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双つの世界、繋がる命
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序章 僕と繋がる世界
運命、奇跡、偶然そんな言葉がある。人の出逢いには色々な種類があり、人と人との繋がりによって関係や人生が変わる。それは未来を変えるということで世界を変えるということだ。偶然を奇跡に、奇跡を運命にすることができるのはあなた次第だ。
いつもそばにいる人は同時にいつかいなくなってしまう人でもある。この世界は出逢いと別れを繰り返し、今も人生を未来を世界を変え続けているのだ。
そして世界は、未だに解明されていないことがある。並行世界、つまりパラレルワールドもその一つだ。時間の流れ、もう一人の自分、それに夢の中、色々な世界線があり、今自分は世界のどこにいるのか分からなくなることがある。
けれど、一つ言えることは絶対に世界は繋がっていると僕は思う。それは彼女に出逢ったから、もう一度あの子に会いたいから、僕はそう信じているんだ。
僕は、桜舞い散る夢の世界で彼女のことを思い出していた。
あれは僕が高校生の頃の話だ。
第一章 忘れられない転校生
高校二年生の春、クラス替えで僕は憂鬱《ゆううつ》な気分だった。僕には昔から友達がいなかったから一人で本を読むことが好きだった。自分はきっと例えどんな世界であろうとも誰からも必要とされない人だと思っていたからだ。そう思いながら教室の中を見渡しもせずに窓の外の桜の木を眺《なが》めていた。
ふと思い出した。そういえば、昔からたまに同じ夢を見ることがある。それは夢の中で物凄《ものすご》い数の桜の木が桜並木《さくらなみき》のようにはえていていつも花が満開に咲き乱れているとても綺麗な場所に僕がいる夢。そこにはいつも女の子がいて夢が覚めるまで一緒に遊んだり、今日あった出来事を話したりしていた。
いつも友達がいなかった僕にはそれが嬉しくてとても楽しかった。他の人に話すとおかしいと思われるかもしれないが僕にとって唯一無二のたった一人の友達であり、僕の初恋の人だった。その夢は今でもたまに見る。小さい頃よりは減ってしまったけれど、そんなことを思い出していたら先生が入ってきた。
「ホームルーム始めるぞ!」
先生の声で騒がしかったクラスのみんなが自分の席に戻っていった。
この先生は去年も僕の担任をしていて情熱的でちょっと暑苦しい男性の先生だ。二年生になってクラスの人たちも半数は変わったが、人に興味のない僕にとっては何一つ変わらない風景に見えた。陽キャは陽キャで人が変わっても変わらないし、担任も同じなのだから尚更だ。
だが、今日はクラスの空気がザワついていることが僕にでも分かった。
「転校生がくるって!」
「うちのクラスらしいよ」
「めっちゃ可愛いって噂だよな」
そう、朝から転校生の話題でもちきりだったからだ。
「今日からこのクラスに転入生が来るがみんな仲良くしろよ!」
先生がそう言うと教室の扉がガラッと開き、女子が入ってきた。彼女が入った瞬間、さっきまでザワついていたクラスが一気に静まりかえった。
そして僕も彼女から目が離せなかった。
いつもなら人に興味がない僕だがその子を見た瞬間、一瞬時間が止まったように感じた。別に一目惚れとかではないが、その子が夢で会っていた女の子に雰囲気などが似ている気がしたからだ。
なぜなら、いつも夢から覚めてしまうとその子の顔を覚えていないから。でも覚えているのは声と後、桜の花のように明るくて優しくてなのにどこか儚い。そんな違う世界にいるような心が温かくなる雰囲気を持った女の子だった。僕は夢の子と目の前にいる子がなぜだか同じ子に見えたんだ。
「はじめまして、私の名前は喜川桜《きがわ さくら》です。よろしくお願いします」
喜川桜……名前を知っただけなのに何だか本当に夢の子にしか見えなくなってしまった。
彼女は自己紹介をすると僕の方に向かってゆっくりと近寄ってきた。すると、僕の席の隣に座った。僕は初めに教室に入った時、自分の席しか確認していなかったので、ふと教室を見渡すと自分の隣の席だけが空いていたことに気づいた。
ホームルームが終わると彼女はすぐに僕の方に体を向けた。
「はじめまして、今日からよろしくね」
彼女がにっこり笑顔で僕に話しかけてくる。
「う、うん、よろしく……」
僕はあまり人と話さないので焦って返事をしてしまった。
いつも学校で僕に話しかける人は誰もいないので周りの人たちがザワついたように騒ぎながら視線を僕らに向けていた。
「嘘でしょ、一番最初にあの陰キャに話しかける勇気私にはないわ」
「それな!ていうか声めっちゃ震えてない?」
「ウケるんだけど!」
彼女は良い意味で目立っているけれど、僕に話しかけたせいで変に悪目立ちしていることが申し訳なかった。
だけど、彼女はそんな言葉が聞こえていないのか、気にしていないのか、僕に興味津々のようだった。
「ねぇ、君の名前きいてもいいかな?」
「ぼ、僕の名前は……野咲空《のざき そら》です」
「へぇ、野咲空くんかー。いい名前だね」
「ありがとう……」
「野咲くん、うーん、空くん、名前で呼んでもいいかな?」
彼女は少し悩んだ顔をしながら僕にきいてきた。
「別に何でもいいよ。……名前なんて僕にとってはどうでもいいことだから、君が好きなように呼べばいいよ」
僕は親以外に名前で呼ばれることなんてないし、それに人からぐいぐい心に踏み込まれるのが苦手だった。
もし、この子が夢の子であったとしても夢の中では別にいいが現実の世界だと距離をとってしまう。
「どうでもよくないでしょ!」
彼女はちょっとムキになって言ってきた。
「名前って大事なものだと思うよ。だって、自分だって証明できる大切なものでしょ!どこにいたって離れてしまったって顔を忘れても名前を覚えているだけでその人が本当に生きていた証《あかし》になる。その人のことをずっと想っていられる。だから、どうでもいいなんて言っちゃダメ!」
彼女がどうしてそんなに怒るのか僕には分からなかった。
でも、きっと彼女にとって名前は大切なもので気に障るようなことを言ってしまったのだろうと思った。
「ごめん……でも、僕は名前を呼ばれることに慣れてないから違和感があって……」
僕はつい彼女の顔から目線を逸《そ》らしてしまった。
「じゃあ、君!」
「えっ……」
「君なら呼ばれても平気でしょ、それに君って何だか特別な感じがしない?」
そう笑顔で話す彼女に僕は何も言えなかった。
「名前は確かに大事だけど君って呼び方もあまりないから何だか二人だけの秘密の呼び方みたいだね」
僕はその呼び方に対して何とも思わなかったが彼女の機嫌が少し良くなったようで安心した。
そして、授業が終わり昼休みになった。
彼女の周りにはたくさんの人が集まっていて、あっという間に彼女は人気者になった。それに比べて僕は相変わらず一人だった。
僕は隣の席で弁当を食べながらいけない事だと分かっていたが盗み聞きをしてしまった。
「桜ちゃんってどこから転校してきたの?」
「髪めっちゃストレートでサラサラだよね」
「サラサラの黒髪いいなーどこの美容院行ってる?」
女子の賑《にぎ》やかな話し声が聞こえながら、僕はひとつ気になる話題が耳に入った。
「ねーそういえば、喜川って苗字隣のクラスにもいるよね」
「あー、そうそう、でもその子一年の最初の頃しか学校に来てないよね」
「何か、やばい病気なんだってよ」
「……へっ、へー、そんな子がいるんだ」
彼女は苦笑いをしながらそう言った。
僕は彼女のとても不自然な返事が心に引っかかった。それにどうしてこの話が気になったかというと、僕は喜川さんを知っていたからだ。
第二章 静かな図書室
一年の時、僕は図書室で本を読んでいた。まったく人がいない図書室が好きだった。
だけど、ある日女の子が図書室に来て本を読むようになった。何日も一緒に図書室で過ごすようになり、話したこともないのに二人だけの静かな世界が広がっていた。
ある日、彼女が本を落とした。僕はその本を拾って渡した。
「並行世界……パラレルワールドに興味があるの?」
「えっと……」
僕は不思議と聞いてしまっていた。
なぜなら、彼女が読んでいる机の上にはパラレルワールドの存在を証明している科学者の本や病気に関する本がたくさん置いてあったから。
きっと、この子はパラレルワールドとかオカルト系が好きなんだろうなと勝手に思っていた。
「……私はパラレルワールドというか違う世界は存在してると思うから」
彼女は静かにそう答えた。
「そうなんだ。僕はあんまり信じたりする方じゃないから分からないけどあると良いね」
僕は昔からお化けやUFO、神様など目に見えないものは信じないようにしている。
「ごめんね、変だよね……」
「何で?」
「みんなにこんな話をすると変な目で見られちゃうから……」
彼女はとても恥《は》ずかしそうにしながら申し訳なさそうに言ってきた。
「別にそんなことないけど、どうして並行世界を信じているの?」
「……変と思われるかもしれないんだけど、私ね、昔の知り合いに並行世界の人がいるんだ。もう、会えないかもしれないけど」
彼女は少し考えながら言った。その目はとても真剣で、でもどこか悲しそうな顔をしていた。
「ふーん、そうなんだ」
「……何とも思わないの?」
彼女は僕の顔を見て驚き、不思議そうに聞いてきた。
「何とも思わないというか、目が本気で言ってたから……かな?」
僕は彼女の真剣な目を見て嘘《うそ》ではなく本当のことを言ってるんだろうなと思った。
「目?何それ……あはは、君面白いね!」
そう言って彼女は笑っていた。
「そうかな」
僕は少し嬉しくて笑顔になった。
彼女が笑っている姿を見たのはこれが初めてだったから、何だか分からない嬉しさが込み上げてくるようだった。
「君みたいな子はじめてかも!」
彼女はそう言いながら少しずつ僕に心を開いてくれているように感じた。
僕たちは自然と仲良くなり色々な話をするようになった。
「並行世界はね、ただ単にこの世界と同じような世界がもう一つあるというわけじゃないんだよ。時間や時代が違う世界だったり、自分と同じもう一人の自分が生きている世界だったり色々な世界線があるんだよ」
「本当に好きなんだね」
僕は真剣に話す彼女の話を聞きながら苦笑いをした。
「うん!知りたいんだ、大切な人がいるかもしれない世界のことを。それに夢の世界も並行世界と関わっているといわれている世界のひとつなんだよ。並行世界を生きる人が私たちがいるこの世界の人と強い想いなどの繋がりができることによって夢の世界で繋がることがあるらしいよ」
「へ、へーそうなんだ……」
僕は話を聞きながら何だか夢の子を思い出していた。
「どうかしたの?」
ぎこちない返事を不思議に思ったのか彼女が聞いてきた。
「えっ、いや、何でもないんだけど……実は昔から夢の中で会う女の子がいるんだ」
僕ははじめて誰かに夢の子の話をした。親にも話したことなかったのになぜか彼女には自然に話をしていた。
そして、彼女は僕の話をすごく信じてくれた。
僕たちはお互いの名前も知らないまま何日も一緒に図書室で過ごした。
毎日の昼休みだけの時間だが誰とも話さない僕にとっては何よりも楽しみな時間だった。
「ねー、そういえば、君の名前聞いてなかったよね。僕の名前は野咲空っていうんだ。君は?」
「私は、喜川春木《きがわ はるき》っていうの」
「喜川さんか。ずっと一緒にいたのに名前はじめて知ったから何か新鮮だな」
「私は、はじめてじゃないよ」
僕の顔を見て彼女はそう言った。
「えっ、話したことあったっけ?」
「ううん、隣のクラスだから友達に聞いたことがあっただけだよ」
「あっ、ごめん、僕隣のクラスでも自分のクラスでも他の人に興味がなくて……」
彼女は僕の名前を知ってくれていたのに僕はまったく彼女の名前を知ろうとしていなかったのが申し訳なかった。
「うん!君そんな感じだもんね!」
笑顔で彼女はそう言った。
「あはは、そうかな」
僕は図星をつかれ恥ずかしくて頭をかいた。
彼女の笑顔を見ていたら自然と僕も笑顔になっていた。
そして、彼女の名前を聞いた日を最後に彼女は図書室に来なくなった。後から知ったが学校にも来なくなっていたらしい。
第三章 思い出づくり
そんなことを思い出していたら昼休みが終わって授業もあっという間に過ぎていった。
放課後になり帰ろうとしたその時、隣の席から声をかけられた。
「ねー、一緒に帰らない?」
振り向くと喜川桜、彼女が僕に話しかけてきた。
「えっ!他の子と帰りなよ。君、友達たくさんできたんでしょ?」
「私は君と帰りたいの!」
そう強く言われて僕は断れなかった。
一緒に教室を出て校門まで行く間に周りの人たちがコソコソと僕たちの話をしているのが気になって仕方がなかった。僕一人ならなんともないが彼女まで悪く言われることが不安でならなかった。
「ねぇ、やっぱり一人で帰るよ……」
「えっ!なんで?」
「僕といると君のイメージも悪くなるよ」
そう言うと彼女はきょとんとした顔をしていた。
「じゃあ、君は私に悪いイメージを持ってる?」
「僕じゃないよ!他の人からそう思われるって話をしてるんだよ!だから……!」
僕は否定しながら何のことなのか分かっていなさそうな彼女に腹を立てながら強めに言った。
「だったらそんなことはどうでもいい!誰からどう思われようが関係ない!君だけが本当の私を知ってくれているなら私はそれだけでいいよ」
すると、彼女は僕に反論するかのように大きな声で言った。
「私が関わる人は私が決める。私は君を選んだの!」
「分かったよ……どうなっても知らないからな」
僕は彼女の言葉に圧倒されてしまった。
校門を出て二人で歩いていると、いきなり彼女がこんなことを言ってきた。
「ところでさ、行きたいところがあるんだけど一緒に行かない?」
「えっ、どこに?」
「たくさんあるんだぁ、行きたいところ!」
彼女は僕を見ながら笑顔でそう言った。
「嫌だよ。女子と出かけるのとか苦手だし、それに何で僕なんだよ!」
僕は嫌そうに言い放った。
「えー、いいじゃんお願い!私は君がいいの。それに私、この世界でたくさん思い出つくりたいの。だからお願い!」
最初はふざけているのかと思ったが、彼女があまりにも真剣だったので僕は一瞬戸惑った。
「はぁー、しょうがないな」
ため息をつきながら、本当に押しに弱い自分が嫌になった。
「……本当に?やったー!」
僕は彼女の思い出づくりに付き合ってあげることにした。彼女の言葉の本当の意味は分からなかったが転校してきたばかりなのでこの町で思い出をつくりたいのだと思った。
「まずは、行きたかったカフェね!」
彼女が高いテンションでそう言うので僕は少しついていけなかった。
「わかったよ……」
「ずっと行ってみたかったんだ!」
カフェに着き、彼女はパフェを頼んだ。
「ここのパフェ、超大きくてかわいいって有名なんだよ。知り合いに絶対食べた方がいいって言われたんだ!」
「へー」
「興味なさそー!」
彼女は笑顔でそう言った。
すると、店員さんがパフェを運んできた。
僕は驚いた。思っていたよりもパフェが大きくて高さが三十センチくらいあるんじゃないかと思った。
「あはは、そんなにびっくりする?」
僕の驚いた顔を見て彼女が笑った。
「いやっ、だって思ったよりも大きかったからそりゃ驚くでしょ!」
笑われて少し恥ずかしかった。
「君はそういう顔もっと見せていった方がいいよ」
僕は人に自分の気持ちを伝えるのが苦手で一人の方が楽だと思っていた。
でも、少し嬉しかった。
「そんなに食べれるの?」
「どうだろう、無理だったら君にあげるよ」
「いらないよ」
僕がそう言うと彼女は笑顔でスマホを取り出した。
「このパフェ可愛いよねー」
彼女はそう言いながらスマホで写真を撮り、一口食べた。
「んんー、美味しいー!」
幸せそうにそう言った。
「そうなんだ」
「君は何も頼まないの?」
彼女が不思議そうに聞いてくる。
「僕はこういうところ苦手なんだよ」
「えー!せっかく来たのに!」
彼女は僕を見ながら不満そうに言った。
「いいから、早く食べなよ」
そんな話をしながら僕たちはカフェで過ごした。
その後、彼女は洋服や綺麗なアクセサリーなどのお店を見てまわり、僕はそれに付き合わされた。その時も彼女は綺麗な物や好きな物を見るたびに写真を撮っていた。
夕日が落ち、辺りが暗くなりはじめた道を僕たちは帰っていた。
「今日は楽しかったー!私の思い出がまた一つ増えたよ。ありがとう!」
彼女は笑顔で言った。僕は静かに頷《うなず》いて話を聞いていた。
すると、さっきまで笑顔だった彼女の顔が真剣な顔に変わった。
「ねぇ、これからも一緒に思い出つくってくれる?」
静かな声で彼女はそう言った。
「……うん、いいよ」
僕には彼女を断ることはできなかった。だって、いつの間にか僕も楽しいと思ってしまっていたから。
「本当に?やったー、約束ね!」
彼女はすごく笑顔になった。僕はその笑顔が少し嬉しかったがそれと同時に少し後悔した。これから彼女に振りまわされる日々になると思ったから。
「じゃあ、また明日ね!」
彼女は笑顔で僕に手を振った。
「うん、じゃあね」
そう言い、僕は彼女と別れて家に帰った。
その日の夜、僕はベッドに横になりながら一人静かに考えていた。
今日転校してきた喜川桜、彼女のことを。
喜川桜……喜川春木……二人は知り合いなんじゃないかと思った。なぜか分からなかったがそんな感じがしたんだ。
喜川春木……彼女もまた他の人たちとは雰囲気が違っていて、おしとやかで優しくてふわっとしている感じなのにまたどこか儚い、喜川桜にどこか似てるのに性格が真逆だったりする。不思議だ。そう思いながら僕は眠りについた。
僕は夢をみた。
気がつくといつもの桜が綺麗な場所に僕はいた。
でも、いつも夢で会う彼女はいなかった。
「おーい!いる?」
叫んだが返事が返ってこない。
「いないの?」
いつもはある声が、姿が、そこにはない。
「ねぇ……」
僕は名前を呼ぼうと思ったが彼女の名前が分からなかった。すると、僕は思い出した。
そういえば……昔、小さい頃に僕は彼女に名前を聞いたことがあったんだ。
「ねぇ、君の名前は何ていうの?」
「内緒《ないしょ》!」
彼女は笑顔でそう言った。
「えっ、なんで?」
「知らない方が心に残るでしょ?それに知った時の嬉しさが大きくなるんだよ!」
まだ小さい僕は少し泣きそうな顔になった。何となく、いつか彼女がいなくなりそうな気がしたから。
「じゃあ、桜を見た時に私を思い出してよ!そうすれば一人じゃないでしょ?それに私はずっとそばにいるから。約束!」
彼女は笑顔で僕に言った。僕は彼女の笑顔や話していた言葉を思い出しながら彼女を探した。
結局、今日はいくら探しても彼女には会えなかった。彼女に会えないという現実が僕の心にはぽっかり穴が空いたように感じた。
そして、この日をさかいに夢で彼女に会うことはなくなった。
朝がきて学校の教室に入る。すると、後ろから明るい声がした。
「おはよう!」
喜川桜、彼女が明るい声で言ってきた。
「お、おはよう」
僕は夢の子に会えなかったということもあり、少し暗めの挨拶をした。
「君、元気ないねー!」
彼女が笑いながら言った。
「君が朝から元気良すぎなんだよ」
彼女の明るいテンションに僕はつい言い返してしまった。
「朝が一番大切なんだからね!それに今日の放課後も行きたいところあるんだから元気だしてよ!」
「えっ、今日も!?」
僕は嫌そうに言った。
「当たり前でしょ!約束だから!」
「はい、はい」
彼女が少し怒ったように言ってきたので僕は仕方なく付き合うことにした。
そんな話をしているうちに先生が入ってきて、また学校の一日がはじまった。今日も休み時間、彼女の周りにはたくさんの人が集まっていて違うクラスからも人が集まってくるような人気者になった。
そして、あっという間に学校が終わり放課後になった。その後は、彼女のやりたいことに付き合った。
「今度、カラオケも行きたいよね。それに映画もみたいし、あっ、そうだ映画みる時はポップコーン絶対いるからね!」
「えー、まだあるの?」
「まだまだしたいこと他にもあるんだー!」
からかうように彼女は笑う。
「わかった……で?次は何するの?」
少し呆《あき》れたようにそう言った。
「次はねー……」
そんなことを話ながら僕たちは毎日色々なところに出かけた。次の日も次の日も。
遊園地に動物園、カラオケ、映画、買い物に植物園までたくさんの場所に行った。
遊園地では、
「全部のアトラクション制覇《せいは》するから!」
彼女はテンション高めにそう言う。僕は昔から体が弱かったし、乗り物酔いしそうだったのであまり乗り気じゃなかった。
「じゃあ、僕は見てるだけでいいよ……」
「はぁー、何言ってんの?行くよ!」
僕は手を引っ張られ、ジェットコースターに死ぬほど乗せられた……
「気持ち悪い……」
口に手を当てながらベンチに座り込んだ。
「情けないなー、こんなに楽しいのに!」
「……楽しくないよ、気分悪くなるだけじゃんこんなの」
「まったくもう、ジェットコースターを楽しくないって思ってるなんて人生損してる!」
「別に人生損してていいよ!」
困ったように僕を見ながら彼女は笑った。
動物園では、
「ねぇねぇ、向こうでエサあげられるって!」
隣の広場でヤギを見ていた彼女が笑顔で僕の方に走ってきた。
「へー、そうなんだ。あげてきなよ」
「一緒に行こうよ!」
「僕はいいよ。動物苦手だし」
正直、僕は動物が苦手だ。どう接したらいいか分からないんだよなぁ。
「えー、大丈夫だよ。襲《おそ》ってこないって!」
自信ありげに彼女は言う。
襲ってこないからって僕が気にしてるのはそこじゃないんだよっとツッコミそうになった。
「だから、そういう問題じゃ……」
「いいから、いいから!」
僕が言いかけた途端《とたん》に彼女に背中を押され、連れていかれた。
カラオケでは、
彼女は何曲もノリノリで歌っている。僕は流行りの曲をあまり知らないが彼女は流行りの曲をたくさん知っているのでやっぱり流石だなと思いながら聞いていた。
「喉が痛ーい!」
ジュースをストローで流し込みながら彼女は言う。
「歌いすぎなんだよ!」
ちなみに僕は一曲も歌っていない。それに人前で歌うのは抵抗がある。
「だって君、全然歌わないんだもん!」
「だから歌うの苦手だって言ってんじゃん」
「君、苦手なもの多すぎー!」
少し不機嫌そうに彼女は言った。
映画では、
「どれがみたい?」
彼女はそう言いながら映画のポスターを見て悩むような顔をしていた。きっと見たいものが多すぎて迷ってるんだろうなと思った。
「僕はどれでもいいよ。君が見たいものをみれば?」
「え!本当にいいの?」
彼女はとても喜んだ。そして笑顔でひとつのポスターを指さした。
「じゃあ、これ!恋愛映画!」
「はいはい、じゃあ僕がドリンクとか買ってくるよ君は何にする?」
どうせ絶対ポップコーンを買うって言うだろうなと考えていたら彼女も何か思い出したように言った。
「あっ!ポップコーン絶対いるって言ったでしょ!」
やっぱりだ、僕はそう思った。
「分かってる、そう言うと思ったよ。何味にする?」
僕は何味でもいいと思いながらここは定番の塩かなと自分の分を決め彼女の方をみた。
メニューにはポップコーンだけでもたくさんの味があり、彼女は悩んでいるようだった。
「うーん、迷う……」
「じゃあ、僕は何味でもいいから君が食べたい味を二つ買いなよ」
「えっ、でも……」
僕に気を使っているのか申し訳なさそうにしていた。
「僕のを半分食べたらいいよ。だから君のも半分ちょうだい。それならいいでしょ?」
「本当にいいの?ありがとう」
いつもは気を使わないくせに変なとこ気にするなと思った。
「君、意外と優しいね」
彼女は笑いながら言った。
「意外とって何だよ!」
僕はそう言い返しながら優しいと言われたことは嬉しかった。
買い物では、
彼女は二つのワンピースを手に取り、鏡で自分に重ね合わせながら確認していた。
「これとこれ、どっちが似合う?」
「別に僕センスないし……」
「センスの問題じゃなくて君はどっちが好きか聞いてるの!」
怒りながら彼女はそう言う。僕はどっちが似合うか考えたがやっぱりセンスがないと思ってしまう。でも彼女に似合いそうな方を僕は指さした。
「わかったよ……じゃあ、こっち」
僕がそう言うと彼女はニヤリと笑った。
「こっちかー、君、センスないね」
「うるさいなー!」
彼女が笑いながら僕をからかうので少し不機嫌に言い返した。
「あはは、ごめんって!せっかく君が選んでくれたから私この服買おうかな!」
