の隙間から友恵が顔を出していた。供助達がまだ居た事を確かめ、大きめのサンダルを履いて駆け寄ってくる。
「うむ? どうかしたかの、友恵」
「忘れ物! はい、これっ!」
友恵は供助の前で止まり、小さな両手で差し出すはカラフルな袋。袋の大きさはテレフォンカードくらい。よく見ると袋には可愛らしいキャラクターが描かれていている。
袋のキャラクターには見覚えは無いが、供助は何の袋かはすぐに解った。それは世に言う、お年玉などを入れるポチ袋。
「お父さんとお母さんを助けてくれてありがとう! お礼のお金だよ!」
満面の笑顔をさせて。友恵は厚みを帯びたポチ袋を、依頼の報酬として持ってきたのだ。
「忘れられてんのかと思ってたっての」
「前に言った通り、二万円入ってるよ」
「おう」
なんの抵抗も後ろめたさも見せず、友恵からポチ袋を受け取る供助。
それを猫又は、幼い子供から二万円という大金を何の躊躇いも無く、本当に受け取った供助が信じられないと唖然と眺めていた。
だが、眺めていたのも数秒。すぐに感情は怒りで埋め尽くされる。
「供助ッ! 貴様、本当に受け取るのかッ!」
「あん? なんだよ、依頼は無事成功させたんだ。報酬を受け取っても問題は無ぇだろ?」
「大いに有る!」
「どこに問題があんだよ?」
「人としてだのッ!」
物凄い剣幕を張り、供助の胸ぐらを掴む猫又。
今にも殴り掛かりそうな勢いであったが、友恵が居る前では必死に堪える。
「け、喧嘩しちゃダメだよっ!」
「しかしの、友恵……」
「いいんだよ、猫又お姉ちゃん。供助お兄ちゃんは約束を守って妖怪を退治してくれたんだもん。少ないけど、これが私が出来る精一杯のお礼だから」
「……本当によいのか? せっかく友恵の祖父母がくれたお小遣いであろう?」
「いーの! 私が私の為に使ったんだもん!」
「良い子だの。本当に友恵は……良い子だ」
供助の胸ぐらから手を離し、猫又は友恵の頭を撫でる。
友恵の優しさ、健気さ、純粋さ。猫又の頭に昇っていた血も下がり、友恵の笑顔に釣られて自分も微笑む。
「ほらよ、友恵がこう言ってんだ。問題も文句も無ぇだろ?」
「腐った人間だの、お前は……!」
「おう、腐っても人間だ。食ってかなきゃ生きていけねぇ」
しかし、相変わらずの供助に対しては。怒りを通り越し呆れ、さらに呆れを通り越して怒りに戻ってくる。
供助と友恵。人間性にこうも差が出ると、本当に同じ人間なのか疑ってしまう。
「ひぃふぅみぃ……」
睥睨する猫又の視線など気にもせず。供助はポチ袋の中身を数える。
袋の中身は諭吉が二枚あるのではなく、千円札が何枚も入っていた。
小学生がお年玉や小遣いで一万円札を貰う事など滅多に無い。今まで貰ってきた分を少しずづ少しずづ貯めていたのだろう。
「んし、ちゃんと二万円あるな」
「ごめんね、千円札ばっかりで……」
「金には変わりねぇ」
折れてても、汚くても、細かくても。お金はお金。飯が買えれば問題無い。
何枚もある千円札を折って、数え終わったお金を袋に戻す。
「んじゃ、有り難く頂く」
そう言って、供助はデニムの尻ポケットにポチ袋を入れる。
――――寸前。
「っと」
その手を、止めた。
傷が痛んで固まったでも、屁をこきそうになったでも、誰かに邪魔されたでもない。自らの意思で、その腕を止めた。
「俺とした事がうっかりしてた」
供助は空いた左手で髪を掻き上げ、どこか演技っぽく言う。
「そいや前払い分があったな」
「……え?」
「報酬はそれで十分だ。これは要らねぇ」
そして、供助は報酬であった筈の二万円が入ったポチ袋を、友恵へと返すべく差し出した。
この行動、意外な展開、予想外の言葉。友恵はよく解らず固まり、猫又も同様、思考が追いつかず呆然と見ているだけ。