結局、彼女は僕が選んだ服を買った。
その後も僕たちはたくさん笑ったりしながら楽しく買い物をした。
そして植物園では、
彼女は花や植物を見たり、花言葉を調べたりするのが好きだというので植物園に行った。彼女が楽しそうに植物を見ていたので僕もなんだか嬉しい気持ちになった。
「この花、綺麗だよねー!」
「うん、あんまり植物とか興味持ったことなかったけど綺麗だと思う」
花を綺麗だと思ったことはなかった。だって植物もそうだが花は散ってしまえば忘れられてしまうそんな気がしていたから。
でも、彼女と見る花は忘れることができないほど綺麗に見えた。
「君って何にも興味持たないじゃん、なんか興味持ったことないの?」
不思議そうに聞いてくる彼女に僕は考えたが興味があるものや好きなものは思いつかなかった。
「……あんまりないかな」
「そっかー」
そんな話をしていたら急に彼女がこんなことを言ってきた。
「じゃあ、次は君が好きな所に行きたい!」
「えっ!」
「君のこともっと知りたいから!」
興味津々にそう言うので僕は悩んだ。そして一つだけ思いついた。学校の図書室。僕にとっては喜川さんとの思い出の場所でとても安心する場所だ。
何となく僕は彼女を喜川さんとの思い出の場所に連れて行きたかった。
僕は彼女を学校の図書室に連れて行った。
「ここが君の好きな場所?」
「そうだよ」
「学校じゃん!」
彼女は驚いたように大きな声でそう言った。
僕は彼女ならそう言うだろうなと思った。
「しかも図書室だし!誰もいないじゃん!」
「しー!誰もいないけどさすがに大きい声は迷惑だから!」
彼女が大きな声でそう言うので僕はとっさに注意した。確かに図書室は誰もいなくて、とても静かだった。
この学校には図書室があるのだが、ほとんどの生徒は図書室の存在自体知らないと思う。図書室には担当の先生もおらず入学して最初の頃は図書室を利用しているのは僕だけだった。
「何で図書室なの?」
彼女は声を小さくして聞いてきた。
「誰もいない静かな図書室が好きなんだよ」
すると、彼女は静かに図書室を見渡しながら何かを感じているようだった。
「何だか落ち着くね、私も君と同じくらいこの場所を好きになりたいな」
「えっ、君が?」
「うん!」
微笑みながら彼女はそう言った。
そして、彼女との思い出は毎日たくさん増えていった。
それから彼女は毎日昼休みになると図書室に来て、僕と一緒に本を読むようになった。
彼女は人気者なので周りのみんなが昼休みいつもどこに行ってるのと聞かれても静かな図書室が好きという僕の言葉を気にかけてこっそり来てくれていた。
それでも図書室で二人で過ごすと何だか、喜川春木、彼女と一緒にいる時と同じような感覚になった。
そして放課後は彼女の思い出づくりに付き合った。
「ねー、今度の休み水族館に行かない?」
「今度は水族館?いいよ」
「約束ね!」
彼女は笑顔でそう言う。僕は彼女と出かけることにも慣れてきて水族館も楽しみになっていた。
僕は家に帰り、ぼーっと考えてしまう。彼女はどうして僕なんかにかまうのだろうか。
それに気になることはたくさんあった。彼女はいつも出かける時に景色、食べ物、他にもたくさんの場面をスマホで写真や動画に残していたからだ。
それと喜川春木、彼女のことも聞こうとしたがいつもタイミングを逃してしまい聞けなかった。
そして休日になった。
僕たちは丘の上の公園で待ち合わせをすることにした。この公園には高台《たかだい》があり、とても綺麗にこの町を一望《いちぼう》できる場所だ。図書室の次に僕が好きな場所でもある。
彼女が走って待ち合わせ場所に来た。
「お待たせー!水族館楽しみだね!」
「うん、そうだね」
すると彼女は辺りを見渡しながら言った。
「ここすごく綺麗だね!家の近くにこんな場所あったんだー!」
「この公園、僕が好きな場所なんだ」
「へー、図書室の他にはこういう場所が好きなのかー」
「うん」
彼女も僕が好きな場所を気に入ってくれているようで嬉しかった。この公園にもあまり人はいなくて知る人ぞ知る穴場《あなば》だ。
「君、いい所知ってるね!」
「ありがとう」
彼女が笑顔でそう言うので僕は少し照れながら返事をした。
「それじゃあ、行こっか!」
水族館に着き、僕たちはたくさんの水槽をまわりながら魚を見てまわった。
熱帯魚や色々な小さな魚、綺麗で色とりどりの魚などたくさんの種類があり、見ていてとても楽しかった。
「ねー!この魚綺麗じゃない?こっちの魚はかわいいー!」
彼女はすごくはしゃぎながら楽しそうにしていた。それでも彼女はスマホ片手に写真をたくさん撮っていた。
イルカショーの時間になり、僕たちはイルカショーの会場に向かった。
「ここに座ろうよ!」
彼女が座ろうとしている席は水が飛んでくるとされている席だった。
「えー、嫌だよ。濡れるじゃん」
「イルカショーは濡れるためにあるようなものだよ!」
自信満々にそう言うので僕はため息をついた。
「はぁ、違うから!」
「まぁまぁ、そう言わずに座ろう!」
結局、強引に座らせられた。
そしてショーがはじまった。イルカがはねバッシャーンと大量の水が僕たちに降ってきた。
「すごーい!あはは、濡れるー!」
「だから言ったじゃん!」
「いいじゃん!楽しいし!」
ずぶ濡れになりながら彼女は笑っていた。
「僕、ハンカチしか持ってきてないのにー」
「君、私より女子力あるねー」
「いやいや、笑いごとじゃないでしょ!」
僕たちは二人ですごく笑いながら時間があっという間に過ぎていった。
そして水族館の近くにある海に行き、海に沈む夕日を見ながら誰もいない浜辺を歩いていた。
「今日は本当に楽しかったー!」
「僕も楽しかったよ」
今日はとても楽しかった。僕は素直にそう思った。
「うん、あはは」
いきなり彼女が笑った。僕は何がそんなにおかしいのかと思った。
「えっ?なに?」
「君、最初の頃と比べて素直になったなーと思って!」
「そうかな」
確かに僕は最初、彼女に出逢った時と比べて素直になったかもしれないと思った。
そして僕は彼女にずっと気になっていた事を聞くことにした。
「ねぇ、君に聞きたいことがあるんだけど」
「なに?」
「君はどうしてそんなに写真を撮ってるの?」
別に写真を撮ることは普通のことでおかしいことではない。でも、彼女の場合は毎日の思い出を記録しているように感じる。
……まるで、記録しないと忘れてしまうかのように。
「別に嫌なら話さなくてもいいけど、あまりにも撮りすぎだから気になって……」
「……」
「余計《よけい》な事だよね、ごめん」
僕は聞きながら彼女の顔をそーっと見ると彼女は暗い顔をしていた。僕は何かまずいことを聞いてしまったかもしれないと思った。
すると彼女は深呼吸をした。
「……別にいいよ、私ねこの写真を見せたい人がいるんだ」
「……見せたい人?」
「うん、君もきっと知ってる人、君の話をしたら会いたがっていたから会ってくれる?」
僕の知ってる人?誰なんだろうと思った。
「うん、いいけど……」
「……よかった」
彼女は少し悲しそうな表情で優しく微笑んだ。
第四章 双人《ふたり》の真実
僕はその日、彼女の家に行った。
彼女の家に向かっている途中、僕たちは一言も話さなかった。何を喋っていいか分からなくて気まずい時間が流れていた。
「ここが私の家だよ」
彼女に連れられて僕は家の中に入り、ある部屋の中に通された。そこにいたのは、
「えっ……」
「……久しぶりだね、野咲くん」
喜川春木、彼女だった。
「……久しぶり、喜川さん」
春木はベッドに横になっており、ものすごい数の管が彼女の身体と繋がっていた。
「春木、大丈夫?」
桜がそう春木に声をかけた。
「大丈夫。今は落ち着いているから。桜こそ大丈夫?」
「うん、春木に比べたら全然!」
話している言葉の意味は分からなかったがそれ以上にやっぱり二人は知り合いだということに驚いていた。
「急に連れて来てごめん。驚いたよね」
桜が申し訳なさそうに僕にそう言った。
「別にそんなことないけど、二人は知り合いなの?そこに驚いたよ」
「私と春木は双子なの。……でも、ただの双子じゃないんだ」
桜は悲しそうな声でそう言った。僕はどういうことなのか分からなかった。
「えっ、どういうこと?」
すると、春木が話しはじめた。
「私と桜は双子だけどそうじゃない。一年の時、君に話したよね?私には違う世界の知り合いがいるってそれが桜なの」
僕は頭が追いつかないまま話を聞いた。
「桜はね、もう一人の私なんだ。並行世界、そこにはもう一人の自分がいるって話したことあったでしょ」
「……」
僕はなんと言ったらいいか分からず黙り込んでしまった。
「ごめん、難しいよね」
「うん、いや、そんなんじゃないけど……」
僕がよく分かっていないことに勘《かん》づいた桜が話をした。
「あのね、昔の話になるんだけど私たちのお父さんとお母さんの話なんだ……」
「お父さんはね、君からしたら並行世界つまり違う世界の人間なんだ。でも昔、間違ってこっちの世界に来ちゃって偶然にもお母さんと出逢ったんだ。違う世界にあまり影響してはいけないと分かっていたんだけれど、恋をして結婚したの……。そして私たちが生まれた。でも私たちが五歳くらいの頃に並行世界とこの世界のバランスを管理する偉い人たちがお父さんと私を並行世界に連れ戻しに来たの」
桜は淡々《たんたん》と自分たちのことを説明していた。
「……君のお父さんは分かるけど何で君も連れ戻されるの?」
「私は違う世界の人間だったから。そして春木はこの世界の人間なの。後《のち》に検査してもらったんだけど私と春木は魂と記憶が繋がっていることが分かったの」
「ん?つまり君の記憶が繋がっているということは喜川さんも君の思い出を知ってるってこと?」
なら何で写真を撮る必要があるのか僕にはまったく分からなかった。
「違うよ。記憶する力、記憶力っていうのかな?それが繋がっているの。ほとんどの人はたくさんの思い出を記憶できる。でも、私たちは二人で一つの記憶力を使っているの。
私は記憶力が良くてたくさんの思い出を覚えていられる。でも、春木は思い出ができてもすぐ忘れてしまったり覚えていられないの。だから、春木はあまり思い出がなくて新しい記憶は覚えられずに消えてしまったりするの。
だけど、記憶は完全に消えてしまう訳じゃないから思い出したりもするんだけどね。それでもたまに記憶喪失《きおくそうしつ》になってしまったり、二、三日、長い時には一週間以上も昏睡状態《こんすいじょうたい》になってしまったりするの」
えっ……。
僕は言葉を失った。
だって春木は、きっと僕のことも忘れたことがあるはずだから。今は思い出していても僕との思い出を忘れていたことがあるということがショックだった。
「それでさっき君が聞いた写真の話だけど、私は君との思い出を覚えていることができる。でも、いずれ私も春木のように記憶を失ってしまうようになるかもしれない。私と春木は繋がっているから……」
「……」
「でもね!春木の為でもあるんだよ!これまで君と一緒に出かけた場所は小さい頃に行ったことのある私と春木の思い出の場所だったり、春木が行きたいって言ってた場所だから写真を見せたら失った記憶も戻るかと思ったの……」
僕は彼女の話を聞きながら色々な思いが溢れてきた。
「……だから写真をたくさん撮っていたんだね」
「……うん」
その後少しの間、部屋の中は無言で静かな時間が流れた。
僕は頭を整理するために彼女たちに自分が思っていることをきいた。
「……あのさ、分からないことが多すぎるんだけど、どうして君はこっちの世界にいるの?お父さんと一緒に向こうの世界に連れ戻されたんじゃないの?」
すると桜は少し悲しそうな顔で話を続けた。
「……そうだよ、私は五歳の時に向こうの世界に連れていかれて今まで違う世界で暮らしてた。でも、いつからか身体に異変が起き始めたの」
「異変?」
「うん、私も今の春木と同じように度々《たびたび》記憶喪失や昏睡状態になることが多くなったの。
向こうの病院で医者に診てもらったらこっちの世界と私は強く繋がっているからその影響だろうって言われたの。だから私とお父さんは原因を探すためにこっちの世界に行くことを許されたんだ。
並行世界には『世界の扉』っていうドアがあってそれをくぐるとこっちの世界と繋がっているんだ。何の素材で作られているのかや誰がどうやって作ったのか分からない扉だから未だに研究者の人たちが調べているんだけどね」
世界の扉……。そんなものがあるんだ。
「そうだったんだ……でも今の君は元気そうだけど大丈夫なの?」
「こっちの世界では何故《なぜ》か異変が起きないの。だから大丈夫!」
彼女は笑顔でそう言った。僕はほっと安心して少し肩の力が降りた気がした。
「じゃあ、喜川さんが治る方法はないの?」
すると、春木が静かに僕の方を見ながら言った。
「こっちの病院じゃ原因不明だから、向こうの世界のお医者さんに診てもらっているの」
彼女の声はすごく落ち着いていた。
「そっか……」
「でも、今日君を連れてきたのには理由があるんだ!」
桜が暗い空気を吹き飛ばすように明るい声で言った。
「今日ね、今から家にお医者さんが来て調べた原因を説明してくれるんだって!」
「えっ、そうなの?」
「だから、君にも一緒に聞いていてほしいんだ!」
「えっ、でも……」
彼女たちの秘密にそこまで僕が踏み込むのは違うよな……僕は戸惑いながらそう思った。
「私からもお願い。野咲くんに一緒にいてほしい……」
春木が少し恥ずかしそうにしながら申し訳なさそうに言った。そこまで言われて僕には断ることができなかった。
彼女たちの秘密を知って本当にいいんだよな?
その原因がとんでもない事だとしても知ったことを後悔しないか?
僕は心に問いかけながら考えた。
「わかった……」
それでも僕は彼女《(二人)》の秘密を知りたいと思った。
僕がそう返事をすると二人は嬉しそうにしていた。
すると、ドアがノックされ中に人が入ってきた。
「こんにちは、君が野咲くんね。私は二人の母です」
入ってきたのは彼女たちのお母さんだった。そのお母さんは綺麗でとても優しそうな人だった。
「よろしくお願いします……」
僕は何て言ったらいいか分からずに言葉が詰まった。
「いつも話は聞かせてもらってるわ。この子たちと仲良くしてくれてありがとう」
優しくそう言うお母さんは彼女たちに雰囲気が似ていて僕は少しみとれてしまった。
すると後ろから男の人が入ってきて、それに続いて医者も一緒に入ってきた。
「君が野咲くんかぁ。いつも娘たちが世話になってるね。これからもよろしくお願いするよ」
入ってきた男の人は彼女たちのお父さんだった。僕は一気に緊張した。
「野咲空です。こ、こちらこそよろしくお願いします」
僕は急いで頭を下げぎこちない挨拶をした。
すると医者が春木の容態《ようだい》を確認し、僕たちの方を見た。
「えー、これから桜さん春木さん二人の身体の異変について話していこうと思います」
僕は静かに話を聞いた。
「まず、どうしてこのようなことが起きるのかというと、お二人は同じ世界で生まれたのにも関わらず魂が繋がっているからです。
確かに並行世界では自分と同じもう一人の自分が存在していることがあります。その場合、魂や記憶は繋がっていますが完全に繋がっているということではないのです。普通は魂が繋がっているもう一人の人が存在していても命は別々に存在しているんですけど、お二人は魂だけではなく命までもが繋がっていると思われます。
同じ世界で命のバランスが保たれていたのに違う世界で暮らしていたことによって、たった一つの魂が分裂《ぶんれつ》することができずに壊れはじめていることが原因のようです」
説明を聞きながら僕は何となく分かったようで……いや、分からなかった。
するとお母さんがゆっくり口をひらいた。
「……ということは二人が同じ世界で暮らせば元に戻るんですよね?」
「確かにその可能性はあると思います。実際、桜さんがこちらの世界に来てから春木さんの身体の状態が良くなってきていますから」
「本当ですか!良かった……」
彼女たちのお母さんはすごく喜びながら目に涙ぐんでいた。なのに医者はあまりいい顔をしなかった。
「はい、でも一つ気になることがあるんですけどこれはまた今度お話しますね……」
「わかりました。ありがとうございました」
彼女たちのご両親はそう言い、医者と一緒に部屋を出ていった。
僕は最後の医者の気になることがずっと頭に残っていたが、春木が少しずつでも良くなっていることを知って安心した。
「喜川さん、少しずつでも良くなってるみたいだから良かったね」
「うん、ありがとう」
春木は嬉しそうに微笑んだ。
僕が部屋の窓に目をやると外は真っ暗だった。
「じゃあ、僕はもう遅いし帰るね」
僕がそう言って部屋を出ると桜が玄関まで見送りにきた。靴を履いて玄関の扉を開けようとした時に後ろから声をかけられた。
「本当にありがとう。君が一緒にいてくれたから安心して話を聞けた。ありがとう……」
振り返ると桜が不安そうな顔をして僕を見ていた。
彼女はずっと怖かったんだ……。
僕は彼女を見てそれがすぐに分かった。
「もう、大丈夫だよ」
僕はそう言い彼女の頭を撫《な》でた。
そして僕は家に帰った。
家でもずっと彼女たちのことが頭から離れずにいた。
あまりにも衝撃的な一日だったから。
それに僕はどうして彼女の頭を撫でたのか、あんな言葉をかけたのか、自分でも分からなかった。だって彼女がいつもは僕に見せないようなとても不安そうな顔で怯《おび》えているような声をしていたから僕は自然と『大丈夫』そんな言葉をかけてしまっていたんだ。
第五章 煌めく火花《ひばな》
次の日、僕は学校に行く途中も授業中も昼休みも放課後さえも彼女たちのことを考えていた。
「……おーい」
「……」
「おーい!」
僕は彼女に声をかけられやっと我に返った。
「……何?」
「何じゃないよ!」
彼女は怒ったように言った。
「ごめんって、ただぼーっとしてただけだから」
「君、今日ずっと違うこと考えてるよね!」
「別にそんなことないけど……」
「ふーん」
彼女は僕のことを何でも知ってるような顔をしていた。
「何?」
「だって君の別にそんなことないはそんなことある、つまり当たってるってことだもん」
僕は図星をつかれて少し恥ずかしかった。
それから僕は授業すらも頭に入らない状態で一日を過ごした。
そして僕たちは校門を出て歩いていた。
「ねー、今日はどこに行くつもりなの?」
「今日は春木に会いに行こう!」
僕が聞くと彼女は笑顔でそう言った。
「えっ、君は家族なんだから毎日会えるでしょ!」
「違うよ!君を連れて行くの。だって君、今日一日ずっと春木のこと考えてるでしょ!分かるんだから!」
「それは……!」
僕は何も言えずに春木に会いに行くことになった。
「あっ!野咲くん、いらっしゃい」
「喜川さん、こんにちは」
春木の身体に繋がっていた管の数が減っているのを見て少しずつ良くなっているようで安心した。
「ごめんね、また桜が無理に連れてきたんでしょ」
春木が申し訳なさそうに僕に言った。
「私は違うって!彼が行きたそうにしてたから連れてきたの!」
「またそんなこと言って!」
春木は桜を叱るように言った。僕はそんな春木をみて少し嬉しかった。
「喜川さん、元気そうだね」
僕は春木が言い争ったりこんなにも明るい姿を見るのは初めてだった。だって図書室で出逢った時は大人しそうだったから。
「うん!桜がまたこっちの世界に来てくれてから何だか毎日が楽しくて明るく元気になれるの」
春木は満面の笑みを浮かべていた。
「そうなんだ」
「私だって春木といると明るく元気になれるよ!だって私、春木のこと大大大好きだもん!」
とっても嬉しそうに桜はそう言った。
そして桜は何か思い出したように一枚のチラシを取り出した。
「ねー、そうだ!春木も最近調子良さそうだし、今度一緒に花火大会に行かない?」
桜が笑顔でチラシを春木に見せる。
すると春木は自分と繋がっている点滴や管を見ながら何かを考えているようだった。
「えっ……でも、私が行ったら迷惑になるんじゃないかな」
「そんなことないよ!」
春木が心配そうに言うと桜が怒ったように言い返した。
「私が倒れたりしたら周りの迷惑になるんだよ!桜にも迷惑になる、それにもし記憶が悪くなって誰だか分からなくなるかも、だから……」
春木は怒ったようにそう言ったが悲しそうだった。
「春木、私にはどれだけ迷惑をかけてもいいから、それにそんなことにはならないよ。大丈夫。大丈夫だから本当の気持ち教えて欲しいな」
桜は優しい声で言いながら春木の手をぎゅっと握りしめた。
「……私、行きたい」
「うん!行こう!」
桜が明るくそう言うとさっきまで暗かった春木の顔が一瞬にして笑顔になった。桜は春木の不安を吹き飛ばすことができるそんな存在なんだなと思った。僕は春木が本当の気持ちを言えて良かったと思いながらチラシをみた。
「あー、近くである花火大会ね。すごく綺麗らしいから行ってきなよ」
僕がそう言うと桜が少し怒った顔で僕を見てきた。
「何言ってんの!君も一緒に行くに決まってるでしょ!私と春木と君、三人で行くの!」
桜はそう言うが僕は昔から体が弱くて友達がいなかったし花火大会は行ったことがなかった。
「いやいや、二人で行ってきなよ。二人の思い出にしなって、それに君は喜川さんに見せたい所や喜川さんと行きたい所を僕と一緒に思い出づくりしていただけで僕は部外者《ぶがいしゃ》だから」
僕は思ったことをそのまま言った。だって今まで一緒に出かけた思い出は、きっと僕と春木を重ね合わせながら過ごしていたんだろうと思ったから。
「君は部外者じゃないし……」
桜は小さな声でぼそっとそう言った。
「え?」
「だから、君は部外者じゃないって言ってるの!春木と君が知り合いだから選んだって、君は私がたったそれだけの理由で君を誘ったって本当に思ってるの?」
桜は怒ってそう言った。僕は何も言えなかった。
でも、じゃあ何でそこまで僕に関わろうとするんだよ……。
僕はそう思った。
「……ごめん」
「……それに君、一緒に思い出つくってくれるって約束でしょ」
僕たちの間に微妙な空気が流れた。
すると僕たちの話を聞いていた春木が口を開いた。
「私も……三人で行きたい。野咲くんも一緒がいいな」
春木が少し恥ずかしそうに気まずい空気の中そう言った。
「……分かったよ。じゃあ三人で行こう」
春木も三人で行きたいと思っているのならしょうがないな僕はそう思った。でも正直心のどこかで僕も行きたいと思っていたんだ。
「はぁー、本当にね!まったく鈍感《どんかん》!」
桜がため息をつきながら僕に向かってそう言う。
「何が?」
「何もかも全部だよ!」
「えー?それじゃあわからないんだけど、君が言うことは言葉が足りないよね」
「はぁー?それは君がでしょ?」
「君程《ほど》ではないよ」
「もういい!」
「あはは」
桜と僕の言い合いを聞きながら春木は笑っていた。
「「え?《(二人同時に)》」」
「え、今の笑うところじゃなくない?」
桜が春木にそう言った。
「いや、だって仲良いなぁって思って!」
「いやいや、それはないよ」
僕がそう言うと春木は笑顔で言った。
「二人はお互いを信頼しあっているから言い争えるんだね。普通に何とも思わない相手なら嫌われるかもとか興味が無いから何も言わなかったりするのに、二人は違う。強い絆《きずな》で繋がっているんだよ。繋がりには時間は必要ない必要なのは想いだから」
春木の優しい声で言葉でそう言われてすごく僕の心に響いた。
「そうかもね」
「確かに」
僕と桜はさっきまで言い合いをしていたのが嘘のように穏やかな気持ちになった。
そして花火大会の日、僕たちは公園の高台で待ち合わせることにした。
「お待たせー!」
そう言われて僕が振り返ると二人は浴衣《ゆかた》姿だった。
桜は春をまとったような桜色の綺麗な浴衣。
春木は少しオレンジがかったような、夕焼けで日に照らされる桜の花が綺麗な浴衣。
どちらともとても綺麗だった。
「二人とも浴衣なんだ」
「ごめんね、変かなと思ったんだけど桜が強引に!」
春木が恥ずかしそうに焦りながら言った。
「そんなことないよ!春木すごく似合ってるって!君もそう思うよね?」
「う、うん、似合ってるよ。……すごく綺麗だし」
桜がいきなり僕に聞いてくるので僕は焦ってしまった。
「……あ、ありがとう」
春木は少し頬を赤くしていた。
僕と春木、二人の会話を聞きながら桜は笑顔で嬉しそうに微笑んでいた。
「えー?私はー?」
桜が笑いながら聞いてくる。
「桜もかわいいよ」
「君も似合ってるよ」
僕と春木がそう言うと彼女は喜んだ。
「ほんとー!?」