「え、っと……え? 報酬は二万円……だよね?」
「だから、前払いの分で十分だっつったろ。俺は依頼に応じた分しか受け取れねぇよ」
「でも、前払いって……私、前に供助お兄ちゃんにお金を払ってないよ?」
「何言ってんだ、前に貰っただろうが。金じゃねぇけどよ」
「……え? お金じゃない?」
「あぁ。初めて会った時くれただろ」
友恵は供助を見上げ、少し困惑した様子で話す。いくら思い返しても、供助に前払いとしてお金を払った記憶が無かったから。
しかし、違った。供助が言う前払いは、お金ではない別の物。
そして、友恵は思い出す。供助の『初めて会った時』という言葉を聞いて、思い出した。
その時、自分があげた物を。供助が言う前払いが何か、解った。
「もしかして、クッキーの事?」
それしかなかった。
その時を思い出して、あの時思い返して。思い当たるのは、自分が学校の授業で作ったクッキーしかなかった。
少しぼそぼそで、甘さが足りなくて、でも形だけは綺麗だったクッキー。
「でも、あれだけじゃ……」
「言ったろ、十分だ。両親にあげるつもりだったクッキーだったんだろ? 俺にゃ勿体無ぇくれぇ高価なモンだ」
「それでも、クッキーだけじゃ悪いよ……二万円は供助お兄ちゃんにあげる。それだけの事をしてくれたんだもん」
「要らねぇ。依頼を受けた俺がいいって言ってんだ」
供助は半ば無理矢理に、友恵の手にポチ袋を握らせる。
友恵は多少抵抗しようとするも、供助の力で供助に勝てる訳もなく。
「でも……」
「だったら、この二万円で材料を買って、今度こそ両親にクッキーを渡してやれ」
「……本当にいいの? 供助お兄ちゃん」
「俺は報酬に見合う仕事をした。お前は仕事に見合う報酬を払った。いいも何も、当然の事だろ」
友恵にポチ袋を無理矢理に握らせていた手を離し、供助は髪を掻き上げた。
何も報酬は金銭だけではない。現物支給の場合もあれば、義理や人情から生まれる信頼の時もある。
人それぞれ、各々の価値観で変わり、見返りに見合う物は違う。人によってはただのクッキーでも、供助にとっては高価な物だった。ただそれだけ。
今回の依頼に対し、友恵のクッキーは報酬として十分見合う物だった。それだけの話。
「供助っ!」
「なんだよ、まだなにか……うわっ!」
「まったくお前は素直でないのぅ!」
後ろから供助の背中に飛び付き、頭をぐりぐりと掻き乱す猫又。
折角さっき髪を掻き上げて整えたのに、もっと酷くされてしまう。
「離れろ、そして止めろ! 何すんだてめぇ!」
「うむ、遠慮するでない!」
「してねぇっつの! さっさと降りろ駄猫が!」
つい先程まで怒りを露にしていた猫又が、一転してご機嫌になっていた。
理由は言うまでもなく、供助が報酬である二万円の受け取りを拒否した事。だが、理由はそれだけでは無かった。
供助の言葉に友恵が初めて出会った時の事を思い出していた間に、猫又も思い出していた。友恵と出会い、依頼を受け、妖怪と対峙し、今この時までの事を。
そして、気付いた。ある事に。猫又はようやく今、気付いた。
「本当に素直じゃないのぅ、供助は!」
言っていない。言っていなかったのだ、一度も。
公園で友恵と再会し、悩みを聞き、妖怪の話をして、除霊を頼まれ、依頼を受けた時も。
供助は一度も、一言も――――『報酬に二万円を貰う』とは、言っていなかった。
怠惰な性格。面倒臭そうな態度。人道が薄い言動。そうだ、そうなのだ。供助はそういう人間だった。
底にある本当の感情を、本音を出す事は殆んど無い……捻くれた人間。それが供助なのだ。
猫又がこの街に住み始めて数週間。期間は長くなくても、払い屋の相棒として一緒に仕事もしてきて、供助がどういう人間かは知ったつもりだった。
しかし、やはり“つもり”だったようで、供助の意図に気付かず腹を立たせ、ヘソを曲げ、苛立っていた。
供助は供助なりに、供助は供助のやり方で。友恵を助けようとしていた。
『今回の件、最後まで見てから決めても遅くないと思うけどね』
猫又の頭に強く蘇る、横田の言葉。友恵からの依頼を終えたら、供助の相棒を辞めると電話した時に言われた言葉。
猫又よりも遥かに、供助と横田は付き合いが長い。あの時から横田は、こうなる事を予想していたのかも知れない。
「いい加減、に……離れろってんだ!」
「んのっ!?」
供助は一度頭を前に倒してから、一気に振り上げる。
すると、背中に抱き付く猫又の顔に、供助の後頭部による頭突きが炸裂する。
「~~~~ッ!」
「~~~~ッ!」
ようやく背中から猫又が離れるも、二人は声にならない声をあげる。
供助は頭に傷があったのを忘れて頭突きした痛みに。猫又は鼻を強打された痛みに。
二人揃ってしゃがみ込み、互いが互いの被害箇所を手で押さえて悶絶していた。
「供助お兄ちゃんと猫又お姉ちゃん、本当に仲がいいね」
「どこがだ!」
「どこがだの!」
友恵に返す言葉もタイミングもぴったり。
仲が良いと言うよりも、似た者同士なのかも知れない。
「ってて……あ、そうだ」
頭突きによる衝撃か、はたまた痛みでか。
供助はふと、ある事を思い出した。
「友恵、やっぱ報酬の金……半分だけ貰っていいか?」
「え? うん、いいよ!」
早すぎる前言撤回。
報酬の金は要らないと言い切ってから五分も経たないで、供助は半額と言えど受け取りを求めた。
元々は全て渡す気だった友恵は、二つ返事でポチ袋を差し出す。
「なっ……供助、どういう事かの!? さっきは要らんと言ったではないか!」
「さっきはな。今は要るんだよ」
「供助、貴様……ッ!」
つい先程、感心したのも、見直したのも。全てを無駄にする言動。
供助は友恵が差し出すポチ袋を見て、指を差す。
「じゃ友恵、半分の一万は猫又にやってくれ」
「……ぬ?」
供助が指差した先は猫又。
てっきり供助が受け取るとばかり思っていた猫又は意表を突かれ、間の抜けた一言が漏れた。
「だってよ、前に報酬の半分は貰うって言ってただろ、お前」
「なん……だと……?」
「だから、半分の一万。俺は要らねぇけど、お前は欲しいんだろ?」
にやりと、供助は意地悪な笑いを見せる。
確かに猫又は言っていた。供助の家で横田との電話を終えた後、供助にはっきりと言った。報酬の半分は貰う、と。
報酬に金は要らないと言ったのは、あくまで供助の意思。二万円の内、供助の分だけは要らないという事だ。
つまり、あとの半分は当然、猫又が受け取る権利がある訳で。
「はい、猫又お姉ちゃん! 報酬の一万円!」
「ちょ、違うんだの、友恵! 私はお金が欲しかったのではなくて……」
「おーい、どうしたよ猫又ぁ? きっちり半分貰うんだろー?」
「供助、お前わざとやっておるだろう!?」
その通り、供助はわざと猫又を煽っていた。供助は猫又が報酬の半分を貰うと言った理由は聞いてなかったが、予想は出来ていた。
恐らく、供助から報酬の半分を受け取ったら、それを友恵に返すつもりたったのだろう。そして、その予想は当たっていた。
だから供助は煽る。金を受け取ると思われていた猫又に、色々と言われてきた仕返しとばかりに。
「そいや猫又、前に俺の事を意地汚ぇ人間だっつったよな?」
「う、うむ? 言ったような、言わないような、言ったような……」
「なぁ、猫又」
「な、なんだの?」
ひと呼吸置いて、ゆっくり息を吸い。猫又にその言葉を言われた時と逆転した状況で。
供助は言い返してやる。言われた言葉をそのままにして。
「お前、意地汚ぇ妖怪だな」