そんなことを話しながら花火大会に向かった。花火大会の会場ではたくさんの屋台が出ていて美味しそうな匂いがしていた。
僕たちは金魚すくいをしたり射的をしたりした。初めての花火大会はとても楽しかった。毎年、窓から花火を眺めるだけだったからこんなに花火大会が楽しいとは思わなかった。だけど、きっとこの二人だからこんなにも楽しいんだろうなと思った。
そして自分たちの食べたいものを屋台で買うことにした。すると両手に抱えきれないほどの食べたいものを抱えた桜が僕の方にきた。
「たくさん買ってきた!」
「えっ!買いすぎだよ」
僕がそう言うと桜は笑っていた。
「かき氷にイカ焼き、わたあめ、りんご飴《あめ》、食べたいものがいっぱいだよー!」
「いやいや、だからってそんなに買ったら持てないでしょ」
幸せそうに言う桜に僕がそう言うとそこに飲み物を買いに行っていた春木が戻ってきた。
「えっ!桜買いすぎだよ!」
春木も僕と同じようなリアクションをしている。
「ほら、だから言ったのに」
「だってー!」
僕が言うと桜は子供のように言い返してくる。
「桜、そんなに食べれるの?」
「食べれるよ!」
当たり前のように桜はそう言う。
「こんなに持てるの?」
「あー、持てない!」
「もう、買いすぎだからだよ。私が持ってあげるから」
「春木、ありがとうーっ!」
僕は二人の会話を聞きながら嬉しい気持ちになった。こんなにも普通の会話をしている二人が目の前で楽しそうにしているその現実がすごく嬉しかった。
「君、ほんと子供みたいだよね。喜川さんがお姉さんみたいだし」
僕が笑いながらそう言うと桜はむっと怒った顔をした。
「何言ってんの!私が姉なんだからね!」
「えー?ほんとに?」
「春木は私の妹なんだから!」
「ウソついてないよねー?」
僕がそうからかうと桜は少し不機嫌になった。
「ごめん、ごめん」
「本当だから!ねっ?春木!」
「うん、桜がお姉ちゃんだよ!」
春木は誇らしげにそう言った。
「彼女がお姉さんって大変じゃない?」
「ううん、私にとってはいつも助けてくれる大好きな優しいお姉ちゃんだから」
春木は本当に桜のことが好きなんだな僕は心からそう思った。
「へー、そっか」
そして辺りが暗くなりはじめた。
僕たちは花火を見るためによく見える穴場に移動した。その場所は人が少なくて空が広く開けていた。
僕たちが何気ない話をしていると目の前がいきなり明るくなった。僕たちはびっくりして空を眺めると空に花が咲き誇るように物凄い数の花火が打ち上がった。空のすべてが花火で埋め尽くされるようだった。
すると、ひゅーーードンッ!っと音がして大きな花火が上がった。まるで世界のどこにいても、例え違う世界にいたってこの花火が見えるんじゃないかと思うくらい大きくて忘れられないほど綺麗な花火だった。
「綺麗だね」
春木が花火を見ながらそう言った。
「うん……」
僕は言葉が出ないほど綺麗な花火を眺めながら頷《うなず》いた。
「……空くん。ありがとう……」
桜が小さな声でそう言ったが花火の上がる音と重なり僕には聞こえなかった。
そして花火大会が終わって僕たちは帰りはじめた。暗い帰り道を三人で歩いていた。
「……ずっとこれからも三人で花火見れるかな?まだまだ、たくさんの思い出つくれるかな?」
桜が静かにそう言ったので僕は彼女の方を向いて答えた。
「当たり前だろ。約束したからな」
「……そっかー、約束か。うん、そうだね!じゃあー、約束の約束ね!」
僕の言葉に彼女は安心したように笑顔になった。
「何それ」
僕はそう言いながら笑った。
僕と桜のやりとりを春木は静かに聞いていた。
そして僕は二人を家まで送った。彼女たちの家が見えてきたところで桜は子供のようにはしゃぎながら家に向かって走っていった。僕と春木は桜の楽しそうな姿を見ながら後ろでたわいのない話をして笑っていた。
桜が家に着き玄関の扉を開けようとした時、彼女の手がピタッと止まった。僕はどうしたのだろうと思いながら春木と一緒に桜の元に近づいた。
すると家の中から彼女たちの両親と医者の話し声が聞こえた。僕たちは玄関の扉を少しだけ開けて静かに盗み聞きをした。
それは二人の病気についての話の続きだった。
「夜遅くに申し訳ありません」
「先生、その前話されていた気になることの話の続きですか?」
「はい。桜さん、春木さん、お二人がいらっしゃらない時の方がいいと思いまして」
「そうですか。それで話とは?」
なんだか医者の声がとても深刻そうだった。僕の隣で二人はすごく聞き耳を立てながら真剣な顔をしていた。
「……本当に言いにくいことですので覚悟して聞いてもらってもよろしいでしょうか」
「え、……はい」
医者のその発言に両親も戸惑いを隠せずにいるようだった。
「……確かに春木さんは徐々に良くなってきています」
「……ですが、桜さんも同時に検査したところ桜さんの方が悪化していることが分かったんです」
「えっ!?それはどういうことですか!」
「多分なのですが、今までのような症状は出ていませんでしたがきっとご本人は身体に違和感などがあったと思われます」
「でもあの子、そんなことは一言も……」
「まだ、そこまできつくはなくても少しずつ悪化しているのは確かなんです」
医者の言葉に僕が桜の方を振り向くと桜はあまり動揺していなかった。それに何となく心当たりがありそうな顔をしていた。
「桜さんはこちらの世界にきてから記憶喪失や昏睡状態などの症状が出ていないので私も最初は良くなっているのだと思っていましたが、検査の結果では……桜さんの方の命の消滅スピードが加速していたんです」
医者のあまりにも衝撃的な発言に僕はどういうことなのか分からなかった。
彼女たちも両親も全く理解できていないようだった。
「桜さんがこちらの世界にいることによって春木さんは良くなっている。でも、桜さんがこちらの世界にいると命が消えかけているんです」
「……えっと、すみません。よく分からなくて」
両親はとても混乱しているようだった。
「桜さんが元の世界に戻れば、桜さんは助かる可能性があります。でも前と同じような症状が出ないという保証はありません。
ですが、桜さんがこの世界からいなくなってしまうと春木さんは消滅してしまいます。
逆に、桜さんがこの世界にとどまると春木さんは良くなります。だけど、桜さんは消滅する」
「……」
その場はものすごく静かな空気が流れた。僕はまだ良く理解できていない。
「……つまり、必ずどちらかが死んでしまうということです……」
その場にいる全員の頭が停止している状態で医者が追い討ちをかけるように言った。
僕は理解できない。……いや、理解はしていた。
でも、信じたくなくて考えないようにしていた。
なのに医者にはっきりと言われて僕は何を思ったらいいのか分からなかった。
「……」
医者の話を聞きながら何も発言しなかった母親が泣き崩れた。医者の深刻な声と父親の焦っている声、母親の泣いている声、色々な会話が中から聞こえていた。僕たちは会話を聞きながら静かに言葉を失った。
医者の言葉があまりにも衝撃的で僕はその後の会話が全く頭に入ってこなかった。
「……」
桜が一言も喋らずに静かに玄関の扉を閉めた。そして何も言わずに一人でどこかに走りながら飛び出して行った。
春木はその場に座り込み静かに泣いていた。
僕は飛び出して行った桜を追いかけた。
でも僕は桜を見失ってしまった。それでも今、彼女を一人にするわけにはいかないと強く思った。彼女がどこに行ったのかが分からなくて僕はその場に立ち止まり彼女の気持ちを考えた。
『僕だったらどうする?』
『この世界にいたら死ぬと言われたらどうする?』
『自分が生きれば大切な人が死んでしまうと言われたらどうする?』
そんなことを言われてしまったらどこに行こうと思うのだろうか。僕は考えたがやっぱり彼女の気持ちは分からなかった。でも、僕ならばきっとここに行くだろうと思う場所に向かった。
彼女と待ち合わせに使った公園だ。僕が好きな場所だから思いついたけどやっぱり彼女はいないよな、そう思いながら高台に上がると彼女がいた。
桜は公園の高台で町の夜景を一人で眺めていた。
彼女に何か声をかけなければ、僕はそう思ったがかける言葉が見つからなかった。喉に何かが詰まったみたいに声が出なかった。
僕は何も声をかけられずにただ後ろから彼女を見つめていた。
「……私、このままだと死んじゃうんだってさー」
僕に気づいたのか彼女はなぜか笑顔で振り向きそう言った。
「……うん」
僕はただ頷くことしかできなかった。
「ほんと、嫌になるよね!せっかく君と仲良くなれたし、春木にももう一度会えたのに」
「……うん」
「……でも、私は例え消えてしまってもこの世界にいたいんだ」
「えっ……」
消えてもいい、彼女はそう思っているの?
僕にはどうしても彼女の気持ちが分からなかった。でも、僕には訳あって死んでしまうかもしれないという恐怖はなんとなく分かる気がした。
「はぁーー……」
彼女は大きく深呼吸をした。
「君のいる世界!春木がいる世界!大好きなみんながいて、たっくさんの思い出がある世界!私はこの世界が大好きなんだーー!」
煌《きら》めく綺麗な夜景に向かって彼女はそう叫んだ。
「……でも、君がいた世界もこの世界と風景や景色は変わらないんだよね?」
「……」
「だって、並行世界はこの世界と同じ世界が何個も存在してるだけ……。前に喜川さんに教えてもらったから」
彼女が命を捨ててまでこの世界にこだわる理由が分からなかった。僕は恐る恐る彼女に聞いたが彼女は微笑みながら答えた。
「そうだよ。別に異世界のように変な世界じゃないし、見た目的なことをいうのならこの世界と同じような世界だよ。それに向こうの世界を生きている人の中には同じ魂を持っている私と春木のようなもう一人の自分がいたりする、そんな世界だよ」
彼女が話すその世界は不思議な世界ではなくて普通の世界なのにどうして戻ろうとしないのだろうか僕はそう思った。
「えっ……じゃあ、何で?元の世界に戻らないと消えちゃうんだよ!」
僕は無意識に強く言ってしまった。
「でも……君はいないんだよ?もし、君に似ている人がいたとしてもそれは君じゃない。私は本当に大好きな人達と生きていたいの」
「でも、それじゃ……」
『消えちゃう』……僕はその先の言葉をどうしても彼女に言えなかった。
彼女の強い想いが言葉の中に込められているようだった。
「……私の選択は最初から決まっているけどね……」
彼女はいきなり表情を変え静かにそう言った。
「えっ?それってどういう……」
「帰ろっか!」
僕が言葉の意味を聞こうとした時、彼女ははぐらかすようにそう言った。
僕はそれ以上聞くことができなかった。
第六章 最後は夢で会いに行く
次の日、彼女は僕が思っていたよりもすごくいつも通りで元気だった。
「君、大丈夫なの?」
心配しながら僕はそう聞いた。昨日、あんなことがあったのに普通に学校に来ることができる精神状態なのだろうか。失礼かもしれないが僕はそう思った。
「大丈夫、大丈夫!全然元気だから!」
彼女は明るい笑顔でそう言った。僕はその言葉に少し安心した。
「私は大丈夫なんだけど……あの後、私が家に帰ったら春木が泣いてたから聞いてたことが親にバレたみたいで家の空気が悪くて大変だったんだよ!」
彼女は笑顔でそう言ったが僕はなんとなく彼女は無理に笑っているように見えた。
「……」
僕は何も言えずにただ黙ることしかできなかった。
「みんな泣いちゃってて、空気変えるために明るい話をして頑張って気分を盛り上げたんだからね!」
「……」
「何か言ってよ!」
彼女の不自然な笑顔がどうしても見ていられなかった。
「そんなに無理に明るくならなくてもいいよ、無理に笑わなくていい……」
僕が優しくそう言うとさっきまで無理して笑っていた彼女の顔が真剣な顔に変わった。
「私はどんな結果になったとしてもみんなが暗い顔をしているのは嫌なの」
「だとしても、君が無理していたら誰も笑顔にならないよ。本当に笑顔にしたいなら君が本当に笑顔になりなよ」
僕がそう言うと彼女ははっとしたような顔をして笑った。
「君、たまにはいいこと言うねー!」
彼女は笑顔でそう言った。その笑顔は今度こそ本当の笑顔だった。
「たまにはって何だよ!」
「あはは、せっかく褒めたのにー!」
「はぁー、君といると調子がくずれるよ」
彼女がちゃんと笑っているようだったので僕は安心したのと同時に嬉しかった。
そして今日もあっという間に一日が終わり放課後になった。
「今日もどこか行くの?君の身体も心配だから、もうやめといた方がいいんじゃない?」
「それは君もでしょ……」
彼女は小さな声でそう言った。
「え?……どういう意味?」
「……あっ、なんでもないよ」
彼女は急にはぐらかすような態度をとる。
「そうだ!今日も春木のところに行こうと思っているんだ!」
「喜川さん、大丈夫なの?」
すると笑顔だった顔が不安そうな顔になった。
「うん、病気の方は大丈夫なんだけど、昨日の会話を聞いてから元気がなくて……」
「そっか……」
そうだよな、たとえどっちが消えるにしても悲しすぎるもんな。桜か春木、絶対にどちらかはこの先の未来に存在していないんだ。
「だから!君に会ったら少しは元気になるかなーと思って!」
僕の悲しい気持ちを吹き飛ばすように彼女はそう言った。
「会いに行くのはいいけど、別に僕に会っても元気にはならないと思うよ」
僕がそう言うと彼女は怒った顔をした。
「もぉー!鈍感!」
「えっ?」
僕は彼女が何に怒っているのか分からなかった。だって鈍感っていうのは鈍《にぶ》いっていう意味だから僕は全然鈍くないし、僕はそう思った。
「前にも言ったけど鈍感すぎ!」
「はっ?どういうこと?」
「君は春木のことが好きなんじゃないの?」
彼女は真剣な顔で僕に言った。
……えっ?
僕は彼女にそう言われてすごく恥ずかしくなった。
当たっていると言えば当たっているのかな、僕は確かに一年の時、春木に出会って仲良くなった。好きなのか何なのか分からなかったが一緒にいるとすごく安心したんだ。
でも……僕は何かが心に引っかかった。
「ど、どうして僕が喜川さんを好きってことになるんだよ!」
僕は焦りながら言い返した。
「君たちを見てたら分かるよ!」
真剣な表情でなんとなく僕の図星を指す彼女に僕は正直に答えるしかなかった。
「……一年の頃はそうだったかも……しれないけど、今は違うから!」
僕は少し曖昧《あいまい》な言い方をした。
「いやいや、一年の頃だけじゃなくて絶対今もでしょ!あっ!もしかして初恋は春木だったりする?」
からかうように彼女は言う。
「だから、違うって!」
僕は怒ったように言ってしまった。
「別に怒んなくてもいいじゃん」
「……初恋は別の人だから……」
僕が静かな声でそう言うと彼女は微笑んだ。
「そっか、じゃあ今度その子の話聞かせてよ。私も会ってみたいな」
彼女は優しい声で微笑みながらそう言った。なんだか僕はすごくほっとした気分になった。
「……うん」
そして、僕は彼女の家に向かった。
桜は僕と春木に気を使って外に出て行った。
わざわざ気を使わなくていいのに……僕はそう思った。
部屋に入ると桜の言う通り春木は元気がなかった。部屋の中の空気が重く感じた。
「喜川さん、昨日は大変だったね……」
僕はなんて声をかけていいのか分からなかった。
「大丈夫、気にしてくれてありがとう」
「……」
春木が元気のない静かな声でそう言うので僕はなんと答えるのが正解か分からずに黙ってしまった。
『君は春木のことが好きなんじゃないの?』
桜に言われた言葉が頭の中を不意《ふい》によぎった。
僕は急に顔が熱もっているのが分かった。きっと今、僕の顔は赤く火照《ほて》っているだろうと自分でも思うほどだった。
「どうかしたの?」
春木が僕の顔を覗き込みながら心配そうに言った。
はっ!僕はそう言われて現実に引き戻された気がした。
「いや、なんでもない」
桜のせいで変に春木を意識してしまい僕はぎこちない返事をしてしまった。
もぉー、君のせいだからな!僕は心の中で桜にむかって怒りながら言った。
僕は桜へのなんとも言葉にできないような怒りと春木への変な気持ちで顔がますます赤くなっているようだった。
すると春木が本当に心配しながら僕見てくる。
「えっ、でも顔が赤いけど……」
「本当に大丈夫だから」
僕は片手で顔を隠しながら言った。正直、今の僕を見ないでくれ、そう思いながらすごく恥ずかしかった。
「そっか、大丈夫ならいいんだけど……」
「うん、大丈夫……」
そして微妙な空気が流れてしまった。僕のせいではあるんだけど……いや、この空気の原因を作ったのは桜だと心の中でそう思った。それに今日は元気のない春木を元気づけるために来たのに僕はなんの役にもたてなかったな、僕はそんなことばかり考えていた。
僕は何か会話の話題がないか焦りながら探していた。春木の方を見ると春木は黙って何かを考えているようだった。
「……ねぇ、野咲くん。桜から聞いたかもしれないんだけど……」
春木は何かを言いかけてやめた。
「なにを?」
「……私たちのどちらが消えるにしても今年の七夕までがタイムリミットになるだろうってお医者さんに言われたの」
「えっ……」
僕は頭がまわらなくなった。七夕なんてもうすぐじゃないか、だけど二人とも元気なんだからそんなの嘘でしょ。
「でも!お医者さんの予測だからまだ分からないんだけどね!」
春木は僕の心情を察してすぐにそう言った。それでも僕は信じられなかった。
「もう、季節も変わって夏になったもんね。桜と私の季節は終わりが近いってことかな」
「……」
春木が冗談まじりにそう言ったが僕は本当にそんな感じがしてしまった。
「……七夕か」
さっきも暗い顔をしていたのにそれよりももっと悲しい顔をしながら春木はそう呟いた。
「七夕、もうすぐだね……」
「うん、もうすぐ。だからいつまでも会える訳じゃないんだよね……」
その言葉が僕の心にはグサッと刺さってしまった。
僕は春木が言った『いつまでも会える訳じゃない』ということを考えながら桜のもとに向かった。家の外に出ていた桜がどこにいるのか僕にはすぐに分かった。
そして僕は公園の高台に向かった。やっぱり僕の思った通り彼女はいた。
彼女は町の景色を眺めているようだった。
「あっ!君、来たんだ」
桜は僕に気がついたように振り向いた。
「喜川さんから聞いたよ。七夕、もうすぐだね……」
僕がそう言うと彼女は聞いちゃったかぁ、と言わんばかりの顔をした。でもすぐに落ちついたように頷いた。
「うん、そうだね。七夕、一緒に天の川見れるかな?」
「うん。きっと見れるよ」
彼女の寂しそうな表情に僕は『絶対』という言葉を使うことができなかった。
「……ねぇ、君に最後の約束お願いしてもいいかな?」
「約束?」
「……君と一緒に桜の花見《はなみ》をしたい」
彼女は静かにそう言った。その言葉には力強い想いが込められているようだった。
「でも、今は夏だよ?」
「うん……そうだよ」
彼女は分かっているように頷いた。
僕は静かに黙り込みながら彼女が言っていることがどういうことなのか考えていた。
「……そうだ、君は桜の花言葉を知ってる?君に教えるか迷ったんだけど、やっぱり君には知っていてほしいから」
「え?いきなり何言ってるの?」
彼女は急に話の話題を変えた。なんだか彼女が僕に何かを伝えようとしているように感じた。
「桜の花言葉には色々な意味があるんだけど、
その中にね……私を〇〇〇〇〇〇(秘密)
……そんな言葉があるんだって、それに桜は短命だから」
「……」
「桜の花が散っていく様子を見て、そんな言葉ができたらしいよ」
彼女は笑顔で僕にそう言ったがその笑顔の奥に悲しいものが僕には見えた。でも、落ちついていて何かを覚悟した顔をしていた。
「だから、私がもし生きていたら一緒に桜をみたい。私がもし死んでしまっていたら私を思い出しながら桜をみてほしい」
「……」
僕は何も言えなかった。でも何も言わない僕の顔を見ながら彼女は微笑みをこぼした。その表情は僕に『大丈夫だよ』と訴えかけているようだった。
「あはは、まぁ、君は気にしなくていいよ。うん、私のただの願望《がんぼう》!」
彼女は笑顔で僕にそう言った。
その日の夜、彼女のことを考えていた。
すると、身体全体がふらっとなって心臓が大きくドックンとなった。
『空!?……』なんだか名前を呼ばれた気がしたが僕の意識はなくなっていった。
気がつくと夢の中にいた。僕は昔から見る夢と同じ、たくさんの桜の木が並んで生えている世界にいた。
彼女が転校してきた日、夢の中では女の子に会えず、結局その日から一度も夢を見ることがなかった。なのにその夢を僕は久しぶりにみた。
その場所をみて僕はすごく驚いた。なぜなら、たくさんあった桜の木が全て枯《か》れていたからだ。
そして、そこには女の子がいた。
「やっぱり、君だったんだね……」
その女の子は喜川桜……彼女だった。
「うん、そうだよ。君はこういうの鋭いから勘づくと思ったのに!」
笑顔で彼女は言った。
「気づいてたよ。君が転校してきたその時から」
僕がそう言うと彼女は微笑んでいた。
「そっか、気づいてくれていたんだね」
いつも通りの彼女をみて少し安心した。でも、いつも通りではないこの場所を見ながら僕は何故か違和感がずっと心の中に残っていた。
「ねぇ、なんで桜の木がこんなに枯れているの?」
この夢の世界では昔からどんな季節でも満開に桜の花が咲いていた。
「私にも分からない。でも、一つ分かることはもう時間がないということなのかもね」
「……えっ?」
「私も……君も……」
最後に彼女がぼそっと呟いた言葉は僕には聞こえなかった。
枯れた桜の木をみて彼女の身体や命がボロボロだということが僕には分かった。
そして僕は時間がないというその言葉に背筋が凍った。心のモヤモヤが酷くなっておさまらなかった。
なぜなら、絶対に七夕に消えてしまうわけではないからだ。だって、医者は『七夕までに』と言っていたらしい。その言葉が頭の中をよぎった。
「だって七夕は来週だからね。日にちがどんどん近づいている」
彼女は落ち着いた声でそう言う。
僕はまだ来週のことだ、まだ時間はある、とそんなことを思っていたんだ。いつ消えてしまうか分からないのに僕はちゃんと彼女と向き合えていなかったんだと強く思った。
「……でも、君は絶対七夕に消えるというわけではないでしょ?」
僕は苦笑いをしながら彼女にそう聞いた。
「確かにそうだね。でも、それは君も同じでしょ?だって君もいつ死んでしまうか分からないんだから。それはみんな同じだよ」
その言葉を言う彼女の声はとても優しかった。
「でも君は本当の世界に戻れば死なずにすむんだよ?」
僕は少し焦ったように言った。
「戻らないよ」
「なんで!」
僕は怒ったように強く言ってしまった。それなのに彼女は真剣な表情で僕をまっすぐ見つめていた。
「前にも言ったよね、私はこの世界が好きなの」
「お願い!本当の世界に戻って!」
つい大きな声で怒ってしまった。けれど僕には分かっていたんだ。彼女をどれだけ説得《せっとく》してもきっと彼女の意志は揺るがない。
「……」
彼女は黙りながら何かを考えているようだった。その間、この空間だけが時間の流れが止まったように静かな空気が流れていた。
「私にとって春木はとても大切な存在であの子のためなら私は何だってする。私ね、知ってたんだ。この世界に来る前、向こうの世界にいた時に記憶と命が繋がっているからなのか分からないけど春木がすごく死を怖がっていたことを。
私は昔から分かってた」
二人は双子であると同時に同じ魂を持つ、二つの世界の同一人物でもあるからきっと気持ちが繋がっているんだろうと思った。
「じゃあ、君は怖くないの?」
「私は怖くないよ。って言ったら嘘になる。でも、一つ心残りがあるとするなら君ともっと一緒にいたかった。君と出逢ったせいで死にたくなくなった。生きたくてしょうがなくなった」
「……」
「でも、私には君との思い出がある。君との思い出だけで生きていける。君が私のことを想っていてくれるだけでとっても嬉しい。私は世界一の幸せ者だね」
「……」
「……君と出逢えて良かった」
僕は彼女の話を聞きながら自然と涙がこぼれた。
「春木のことをよろしくね……それに君は何があっても絶対に生きて!」
彼女の言葉が最後の言葉に聞こえてしまう。もう、一生会えないそんな気がしてしまう。
僕は本当にそれでいいのか自分に問いかけてしまう。
『消えてほしくない』
『もっと一緒にいたい』
『でも、それは僕のわがままなんじゃないのか?』
『それでも嫌だ!』
『僕のそばからいなくならないで!』
『けれど彼女が決めたことなんだから……』
『一緒にいたい!』
お願い!お願い!お願い!お願い!