「のぉぉぉぉ!?」
だが、家内の惨状を知って叫ぶ両親の声と共に、友恵の家も住宅街の一軒に馴染んでいった。
一件落着、依頼完了。友恵の家族を苦しめていた妖怪は完全に祓い、これでいつもの日常がやってくる。
妖怪のせいで友恵の両親は喧嘩をして仲違いしていたが、元々は仲が良ければ修復に時間は掛からないだろう。
これで家に帰れる。供助は疲労を吐き出すように溜め息を一つ。
「しかし、供助」
「んあ?」
「良かったのかの? 友恵の両親に妖怪の事を話してしまって」
「あー、その事か。別に問題無ぇだろうよ。それに言っちまった方が面倒じゃねぇ」
「面倒でない?」
供助は視線を少し上げ、後頭部を数回掻いて答える。
その答えを聞き、猫又は片眉を下げた。
「人間てぇのは面倒臭い生きもんでよ。何か理由があった方が生きやすいんだよ」
「理由、とな?」
「喧嘩したのも友恵を悲しませたのも。全てを妖怪のせいにすりゃ、自分に否はねぇと突っ掛かり合う事も無ぇだろ。全部が妖怪が悪かった、で済むからよ」
「ふむ……まぁ、妖怪のせいにすると言うが、元々妖怪のせいなんだがの」
「原因や理由、ストレスや不満の捌け口が他にあれば、互いに言い合って衝突する事も無くなる。だから隠さねぇで妖怪の事を言った」
「なるほどの。確かに原因は自分達だったと言えば、両親は互いに互いへと罪を擦り付けていたかもしれん。最悪、それが原因で本当に仲違いをするかものぅ」
「けどそれも、何か理由がありゃ余計な事も起きねぇ。出来ていた溝も簡単に埋まっちまうもんだ」
本当に面倒臭ぇ生き物だ、と。
供助は自嘲するように小さく笑った。
「それに、ああ言ってはいても殆んど信じてねぇだろうよ」
「信じてはいない……が、信じた振りはするだろうの。妖怪のせいだと理由を作る為に」
「それでいいんだよ。妖怪のせいにしても言い訳でもなんでもねぇ。事実なんだからよ」
猫又は供助の話を聞き、確かに人間は面倒臭い生き物だと納得する。
理由を作る為に信じてもいないものを信じた振りをする。内心では馬鹿らしいと思いながらも。
しかし、今回は妖怪が原因という特殊なケース。それに供助が言った通り、妖怪が原因なのは事実。理由を作ると言ってもそれは本人達の主観である。
とにかく、せっかく依頼を終わらせて問題を無くしたのに、結局友恵の両親が仲が悪くなっては後味が悪い。妖怪の事を話したのは正しいかどうかは別として、供助はこれでいいと思った。
それにもし自分が友恵と同じ立場になったら、両親が喧嘩をする所も、仲違いする所も見たくなかったと思うから。
「仲が良い両親だったと友恵から聞いておる。なら、また自然と関係は修復するであろう。そう心配は要らんの」
「真っ暗返しが取り憑いたって事ぁ、それなりに幸せだったって証拠だ。この程度の不幸でへこたれやしねぇだろうよ」
「うむ。友恵の家族も家に入ったし、私達も帰ろうかの」
「あー、腹減った」
今は血が止まっているとは言え、供助の頭部には裂傷。加えて体中の痣。
児亡き爺によって負わされた生々しい傷が多くある。重傷ではないが、手当はした方がいいだろう。
しかし、供助にとっては多少痛みがあっても傷は問題ではなかった。それよりも空腹を早く何とかしたかった。
天性の打たれ強さのお陰で見た目よりもダメージは少なく、供助はこの程度の怪我は慣れている。
それよりも問題は、食い逃したカップ麺。今頃はテーブルの上で伸びきっているだろう。
「あ、よかった! まだ居た!」
ガチャ、と。扉が開く音。
供助と猫又が玄関に目を向けると、少し開けられた扉の隙間から友恵が顔を出していた。供助達がまだ居た事を確かめ、大きめのサンダルを履いて駆け寄ってくる。
「うむ? どうかしたかの、友恵」
「忘れ物! はい、これっ!」
友恵は供助の前で止まり、小さな両手で差し出すはカラフルな袋。袋の大きさはテレフォンカードくらい。よく見ると袋には可愛らしいキャラクターが描かれていている。
袋のキャラクターには見覚えは無いが、供助は何の袋かはすぐに解った。それは世に言う、お年玉などを入れるポチ袋。
「お父さんとお母さんを助けてくれてありがとう! お礼のお金だよ!」
満面の笑顔をさせて。友恵は厚みを帯びたポチ袋を、依頼の報酬として持ってきたのだ。
「忘れられてんのかと思ってたっての」
「前に言った通り、二万円入ってるよ」
「おう」
なんの抵抗も後ろめたさも見せず、友恵からポチ袋を受け取る供助。
それを猫又は、幼い子供から二万円という大金を何の躊躇いも無く、本当に受け取った供助が信じられないと唖然と眺めていた。
だが、眺めていたのも数秒。すぐに感情は怒りで埋め尽くされる。
「供助ッ! 貴様、本当に受け取るのかッ!」
「あん? なんだよ、依頼は無事成功させたんだ。報酬を受け取っても問題は無ぇだろ?」
「大いに有る!」
「どこに問題があんだよ?」
「人としてだのッ!」
物凄い剣幕を張り、供助の胸ぐらを掴む猫又。
今にも殴り掛かりそうな勢いであったが、友恵が居る前では必死に堪える。
「け、喧嘩しちゃダメだよっ!」
「しかしの、友恵……」
「いいんだよ、猫又お姉ちゃん。供助お兄ちゃんは約束を守って妖怪を退治してくれたんだもん。少ないけど、これが私が出来る精一杯のお礼だから」
「……本当によいのか? せっかく友恵の祖父母がくれたお小遣いであろう?」
「いーの! 私が私の為に使ったんだもん!」
「良い子だの。本当に友恵は……良い子だ」
供助の胸ぐらから手を離し、猫又は友恵の頭を撫でる。
友恵の優しさ、健気さ、純粋さ。猫又の頭に昇っていた血も下がり、友恵の笑顔に釣られて自分も微笑む。
「ほらよ、友恵がこう言ってんだ。問題も文句も無ぇだろ?」
「腐った人間だの、お前は……!」
「おう、腐っても人間だ。食ってかなきゃ生きていけねぇ」
しかし、相変わらずの供助に対しては。怒りを通り越し呆れ、さらに呆れを通り越して怒りに戻ってくる。
供助と友恵。人間性にこうも差が出ると、本当に同じ人間なのか疑ってしまう。
「ひぃふぅみぃ……」
睥睨する猫又の視線など気にもせず。供助はポチ袋の中身を数える。
袋の中身は諭吉が二枚あるのではなく、千円札が何枚も入っていた。
小学生がお年玉や小遣いで一万円札を貰う事など滅多に無い。今まで貰ってきた分を少しずづ少しずづ貯めていたのだろう。
「んし、ちゃんと二万円あるな」
「ごめんね、千円札ばっかりで……」
「金には変わりねぇ」
折れてても、汚くても、細かくても。お金はお金。飯が買えれば問題無い。
何枚もある千円札を折って、数え終わったお金を袋に戻す。
「んじゃ、有り難く頂く」
そう言って、供助はデニムの尻ポケットにポチ袋を入れる。
――――寸前。
「っと」
その手を、止めた。
傷が痛んで固まったでも、屁をこきそうになったでも、誰かに邪魔されたでもない。自らの意思で、その腕を止めた。
「俺とした事がうっかりしてた」
供助は空いた左手で髪を掻き上げ、どこか演技っぽく言う。
「そいや前払い分があったな」
「……え?」
「報酬はそれで十分だ。これは要らねぇ」
そして、供助は報酬であった筈の二万円が入ったポチ袋を、友恵へと返すべく差し出した。
この行動、意外な展開、予想外の言葉。友恵はよく解らず固まり、猫又も同様、思考が追いつかず呆然と見ているだけ。
「え、っと……え? 報酬は二万円……だよね?」
「だから、前払いの分で十分だっつったろ。俺は依頼に応じた分しか受け取れねぇよ」