神様!どうかどうかどうか、お願いします。彼女の命をすべての世界から消さないでください。彼女からこの世界との繋がりを奪わないでください。彼女と僕の想いを繋がりを切らないでください。
『神様!お願いします』
僕は何度も願った。神に祈った。彼女の運命が変わることを必死に願っていた。
僕は昔から死ぬのが怖かった。自分の存在理由が分からなくても、この世界にいらない存在だとしても、死が怖かったんだ。
なのに、今は彼女がこの世界で生きていけるのなら僕が消えてもいい。そう思えるほど彼女に生きていてほしかった。
「僕は君に生きていてほしいんだ!」
僕は色々な想いが心の中で溢れるのと同じくらい目から涙が止まらなかった。現実の世界ではきっと泣かないくらい夢の世界では涙が溢れてきた。
彼女は僕の言葉を聞いて笑顔になった。まるで桜の花が満開に花開くような笑顔だった。
「ありがとう。君がそう想ってくれているだけで十分だよ。ごめんね……」
彼女は僕の前で初めて泣いた。
「ごめんね。最後まで涙はみせないはずだったんだけどなー」
彼女は涙をながしながら苦笑いをしていた。
そして僕は彼女に近づいて抱きしめた。
「ありがとう。僕は君と出逢えて良かった」
「うん、私も……」
彼女のその言葉を聞いて僕は抱きしめていた手を離した。自然と抱きしめてしまっていたが少し恥ずかしかった。
彼女の方を見ると彼女はなんだか申し訳なさそうな顔をしていた。
「私ね、五歳の時、まだこの世界で暮らしていた頃、君と出逢った瞬間に一目惚れしちゃってたんだ」
「えっ……」
「私が君に会いたいと強く思ったせいで君と夢の中で繋がりができちゃったんだと思う……迷惑だったよね」
そうだったんだ……。僕はそのおかげで君と出逢えたんだなとそう思った。
「迷惑だなんて思ったことないよ。だって僕の初恋は君だったから。ありがとう」
僕は思った。自分が思うより昔も今も彼女に恋していたんだと。
そして彼女は笑顔で僕との時間を噛み締めるように微笑んだ。
「最後にそれが知れて良かった。君は絶対に幸せになってね!本当にありがとう……」
その言葉を最後に夢が覚めた。
第七章 命の繋がり
目が覚め、まだぼーーっとする頭にピーッピーッと何かの機械のような音が響いていた。そしてだんだんと意識が戻りここが病院だということに気づいた。
横に座っていた僕の母が心配そうに声をかけてきた。
「空、空!大丈夫?あなた一昨日の夜に家で倒れて病院に運ばれたのよ!急いで心臓の手術が必要であと一歩遅かったら死んでたかもしれないんだからね!」
母は僕を見ながら涙目でそう言った。
僕は小さい頃から心臓の病気でずっと入院や手術を繰り返していた。だからあまり学校にも行けず友達もできなかった。
「……そっか」
僕は母から緊急手術をしたと聞かされても、またかと思うぐらいに何も感じなかった。
それよりも、僕は自分のことより彼女のことが心配でたまらなかった。
「……お母さん、ごめん。僕、行かないといけないところがあるんだ」
僕は自分の身体に何本も点滴など色々な管が繋がっていることも気にせずに急いでベットを抜け出そうとした。
「空!まだ、寝てないとダメよ!」
母が必死に僕を止めようとするが僕はすぐにでも彼女のところに行かないとと強く感じた。なんだかものすごく嫌な感じがしたんだ。
けれど僕がベットを抜け出そうとすると母が止めるので僕は身動きが取れずに困っていた。
すると病室の扉が開き彼女のお母さんが入ってきた。
僕の母が急に彼女のお母さんに深々とお礼を言っていた。
「喜川さん。この度は本当にありがとうございました」
「いえ、あの子の願いですから。きっとこれで良かったんだと思います」
「本当にありがとうございます」
母は何度も頭を下げていた。僕は何に対してのお礼なのかまったく分からなかった。
「野咲くん。身体の容態《ようだい》は大丈夫?」
彼女のお母さんが僕のベットの隣にあるイスに座ってそう声をかけてくれた。
「はい……」
「そう、良かった」
彼女のお母さんは笑顔で微笑んでいた。まるで桜が笑顔で笑っているように見えた。
そして彼女のお母さんが僕に彼女たちの状況を説明してくれた。
なんと僕が倒れた日の夜に二人もいきなり体調が悪化して同じ病院に運ばれたそうだ。そして春木はまだ意識不明のまま眠っているらしい。
けれど、なぜか彼女のお母さんの口から桜の話はまったく出てこなかった。
僕は桜が心配で心配でたまらなかった。
僕は彼女のお母さんの話を割って入るように聞いた。
「あのっ!桜は?」
すると、彼女のお母さんの目から涙がこぼれた。
「桜は……死んでしまったの……」
「えっ……?」
僕はお母さんの言葉に顔が真っ青になった。夢の中で彼女は確かに最後の言葉のような話し方をしていた。でも、僕はまだ最後ではないとどこかで思っていたんだ。
「一昨日の夜に二人ともいきなり意識不明になっちゃって急いで病院に行ったんだけど、桜の命にはもう寿命は残っていなかったみたい。病院で色んな治療法とかを試したけど命の消滅を止めることはできなかった……」
「……」
「ごめんなさい、あの子を助けることができなかったの……」
「そうだったんですね……」
僕はなんと言えば良いのか分からずにその言葉を素直に受け止めるしかなかった。
でも、僕は気づかなかったが僕の心の中はいっぱいいっぱいでちゃんと泣いたり受け入れることができる余裕は僕の中にはまったく残っていなかった。
「お医者さんがね、桜は最近ずっと身体に異変があったりして辛かっただろうって……。きっと、桜は自分が消えてしまうことを聞く前から自分の身体の状態を分かっていたみたい。あの子のことだから家族やあなたを心配させないように黙っていたのね……」
自分の心配させるようなことは絶対に言わないで隠し通す……彼女らしいな僕はそう思ったが、辛いことは言ってほしかった。弱いところも見せてほしかった。
どうして僕はずっと近くにいたのに彼女が弱っていることに、身体の辛さを我慢していることに、気づかなかったんだろうと強く思った。
「……桜さんらしいですね。僕が少しでも気づいてあげていれば、すみません……」
泣きながら必死に話すお母さんに僕は申し訳なかった。
「大丈夫よ、あなたが気にすることは何もないわ。あなたの身体だって大変だったんでしょ。あなたに悲しまれたらあの子は絶対に喜ばないから」
「はい……」
僕は彼女のお母さんにそう言われて何も言うことができなかった。
すると彼女のお母さんは涙をふきながら心を落ち着かせているようだった。そして何か覚悟を決めたように真剣な表情で話はじめた。
「桜がね、意識朦朧《もうろう》としているなか最後に言ったの」
救急車の中で彼女は最後にこう言ったらしい。
『……お母さん。私がお母さんと過ごした時間は春木と比べたら少しだったかもしれないけど、私はお母さんが大好きだから私をこの世界で産んでくれてありがとう……これは私のわがままなんだけどね、お願いがあるの……。
……私は春木を救いたい、でも、もう一人救わないといけない人がいるの……野咲くん。彼、心臓の病気なんだ。私の命はもうすぐ消える……だから私の心臓を彼にあげて……!
すべての世界で私の一番大切な人だから……』
彼女は呼吸を荒くしながら必死に伝えていたそうだ。
「えっ……?」
僕は彼女の残した言葉を知った瞬間、頭が真っ白になって言葉が出てこなくなった。
すると、隣で一緒に話を聞いていた僕の母が静かな声で僕に言った。
「本当はドナーの人を知ることはいけないのだけど……」
母は彼女のお母さんと顔を見合わせ、頷くようにしながら口を開いた。
「……桜ちゃんは空のドナーになってくれたのよ……」
「はっ?」
僕は自分の母の言う言葉を信じられなかった。
だって、なんで彼女が僕の病気のことを知っているんだ?僕は訳が分からなかった。
「あなたの中で心臓がちゃんと動いているでしょ?桜ちゃんのおかげであなたは今生きているのよ」
「……何で?」
僕は静かにそう呟いた。
「えっ?」
「……何で?なんで彼女が病気のことを知っているんだよ!」
僕は大きな声で怒った。
どんなことを彼女に知られても構わない。でも、病気のことだけは知られたくなかった。
昔から何度も余命宣告されていた。
でも、その度に何の奇跡か分からないけどいつも命が助かってきたんだ。今度こそ死んでしまうかもしれない、そうやってずっと死に怯えてた。
だから彼女の命が消えることを知った時、絶対に助けたいと思った。
「ごめんね。空……」
母が申し訳なさそうにしていた。
「お医者さんにね、あなたの病気が悪化して心臓移植が必要だと言われたの。移植できなければ余命半年もないと言われて、いつ倒れてもおかしくない状態だったの。ごめんね、そのことを空に隠していたの」
「なんで?隠す必要なんかないだろ」
僕は少し冷たく言ってしまった。
だって、余命半年なんか何度も言われたことがある。手術なんて何回もした。入院だって数えきれないほどだ。
最初の頃は入院や手術と聞いて怖くて落ち込んでた。でも、何度も繰り返しているうちに心の感情がなくなっていった。何とも思わなくなったんだ。
だけど、夢の中で毎日のように彼女と会うようになって夢の中だけは自分の感情が出せる気がした。
何とも思わないんだから隠す必要なんかない僕はそう思った。
「あなた入院してばっかりだったから学校に行けなくて友達も全然できなかったみたいだし、勉強だって大変だったの知ってたからこれ以上悲しませたくなかったの……」
お母さんは全部知ってたのか……。
「……そっか、ごめん……」
僕は母にひどいことを言ってしまったと後悔した。母がそんな風に考えていてくれたことをはじめた知ったように感じた。
「……いいのよ、怒って当然よね。空は人に知られるのが嫌いなの分かっていたんだから。ごめんなさい、私の不注意で桜ちゃんに知られてしまったのよ」
「……」
「空の病気が悪化していると分かった時、もうすぐ二年生になって新学期が始まろうとしてる頃だった。だから新学期が始まってしばらくたった頃に学校の先生に相談したのよ……」
第八章 僕の余命
僕の余命が半年しかないことなど学校にも迷惑がかかると思った母は学校の先生に僕の身体のことを説明しに行ったらしい。
母は学校が終わった放課後に空きの教室で僕の担任の先生と話したそうだ。
「野咲くんのお母さん、今日はどうされましたか?」
僕の担任の先生は物分りのいい熱血の若い男の先生という感じだ。僕は一年生の時もこの先生が担任で、たまに検査などで休む時に授業の進みを教えてくれたり、友達のことなども気にしてくれていた。
「実は……空の病気が悪化してるみたいなんです。それで……余命が半年と言われてしまって……」
母はとても思いつめているようだった。
「……そうでしたか」
さすがの先生もどのように声をかけていいか分からないようだった。
「でも、心臓移植をすれば助かる可能性はあるんです。けれどドナーが見つからなくて、だからあの子にはドナーが見つかるまで秘密にしててもらってもいいでしょうか?お願いします」
先生はそれを聞いてすごく悩んでいるようだった。
「そのことは野咲くんは知らないということですよね?」
「はい……もし今回が最後かもしれないのなら最後まで苦しめるのは嫌なんです!」
母は今回が最後かもしれないと覚悟していたらしい。僕は何度も余命宣告されていたが心臓移植まですることになったのは初めてだったからだ。
「わかりました。野咲くんにバレないように気をつけます」
「ありがとうございます!それで、きっとこれから体力も弱っていくだろうし、色々と支障も出てくると思うので先生方にも今まで以上に意識して見ていてもらえるとありがたいんですがお願いしてもよろしいでしょうか?」
母は前から先生などによく相談していた。でも今回ばかりはとても心配しているようだった。僕からしたら過保護すぎるようにも思えるほどだった。
「はい、もちろんです。これからもしっかりとサポートしていきますのでご安心ください。あまり無理はさせないように気をつけますので大丈夫ですよ」
先生も母の心配を少しでも和らげるために安心させるような言葉をかけてくれている。
「すみません、本当にありがとうございます。これからもよろしくお願いします」
母は深々と頭を下げてお礼をした。
そして教室にドアを開けようとした時に、ガタンッとドアに何かがぶつかったような音がした。
でも母が教室から出た時、廊下には誰一人もいなかった。母は気のせいだと思った。
そして家までの帰り道を一人で歩いている途中で後ろから声をかけられた。
「あの!野咲空くんのお母さんですよね?」
桜が母に声をかけてきたそうだ。
「はい、そうですけど……」
「……えっと、私は野咲くんと同じクラスで友達の喜川桜といいます。その……私、野咲くんの病気の話を聞いちゃったんです」
彼女は申し訳ないと思いながら素直にそう言ってきた。
「えっ……」
「すみません!盗み聞きするつもりじゃなかったんです。ただ通りかかった時に野咲くんの名前が聞こえてきてつい聞いちゃいました、本当にすみません!」
彼女は何度も謝っていた。
母は僕の友達に知られてしまったと焦った様子だった。
「あ、あの!絶対にあの子には話さないでくれませんか?」
「分かっています。野咲くんには秘密なんですよね?」
「ええ、そうだけど……ありがとう」
彼女が病気のことを秘密にしてくれると分かり母は安心したように肩の力を抜いた。
僕は彼女が僕の病気のことを知ってどう思ったんだろうかと母の話を聞きながら思った。
「……こんなこと他人に話したくないと思いますけど、野咲くんの病気は心臓の移植をしないと治らないということですか?」
彼女はとても真剣な顔で母にそう聞いた。
だけど母はなんと言えばいいか困っているようだった。
そして母は彼女を家に連れていき家の中で彼女と二人で話したらしい。
「家までおじゃましてしまってすみません」
「いいのよ、どうぞ上がって」
「はい……おじゃまします。あの、野咲くんは今家に?」
彼女は僕が家にいるのか気にしているようだった。
「いいえ、あの子は今出かけているから何でも話してくれて大丈夫よ」
「そうですか」
その日はちょうど放課後、病院に定期的に見せにいかないといけない日で僕は彼女の思い出づくりを断っていた日だった。
そして母は彼女にだけは病気のことを話そうと思ったそうだ。彼女のことは信じることができると謎の信頼感があったらしい。
母は深呼吸をして話す覚悟を決めた。
「それでさっきの質問の続きだけど、そうね……完全に治るかは分からないけれど移植しないといけないのは本当よ」
「そうなんですね……」
彼女は本当なんだと少し落ち込んでいる様子だった。
「……ドナーが見つからないんですよね……手術をしなかったらどうなるんですか?」
彼女はそう聞いていたがその声は震えているようだった。
母は少し考えるようにしながら正直に話した。
「このままいつまでもドナーが見つからなかったらあの子は……死んでしまうかもしれない、今はギリギリ持ちこたえているけどいつ倒れてもおかしくない状態みたい」
「そんな……!」
彼女は自分の口元を手で抑えながら目にはいっぱいの涙が溜まって今にも溢れ出しそうだった。
すると母も彼女につられるように涙腺《るいせん》が緩くなり涙が落ちそうになっていた。そして僕の小さい頃の思い出を思い出しながら彼女に話したそうだ。
「昔からね、友達ができなかったから学校に行っても無表情で楽しくなさそうで、どおせ友達ができてもまたすぐ入院したりして会えなくなるからって友達をつくろうとしなくなって何にも興味を持たなくなったの」
桜はそういう事かと思うような表情で納得していた。
「そうだったんですか……」
「でも二年生になってからの最近ね、空の表情が明るくなって嬉しかった……。きっと学校でいい出会いがあったんだろうって、それがあなただったのね。空と出会ってくれてありがとう」
「いえ、私は何もしてませんよ。野咲くんの力で心を開いたんだと思います」
彼女は嬉しそうにしていた。
「空にもちゃんと大切な思い出がたくさんできたようで良かったわ」
母は安心したように彼女に言ったが少し寂しそうな顔をしていた。
「あの子にはあまり思い出をつくってあげられなかった……。一緒に出かけたのだって数回できっとあの子の思い出に残っているのは花見ぐらいかな」
「花見ですか……?」
桜は何か思い当たることがあるようだった。
「……五歳の春頃にね、やっと退院できて喜んでたの。やっと遊びに行けるって、でも心臓の病気は感染症になりやすいからってあまり人の多いところには行けなかった。でも近くに桜の花見ができるところがあってね、家族で花見をしに行ったの。桜がとっても綺麗だった。それなのにね、せっかく出かけたのにあの子迷子になっちゃって……」
母は懐かしそうに話していたが少し悲しそうな表情にも見えた。
母の話を聞きながら彼女は驚いたような顔をしたがその後、嬉しそうに笑顔で頷いていた。
「なんだか、懐かしいなって思いました!」
「えっ?」
彼女は自分の記憶が繋がったかのように喜んでいた。
「私も五歳くらいの時に家族で花見をしに行ったことがあったんです」
「そうなの?」
「はい、そこで私だけ迷子になってしまって寂しくてその場に座り込んで泣いちゃったんですよね。そしたら一人の男の子と出逢ったんです」
第九章 花吹雪
桜の花が満開に咲いている木の下で一人の女の子が地面に座り込んで泣いている。
「お母さーん、お父さーん、春木ー、どこー!……うわぁーん!」
彼女は家族で桜の花見に来たが迷子になって泣いているようだ。周りには人が歩いていたり、シートを広げてお弁当を食べている人がいるが誰も彼女に声をかけない。みんなこんな広場や道のど真ん中で泣いている女の子のことを迷惑そうに他人顔で横目に見ていた。
「そんなに泣いてたらせっかく綺麗な桜が見れるのにもったいないじゃん!」
泣きながら俯《うつむ》いている彼女に一人の男の子が声をかけた。
そして男の子は彼女の前にしゃがんでしっかりと目線を合わせていた。その目はとても優しくて愛しいものを見るそんな暖かい目線だった。泣いている彼女を周りの人は冷たい目で見ていたのにその男の子だけは暖かい目で彼女を見ていた。
「何で泣いてるの?」
男の子は彼女の前にしゃがんで不思議そうな顔をした。
でも彼女は泣くだけで何も答えない。男の子はどうしようと困っているようだった。
するとふわっと強い風が吹いた。
「ねぇっ!上を見て!」
男の子は楽しそうな声でそう声をかけた。
彼女が顔を上げて空を眺めるように上を見た。
すると満開だった桜の花が風で飛ばされて花吹雪《はなふぶき》のように空からたくさんの花びらが降っていた。
彼女は目を輝かせながら笑顔になった。
「わぁーっ……!すごーい!」
さっきまで泣いていた彼女の顔から一瞬で涙が消えたようだった。涙が笑顔に変わって男の子も嬉しそうにしていた。
「やっと笑った!」
「……ありがとう」
彼女は少し恥ずかしそうにお礼を言った。
「君、迷子なの?」
「……うん」
「同じだ!僕も迷子なんだ!」
なぜか男の子は喜んだように笑顔で言った。
「なんでそんなに嬉しそうなの?」
彼女は不思議そうな顔をした。
「だって、せっかく花見に来たのに悲しい思い出にはしたくないから!それに君にも出逢えたんだよ!迷子になったからって一人じゃない。悲しいことだけじゃなくて楽しいこともある。だから面白いよね!」
「えっ……」
あまりにも男の子がポジティブすぎて彼女はびっくりしているようだった。
「僕と一緒にみんなを探そうよ!」
「うん!」
男の子のその言葉に彼女も安心したように大きく頷いた。
それから一緒に家族を探しながら桜の花を眺めたり走り回って遊んだりした。結局、夕方まで家族を見つけることができなくて、その後親に心配したと怒られた。
そして男の子と別れたが男の子を見つめる彼女の頬は赤く染まっていた。
「……ってことがあったんです」
桜は昔の思い出を母に話した。
「そんなことがあったのね……」
彼女の思い出話を母は静かに頷きながら聞いていた。
「私はまだ幼くて気づかなかったんですけど、きっとその男の子に出逢った時から恋してたんだと思います」
彼女がそう言うと母ははっとしたような表情をした。
「まさか、その時出逢った男の子って……」
「はい。野咲くんです」
彼女は頷きながらそう言った。
「やっぱりそうだったのね……。そんなに昔から出逢っていたなんて繋がりってとても不思議ね」
母はとても嬉しそうにしていた。きっと僕の思い出を知っている人がいるということが嬉しかったんだと思う。
すると彼女も嬉しそうにしていたが、急に彼女の表情が変わった。
「……だから、私も野咲くんに長生きして欲しいんです。それに実は私の命ももう長くないんです……」
なぜか彼女は命が消えることを知らされる前から自分の命が長くないことを知っているようだった。
「えっ!何か病気なの?」
「えぇっと、なんて説明したらいいか分かんないんですけど……そんな感じです」
驚く母に彼女はなんと説明すればいいか困っているようだった。
「そう、あなたも病気なのね……」
「……私はもう治らないんです。だから私がいなくなったらこの心臓を野咲くんに使って欲しいんです」
「そんなことできるわけないでしょ!」
真剣な表情でそう言う彼女に母は怒るように言った。
「まだ、なくなっていない命を捨てるようなことを言ってはいけない!命だけじゃない心臓も自分自身も大切にしなさい!」
「お願いします!まだ私もどうなるかは分かりません。でも自分の存在を、命を、無駄にはしたくないんです。この世界でなかったことにはしたくない……それに絶対に野咲くんを助けたいんです!」
彼女はものすごく強い覚悟を持ってそう母に言ったそうだ。
僕は母の話を聞いてやっと分かった。
夢の中で彼女と出逢う前、五歳のあの日、僕らはすでに出逢っていたんだ……!