「でも、前払いって……私、前に供助お兄ちゃんにお金を払ってないよ?」
「何言ってんだ、前に貰っただろうが。金じゃねぇけどよ」
「……え? お金じゃない?」
「あぁ。初めて会った時くれただろ」
友恵は供助を見上げ、少し困惑した様子で話す。いくら思い返しても、供助に前払いとしてお金を払った記憶が無かったから。
しかし、違った。供助が言う前払いは、お金ではない別の物。
そして、友恵は思い出す。供助の『初めて会った時』という言葉を聞いて、思い出した。
その時、自分があげた物を。供助が言う前払いが何か、解った。
「もしかして、クッキーの事?」
それしかなかった。
その時を思い出して、あの時思い返して。思い当たるのは、自分が学校の授業で作ったクッキーしかなかった。
少しぼそぼそで、甘さが足りなくて、でも形だけは綺麗だったクッキー。
「でも、あれだけじゃ……」
「言ったろ、十分だ。両親にあげるつもりだったクッキーだったんだろ? 俺にゃ勿体無ぇくれぇ高価なモンだ」
「それでも、クッキーだけじゃ悪いよ……二万円は供助お兄ちゃんにあげる。それだけの事をしてくれたんだもん」
「要らねぇ。依頼を受けた俺がいいって言ってんだ」
供助は半ば無理矢理に、友恵の手にポチ袋を握らせる。
友恵は多少抵抗しようとするも、供助の力で供助に勝てる訳もなく。
「でも……」
「だったら、この二万円で材料を買って、今度こそ両親にクッキーを渡してやれ」
「……本当にいいの? 供助お兄ちゃん」
「俺は報酬に見合う仕事をした。お前は仕事に見合う報酬を払った。いいも何も、当然の事だろ」
友恵にポチ袋を無理矢理に握らせていた手を離し、供助は髪を掻き上げた。
何も報酬は金銭だけではない。現物支給の場合もあれば、義理や人情から生まれる信頼の時もある。
人それぞれ、各々の価値観で変わり、見返りに見合う物は違う。人によってはただのクッキーでも、供助にとっては高価な物だった。ただそれだけ。
今回の依頼に対し、友恵のクッキーは報酬として十分見合う物だった。それだけの話。
「供助っ!」
「なんだよ、まだなにか……うわっ!」
「まったくお前は素直でないのぅ!」
後ろから供助の背中に飛び付き、頭をぐりぐりと掻き乱す猫又。
折角さっき髪を掻き上げて整えたのに、もっと酷くされてしまう。
「離れろ、そして止めろ! 何すんだてめぇ!」
「うむ、遠慮するでない!」
「してねぇっつの! さっさと降りろ駄猫が!」
つい先程まで怒りを露にしていた猫又が、一転してご機嫌になっていた。
理由は言うまでもなく、供助が報酬である二万円の受け取りを拒否した事。だが、理由はそれだけでは無かった。
供助の言葉に友恵が初めて出会った時の事を思い出していた間に、猫又も思い出していた。友恵と出会い、依頼を受け、妖怪と対峙し、今この時までの事を。
そして、気付いた。ある事に。猫又はようやく今、気付いた。
「本当に素直じゃないのぅ、供助は!」
言っていない。言っていなかったのだ、一度も。
公園で友恵と再会し、悩みを聞き、妖怪の話をして、除霊を頼まれ、依頼を受けた時も。
供助は一度も、一言も――――『報酬に二万円を貰う』とは、言っていなかった。
怠惰な性格。面倒臭そうな態度。人道が薄い言動。そうだ、そうなのだ。供助はそういう人間だった。
底にある本当の感情を、本音を出す事は殆んど無い……捻くれた人間。それが供助なのだ。
猫又がこの街に住み始めて数週間。期間は長くなくても、払い屋の相棒として一緒に仕事もしてきて、供助がどういう人間かは知ったつもりだった。
しかし、やはり“つもり”だったようで、供助の意図に気付かず腹を立たせ、ヘソを曲げ、苛立っていた。