やっとそのことに僕は気づいた。そしてこれまで彼女がどうして僕なんかに関わるのか分からなかったがやっとその理由が分かった気がした。
退院後、僕は彼女と最後に会った高台に行った。
彼女が倒れる前に高台で桜の花見の約束をした時には、彼女の身体は限界を迎えていて辛かったはずなのに、僕に心配かけないように強がっていたんだと知り胸がいたんだ。
だけど彼女は最後に夢の中で僕に会いに来てくれたんだと思った。家族や春木ではなく最後に僕を選んでくれたんだと分かり、僕は少し嬉しかったが彼女にはまだ伝えていないことがあると後悔したように心が締め付けられた。
夢の中では泣いたのに現実の世界では涙が一滴も出てこなかった。彼女は死んでしまったのに涙すら出てこなくて心が無感情になったようだった。
それでも僕は何の感情もなく、何にも感じないまま高台からただただこの町を、この世界を、眺めていた。
第十章 彼女のいない世界
そして僕は高校三年生になった。
彼女がいなくなった夏から約半年、新学期を迎えようとしている。また春が来て、学校の木にはたくさんの桜の花が咲いている。
桜はクラスの人気者だった為、先生の気遣いによって彼女は急な親の転勤で海外に留学したことになっている。みんな最初は悲しんだりびっくりしていたが今は落ち着いている。
彼女は人が悲しんだり心配したりするのを嫌がるからきっと彼女もこれでよかったと思っているはずだ。
そして僕は彼女がくれた心臓のおかげで拒否反応もなく元気に過ごせている。
でも、やっぱり泣くという感情が僕の中からなくなってしまったようだ。
この半年、笑いもしないが泣きもしなかった。
春木は彼女の命と引き換えに意識を取り戻し、学校に復帰した。彼女が僕の前から消えてから春木とは話していない。
新学期のクラス替えで僕と春木は同じクラスになり、春木の変化に僕はすぐに分かった。
春木の中には、まるで桜がいるように明るくなっていたから。春木の周りには一年の頃と違って友達が集まっているようだった。
僕は放課後に図書室で一人本を読んでいた。前と変わらないことといえば、やっぱり図書室には誰もいなくて静かだということだ。
すると春木が図書室に入ってきた。
「久しぶりだね。野咲くん……」
僕たちは同じクラスだが喋らないのでとても久しぶりに感じて少し気まずかった。
「久しぶり喜川さん。もう体調はいいの?」
「うん。野咲くんは?」
「もう、すっかり元気」
「そっか……」
なんだかすごくぎこちない会話をしてしまった。でも僕は教室でいつも春木を見ると、一年の時とは何かが違うと感じていた。
「喜川さん、変わったね。なんか明るくなった気がする」
すると、春木は自分の胸に手をあてながら何かを感じていた。
「そうかも、桜に会って私は変わった。桜が私の中にいるみたいって今は思うの。だって桜と私は元々同一人物だったんだから……」
春木はそう自分に言い聞かせているようだった。
確かに二人は同一人物だけど、桜と春木はまったくの別人のように感じていた。だけど僕は春木のことを同じ苗字で呼んでいたし、桜に関しては名前すら呼んだことがなかった。
同一人物だからってすべてが同じじゃないのに二人の違いを説明する言葉が僕の中には出てこなかった。
でも二人の違いを一言で言うなら名前なんだ、僕はやっと名前の大切さが分かった気がした。
「……ねぇ、今さらだけど喜川さん、いや、春木って呼んでもいい?」
「えっ?本当に今さらだね、名前なんてどっちでもいいよ……」
春木は驚いていたが興味なさそうにしていた。
「どうでもよくないよ!名前って大事なものだと思う。だって、自分だって証明できる大切なものだから。どこにいたって離れてしまったって顔を忘れても名前を覚えているだけでその人が本当に生きていた証になる。その人のことをずっと想っていられる!」
僕は名前をどうでもいいと思っている春木に怒ってしまった。すると春木は驚いたような顔で目を大きく見開いていた。
「えっ……、その言葉、桜の言葉みたい。桜がよくそんなことを言ってたから……」
僕は桜が転校して来た日に言われたことを思い出していた。そして、僕は彼女と全く同じ言葉を口にしていた。
「うん、僕も彼女にそう言われたんだ……。これは彼女の言葉だよ」
「そっか、桜らしいね……」
春木は懐かしむように頷いた。
「……なんとなく分かった気がする。私は春木、私は桜じゃないし他の誰でもない。私は私でいいんだ……。なんだか桜がそう言ってくれているような気がする」
「うん……そうだよ、彼女は君の、春木の幸せを願っていると思う」
僕がとっさに名前に言い換えると春木は嬉しそうに微笑んだ。
「ねぇ、野咲くん。今なら分かるよね?桜がどうして私の自慢のお姉ちゃんなのか」
花火大会の時、ちゃんと理解出来なかったその言葉が今の僕には分かった。
「うん。今なら分かるよ。妹の未来を自分の命と引き換えに死んでも守る立派なお姉ちゃんだったんだね」
春木は静かに頷いた。
「……だから、今度は僕が君を守るよ。彼女が命をかけて守りたかった君のことを僕が守る」
僕が真剣な顔でそう言うと春木は首を横に振った。
「私は君に守ってもらわなくても大丈夫。だって私の命には桜がいるから、この命は桜が守ってくれたその事実があるだけでいい。今度は自分自身を私が自分で守っていく」
「でもっ……」
春木は桜がいなくなった世界でも強く生きているのに僕はずっとその場に立ち止まっているままだと思った。
「君が今しなきゃいけないことはそんなことじゃないでしょ?」
春木が僕に向かってそう問いかけたが僕にはまったく分からなかった。
『桜がいないこの世界で僕が生きてる意味ってなに?』
考えても考えても分からない……。
「……僕は彼女がいなくなった世界でどうしたらいいか分からないんだ!」
僕は大きな声でそう言い図書室を飛び出してしまった。
そして僕は公園の高台に向かった。
なんとなく高台にいると心が落ち着く気がする。
高台で彼女のことを思い出しながら景色を眺めていると後ろから声をかけられた。
「君!」
僕は桜に声をかけられたと思い、すぐに振り返るとそこには春木が立っていた。
僕はさっき図書室を飛び出してしまったことが申し訳なくて黙ってしまった。
「……ねぇ、君は私のことが好きだった?」
「えっ……!」
僕は春木の突然な質問に驚いてしまったが春木は僕の反応を見て静かに微笑み何かに気づいたようだった。
「違うでしょ?もし君が一年の頃、図書室で出逢った時に好意を持ってくれていたとしても今は違う」
「……」
「だって君が好きなのは桜だよね。だから今、君がするべきことは桜を想って泣くことだよ。……君、まだ一回も泣いてないでしょ?」
「……」
春木の優しい声が僕の心に響いていた。
「私ね、最後に意識がなくなった時に夢の中で桜に会ったんだ。桜は笑顔で私に生きてほしいって言ったんだ……。
私は、桜に生きていてほしかったのに……」
春木の目から一筋《ひとすじ》の涙がこぼれた。
「桜、言ってたよ。最後は君に会いに行くって……。それに命をかけても助けたい人がいるから死ぬのは私じゃなくて自分でいいって」
僕はずっと桜に助けられてきた。ずっと、ずっと……前から。
僕は桜に何も出来なかった……。
「桜は君のことが大好きだったんだね」
春木の話を聞いていたら突然、僕の見ている世界が歪んでいるように見えた。気づいたら目頭が熱くなって目の中が涙でいっぱいになっていた。まだ涙は流れていないが自分の心が震えているのが分かった。
「大好きで大好きで君のことが一番、いや、世界一。
もう、どんな言葉でもあらわせないほど大好きだったんだと思う。だから桜は最後の最後に自分の命の残りわずかな力を使って君に会いに来たんだよ。そして大好きな君の命を守ったんだよ」
すると僕の目からやっと涙がこぼれ落ちた。
まったく感情のなかった僕の心にぶわぁっと悲しい感情が湧いてきた。
春木は僕が涙を流しているのを見て安心したような顔をした。
「だから君は私を守るんじゃなくて桜のことを想っていてあげてほしい……でもこれは私の願いであって、きっと桜は君に幸せになってほしいと思ってると思う」
僕は何も言わないで泣きながら頷いていた。
「なので、これが私からの最後のお願いです。
君は幸せに生きてください。これは桜の願いでもあるから。ありがとう野咲空くん」
僕は涙が止まらなかった。きっとこれまで泣けなかった分がいっぺんに溢れ出ているようだった。
そして僕はまるで世界の中心ですごく泣いているような気分だった。もうどの世界にも彼女はいない、その事実が僕にはやっと分かった気がした。
第十一章 変わらない僕
それから時が進み、僕は大学四年生になった。
もうすぐ就職活動が始まろうとしているのに僕は彼女がいなくなってからずっと自分のしたいことが分からなくなってしまった。
……いや、自分自身が何の為に存在するのか分からなかったんだ。
桜がいたらどんな生活をしていただろうか……。
ありもしない世界の想像ばかりしてしまう。
そんな時、僕は学校を終え、いつも通り家に帰ると桜のご両親が僕を訪ねて家に来ていた。春木とも年に数回、連絡を取るか取らないかなのに。
「久しぶりだね、野咲くん」
彼女のお父さんが軽く頭を下げながら言った。僕は何だか久しぶりに緊張が走った。
「お久しぶりです。……あの、今日はどうされたんですか?」
「今日はね、あなたに渡したいものがあって来たの」
「渡したいもの?」
彼女のお母さんにそう言われ、何だかやっぱり桜に似てるなと一瞬そう思ってしまった。
いや、今僕が考えるべきことはそこじゃないと頭を切り替えた。
それに僕は桜のご両親とも高校以来会っていないのに、今さら渡したいものとは何だろうと思った。
すると彼女のお父さんが僕に言った。
「それを渡す前に君と二人で話したいんだけどいいかな?」
えっ?二人なんて緊張するんだけどなぁ、っと思ったが断るわけにはいけないと思った。
「はい……」
別に説教される訳じゃないのになぜか僕の手は汗ばんでいた。
そして僕は自分の部屋で話すことにした。
リビングでは僕の母と彼女のお母さんが世間話や思い出話で楽しそうに話している。彼女が僕のドナーになってくれたことで気まずい雰囲気になるかもと不安だったがその心配はいらなそうだ。
だけど僕の部屋は気まずい雰囲気と謎の緊張感が漂《ただよ》っている。
「あの……話とは?」
「君には僕らの話を聞いてもらおうと思ってね」
僕が恐る恐るそう聞くと彼女のお父さんは落ち着いた声で言った。
「話……何のですか?」
「君は、僕が桜と同じ、違う世界の人間だということは知っているよね。だから僕が桜と春木、二人のお母さんと出逢った話だ」
第十二章 桜の花言葉
彼女と出逢ったのは僕が大学生の時だった。
僕は自分のしたいことが分からなくて、ついには自分の存在自体にも意味がないと思ってしまっていた。
そんな時、悩みながら気分転換にと思って近くの森に入ったんだ。今思えば何かに導かれているような感覚だった。
その山は誰も入ることのないような山で、ものすごく草木に覆われていた。道はなく獣道《けものみち》のような場所をひたすら進んで行った。とにかく僕はこの世界から、この現実から、逃げ出したかったんだ。
そして無我夢中で進んで行く僕には立ち入り禁止の看板が見えなくてそのままどんどん奥へと進んで行った。
実はその山は並行世界を研究している科学者や研究施設の人達が実験や調査をしている場所だったんだ。
すると山の奥に広くぽっかりと空いている場所があった。その場所の中心に一本の木が生えていた。その木は不思議な木でなぜか春でもないのに桜の花を満開に咲かせていた。
でも、もっと不思議なのはなぜかその桜の木に扉がついていたんだ。誰かが後から付け足したようにも見えるその扉は不思議な色をしていた。宇宙のような、透けているような、変わった色をしているのになぜか見とれてしまって引き込まれそうな扉だった。
「……」
僕は恐る恐る近づくと扉の取っ手に手をやった。
すると心の中からワクワクと興味が湧いてきた。何をするにも感情を感じなかったのにこの時は僕の人生の中で一番感情が高ぶった瞬間だった。そして僕は何かに導かれるように扉を開けた。
ピカッ……!っと白いような、いや言葉にできないような光が扉の中で輝いていた。扉の中は見えないがその光がいっぱいに差し込んでいてとても綺麗だった。
「わぁっ……綺麗……!」
僕は息を吐くようにそう呟いた。そう言わずにはいられないほど綺麗だったから。
僕は覚悟を決め、消えてもいいと思いながら扉の中に入った。
扉の中は光がいっぱいで眩しくて目をつぶると、すーっと光が消え知らない場所に繋がっていた。
「痛っ!」
声が聞こえて目を開けるとそこは道路で女の人が倒れていた。その女の人はどうやら転んでしまったみたいだ。
僕は周りを見渡したがそこは普通の道路で周りの世界も普通だった。でもここがどこだか僕には分からなかった。
僕が後ろを振り返るとそこには確かに扉があるのだが、そこにある扉は普通に木材でできているような扉で通った時のような不思議な色はしていなかった。そして桜の木に扉がついているのではなく、今度はごく普通のどこにでもあるような電柱に扉がくっついていた。
僕はどうなっているんだと考え込んだがやっぱり全然分からなかった。
すると倒れていた女の人が立ち上がって僕のことを怒ったように睨んでいた。
「ちょっと!何してくれてるのよ!」
「えっ?」
僕は彼女が何に対して怒っているのか分からなかった。
「えっ?じゃないでしょ!何もない所からいきなり出てきたせいでぶつかったじゃない!」
「す、すみません……」
僕のせいで倒れてしまったんだと知り謝った。すると彼女は少し呆れたような顔をしながらも許してくれた。
「まぁいいけど、気をつけなさいよ。もし、子どもやお年寄りなら大怪我だったかもしれないんだからね」
「はい……」
僕は偶然とはいえ危ないことをしたんだなと反省した。そして彼女は落ち着いたのか今度は僕のことを不思議そうな目で見つめていた。
「……ねぇ、あなたに何者?さっきどこから出てきたの?」
確かに周りは一本道の道路で飛び出してこれるような曲がり角や建物はない。あるのは定間隔に立っている数本の電柱と一本の電柱にある扉だけだ。
「えっ……この扉から……」
僕はそう言いながら自分の後ろにある扉を指さした。
「扉?どこに?」
「……えっ、ここにありますよね?」
「ないけど、扉なんてどこにも……」
彼女は周りを見渡しながらどこにあるのか探しているようだった。僕には扉が見えているのに彼女は見えていないようだった。
僕はとっさにもう一度、扉を開けようとしたが扉は鍵がかかっているかのように開かなかった。
「……え」
僕は訳が分からずに寒気がするほど怖くなった。そんな僕のことを察したのか彼女は僕を心配してくれた。
「あなた、どこから来たの?」
「ぼ、僕にも分からなくて、それに帰り方も分かりません。これから僕はどうしたら……」
僕はどうすればいいのか分からずテンパってしまった。
「ちょっと、落ち着いて!とにかく君、名前は?」
彼女は冷静にそう言った。僕はなんだか分からないけど彼女の君って呼び方にすごく安心したんだ。
「……喜川冬哉《きがわ とうや》です」
「冬哉さんか……じゃあ、家に来る?」
「えっ!でも……」
「気にしなくていいよ。私はフラワーショップを経営しててね、お店の二階はアパートとして貸してるんだ。元々、私のおじさんの建物で私が大学に進学しないでお店を出すって言ったら譲ってくれたの」
彼女は気軽そうにそう言うがやっぱり申し訳なかった。
「そうなんですね……」
「私、早くに親を亡くしてるから今は一人暮らし、だから何も気にする必要はないよ。それに君、お金持ってないんでしょ?だったら払わなくていいよ」
「いや、本当にそれは申し訳ないので……」
「じゃあ、君が家事をしてくれるならいいでしょ?私はお店で忙しいから」
「……それなら、お願いします」
彼女は微笑みながらそう言った。僕はそういう条件ならと部屋を貸してもらうことにした。それに彼女のことをもっと知りたくなったから。
「ちなみに私は白原春花《しらはら はるか》です。これも何かの縁かもね」
彼女は笑顔でそう言った。
その笑顔は眩しくて春の花、まるで桜の花が満開に咲いているような笑顔だった。
「春花さん、よろしくお願いします」
「うん!よろしくね!」
僕はその日、彼女の家に行った。
彼女が言っていた通り一階はお店で二階は部屋の中にいても花の良い香りがしていた。そして僕は彼女が住んでいる二階の部屋の隣の部屋を貸してもらうことになった。
僕は家事をするという約束通り夕飯を作って持っていくとなぜか彼女の部屋で一緒に食べることになった。
「美味しいー!」
彼女はそう言いながらパクパクと食べてくれた。
「良かったです。味が薄ければ何かかけてください」
「大丈夫だよ。君、味つけも完璧だね!料理すごく上手だし料理人になったらいいよ!」
彼女が喜んでくれるのが僕にはすごく嬉しかった。
それに料理は昔から好きで大学だって料理系の学科を選んだ。でも、まだまだだってダメだしされたり、料理を課題にされることによって料理をすることが楽しくなくなったんだ。
何の為に自分はこんなことをしているのかと思ってしまっていた。
「……僕なんか料理人なんて無理ですよ。料理ができても作る僕の気持ちなんてまったく入っていませんから」
すると彼女はきょとんとした顔をしていた。
「何で無理だって決めつけるの?気持ちが入っていないって自分で分かっているのなら気持ちを込めればいいんだよ」
彼女は簡単そうにそう言うがそれが何よりも難しいことを僕は知っていた。
「そんな簡単に言わないでください」
僕が少し怒りながら言うと彼女は考えながら言った。
「食べる人が美味しいって思いながら料理を食べるように、作る人は美味しくなってほしい、食べる人が笑顔になってほしいって思いながら作るんでしょ?」
「……」
「でも、一番大切なことは誰を笑顔にしたいと思うかじゃないのかな?それに人を笑顔にするにはまず自分が笑顔にならないといけないんだよ。だから君は自分が思うように楽しく笑顔で料理しなよ」
彼女の言葉を聞きながら本当にそうだなと感じた。
「……そうだね。ありがとう」
僕は自分に欠けていたものが何なのか、やっと分かった気がした。楽しいと笑顔ですること、できなくて悔しいと思うこと、色々な感情があるのに僕はすべての感情を消してしまっていたんだと強く思った。
彼女のおかげで僕は人生において一番大切なことを気づくことができた。
そして僕は彼女に今日起きた出来事と扉の話をした。
すると、彼女は帰り方が分かるまでいてもいいと言ってくれた。
それから僕と彼女の生活の日々が始まった。
彼女はいつも朝早くから起きて店の花に水をまいている。僕が彼女の仕事中に掃除、食事の用意、買い出しをしていた。洗濯は各自でするというなんだか家族になったような感覚だった。
実は僕も早くに両親を亡くしてしまってずっと一人暮らしだった。だから誰かと一緒の生活はとても嬉しかったんだ。
そして僕は少しずつ彼女に惹かれていき、ついに彼女と付き合うことができた。
それから何年もかけてやっと今いるこの世界が自分がいた世界とは違う世界であることを知った。最初は衝撃的すぎて落ち込んだり、違う世界に影響してはいけないと考えて悩んだり、色々考えて二人で話し合った。
それでも、僕らは一緒にいることを誓い結婚した。
そして冬の季節が春に変わろうとしている頃、二人でまだ花を咲かせていない桜並木の下を歩いていた。
「ねぇ、私思うんだけど私の名前は春花だから春が来なければ花は咲けない。君は私にとっての春だね。君の名前には冬があるけど冬の次は春、冬は春を連れてくるから。君がいれば私は咲き誇れる……そんな気がする」
彼女は優しく微笑みながらそんなことを言った。
「いきなりどうしたの?」
僕はどうしたんだろうと思いながら苦笑いをした。
「あなたがいつか自分の世界に帰ってしまう時が来るかもしれない。でも、私との思い出だけは忘れてほしくないから」
彼女は寂しそうな表情をしていた。
「大丈夫、僕は忘れないから。それに君をおいて帰ったりしないよ」
「そっか……」
僕がそう言うと彼女は少し安心したようだった。
「ねぇ、春の花っていうと何だと思う?」
「やっぱり桜かな」
「私もそう思う。自分の名前も春花だけど桜って言われてる気がする……変かな?」
彼女は静かにそう言った。
「変じゃないよ。春の花にもいっぱい種類はあるけど一番僕の記憶に残っているのは桜だから」
「……そうだね」
「そうだ、知ってる?桜の花には私たちにぴったりの花言葉があるの。少し悲しい言葉だけど私の気持ちを代弁してくれているような言葉」
「へー、桜の花言葉か。どんな言葉なの?」
すると彼女は何かを思いついたようにくすくすと笑った。
「ううん、やっぱり教えない。君は自分で調べてみて!」
彼女はからかうように笑顔でそう言った。でも、彼女の気持ちを代弁している言葉なんてどんな言葉なのだろうかと思った。
「君はまだその言葉を知らないかもしれないけど、約束ね」
「何の約束?」
僕が笑ってそう言うと彼女も笑顔で笑った。
「これから私たちにどんなことがあっても、その花言葉の意味通り私の願いを守ってくれるって約束!」
「分かった、しょうがないから約束してあげるよ」
そんなふうに僕が笑いながら上から目線で言うと彼女は笑顔でうんと頷いた。
僕はその日、彼女がいう桜の花言葉も知らないのに約束をかわした。後で調べたその言葉の約束は絶対に守ろうと心に決めた。そして今でもその約束を守り続けている。
そして春、僕たちに双子の子供ができた。
二人とも女の子だった。だけど実は産まれる前から不思議なことがあったんだ。彼女が妊娠してから赤ちゃんを産むまで定期的に検査に行っていたがいつもお腹の中には一人だけしか写っていなかった。そして産まれてくるまで誰一人も双子だとは想像していなかったんだ。
後で知ったが、並行世界の人間との間に産まれた子供だったので世界の歪みによって本当は違う世界で産まれるはずだった子が双子として産まれてしまったそうだ。
だけど二人とも無事に産まれてきてくれただけでとても嬉しかった。
そして僕たちは名前を決めた。
名前は『桜《さくら》』僕たちが出逢ったことによって春の花が満開に咲きますようにという願いと花言葉の約束を込めて。
名前は『春木《はるき》』春の木は春の花を咲かせる。桜と同じ意味を持ちながらも自分だけの花をいつか咲かせ、桜の木を支えながら一緒に未来へ進んでいけるようにと想いを込めて。
そう、名付けた。
第十三章 昔ばなし
僕は桜のお父さんの話を聞きながら桜の名前の本当の意味が分かった気がした。
「……そんなことがあったんですね。それに二人の名前の意味も初めて知りました」
「君には知っていてほしかったから……」
「はい……」
僕は壮大《そうだい》な話を聞いた後で何と言えばいいのか分からなかった。でも気になることはあったんだ。
「あのっ!お父さんが最初に入られた扉って本当は何だったんですか?」
そういえば桜も扉の話をしていたが結局何なのか分からなかった。
「……あの扉はね、僕が桜と一緒に向こうの世界に連れ戻された後、僕は雑用でもいいからと扉の研究施設で働いた時に聞いたんだ」
「……」
僕は真剣な顔で話を聞いた。
「僕がこっちの世界に来るよりもずっと前にあの扉は作られたんだ……」
昔、扉を専門に作っている職人がいたそうだ。
ある日、職人は扉の材料を探すために森に入っていった。
すると森の奥に開けた場所があり、そこには大きな桜の木が二本生えていた。その桜の木は春ではないのに花を満開に咲かせている不思議な木だった。
職人は一本だけ桜の木を切り倒し、その木を使って扉を作った。
そして職人が朝起きると作ったはずの扉が消えていた。
不思議に思った職人はもう一度、桜の木に向かった。
すると、もう一本の桜の木に扉が立てかけられていた。
まるで桜の木に導かれて扉がひとりでに動いたようだった。
職人は扉を持って帰ろうとしたが、その扉は木にぴったりとくっついているかのように動かなかった。
職人は仕方なく持って帰ることを諦め、扉を開けると中から光が溢れ出ていた。
職人は恐る恐る扉をくぐると違う世界に繋がっていた。
職人は違う世界で一人の女性と出逢い恋をした。
だけどある日、目が覚めると元の世界に戻っていた。きっと扉の力で元の世界に引き戻されたんだ。
そして職人は恋した女性と二度と会えなくなってしまった。
それから何回も扉を開けたが世界が繋がることはなかったそうだ。
「そして何十年、何百年後か分からないが職人の強い想いが奇跡を起こし、もう一度世界を繋げ、今度は僕が扉に導かれたんだろうと考えられている」
僕はその話を聞いて、その職人はもう二度と大好きな人には会えず、ちゃんとお別れすらもできなかったんだなと思った。
「その人、可哀想ですね……」
「でも、本当かどうかは分からないよ。昔ばなしのようなものだと思うけどね、でも本当だったら悲しい話だよ」
僕はとてもその扉が今どうなっているのか気になって仕方がなかった。
「今、その扉はどうなっているんですか?」
「今もその扉はあるよ。ちゃんとこっちの世界とも繋がっている。最近の研究では色々なことが分かっているんだよ」
「色々なこと?」
僕は扉のことをもっと知りたくなってしまった。
「あの扉は僕や桜のような向こうの世界の人間にしか見えないみたいで、こっちの人だと通り抜けることもできないみたいだ」
もし、その扉で他にもある違う世界に行けるのなら、もう一度桜に会いたいと思った。
桜と春木のように違う世界の同一人物でも別人のようだから桜がそのままいる訳ではない。
でも、死後の世界でもいいから会いたかったんだ。
「そうなんですね……」
僕は少しがっかりした。そんな僕を見て彼女のお父さんがこんな話をした。
「桜の木や花はね、想いを繋げることができるんだ。
世界を越えて、時代を越えて、遠くにいる想い人まで繋げることができる。きっと死後の世界であっても繋げることができる。
だから、桜の扉はいずれ出逢うか分からない運命の人まで世界と想いを繋げてくれているんじゃないかな。
想いが強ければきっと届くよ」
想いが強ければきっと届く、死後の世界まできっと。
僕はすごくその言葉に救われた。
「そうですかね?」
「ああ、きっとね」
彼女のお父さんは笑顔で頷いた。
「扉は確かに運命の人まで繋げてくれるが、それは単なる奇跡であってまだ運命じゃないんだ。
そして扉は大切な人と引き離す。
だからその奇跡をどう運命に変えるか、それが想いじゃないかな。
想いは強くてもいいけど、もう一度会わせてほしいと思う『願い』と『祈り』は違うからね」
「……はい」
僕は運命と奇跡、願いと祈りの本当の意味がなんとなくだが分かりそうな気がした。
僕が真剣に考えていると彼女のお父さんは嬉しそうに微笑んでいた。
「そうだ、君の名前にはどんな意味があるのか教えてくれないか?」
「僕の空っていう名前は……
世界のどこにいてもたった一つ繋がっているのは空であり、すべての世界の架け橋となるようにって母がつけてくれたんです」
そうだ、僕の名前はすべての世界を繋げる『空』なんだ。空はどこの世界でもどの時代でも存在し繋がっているんだ。
僕にはそんな立派な名前がついているんだとやっと分かった。
「そうか、いい名前だね。君と桜が出逢ったのは奇跡だったのかもしれない。でも奇跡を運命にするのは君次第だと思う。だって僕たちの出逢いが運命だったから桜と春木が世界に存在した。人生をどうするかは君が決めるといい」
そう言いながら彼女のお父さんは一つの封筒を渡した。
第十四章 過去形の手紙
封筒の裏の名前を見て僕は驚いた。
なんと、喜川桜と書かれていた。
「えっ!?」
「これは桜が亡くなる前に君宛に書いた手紙だ。桜の部屋を整理している時に見つけたんだよ。ゆっくり考えながら読むといい」
そう言うとお父さんは部屋を出ていった。
封筒を開いて中をみると手紙が二枚入っていた。そして手紙を取り出すと気づかなかったが付箋《ふせん》のメモのような紙が封筒の中に入っていた。
そのメモにはこんなことが書いてあった。
『この手紙を最初に見つけた人へ
この手紙はやっぱり野咲空くんには渡さないでください。せっかく書いたんですが、もういない人はきっと何も言い残さない方がいいと思うから。でも、もしどうしても渡すと言うのなら最後の二枚目の手紙は渡さないでください。お願いします』
彼女の小さい字で書かれていたそのメモには僕に渡さないように記されていた。でもきっとこの手紙を見つけた彼女のお父さんは封筒の中まで確認していないので気づかなかったんだなと思った。
彼女には悪いがそのおかげでちゃんと手紙を読むことができるので良かったなと感じた。
僕は深呼吸をして手紙をそっと開いた。
これが本当に彼女からの最後の言葉だと思ったから。
『野咲空くんへ
これを読む頃には私はもういないかな?
ごめんごめん、冗談だよ。
でも、私がもういないとしてここでは話すね。
この手紙がいつ君に届くか分からないけど単刀直入に言います。
君がもし私のいなくなった世界で生きるのが辛くて暗い世界にいるのなら、私のことは忘れてください。
私の存在が君の人生を辛くするのは嫌だから。
だって私の願いは一つ、君に幸せになってほしい。
ただそれだけだから。
今、もし君に会えたら聞きたいことがあります。
私と出逢ったこと後悔していますか?
君はどうして私が君の病気のことを知っているのか怒っていると思います。
ごめんなさい。でも、君に生きていてほしかったんです。
五歳の頃、桜の花見をしていて君に初めて出逢った時のことを君は覚えているかな?
あの時の私の感情が君と私を夢で繋げたんだよ。
それとね、君に謝らないといけないことがあるんだ。
実はね、私、向こう世界にいた時から自分が死んでしまうことを知っていたの。こっちの世界に行くと寿命が減る可能性があるけど大丈夫ですかってお医者さんに言われてたけどそんなことはないだろうって信じないようにしてた。
だから、本当に死ぬって知って動揺してしまったけど君に心配させてごめんね。
あと、本当に死ぬかもしれないって思ったから実は春木の為の思い出づくりじゃなくて自分の為の思い出づくりだったの。君を騙しちゃってごめんね。でも、すごく楽しかった。ありがとう。
それから、転校してきた日、君に声をかけたのは偶然じゃないんだ。
実は春木に君のことを聞いてたの、面白い子がいるって。
だから、声をかけたんだけど、君の顔を見た瞬間に夢の中の子だってすぐに分かった。
なので、知らない人のふりをしてしまってごめんなさい。
謝るのはこのくらいかなー(笑)
あっ!でも、一つだけ言っとくね。
今、私には好きな人がいます。
だから、今の君は好きじゃありません。
やっぱり伝えとかないとね。
君はどう思ってくれてるか分からないけど未練を残すのはダメだよね。
君、ちゃんと私が伝えたいこと理解してるかな?