供助は供助なりに、供助は供助のやり方で。友恵を助けようとしていた。
『今回の件、最後まで見てから決めても遅くないと思うけどね』
猫又の頭に強く蘇る、横田の言葉。友恵からの依頼を終えたら、供助の相棒を辞めると電話した時に言われた言葉。
猫又よりも遥かに、供助と横田は付き合いが長い。あの時から横田は、こうなる事を予想していたのかも知れない。
「いい加減、に……離れろってんだ!」
「んのっ!?」
供助は一度頭を前に倒してから、一気に振り上げる。
すると、背中に抱き付く猫又の顔に、供助の後頭部による頭突きが炸裂する。
「~~~~ッ!」
「~~~~ッ!」
ようやく背中から猫又が離れるも、二人は声にならない声をあげる。
供助は頭に傷があったのを忘れて頭突きした痛みに。猫又は鼻を強打された痛みに。
二人揃ってしゃがみ込み、互いが互いの被害箇所を手で押さえて悶絶していた。
「供助お兄ちゃんと猫又お姉ちゃん、本当に仲がいいね」
「どこがだ!」
「どこがだの!」
友恵に返す言葉もタイミングもぴったり。
仲が良いと言うよりも、似た者同士なのかも知れない。
「ってて……あ、そうだ」
頭突きによる衝撃か、はたまた痛みでか。
供助はふと、ある事を思い出した。
「友恵、やっぱ報酬の金……半分だけ貰っていいか?」
「え? うん、いいよ!」
早すぎる前言撤回。
報酬の金は要らないと言い切ってから五分も経たないで、供助は半額と言えど受け取りを求めた。
元々は全て渡す気だった友恵は、二つ返事でポチ袋を差し出す。
「なっ……供助、どういう事かの!? さっきは要らんと言ったではないか!」
「さっきはな。今は要るんだよ」
「供助、貴様……ッ!」
つい先程、感心したのも、見直したのも。全てを無駄にする言動。
供助は友恵が差し出すポチ袋を見て、指を差す。
「じゃ友恵、半分の一万は猫又にやってくれ」
「……ぬ?」
供助が指差した先は猫又。
てっきり供助が受け取るとばかり思っていた猫又は意表を突かれ、間の抜けた一言が漏れた。
「だってよ、前に報酬の半分は貰うって言ってただろ、お前」
「なん……だと……?」
「だから、半分の一万。俺は要らねぇけど、お前は欲しいんだろ?」
にやりと、供助は意地悪な笑いを見せる。
確かに猫又は言っていた。供助の家で横田との電話を終えた後、供助にはっきりと言った。報酬の半分は貰う、と。
報酬に金は要らないと言ったのは、あくまで供助の意思。二万円の内、供助の分だけは要らないという事だ。
つまり、あとの半分は当然、猫又が受け取る権利がある訳で。
「はい、猫又お姉ちゃん! 報酬の一万円!」
「ちょ、違うんだの、友恵! 私はお金が欲しかったのではなくて……」
「おーい、どうしたよ猫又ぁ? きっちり半分貰うんだろー?」
「供助、お前わざとやっておるだろう!?」
その通り、供助はわざと猫又を煽っていた。供助は猫又が報酬の半分を貰うと言った理由は聞いてなかったが、予想は出来ていた。
恐らく、供助から報酬の半分を受け取ったら、それを友恵に返すつもりたったのだろう。そして、その予想は当たっていた。
だから供助は煽る。金を受け取ると思われていた猫又に、色々と言われてきた仕返しとばかりに。
「そいや猫又、前に俺の事を意地汚ぇ人間だっつったよな?」
「う、うむ? 言ったような、言わないような、言ったような……」
「なぁ、猫又」
「な、なんだの?」
ひと呼吸置いて、ゆっくり息を吸い。猫又にその言葉を言われた時と逆転した状況で。
供助は言い返してやる。言われた言葉をそのままにして。
「お前、意地汚ぇ妖怪だな」
「のぉぉぉぉ!?」
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