君は鈍感だからね。
なのでちゃんと伝えます。
私が言いたいのは君には生きる価値があるんだよ。だから君を助けたの。
君のことだから自分の生きてる意味ややりたいことが分からなくなってるんじゃない?
君がまだ仕事を決めてないなら私が君にぴったりの仕事を決めてあげよっか?(笑)
君は自分で決めるから余計なお世話だよ、っとか言っちゃうかな。
でも、本当は自分でしたいことを見つけた方がいいんだけど、私的にはね……。
看護師!
看護師がいいよ。君にぴったりだと思う。病気を診る医者じゃなくて患者《ひと》をみる看護師がいいと思う。
君、人のことよく見てるし、よく気づくからね。
でも、君が本当にしたいことがあるなら私はそれを応援する。
頑張ってね!
そしてきっと私は最後に夢で君に会いに行くから、ここでは多分君に言えないことを言うね。
本当は死ぬのがすごく怖い。
全身に寒気がして夜寝る前にずっと震えるほど怖いです。
最近は一人でいると自然に涙が出てきて、人前でちゃんと笑えているか分からないくらい。
でも、君の中で私の心臓はずっと生きてるんだなって思うと少しほっとします。そう思うのはおかしいかな。
でも安心するんだ。
私ね、春木には絶対に言えないけど、春木が夜中に泣きながらお母さんに話してるとこ聞いちゃったんだ。
死ぬのが怖い。死にたくない。
でも、こんな事どっちかが死ぬって分かっている桜には絶対に言えないって泣いてるところ。
大丈夫。春木を死なせることは絶対にさせないって思った。
元々、私が死ぬって覚悟してたけど、それが確定したみたいだった。
でも、同時にすごく怖かった。
部屋で声を殺して一人で泣いたんだ。
大丈夫。大丈夫。君がいれば私は大丈夫ってずっと自分に言い聞かせてた。
でも君を助けるためには選択肢なんてないもんね。
春木も君も助ける、それがこの世界に残せる私の存在理由なのかなって最近思うんだ。
ごめんね。さっきは私のこと忘れてって言ったけど、
やっぱり……いや、本心は言わないでおこっかな。
気になるなら桜の花言葉を調べてみて。
君にとってこの手紙は本当の意味で私からの最後の言葉になるってことだよね?
さっきは今、好きな人がいるって言ったけどまだ告白できてないんだ。
でも私が死んじゃったら告白も過去形になっちゃうんだ。
これ、君との時間差ができるから大変だよね。
じゃあ、私の最後の言葉を手紙の二枚目に書くからね。
君、覚悟はいい?』
二枚目を開こうとしたが手が震えてしまって深呼吸をした。そして恐る恐る二枚目を開くと……。
『私は空《きみ》のことが好きでした』
手紙にはその一文だけが大きく書かれていた。
僕は彼女の最後の言葉に涙が溢れて止まらなかった。
それに彼女の本当の気持ちを聞いたのも初めてで、好きと言われたのも初めてだった。
「……好きってなんだよ。忘れろって言ったくせに……。
桜の花言葉は前に君が言ってたじゃないか。
確か……、『私を忘れないで』
……君のこと忘れられるわけないだろ。それに今さら好きって言われても、もう返事できないじゃん……」
僕は泣きながら独り言のように呟いた。
なぜ彼女の告白が過去形だったのか僕には少し分かる気がした。
彼女が生きている時の僕は好きであって、死んだあとの僕は好きではないと言うことだったんだなとやっと理解した。
彼女は自分がいなくなった世界で告白しても僕が落ち込まないように傷つかないようにと未練を断ち切ってくれたんだ。僕はそう強く思った。
終章 願いを祈りへ
その夜、夢をみた。
いつもの桜がある場所に僕はいた。
当たり前だが、そこに彼女の姿はなかった。
以前は、たくさんあった桜の木の中心に一本の大きな桜の木が生えていたが、その大きな木も枯れてしまって倒れていた。
僕はそっと倒れてしまっている木に近づきあることに気づいた。
「……!」
木の根元から小さな芽が生えていた。
その芽は朝つゆを浴びたように光り輝いていた。
僕は、いや、彼女の手紙を読むまでの僕はきっと最初に扉を作った職人のように扉を作って死ぬまで彼女を想い続けるなんてことをしていたかもしれない。
彼女のいるかもしれない世界と繋がるまで重い思いをずっと彼女に向けていたかもしれない。
でも、今の僕はもう彼女に縛られることはないし、もう彼女の想いを縛ったりなんてしない。
僕は僕自身をこの世界で自分らしく生きていこうと思っている。
そして僕は思った。
いつかこの芽が大きな桜の木になり満開の花を咲かせた時、僕はまた彼女に会える。
そんな気がするんだ。
何十年、何百年たってもいい。
僕がいつか死んでしまっても、精一杯生きて、彼女にもう一度会えた時に幸せな人生だったと言えるように。
生きたいんだ。
もう、彼女の運命を願ったりなんてしない。
今度は僕がただの奇跡を祈り続けるから。
僕はそう思いながら果てしないほど広い空を僕は眺めた。
たくさんある世界の中で君と出逢ったから僕は今生きていて、僕と君の世界が繋がっているように僕と君の命もちゃんと繋がっている。
すると、空から一枚の桜の花びらが落ちた。
「君に会いたい……」
僕は静かに呟いた。
大丈夫。きっと会える。だって……、
この世界はすべて繋がっているのだから。
運命、奇跡、偶然そんな言葉がある。人の出逢いには色々な種類があり、人と人との繋がりによって関係や人生が変わる。それは未来を変えるということで世界を変えるということだ。偶然を奇跡に、奇跡を運命にすることができるのはあなた次第だ。
いつもそばにいる人は同時にいつかいなくなってしまう人でもある。この世界は出逢いと別れを繰り返し、今も人生を未来を世界を変え続けているのだ。
そして世界は、未だに解明されていないことがある。並行世界、つまりパラレルワールドもその一つだ。時間の流れ、もう一人の自分、それに夢の中、色々な世界線があり、今自分は世界のどこにいるのか分からなくなることがある。
けれど、一つ言えることは絶対に世界は繋がっていると僕は思う。それは彼女に出逢ったから、もう一度あの子に会いたいから、僕はそう信じているんだ。
僕は、桜舞い散る夢の世界で彼女のことを思い出していた。
あれは僕が高校生の頃の話だ。
第一章 忘れられない転校生
高校二年生の春、クラス替えで僕は憂鬱《ゆううつ》な気分だった。僕には昔から友達がいなかったから一人で本を読むことが好きだった。自分はきっと例えどんな世界であろうとも誰からも必要とされない人だと思っていたからだ。そう思いながら教室の中を見渡しもせずに窓の外の桜の木を眺《なが》めていた。
ふと思い出した。そういえば、昔からたまに同じ夢を見ることがある。それは夢の中で物凄《ものすご》い数の桜の木が桜並木《さくらなみき》のようにはえていていつも花が満開に咲き乱れているとても綺麗な場所に僕がいる夢。そこにはいつも女の子がいて夢が覚めるまで一緒に遊んだり、今日あった出来事を話したりしていた。
いつも友達がいなかった僕にはそれが嬉しくてとても楽しかった。他の人に話すとおかしいと思われるかもしれないが僕にとって唯一無二のたった一人の友達であり、僕の初恋の人だった。その夢は今でもたまに見る。小さい頃よりは減ってしまったけれど、そんなことを思い出していたら先生が入ってきた。
「ホームルーム始めるぞ!」
先生の声で騒がしかったクラスのみんなが自分の席に戻っていった。
この先生は去年も僕の担任をしていて情熱的でちょっと暑苦しい男性の先生だ。二年生になってクラスの人たちも半数は変わったが、人に興味のない僕にとっては何一つ変わらない風景に見えた。陽キャは陽キャで人が変わっても変わらないし、担任も同じなのだから尚更だ。
だが、今日はクラスの空気がザワついていることが僕にでも分かった。
「転校生がくるって!」
「うちのクラスらしいよ」
「めっちゃ可愛いって噂だよな」
そう、朝から転校生の話題でもちきりだったからだ。
「今日からこのクラスに転入生が来るがみんな仲良くしろよ!」
先生がそう言うと教室の扉がガラッと開き、女子が入ってきた。彼女が入った瞬間、さっきまでザワついていたクラスが一気に静まりかえった。
そして僕も彼女から目が離せなかった。
いつもなら人に興味がない僕だがその子を見た瞬間、一瞬時間が止まったように感じた。別に一目惚れとかではないが、その子が夢で会っていた女の子に雰囲気などが似ている気がしたからだ。
なぜなら、いつも夢から覚めてしまうとその子の顔を覚えていないから。でも覚えているのは声と後、桜の花のように明るくて優しくてなのにどこか儚い。そんな違う世界にいるような心が温かくなる雰囲気を持った女の子だった。僕は夢の子と目の前にいる子がなぜだか同じ子に見えたんだ。
「はじめまして、私の名前は喜川桜《きがわ さくら》です。よろしくお願いします」
喜川桜……名前を知っただけなのに何だか本当に夢の子にしか見えなくなってしまった。
彼女は自己紹介をすると僕の方に向かってゆっくりと近寄ってきた。すると、僕の席の隣に座った。僕は初めに教室に入った時、自分の席しか確認していなかったので、ふと教室を見渡すと自分の隣の席だけが空いていたことに気づいた。
ホームルームが終わると彼女はすぐに僕の方に体を向けた。
「はじめまして、今日からよろしくね」
彼女がにっこり笑顔で僕に話しかけてくる。
「う、うん、よろしく……」
僕はあまり人と話さないので焦って返事をしてしまった。
いつも学校で僕に話しかける人は誰もいないので周りの人たちがザワついたように騒ぎながら視線を僕らに向けていた。
「嘘でしょ、一番最初にあの陰キャに話しかける勇気私にはないわ」
「それな!ていうか声めっちゃ震えてない?」
「ウケるんだけど!」
彼女は良い意味で目立っているけれど、僕に話しかけたせいで変に悪目立ちしていることが申し訳なかった。
だけど、彼女はそんな言葉が聞こえていないのか、気にしていないのか、僕に興味津々のようだった。
「ねぇ、君の名前きいてもいいかな?」
「ぼ、僕の名前は……野咲空《のざき そら》です」
「へぇ、野咲空くんかー。いい名前だね」
「ありがとう……」
「野咲くん、うーん、空くん、名前で呼んでもいいかな?」
彼女は少し悩んだ顔をしながら僕にきいてきた。
「別に何でもいいよ。……名前なんて僕にとってはどうでもいいことだから、君が好きなように呼べばいいよ」
僕は親以外に名前で呼ばれることなんてないし、それに人からぐいぐい心に踏み込まれるのが苦手だった。
もし、この子が夢の子であったとしても夢の中では別にいいが現実の世界だと距離をとってしまう。
「どうでもよくないでしょ!」
彼女はちょっとムキになって言ってきた。
「名前って大事なものだと思うよ。だって、自分だって証明できる大切なものでしょ!どこにいたって離れてしまったって顔を忘れても名前を覚えているだけでその人が本当に生きていた証《あかし》になる。その人のことをずっと想っていられる。だから、どうでもいいなんて言っちゃダメ!」
彼女がどうしてそんなに怒るのか僕には分からなかった。
でも、きっと彼女にとって名前は大切なもので気に障るようなことを言ってしまったのだろうと思った。
「ごめん……でも、僕は名前を呼ばれることに慣れてないから違和感があって……」
僕はつい彼女の顔から目線を逸《そ》らしてしまった。
「じゃあ、君!」
「えっ……」
「君なら呼ばれても平気でしょ、それに君って何だか特別な感じがしない?」
そう笑顔で話す彼女に僕は何も言えなかった。
「名前は確かに大事だけど君って呼び方もあまりないから何だか二人だけの秘密の呼び方みたいだね」
僕はその呼び方に対して何とも思わなかったが彼女の機嫌が少し良くなったようで安心した。
そして、授業が終わり昼休みになった。
彼女の周りにはたくさんの人が集まっていて、あっという間に彼女は人気者になった。それに比べて僕は相変わらず一人だった。
僕は隣の席で弁当を食べながらいけない事だと分かっていたが盗み聞きをしてしまった。
「桜ちゃんってどこから転校してきたの?」
「髪めっちゃストレートでサラサラだよね」
「サラサラの黒髪いいなーどこの美容院行ってる?」
女子の賑《にぎ》やかな話し声が聞こえながら、僕はひとつ気になる話題が耳に入った。
「ねーそういえば、喜川って苗字隣のクラスにもいるよね」
「あー、そうそう、でもその子一年の最初の頃しか学校に来てないよね」
「何か、やばい病気なんだってよ」
「……へっ、へー、そんな子がいるんだ」
彼女は苦笑いをしながらそう言った。
僕は彼女のとても不自然な返事が心に引っかかった。それにどうしてこの話が気になったかというと、僕は喜川さんを知っていたからだ。
第二章 静かな図書室
一年の時、僕は図書室で本を読んでいた。まったく人がいない図書室が好きだった。
だけど、ある日女の子が図書室に来て本を読むようになった。何日も一緒に図書室で過ごすようになり、話したこともないのに二人だけの静かな世界が広がっていた。
ある日、彼女が本を落とした。僕はその本を拾って渡した。
「並行世界……パラレルワールドに興味があるの?」
「えっと……」
僕は不思議と聞いてしまっていた。
なぜなら、彼女が読んでいる机の上にはパラレルワールドの存在を証明している科学者の本や病気に関する本がたくさん置いてあったから。
きっと、この子はパラレルワールドとかオカルト系が好きなんだろうなと勝手に思っていた。
「……私はパラレルワールドというか違う世界は存在してると思うから」
彼女は静かにそう答えた。
「そうなんだ。僕はあんまり信じたりする方じゃないから分からないけどあると良いね」
僕は昔からお化けやUFO、神様など目に見えないものは信じないようにしている。
「ごめんね、変だよね……」
「何で?」
「みんなにこんな話をすると変な目で見られちゃうから……」
彼女はとても恥《は》ずかしそうにしながら申し訳なさそうに言ってきた。
「別にそんなことないけど、どうして並行世界を信じているの?」
「……変と思われるかもしれないんだけど、私ね、昔の知り合いに並行世界の人がいるんだ。もう、会えないかもしれないけど」
彼女は少し考えながら言った。その目はとても真剣で、でもどこか悲しそうな顔をしていた。
「ふーん、そうなんだ」
「……何とも思わないの?」
彼女は僕の顔を見て驚き、不思議そうに聞いてきた。
「何とも思わないというか、目が本気で言ってたから……かな?」
僕は彼女の真剣な目を見て嘘《うそ》ではなく本当のことを言ってるんだろうなと思った。
「目?何それ……あはは、君面白いね!」
そう言って彼女は笑っていた。
「そうかな」
僕は少し嬉しくて笑顔になった。
彼女が笑っている姿を見たのはこれが初めてだったから、何だか分からない嬉しさが込み上げてくるようだった。
「君みたいな子はじめてかも!」
彼女はそう言いながら少しずつ僕に心を開いてくれているように感じた。
僕たちは自然と仲良くなり色々な話をするようになった。
「並行世界はね、ただ単にこの世界と同じような世界がもう一つあるというわけじゃないんだよ。時間や時代が違う世界だったり、自分と同じもう一人の自分が生きている世界だったり色々な世界線があるんだよ」
「本当に好きなんだね」
僕は真剣に話す彼女の話を聞きながら苦笑いをした。
「うん!知りたいんだ、大切な人がいるかもしれない世界のことを。それに夢の世界も並行世界と関わっているといわれている世界のひとつなんだよ。並行世界を生きる人が私たちがいるこの世界の人と強い想いなどの繋がりができることによって夢の世界で繋がることがあるらしいよ」
「へ、へーそうなんだ……」
僕は話を聞きながら何だか夢の子を思い出していた。
「どうかしたの?」
ぎこちない返事を不思議に思ったのか彼女が聞いてきた。
「えっ、いや、何でもないんだけど……実は昔から夢の中で会う女の子がいるんだ」
僕ははじめて誰かに夢の子の話をした。親にも話したことなかったのになぜか彼女には自然に話をしていた。
そして、彼女は僕の話をすごく信じてくれた。
僕たちはお互いの名前も知らないまま何日も一緒に図書室で過ごした。
毎日の昼休みだけの時間だが誰とも話さない僕にとっては何よりも楽しみな時間だった。
「ねー、そういえば、君の名前聞いてなかったよね。僕の名前は野咲空っていうんだ。君は?」
「私は、喜川春木《きがわ はるき》っていうの」
「喜川さんか。ずっと一緒にいたのに名前はじめて知ったから何か新鮮だな」
「私は、はじめてじゃないよ」
僕の顔を見て彼女はそう言った。
「えっ、話したことあったっけ?」
「ううん、隣のクラスだから友達に聞いたことがあっただけだよ」
「あっ、ごめん、僕隣のクラスでも自分のクラスでも他の人に興味がなくて……」
彼女は僕の名前を知ってくれていたのに僕はまったく彼女の名前を知ろうとしていなかったのが申し訳なかった。
「うん!君そんな感じだもんね!」
笑顔で彼女はそう言った。
「あはは、そうかな」
僕は図星をつかれ恥ずかしくて頭をかいた。
彼女の笑顔を見ていたら自然と僕も笑顔になっていた。
そして、彼女の名前を聞いた日を最後に彼女は図書室に来なくなった。後から知ったが学校にも来なくなっていたらしい。
第三章 思い出づくり
そんなことを思い出していたら昼休みが終わって授業もあっという間に過ぎていった。
放課後になり帰ろうとしたその時、隣の席から声をかけられた。
「ねー、一緒に帰らない?」
振り向くと喜川桜、彼女が僕に話しかけてきた。
「えっ!他の子と帰りなよ。君、友達たくさんできたんでしょ?」
「私は君と帰りたいの!」
そう強く言われて僕は断れなかった。
一緒に教室を出て校門まで行く間に周りの人たちがコソコソと僕たちの話をしているのが気になって仕方がなかった。僕一人ならなんともないが彼女まで悪く言われることが不安でならなかった。
「ねぇ、やっぱり一人で帰るよ……」
「えっ!なんで?」
「僕といると君のイメージも悪くなるよ」
そう言うと彼女はきょとんとした顔をしていた。
「じゃあ、君は私に悪いイメージを持ってる?」
「僕じゃないよ!他の人からそう思われるって話をしてるんだよ!だから……!」
僕は否定しながら何のことなのか分かっていなさそうな彼女に腹を立てながら強めに言った。
「だったらそんなことはどうでもいい!誰からどう思われようが関係ない!君だけが本当の私を知ってくれているなら私はそれだけでいいよ」
すると、彼女は僕に反論するかのように大きな声で言った。
「私が関わる人は私が決める。私は君を選んだの!」
「分かったよ……どうなっても知らないからな」
僕は彼女の言葉に圧倒されてしまった。
校門を出て二人で歩いていると、いきなり彼女がこんなことを言ってきた。
「ところでさ、行きたいところがあるんだけど一緒に行かない?」
「えっ、どこに?」
「たくさんあるんだぁ、行きたいところ!」
彼女は僕を見ながら笑顔でそう言った。
「嫌だよ。女子と出かけるのとか苦手だし、それに何で僕なんだよ!」
僕は嫌そうに言い放った。
「えー、いいじゃんお願い!私は君がいいの。それに私、この世界でたくさん思い出つくりたいの。だからお願い!」
最初はふざけているのかと思ったが、彼女があまりにも真剣だったので僕は一瞬戸惑った。
「はぁー、しょうがないな」
ため息をつきながら、本当に押しに弱い自分が嫌になった。
「……本当に?やったー!」
僕は彼女の思い出づくりに付き合ってあげることにした。彼女の言葉の本当の意味は分からなかったが転校してきたばかりなのでこの町で思い出をつくりたいのだと思った。
「まずは、行きたかったカフェね!」
彼女が高いテンションでそう言うので僕は少しついていけなかった。
「わかったよ……」
「ずっと行ってみたかったんだ!」
カフェに着き、彼女はパフェを頼んだ。
「ここのパフェ、超大きくてかわいいって有名なんだよ。知り合いに絶対食べた方がいいって言われたんだ!」
「へー」
「興味なさそー!」
彼女は笑顔でそう言った。
すると、店員さんがパフェを運んできた。
僕は驚いた。思っていたよりもパフェが大きくて高さが三十センチくらいあるんじゃないかと思った。
「あはは、そんなにびっくりする?」
僕の驚いた顔を見て彼女が笑った。
「いやっ、だって思ったよりも大きかったからそりゃ驚くでしょ!」
笑われて少し恥ずかしかった。
「君はそういう顔もっと見せていった方がいいよ」
僕は人に自分の気持ちを伝えるのが苦手で一人の方が楽だと思っていた。
でも、少し嬉しかった。
「そんなに食べれるの?」
「どうだろう、無理だったら君にあげるよ」
「いらないよ」
僕がそう言うと彼女は笑顔でスマホを取り出した。
「このパフェ可愛いよねー」
彼女はそう言いながらスマホで写真を撮り、一口食べた。
「んんー、美味しいー!」
幸せそうにそう言った。
「そうなんだ」
「君は何も頼まないの?」
彼女が不思議そうに聞いてくる。
「僕はこういうところ苦手なんだよ」
「えー!せっかく来たのに!」
彼女は僕を見ながら不満そうに言った。
「いいから、早く食べなよ」
そんな話をしながら僕たちはカフェで過ごした。
その後、彼女は洋服や綺麗なアクセサリーなどのお店を見てまわり、僕はそれに付き合わされた。その時も彼女は綺麗な物や好きな物を見るたびに写真を撮っていた。
夕日が落ち、辺りが暗くなりはじめた道を僕たちは帰っていた。
「今日は楽しかったー!私の思い出がまた一つ増えたよ。ありがとう!」
彼女は笑顔で言った。僕は静かに頷《うなず》いて話を聞いていた。
すると、さっきまで笑顔だった彼女の顔が真剣な顔に変わった。
「ねぇ、これからも一緒に思い出つくってくれる?」
静かな声で彼女はそう言った。
「……うん、いいよ」
僕には彼女を断ることはできなかった。だって、いつの間にか僕も楽しいと思ってしまっていたから。
「本当に?やったー、約束ね!」
彼女はすごく笑顔になった。僕はその笑顔が少し嬉しかったがそれと同時に少し後悔した。これから彼女に振りまわされる日々になると思ったから。
「じゃあ、また明日ね!」
彼女は笑顔で僕に手を振った。
「うん、じゃあね」
そう言い、僕は彼女と別れて家に帰った。
その日の夜、僕はベッドに横になりながら一人静かに考えていた。
今日転校してきた喜川桜、彼女のことを。
喜川桜……喜川春木……二人は知り合いなんじゃないかと思った。なぜか分からなかったがそんな感じがしたんだ。
喜川春木……彼女もまた他の人たちとは雰囲気が違っていて、おしとやかで優しくてふわっとしている感じなのにまたどこか儚い、喜川桜にどこか似てるのに性格が真逆だったりする。不思議だ。そう思いながら僕は眠りについた。
僕は夢をみた。
気がつくといつもの桜が綺麗な場所に僕はいた。
でも、いつも夢で会う彼女はいなかった。
「おーい!いる?」
叫んだが返事が返ってこない。
「いないの?」
いつもはある声が、姿が、そこにはない。
「ねぇ……」
僕は名前を呼ぼうと思ったが彼女の名前が分からなかった。すると、僕は思い出した。
そういえば……昔、小さい頃に僕は彼女に名前を聞いたことがあったんだ。
「ねぇ、君の名前は何ていうの?」
「内緒《ないしょ》!」
彼女は笑顔でそう言った。
「えっ、なんで?」
「知らない方が心に残るでしょ?それに知った時の嬉しさが大きくなるんだよ!」
まだ小さい僕は少し泣きそうな顔になった。何となく、いつか彼女がいなくなりそうな気がしたから。
「じゃあ、桜を見た時に私を思い出してよ!そうすれば一人じゃないでしょ?それに私はずっとそばにいるから。約束!」
彼女は笑顔で僕に言った。僕は彼女の笑顔や話していた言葉を思い出しながら彼女を探した。
結局、今日はいくら探しても彼女には会えなかった。彼女に会えないという現実が僕の心にはぽっかり穴が空いたように感じた。
そして、この日をさかいに夢で彼女に会うことはなくなった。
朝がきて学校の教室に入る。すると、後ろから明るい声がした。
「おはよう!」
喜川桜、彼女が明るい声で言ってきた。
「お、おはよう」
僕は夢の子に会えなかったということもあり、少し暗めの挨拶をした。
「君、元気ないねー!」
彼女が笑いながら言った。
「君が朝から元気良すぎなんだよ」
彼女の明るいテンションに僕はつい言い返してしまった。
「朝が一番大切なんだからね!それに今日の放課後も行きたいところあるんだから元気だしてよ!」
「えっ、今日も!?」
僕は嫌そうに言った。
「当たり前でしょ!約束だから!」
「はい、はい」
彼女が少し怒ったように言ってきたので僕は仕方なく付き合うことにした。
そんな話をしているうちに先生が入ってきて、また学校の一日がはじまった。今日も休み時間、彼女の周りにはたくさんの人が集まっていて違うクラスからも人が集まってくるような人気者になった。
そして、あっという間に学校が終わり放課後になった。その後は、彼女のやりたいことに付き合った。
「今度、カラオケも行きたいよね。それに映画もみたいし、あっ、そうだ映画みる時はポップコーン絶対いるからね!」
「えー、まだあるの?」
「まだまだしたいこと他にもあるんだー!」
からかうように彼女は笑う。
「わかった……で?次は何するの?」
少し呆《あき》れたようにそう言った。
「次はねー……」
そんなことを話ながら僕たちは毎日色々なところに出かけた。次の日も次の日も。
遊園地に動物園、カラオケ、映画、買い物に植物園までたくさんの場所に行った。
遊園地では、
「全部のアトラクション制覇《せいは》するから!」
彼女はテンション高めにそう言う。僕は昔から体が弱かったし、乗り物酔いしそうだったのであまり乗り気じゃなかった。
「じゃあ、僕は見てるだけでいいよ……」
「はぁー、何言ってんの?行くよ!」
僕は手を引っ張られ、ジェットコースターに死ぬほど乗せられた……
「気持ち悪い……」
口に手を当てながらベンチに座り込んだ。
「情けないなー、こんなに楽しいのに!」
「……楽しくないよ、気分悪くなるだけじゃんこんなの」
「まったくもう、ジェットコースターを楽しくないって思ってるなんて人生損してる!」
「別に人生損してていいよ!」
困ったように僕を見ながら彼女は笑った。
動物園では、
「ねぇねぇ、向こうでエサあげられるって!」
隣の広場でヤギを見ていた彼女が笑顔で僕の方に走ってきた。
「へー、そうなんだ。あげてきなよ」
「一緒に行こうよ!」
「僕はいいよ。動物苦手だし」
正直、僕は動物が苦手だ。どう接したらいいか分からないんだよなぁ。
「えー、大丈夫だよ。襲《おそ》ってこないって!」
自信ありげに彼女は言う。
襲ってこないからって僕が気にしてるのはそこじゃないんだよっとツッコミそうになった。
「だから、そういう問題じゃ……」
「いいから、いいから!」
僕が言いかけた途端《とたん》に彼女に背中を押され、連れていかれた。
カラオケでは、
彼女は何曲もノリノリで歌っている。僕は流行りの曲をあまり知らないが彼女は流行りの曲をたくさん知っているのでやっぱり流石だなと思いながら聞いていた。
「喉が痛ーい!」
ジュースをストローで流し込みながら彼女は言う。
「歌いすぎなんだよ!」
ちなみに僕は一曲も歌っていない。それに人前で歌うのは抵抗がある。
「だって君、全然歌わないんだもん!」
「だから歌うの苦手だって言ってんじゃん」
「君、苦手なもの多すぎー!」
少し不機嫌そうに彼女は言った。
映画では、
「どれがみたい?」
彼女はそう言いながら映画のポスターを見て悩むような顔をしていた。きっと見たいものが多すぎて迷ってるんだろうなと思った。
「僕はどれでもいいよ。君が見たいものをみれば?」
「え!本当にいいの?」
彼女はとても喜んだ。そして笑顔でひとつのポスターを指さした。
「じゃあ、これ!恋愛映画!」
「はいはい、じゃあ僕がドリンクとか買ってくるよ君は何にする?」
どうせ絶対ポップコーンを買うって言うだろうなと考えていたら彼女も何か思い出したように言った。
「あっ!ポップコーン絶対いるって言ったでしょ!」
やっぱりだ、僕はそう思った。
「分かってる、そう言うと思ったよ。何味にする?」
僕は何味でもいいと思いながらここは定番の塩かなと自分の分を決め彼女の方をみた。
メニューにはポップコーンだけでもたくさんの味があり、彼女は悩んでいるようだった。
「うーん、迷う……」
「じゃあ、僕は何味でもいいから君が食べたい味を二つ買いなよ」
「えっ、でも……」
僕に気を使っているのか申し訳なさそうにしていた。
「僕のを半分食べたらいいよ。だから君のも半分ちょうだい。それならいいでしょ?」
「本当にいいの?ありがとう」
いつもは気を使わないくせに変なとこ気にするなと思った。
「君、意外と優しいね」
彼女は笑いながら言った。
「意外とって何だよ!」
僕はそう言い返しながら優しいと言われたことは嬉しかった。
買い物では、
彼女は二つのワンピースを手に取り、鏡で自分に重ね合わせながら確認していた。
「これとこれ、どっちが似合う?」
「別に僕センスないし……」
「センスの問題じゃなくて君はどっちが好きか聞いてるの!」
怒りながら彼女はそう言う。僕はどっちが似合うか考えたがやっぱりセンスがないと思ってしまう。でも彼女に似合いそうな方を僕は指さした。
「わかったよ……じゃあ、こっち」
僕がそう言うと彼女はニヤリと笑った。
「こっちかー、君、センスないね」
「うるさいなー!」
彼女が笑いながら僕をからかうので少し不機嫌に言い返した。
「あはは、ごめんって!せっかく君が選んでくれたから私この服買おうかな!」
結局、彼女は僕が選んだ服を買った。
その後も僕たちはたくさん笑ったりしながら楽しく買い物をした。
そして植物園では、
彼女は花や植物を見たり、花言葉を調べたりするのが好きだというので植物園に行った。彼女が楽しそうに植物を見ていたので僕もなんだか嬉しい気持ちになった。
「この花、綺麗だよねー!」
「うん、あんまり植物とか興味持ったことなかったけど綺麗だと思う」
花を綺麗だと思ったことはなかった。だって植物もそうだが花は散ってしまえば忘れられてしまうそんな気がしていたから。
でも、彼女と見る花は忘れることができないほど綺麗に見えた。
「君って何にも興味持たないじゃん、なんか興味持ったことないの?」
不思議そうに聞いてくる彼女に僕は考えたが興味があるものや好きなものは思いつかなかった。
「……あんまりないかな」
「そっかー」
そんな話をしていたら急に彼女がこんなことを言ってきた。
「じゃあ、次は君が好きな所に行きたい!」
「えっ!」
「君のこともっと知りたいから!」
興味津々にそう言うので僕は悩んだ。そして一つだけ思いついた。学校の図書室。僕にとっては喜川さんとの思い出の場所でとても安心する場所だ。
何となく僕は彼女を喜川さんとの思い出の場所に連れて行きたかった。
僕は彼女を学校の図書室に連れて行った。
「ここが君の好きな場所?」
「そうだよ」
「学校じゃん!」
彼女は驚いたように大きな声でそう言った。
僕は彼女ならそう言うだろうなと思った。
「しかも図書室だし!誰もいないじゃん!」
「しー!誰もいないけどさすがに大きい声は迷惑だから!」
彼女が大きな声でそう言うので僕はとっさに注意した。確かに図書室は誰もいなくて、とても静かだった。
この学校には図書室があるのだが、ほとんどの生徒は図書室の存在自体知らないと思う。図書室には担当の先生もおらず入学して最初の頃は図書室を利用しているのは僕だけだった。
「何で図書室なの?」
彼女は声を小さくして聞いてきた。
「誰もいない静かな図書室が好きなんだよ」
すると、彼女は静かに図書室を見渡しながら何かを感じているようだった。
「何だか落ち着くね、私も君と同じくらいこの場所を好きになりたいな」
「えっ、君が?」
「うん!」
微笑みながら彼女はそう言った。
そして、彼女との思い出は毎日たくさん増えていった。
それから彼女は毎日昼休みになると図書室に来て、僕と一緒に本を読むようになった。
彼女は人気者なので周りのみんなが昼休みいつもどこに行ってるのと聞かれても静かな図書室が好きという僕の言葉を気にかけてこっそり来てくれていた。
それでも図書室で二人で過ごすと何だか、喜川春木、彼女と一緒にいる時と同じような感覚になった。
そして放課後は彼女の思い出づくりに付き合った。
「ねー、今度の休み水族館に行かない?」
「今度は水族館?いいよ」
「約束ね!」
彼女は笑顔でそう言う。僕は彼女と出かけることにも慣れてきて水族館も楽しみになっていた。
僕は家に帰り、ぼーっと考えてしまう。彼女はどうして僕なんかにかまうのだろうか。
それに気になることはたくさんあった。彼女はいつも出かける時に景色、食べ物、他にもたくさんの場面をスマホで写真や動画に残していたからだ。
それと喜川春木、彼女のことも聞こうとしたがいつもタイミングを逃してしまい聞けなかった。
そして休日になった。
僕たちは丘の上の公園で待ち合わせをすることにした。この公園には高台《たかだい》があり、とても綺麗にこの町を一望《いちぼう》できる場所だ。図書室の次に僕が好きな場所でもある。
彼女が走って待ち合わせ場所に来た。
「お待たせー!水族館楽しみだね!」
「うん、そうだね」
すると彼女は辺りを見渡しながら言った。
「ここすごく綺麗だね!家の近くにこんな場所あったんだー!」
「この公園、僕が好きな場所なんだ」
「へー、図書室の他にはこういう場所が好きなのかー」
「うん」
彼女も僕が好きな場所を気に入ってくれているようで嬉しかった。この公園にもあまり人はいなくて知る人ぞ知る穴場《あなば》だ。
「君、いい所知ってるね!」
「ありがとう」
彼女が笑顔でそう言うので僕は少し照れながら返事をした。
「それじゃあ、行こっか!」
水族館に着き、僕たちはたくさんの水槽をまわりながら魚を見てまわった。
熱帯魚や色々な小さな魚、綺麗で色とりどりの魚などたくさんの種類があり、見ていてとても楽しかった。
「ねー!この魚綺麗じゃない?こっちの魚はかわいいー!」
彼女はすごくはしゃぎながら楽しそうにしていた。それでも彼女はスマホ片手に写真をたくさん撮っていた。
イルカショーの時間になり、僕たちはイルカショーの会場に向かった。
「ここに座ろうよ!」
彼女が座ろうとしている席は水が飛んでくるとされている席だった。
「えー、嫌だよ。濡れるじゃん」
「イルカショーは濡れるためにあるようなものだよ!」
自信満々にそう言うので僕はため息をついた。
「はぁ、違うから!」
「まぁまぁ、そう言わずに座ろう!」
結局、強引に座らせられた。
そしてショーがはじまった。イルカがはねバッシャーンと大量の水が僕たちに降ってきた。
「すごーい!あはは、濡れるー!」
「だから言ったじゃん!」
「いいじゃん!楽しいし!」
ずぶ濡れになりながら彼女は笑っていた。
「僕、ハンカチしか持ってきてないのにー」
「君、私より女子力あるねー」
「いやいや、笑いごとじゃないでしょ!」
僕たちは二人ですごく笑いながら時間があっという間に過ぎていった。
そして水族館の近くにある海に行き、海に沈む夕日を見ながら誰もいない浜辺を歩いていた。
「今日は本当に楽しかったー!」
「僕も楽しかったよ」
今日はとても楽しかった。僕は素直にそう思った。
「うん、あはは」
いきなり彼女が笑った。僕は何がそんなにおかしいのかと思った。
「えっ?なに?」
「君、最初の頃と比べて素直になったなーと思って!」
「そうかな」
確かに僕は最初、彼女に出逢った時と比べて素直になったかもしれないと思った。
そして僕は彼女にずっと気になっていた事を聞くことにした。
「ねぇ、君に聞きたいことがあるんだけど」
「なに?」
「君はどうしてそんなに写真を撮ってるの?」
別に写真を撮ることは普通のことでおかしいことではない。でも、彼女の場合は毎日の思い出を記録しているように感じる。
……まるで、記録しないと忘れてしまうかのように。
「別に嫌なら話さなくてもいいけど、あまりにも撮りすぎだから気になって……」
「……」
「余計《よけい》な事だよね、ごめん」
僕は聞きながら彼女の顔をそーっと見ると彼女は暗い顔をしていた。僕は何かまずいことを聞いてしまったかもしれないと思った。
すると彼女は深呼吸をした。
「……別にいいよ、私ねこの写真を見せたい人がいるんだ」
「……見せたい人?」
「うん、君もきっと知ってる人、君の話をしたら会いたがっていたから会ってくれる?」
僕の知ってる人?誰なんだろうと思った。
「うん、いいけど……」
「……よかった」
彼女は少し悲しそうな表情で優しく微笑んだ。
第四章 双人《ふたり》の真実
僕はその日、彼女の家に行った。
彼女の家に向かっている途中、僕たちは一言も話さなかった。何を喋っていいか分からなくて気まずい時間が流れていた。
「ここが私の家だよ」
彼女に連れられて僕は家の中に入り、ある部屋の中に通された。そこにいたのは、
「えっ……」
「……久しぶりだね、野咲くん」
喜川春木、彼女だった。
「……久しぶり、喜川さん」
春木はベッドに横になっており、ものすごい数の管が彼女の身体と繋がっていた。
「春木、大丈夫?」
桜がそう春木に声をかけた。
「大丈夫。今は落ち着いているから。桜こそ大丈夫?」
「うん、春木に比べたら全然!」
話している言葉の意味は分からなかったがそれ以上にやっぱり二人は知り合いだということに驚いていた。
「急に連れて来てごめん。驚いたよね」
桜が申し訳なさそうに僕にそう言った。
「別にそんなことないけど、二人は知り合いなの?そこに驚いたよ」
「私と春木は双子なの。……でも、ただの双子じゃないんだ」
桜は悲しそうな声でそう言った。僕はどういうことなのか分からなかった。
「えっ、どういうこと?」
すると、春木が話しはじめた。
「私と桜は双子だけどそうじゃない。一年の時、君に話したよね?私には違う世界の知り合いがいるってそれが桜なの」
僕は頭が追いつかないまま話を聞いた。
「桜はね、もう一人の私なんだ。並行世界、そこにはもう一人の自分がいるって話したことあったでしょ」
「……」
僕はなんと言ったらいいか分からず黙り込んでしまった。
「ごめん、難しいよね」
「うん、いや、そんなんじゃないけど……」
僕がよく分かっていないことに勘《かん》づいた桜が話をした。
「あのね、昔の話になるんだけど私たちのお父さんとお母さんの話なんだ……」
「お父さんはね、君からしたら並行世界つまり違う世界の人間なんだ。でも昔、間違ってこっちの世界に来ちゃって偶然にもお母さんと出逢ったんだ。違う世界にあまり影響してはいけないと分かっていたんだけれど、恋をして結婚したの……。そして私たちが生まれた。でも私たちが五歳くらいの頃に並行世界とこの世界のバランスを管理する偉い人たちがお父さんと私を並行世界に連れ戻しに来たの」
桜は淡々《たんたん》と自分たちのことを説明していた。
「……君のお父さんは分かるけど何で君も連れ戻されるの?」
「私は違う世界の人間だったから。そして春木はこの世界の人間なの。後《のち》に検査してもらったんだけど私と春木は魂と記憶が繋がっていることが分かったの」
「ん?つまり君の記憶が繋がっているということは喜川さんも君の思い出を知ってるってこと?」
なら何で写真を撮る必要があるのか僕にはまったく分からなかった。
「違うよ。記憶する力、記憶力っていうのかな?それが繋がっているの。ほとんどの人はたくさんの思い出を記憶できる。でも、私たちは二人で一つの記憶力を使っているの。
私は記憶力が良くてたくさんの思い出を覚えていられる。でも、春木は思い出ができてもすぐ忘れてしまったり覚えていられないの。だから、春木はあまり思い出がなくて新しい記憶は覚えられずに消えてしまったりするの。
だけど、記憶は完全に消えてしまう訳じゃないから思い出したりもするんだけどね。それでもたまに記憶喪失《きおくそうしつ》になってしまったり、二、三日、長い時には一週間以上も昏睡状態《こんすいじょうたい》になってしまったりするの」
えっ……。
僕は言葉を失った。
だって春木は、きっと僕のことも忘れたことがあるはずだから。今は思い出していても僕との思い出を忘れていたことがあるということがショックだった。
「それでさっき君が聞いた写真の話だけど、私は君との思い出を覚えていることができる。でも、いずれ私も春木のように記憶を失ってしまうようになるかもしれない。私と春木は繋がっているから……」
「……」
「でもね!春木の為でもあるんだよ!これまで君と一緒に出かけた場所は小さい頃に行ったことのある私と春木の思い出の場所だったり、春木が行きたいって言ってた場所だから写真を見せたら失った記憶も戻るかと思ったの……」
僕は彼女の話を聞きながら色々な思いが溢れてきた。
「……だから写真をたくさん撮っていたんだね」
「……うん」
その後少しの間、部屋の中は無言で静かな時間が流れた。
僕は頭を整理するために彼女たちに自分が思っていることをきいた。
「……あのさ、分からないことが多すぎるんだけど、どうして君はこっちの世界にいるの?お父さんと一緒に向こうの世界に連れ戻されたんじゃないの?」
すると桜は少し悲しそうな顔で話を続けた。
「……そうだよ、私は五歳の時に向こうの世界に連れていかれて今まで違う世界で暮らしてた。でも、いつからか身体に異変が起き始めたの」
「異変?」
「うん、私も今の春木と同じように度々《たびたび》記憶喪失や昏睡状態になることが多くなったの。
向こうの病院で医者に診てもらったらこっちの世界と私は強く繋がっているからその影響だろうって言われたの。だから私とお父さんは原因を探すためにこっちの世界に行くことを許されたんだ。
並行世界には『世界の扉』っていうドアがあってそれをくぐるとこっちの世界と繋がっているんだ。何の素材で作られているのかや誰がどうやって作ったのか分からない扉だから未だに研究者の人たちが調べているんだけどね」
世界の扉……。そんなものがあるんだ。
「そうだったんだ……でも今の君は元気そうだけど大丈夫なの?」
「こっちの世界では何故《なぜ》か異変が起きないの。だから大丈夫!」
彼女は笑顔でそう言った。僕はほっと安心して少し肩の力が降りた気がした。
「じゃあ、喜川さんが治る方法はないの?」
すると、春木が静かに僕の方を見ながら言った。
「こっちの病院じゃ原因不明だから、向こうの世界のお医者さんに診てもらっているの」
彼女の声はすごく落ち着いていた。
「そっか……」
「でも、今日君を連れてきたのには理由があるんだ!」
桜が暗い空気を吹き飛ばすように明るい声で言った。
「今日ね、今から家にお医者さんが来て調べた原因を説明してくれるんだって!」
「えっ、そうなの?」
「だから、君にも一緒に聞いていてほしいんだ!」
「えっ、でも……」
彼女たちの秘密にそこまで僕が踏み込むのは違うよな……僕は戸惑いながらそう思った。
「私からもお願い。野咲くんに一緒にいてほしい……」
春木が少し恥ずかしそうにしながら申し訳なさそうに言った。そこまで言われて僕には断ることができなかった。
彼女たちの秘密を知って本当にいいんだよな?
その原因がとんでもない事だとしても知ったことを後悔しないか?
僕は心に問いかけながら考えた。
「わかった……」
それでも僕は彼女《(二人)》の秘密を知りたいと思った。
僕がそう返事をすると二人は嬉しそうにしていた。
すると、ドアがノックされ中に人が入ってきた。
「こんにちは、君が野咲くんね。私は二人の母です」
入ってきたのは彼女たちのお母さんだった。そのお母さんは綺麗でとても優しそうな人だった。
「よろしくお願いします……」
僕は何て言ったらいいか分からずに言葉が詰まった。
「いつも話は聞かせてもらってるわ。この子たちと仲良くしてくれてありがとう」
優しくそう言うお母さんは彼女たちに雰囲気が似ていて僕は少しみとれてしまった。
すると後ろから男の人が入ってきて、それに続いて医者も一緒に入ってきた。
「君が野咲くんかぁ。いつも娘たちが世話になってるね。これからもよろしくお願いするよ」
入ってきた男の人は彼女たちのお父さんだった。僕は一気に緊張した。
「野咲空です。こ、こちらこそよろしくお願いします」
僕は急いで頭を下げぎこちない挨拶をした。
すると医者が春木の容態《ようだい》を確認し、僕たちの方を見た。
「えー、これから桜さん春木さん二人の身体の異変について話していこうと思います」
僕は静かに話を聞いた。
「まず、どうしてこのようなことが起きるのかというと、お二人は同じ世界で生まれたのにも関わらず魂が繋がっているからです。
確かに並行世界では自分と同じもう一人の自分が存在していることがあります。その場合、魂や記憶は繋がっていますが完全に繋がっているということではないのです。普通は魂が繋がっているもう一人の人が存在していても命は別々に存在しているんですけど、お二人は魂だけではなく命までもが繋がっていると思われます。
同じ世界で命のバランスが保たれていたのに違う世界で暮らしていたことによって、たった一つの魂が分裂《ぶんれつ》することができずに壊れはじめていることが原因のようです」
説明を聞きながら僕は何となく分かったようで……いや、分からなかった。
するとお母さんがゆっくり口をひらいた。
「……ということは二人が同じ世界で暮らせば元に戻るんですよね?」
「確かにその可能性はあると思います。実際、桜さんがこちらの世界に来てから春木さんの身体の状態が良くなってきていますから」
「本当ですか!良かった……」
彼女たちのお母さんはすごく喜びながら目に涙ぐんでいた。なのに医者はあまりいい顔をしなかった。
「はい、でも一つ気になることがあるんですけどこれはまた今度お話しますね……」
「わかりました。ありがとうございました」
彼女たちのご両親はそう言い、医者と一緒に部屋を出ていった。
僕は最後の医者の気になることがずっと頭に残っていたが、春木が少しずつでも良くなっていることを知って安心した。
「喜川さん、少しずつでも良くなってるみたいだから良かったね」
「うん、ありがとう」
春木は嬉しそうに微笑んだ。
僕が部屋の窓に目をやると外は真っ暗だった。
「じゃあ、僕はもう遅いし帰るね」
僕がそう言って部屋を出ると桜が玄関まで見送りにきた。靴を履いて玄関の扉を開けようとした時に後ろから声をかけられた。
「本当にありがとう。君が一緒にいてくれたから安心して話を聞けた。ありがとう……」
振り返ると桜が不安そうな顔をして僕を見ていた。
彼女はずっと怖かったんだ……。
僕は彼女を見てそれがすぐに分かった。
「もう、大丈夫だよ」
僕はそう言い彼女の頭を撫《な》でた。
そして僕は家に帰った。
家でもずっと彼女たちのことが頭から離れずにいた。
あまりにも衝撃的な一日だったから。
それに僕はどうして彼女の頭を撫でたのか、あんな言葉をかけたのか、自分でも分からなかった。だって彼女がいつもは僕に見せないようなとても不安そうな顔で怯《おび》えているような声をしていたから僕は自然と『大丈夫』そんな言葉をかけてしまっていたんだ。
第五章 煌めく火花《ひばな》
次の日、僕は学校に行く途中も授業中も昼休みも放課後さえも彼女たちのことを考えていた。
「……おーい」
「……」
「おーい!」
僕は彼女に声をかけられやっと我に返った。
「……何?」
「何じゃないよ!」
彼女は怒ったように言った。
「ごめんって、ただぼーっとしてただけだから」
「君、今日ずっと違うこと考えてるよね!」
「別にそんなことないけど……」
「ふーん」
彼女は僕のことを何でも知ってるような顔をしていた。
「何?」
「だって君の別にそんなことないはそんなことある、つまり当たってるってことだもん」
僕は図星をつかれて少し恥ずかしかった。
それから僕は授業すらも頭に入らない状態で一日を過ごした。
そして僕たちは校門を出て歩いていた。
「ねー、今日はどこに行くつもりなの?」
「今日は春木に会いに行こう!」
僕が聞くと彼女は笑顔でそう言った。
「えっ、君は家族なんだから毎日会えるでしょ!」
「違うよ!君を連れて行くの。だって君、今日一日ずっと春木のこと考えてるでしょ!分かるんだから!」
「それは……!」
僕は何も言えずに春木に会いに行くことになった。
「あっ!野咲くん、いらっしゃい」
「喜川さん、こんにちは」
春木の身体に繋がっていた管の数が減っているのを見て少しずつ良くなっているようで安心した。
「ごめんね、また桜が無理に連れてきたんでしょ」
春木が申し訳なさそうに僕に言った。
「私は違うって!彼が行きたそうにしてたから連れてきたの!」
「またそんなこと言って!」
春木は桜を叱るように言った。僕はそんな春木をみて少し嬉しかった。
「喜川さん、元気そうだね」
僕は春木が言い争ったりこんなにも明るい姿を見るのは初めてだった。だって図書室で出逢った時は大人しそうだったから。
「うん!桜がまたこっちの世界に来てくれてから何だか毎日が楽しくて明るく元気になれるの」
春木は満面の笑みを浮かべていた。
「そうなんだ」
「私だって春木といると明るく元気になれるよ!だって私、春木のこと大大大好きだもん!」
とっても嬉しそうに桜はそう言った。
そして桜は何か思い出したように一枚のチラシを取り出した。
「ねー、そうだ!春木も最近調子良さそうだし、今度一緒に花火大会に行かない?」
桜が笑顔でチラシを春木に見せる。
すると春木は自分と繋がっている点滴や管を見ながら何かを考えているようだった。
「えっ……でも、私が行ったら迷惑になるんじゃないかな」
「そんなことないよ!」
春木が心配そうに言うと桜が怒ったように言い返した。
「私が倒れたりしたら周りの迷惑になるんだよ!桜にも迷惑になる、それにもし記憶が悪くなって誰だか分からなくなるかも、だから……」
春木は怒ったようにそう言ったが悲しそうだった。
「春木、私にはどれだけ迷惑をかけてもいいから、それにそんなことにはならないよ。大丈夫。大丈夫だから本当の気持ち教えて欲しいな」
桜は優しい声で言いながら春木の手をぎゅっと握りしめた。
「……私、行きたい」
「うん!行こう!」
桜が明るくそう言うとさっきまで暗かった春木の顔が一瞬にして笑顔になった。桜は春木の不安を吹き飛ばすことができるそんな存在なんだなと思った。僕は春木が本当の気持ちを言えて良かったと思いながらチラシをみた。
「あー、近くである花火大会ね。すごく綺麗らしいから行ってきなよ」
僕がそう言うと桜が少し怒った顔で僕を見てきた。
「何言ってんの!君も一緒に行くに決まってるでしょ!私と春木と君、三人で行くの!」
桜はそう言うが僕は昔から体が弱くて友達がいなかったし花火大会は行ったことがなかった。
「いやいや、二人で行ってきなよ。二人の思い出にしなって、それに君は喜川さんに見せたい所や喜川さんと行きたい所を僕と一緒に思い出づくりしていただけで僕は部外者《ぶがいしゃ》だから」
僕は思ったことをそのまま言った。だって今まで一緒に出かけた思い出は、きっと僕と春木を重ね合わせながら過ごしていたんだろうと思ったから。
「君は部外者じゃないし……」
桜は小さな声でぼそっとそう言った。
「え?」
「だから、君は部外者じゃないって言ってるの!春木と君が知り合いだから選んだって、君は私がたったそれだけの理由で君を誘ったって本当に思ってるの?」
桜は怒ってそう言った。僕は何も言えなかった。
でも、じゃあ何でそこまで僕に関わろうとするんだよ……。
僕はそう思った。
「……ごめん」
「……それに君、一緒に思い出つくってくれるって約束でしょ」
僕たちの間に微妙な空気が流れた。
すると僕たちの話を聞いていた春木が口を開いた。
「私も……三人で行きたい。野咲くんも一緒がいいな」
春木が少し恥ずかしそうに気まずい空気の中そう言った。
「……分かったよ。じゃあ三人で行こう」
春木も三人で行きたいと思っているのならしょうがないな僕はそう思った。でも正直心のどこかで僕も行きたいと思っていたんだ。
「はぁー、本当にね!まったく鈍感《どんかん》!」
桜がため息をつきながら僕に向かってそう言う。
「何が?」
「何もかも全部だよ!」
「えー?それじゃあわからないんだけど、君が言うことは言葉が足りないよね」
「はぁー?それは君がでしょ?」
「君程《ほど》ではないよ」
「もういい!」
「あはは」
桜と僕の言い合いを聞きながら春木は笑っていた。
「「え?《(二人同時に)》」」
「え、今の笑うところじゃなくない?」
桜が春木にそう言った。
「いや、だって仲良いなぁって思って!」
「いやいや、それはないよ」
僕がそう言うと春木は笑顔で言った。
「二人はお互いを信頼しあっているから言い争えるんだね。普通に何とも思わない相手なら嫌われるかもとか興味が無いから何も言わなかったりするのに、二人は違う。強い絆《きずな》で繋がっているんだよ。繋がりには時間は必要ない必要なのは想いだから」
春木の優しい声で言葉でそう言われてすごく僕の心に響いた。
「そうかもね」
「確かに」
僕と桜はさっきまで言い合いをしていたのが嘘のように穏やかな気持ちになった。
そして花火大会の日、僕たちは公園の高台で待ち合わせることにした。
「お待たせー!」
そう言われて僕が振り返ると二人は浴衣《ゆかた》姿だった。
桜は春をまとったような桜色の綺麗な浴衣。
春木は少しオレンジがかったような、夕焼けで日に照らされる桜の花が綺麗な浴衣。
どちらともとても綺麗だった。
「二人とも浴衣なんだ」
「ごめんね、変かなと思ったんだけど桜が強引に!」
春木が恥ずかしそうに焦りながら言った。
「そんなことないよ!春木すごく似合ってるって!君もそう思うよね?」
「う、うん、似合ってるよ。……すごく綺麗だし」
桜がいきなり僕に聞いてくるので僕は焦ってしまった。
「……あ、ありがとう」
春木は少し頬を赤くしていた。
僕と春木、二人の会話を聞きながら桜は笑顔で嬉しそうに微笑んでいた。
「えー?私はー?」
桜が笑いながら聞いてくる。
「桜もかわいいよ」
「君も似合ってるよ」
僕と春木がそう言うと彼女は喜んだ。
「ほんとー!?」
そんなことを話しながら花火大会に向かった。花火大会の会場ではたくさんの屋台が出ていて美味しそうな匂いがしていた。
僕たちは金魚すくいをしたり射的をしたりした。初めての花火大会はとても楽しかった。毎年、窓から花火を眺めるだけだったからこんなに花火大会が楽しいとは思わなかった。だけど、きっとこの二人だからこんなにも楽しいんだろうなと思った。
そして自分たちの食べたいものを屋台で買うことにした。すると両手に抱えきれないほどの食べたいものを抱えた桜が僕の方にきた。
「たくさん買ってきた!」
「えっ!買いすぎだよ」
僕がそう言うと桜は笑っていた。
「かき氷にイカ焼き、わたあめ、りんご飴《あめ》、食べたいものがいっぱいだよー!」
「いやいや、だからってそんなに買ったら持てないでしょ」
幸せそうに言う桜に僕がそう言うとそこに飲み物を買いに行っていた春木が戻ってきた。
「えっ!桜買いすぎだよ!」
春木も僕と同じようなリアクションをしている。
「ほら、だから言ったのに」
「だってー!」
僕が言うと桜は子供のように言い返してくる。
「桜、そんなに食べれるの?」
「食べれるよ!」
当たり前のように桜はそう言う。
「こんなに持てるの?」
「あー、持てない!」
「もう、買いすぎだからだよ。私が持ってあげるから」
「春木、ありがとうーっ!」
僕は二人の会話を聞きながら嬉しい気持ちになった。こんなにも普通の会話をしている二人が目の前で楽しそうにしているその現実がすごく嬉しかった。
「君、ほんと子供みたいだよね。喜川さんがお姉さんみたいだし」
僕が笑いながらそう言うと桜はむっと怒った顔をした。
「何言ってんの!私が姉なんだからね!」
「えー?ほんとに?」
「春木は私の妹なんだから!」
「ウソついてないよねー?」
僕がそうからかうと桜は少し不機嫌になった。
「ごめん、ごめん」
「本当だから!ねっ?春木!」
「うん、桜がお姉ちゃんだよ!」
春木は誇らしげにそう言った。
「彼女がお姉さんって大変じゃない?」
「ううん、私にとってはいつも助けてくれる大好きな優しいお姉ちゃんだから」
春木は本当に桜のことが好きなんだな僕は心からそう思った。
「へー、そっか」
そして辺りが暗くなりはじめた。
僕たちは花火を見るためによく見える穴場に移動した。その場所は人が少なくて空が広く開けていた。
僕たちが何気ない話をしていると目の前がいきなり明るくなった。僕たちはびっくりして空を眺めると空に花が咲き誇るように物凄い数の花火が打ち上がった。空のすべてが花火で埋め尽くされるようだった。
すると、ひゅーーードンッ!っと音がして大きな花火が上がった。まるで世界のどこにいても、例え違う世界にいたってこの花火が見えるんじゃないかと思うくらい大きくて忘れられないほど綺麗な花火だった。
「綺麗だね」
春木が花火を見ながらそう言った。
「うん……」
僕は言葉が出ないほど綺麗な花火を眺めながら頷《うなず》いた。
「……空くん。ありがとう……」
桜が小さな声でそう言ったが花火の上がる音と重なり僕には聞こえなかった。
そして花火大会が終わって僕たちは帰りはじめた。暗い帰り道を三人で歩いていた。
「……ずっとこれからも三人で花火見れるかな?まだまだ、たくさんの思い出つくれるかな?」
桜が静かにそう言ったので僕は彼女の方を向いて答えた。
「当たり前だろ。約束したからな」
「……そっかー、約束か。うん、そうだね!じゃあー、約束の約束ね!」
僕の言葉に彼女は安心したように笑顔になった。
「何それ」
僕はそう言いながら笑った。
僕と桜のやりとりを春木は静かに聞いていた。
そして僕は二人を家まで送った。彼女たちの家が見えてきたところで桜は子供のようにはしゃぎながら家に向かって走っていった。僕と春木は桜の楽しそうな姿を見ながら後ろでたわいのない話をして笑っていた。
桜が家に着き玄関の扉を開けようとした時、彼女の手がピタッと止まった。僕はどうしたのだろうと思いながら春木と一緒に桜の元に近づいた。
すると家の中から彼女たちの両親と医者の話し声が聞こえた。僕たちは玄関の扉を少しだけ開けて静かに盗み聞きをした。
それは二人の病気についての話の続きだった。
「夜遅くに申し訳ありません」
「先生、その前話されていた気になることの話の続きですか?」
「はい。桜さん、春木さん、お二人がいらっしゃらない時の方がいいと思いまして」
「そうですか。それで話とは?」
なんだか医者の声がとても深刻そうだった。僕の隣で二人はすごく聞き耳を立てながら真剣な顔をしていた。
「……本当に言いにくいことですので覚悟して聞いてもらってもよろしいでしょうか」
「え、……はい」
医者のその発言に両親も戸惑いを隠せずにいるようだった。
「……確かに春木さんは徐々に良くなってきています」
「……ですが、桜さんも同時に検査したところ桜さんの方が悪化していることが分かったんです」
「えっ!?それはどういうことですか!」
「多分なのですが、今までのような症状は出ていませんでしたがきっとご本人は身体に違和感などがあったと思われます」
「でもあの子、そんなことは一言も……」
「まだ、そこまできつくはなくても少しずつ悪化しているのは確かなんです」
医者の言葉に僕が桜の方を振り向くと桜はあまり動揺していなかった。それに何となく心当たりがありそうな顔をしていた。
「桜さんはこちらの世界にきてから記憶喪失や昏睡状態などの症状が出ていないので私も最初は良くなっているのだと思っていましたが、検査の結果では……桜さんの方の命の消滅スピードが加速していたんです」
医者のあまりにも衝撃的な発言に僕はどういうことなのか分からなかった。
彼女たちも両親も全く理解できていないようだった。
「桜さんがこちらの世界にいることによって春木さんは良くなっている。でも、桜さんがこちらの世界にいると命が消えかけているんです」
「……えっと、すみません。よく分からなくて」
両親はとても混乱しているようだった。
「桜さんが元の世界に戻れば、桜さんは助かる可能性があります。でも前と同じような症状が出ないという保証はありません。
ですが、桜さんがこの世界からいなくなってしまうと春木さんは消滅してしまいます。
逆に、桜さんがこの世界にとどまると春木さんは良くなります。だけど、桜さんは消滅する」
「……」
その場はものすごく静かな空気が流れた。僕はまだ良く理解できていない。
「……つまり、必ずどちらかが死んでしまうということです……」
その場にいる全員の頭が停止している状態で医者が追い討ちをかけるように言った。
僕は理解できない。……いや、理解はしていた。
でも、信じたくなくて考えないようにしていた。
なのに医者にはっきりと言われて僕は何を思ったらいいのか分からなかった。
「……」
医者の話を聞きながら何も発言しなかった母親が泣き崩れた。医者の深刻な声と父親の焦っている声、母親の泣いている声、色々な会話が中から聞こえていた。僕たちは会話を聞きながら静かに言葉を失った。
医者の言葉があまりにも衝撃的で僕はその後の会話が全く頭に入ってこなかった。
「……」
桜が一言も喋らずに静かに玄関の扉を閉めた。そして何も言わずに一人でどこかに走りながら飛び出して行った。
春木はその場に座り込み静かに泣いていた。
僕は飛び出して行った桜を追いかけた。
でも僕は桜を見失ってしまった。それでも今、彼女を一人にするわけにはいかないと強く思った。彼女がどこに行ったのかが分からなくて僕はその場に立ち止まり彼女の気持ちを考えた。
『僕だったらどうする?』
『この世界にいたら死ぬと言われたらどうする?』
『自分が生きれば大切な人が死んでしまうと言われたらどうする?』
そんなことを言われてしまったらどこに行こうと思うのだろうか。僕は考えたがやっぱり彼女の気持ちは分からなかった。でも、僕ならばきっとここに行くだろうと思う場所に向かった。
彼女と待ち合わせに使った公園だ。僕が好きな場所だから思いついたけどやっぱり彼女はいないよな、そう思いながら高台に上がると彼女がいた。
桜は公園の高台で町の夜景を一人で眺めていた。
彼女に何か声をかけなければ、僕はそう思ったがかける言葉が見つからなかった。喉に何かが詰まったみたいに声が出なかった。
僕は何も声をかけられずにただ後ろから彼女を見つめていた。
「……私、このままだと死んじゃうんだってさー」
僕に気づいたのか彼女はなぜか笑顔で振り向きそう言った。
「……うん」
僕はただ頷くことしかできなかった。
「ほんと、嫌になるよね!せっかく君と仲良くなれたし、春木にももう一度会えたのに」
「……うん」
「……でも、私は例え消えてしまってもこの世界にいたいんだ」
「えっ……」
消えてもいい、彼女はそう思っているの?
僕にはどうしても彼女の気持ちが分からなかった。でも、僕には訳あって死んでしまうかもしれないという恐怖はなんとなく分かる気がした。
「はぁーー……」
彼女は大きく深呼吸をした。
「君のいる世界!春木がいる世界!大好きなみんながいて、たっくさんの思い出がある世界!私はこの世界が大好きなんだーー!」
煌《きら》めく綺麗な夜景に向かって彼女はそう叫んだ。
「……でも、君がいた世界もこの世界と風景や景色は変わらないんだよね?」
「……」
「だって、並行世界はこの世界と同じ世界が何個も存在してるだけ……。前に喜川さんに教えてもらったから」
彼女が命を捨ててまでこの世界にこだわる理由が分からなかった。僕は恐る恐る彼女に聞いたが彼女は微笑みながら答えた。
「そうだよ。別に異世界のように変な世界じゃないし、見た目的なことをいうのならこの世界と同じような世界だよ。それに向こうの世界を生きている人の中には同じ魂を持っている私と春木のようなもう一人の自分がいたりする、そんな世界だよ」
彼女が話すその世界は不思議な世界ではなくて普通の世界なのにどうして戻ろうとしないのだろうか僕はそう思った。
「えっ……じゃあ、何で?元の世界に戻らないと消えちゃうんだよ!」
僕は無意識に強く言ってしまった。
「でも……君はいないんだよ?もし、君に似ている人がいたとしてもそれは君じゃない。私は本当に大好きな人達と生きていたいの」
「でも、それじゃ……」
『消えちゃう』……僕はその先の言葉をどうしても彼女に言えなかった。
彼女の強い想いが言葉の中に込められているようだった。
「……私の選択は最初から決まっているけどね……」
彼女はいきなり表情を変え静かにそう言った。
「えっ?それってどういう……」
「帰ろっか!」
僕が言葉の意味を聞こうとした時、彼女ははぐらかすようにそう言った。
僕はそれ以上聞くことができなかった。
第六章 最後は夢で会いに行く
次の日、彼女は僕が思っていたよりもすごくいつも通りで元気だった。
「君、大丈夫なの?」
心配しながら僕はそう聞いた。昨日、あんなことがあったのに普通に学校に来ることができる精神状態なのだろうか。失礼かもしれないが僕はそう思った。
「大丈夫、大丈夫!全然元気だから!」
彼女は明るい笑顔でそう言った。僕はその言葉に少し安心した。
「私は大丈夫なんだけど……あの後、私が家に帰ったら春木が泣いてたから聞いてたことが親にバレたみたいで家の空気が悪くて大変だったんだよ!」
彼女は笑顔でそう言ったが僕はなんとなく彼女は無理に笑っているように見えた。
「……」
僕は何も言えずにただ黙ることしかできなかった。
「みんな泣いちゃってて、空気変えるために明るい話をして頑張って気分を盛り上げたんだからね!」
「……」
「何か言ってよ!」
彼女の不自然な笑顔がどうしても見ていられなかった。
「そんなに無理に明るくならなくてもいいよ、無理に笑わなくていい……」
僕が優しくそう言うとさっきまで無理して笑っていた彼女の顔が真剣な顔に変わった。
「私はどんな結果になったとしてもみんなが暗い顔をしているのは嫌なの」
「だとしても、君が無理していたら誰も笑顔にならないよ。本当に笑顔にしたいなら君が本当に笑顔になりなよ」
僕がそう言うと彼女ははっとしたような顔をして笑った。
「君、たまにはいいこと言うねー!」
彼女は笑顔でそう言った。その笑顔は今度こそ本当の笑顔だった。
「たまにはって何だよ!」
「あはは、せっかく褒めたのにー!」
「はぁー、君といると調子がくずれるよ」
彼女がちゃんと笑っているようだったので僕は安心したのと同時に嬉しかった。
そして今日もあっという間に一日が終わり放課後になった。
「今日もどこか行くの?君の身体も心配だから、もうやめといた方がいいんじゃない?」
「それは君もでしょ……」
彼女は小さな声でそう言った。
「え?……どういう意味?」
「……あっ、なんでもないよ」
彼女は急にはぐらかすような態度をとる。
「そうだ!今日も春木のところに行こうと思っているんだ!」
「喜川さん、大丈夫なの?」
すると笑顔だった顔が不安そうな顔になった。
「うん、病気の方は大丈夫なんだけど、昨日の会話を聞いてから元気がなくて……」
「そっか……」
そうだよな、たとえどっちが消えるにしても悲しすぎるもんな。桜か春木、絶対にどちらかはこの先の未来に存在していないんだ。
「だから!君に会ったら少しは元気になるかなーと思って!」
僕の悲しい気持ちを吹き飛ばすように彼女はそう言った。
「会いに行くのはいいけど、別に僕に会っても元気にはならないと思うよ」
僕がそう言うと彼女は怒った顔をした。
「もぉー!鈍感!」
「えっ?」
僕は彼女が何に怒っているのか分からなかった。だって鈍感っていうのは鈍《にぶ》いっていう意味だから僕は全然鈍くないし、僕はそう思った。
「前にも言ったけど鈍感すぎ!」
「はっ?どういうこと?」
「君は春木のことが好きなんじゃないの?」
彼女は真剣な顔で僕に言った。
……えっ?
僕は彼女にそう言われてすごく恥ずかしくなった。
当たっていると言えば当たっているのかな、僕は確かに一年の時、春木に出会って仲良くなった。好きなのか何なのか分からなかったが一緒にいるとすごく安心したんだ。
でも……僕は何かが心に引っかかった。
「ど、どうして僕が喜川さんを好きってことになるんだよ!」
僕は焦りながら言い返した。
「君たちを見てたら分かるよ!」
真剣な表情でなんとなく僕の図星を指す彼女に僕は正直に答えるしかなかった。
「……一年の頃はそうだったかも……しれないけど、今は違うから!」
僕は少し曖昧《あいまい》な言い方をした。
「いやいや、一年の頃だけじゃなくて絶対今もでしょ!あっ!もしかして初恋は春木だったりする?」
からかうように彼女は言う。
「だから、違うって!」
僕は怒ったように言ってしまった。
「別に怒んなくてもいいじゃん」
「……初恋は別の人だから……」
僕が静かな声でそう言うと彼女は微笑んだ。
「そっか、じゃあ今度その子の話聞かせてよ。私も会ってみたいな」
彼女は優しい声で微笑みながらそう言った。なんだか僕はすごくほっとした気分になった。
「……うん」
そして、僕は彼女の家に向かった。
桜は僕と春木に気を使って外に出て行った。
わざわざ気を使わなくていいのに……僕はそう思った。
部屋に入ると桜の言う通り春木は元気がなかった。部屋の中の空気が重く感じた。
「喜川さん、昨日は大変だったね……」
僕はなんて声をかけていいのか分からなかった。
「大丈夫、気にしてくれてありがとう」
「……」
春木が元気のない静かな声でそう言うので僕はなんと答えるのが正解か分からずに黙ってしまった。
『君は春木のことが好きなんじゃないの?』
桜に言われた言葉が頭の中を不意《ふい》によぎった。
僕は急に顔が熱もっているのが分かった。きっと今、僕の顔は赤く火照《ほて》っているだろうと自分でも思うほどだった。
「どうかしたの?」
春木が僕の顔を覗き込みながら心配そうに言った。
はっ!僕はそう言われて現実に引き戻された気がした。
「いや、なんでもない」
桜のせいで変に春木を意識してしまい僕はぎこちない返事をしてしまった。
もぉー、君のせいだからな!僕は心の中で桜にむかって怒りながら言った。
僕は桜へのなんとも言葉にできないような怒りと春木への変な気持ちで顔がますます赤くなっているようだった。
すると春木が本当に心配しながら僕見てくる。
「えっ、でも顔が赤いけど……」
「本当に大丈夫だから」
僕は片手で顔を隠しながら言った。正直、今の僕を見ないでくれ、そう思いながらすごく恥ずかしかった。
「そっか、大丈夫ならいいんだけど……」
「うん、大丈夫……」
そして微妙な空気が流れてしまった。僕のせいではあるんだけど……いや、この空気の原因を作ったのは桜だと心の中でそう思った。それに今日は元気のない春木を元気づけるために来たのに僕はなんの役にもたてなかったな、僕はそんなことばかり考えていた。
僕は何か会話の話題がないか焦りながら探していた。春木の方を見ると春木は黙って何かを考えているようだった。
「……ねぇ、野咲くん。桜から聞いたかもしれないんだけど……」
春木は何かを言いかけてやめた。
「なにを?」
「……私たちのどちらが消えるにしても今年の七夕までがタイムリミットになるだろうってお医者さんに言われたの」
「えっ……」
僕は頭がまわらなくなった。七夕なんてもうすぐじゃないか、だけど二人とも元気なんだからそんなの嘘でしょ。
「でも!お医者さんの予測だからまだ分からないんだけどね!」
春木は僕の心情を察してすぐにそう言った。それでも僕は信じられなかった。
「もう、季節も変わって夏になったもんね。桜と私の季節は終わりが近いってことかな」
「……」
春木が冗談まじりにそう言ったが僕は本当にそんな感じがしてしまった。
「……七夕か」
さっきも暗い顔をしていたのにそれよりももっと悲しい顔をしながら春木はそう呟いた。
「七夕、もうすぐだね……」
「うん、もうすぐ。だからいつまでも会える訳じゃないんだよね……」
その言葉が僕の心にはグサッと刺さってしまった。
僕は春木が言った『いつまでも会える訳じゃない』ということを考えながら桜のもとに向かった。家の外に出ていた桜がどこにいるのか僕にはすぐに分かった。
そして僕は公園の高台に向かった。やっぱり僕の思った通り彼女はいた。
彼女は町の景色を眺めているようだった。
「あっ!君、来たんだ」
桜は僕に気がついたように振り向いた。
「喜川さんから聞いたよ。七夕、もうすぐだね……」
僕がそう言うと彼女は聞いちゃったかぁ、と言わんばかりの顔をした。でもすぐに落ちついたように頷いた。
「うん、そうだね。七夕、一緒に天の川見れるかな?」
「うん。きっと見れるよ」
彼女の寂しそうな表情に僕は『絶対』という言葉を使うことができなかった。
「……ねぇ、君に最後の約束お願いしてもいいかな?」
「約束?」
「……君と一緒に桜の花見《はなみ》をしたい」
彼女は静かにそう言った。その言葉には力強い想いが込められているようだった。
「でも、今は夏だよ?」
「うん……そうだよ」
彼女は分かっているように頷いた。
僕は静かに黙り込みながら彼女が言っていることがどういうことなのか考えていた。
「……そうだ、君は桜の花言葉を知ってる?君に教えるか迷ったんだけど、やっぱり君には知っていてほしいから」
「え?いきなり何言ってるの?」
彼女は急に話の話題を変えた。なんだか彼女が僕に何かを伝えようとしているように感じた。
「桜の花言葉には色々な意味があるんだけど、
その中にね……私を〇〇〇〇〇〇(秘密)
……そんな言葉があるんだって、それに桜は短命だから」
「……」
「桜の花が散っていく様子を見て、そんな言葉ができたらしいよ」
彼女は笑顔で僕にそう言ったがその笑顔の奥に悲しいものが僕には見えた。でも、落ちついていて何かを覚悟した顔をしていた。
「だから、私がもし生きていたら一緒に桜をみたい。私がもし死んでしまっていたら私を思い出しながら桜をみてほしい」
「……」
僕は何も言えなかった。でも何も言わない僕の顔を見ながら彼女は微笑みをこぼした。その表情は僕に『大丈夫だよ』と訴えかけているようだった。
「あはは、まぁ、君は気にしなくていいよ。うん、私のただの願望《がんぼう》!」
彼女は笑顔で僕にそう言った。
その日の夜、彼女のことを考えていた。
すると、身体全体がふらっとなって心臓が大きくドックンとなった。
『空!?……』なんだか名前を呼ばれた気がしたが僕の意識はなくなっていった。
気がつくと夢の中にいた。僕は昔から見る夢と同じ、たくさんの桜の木が並んで生えている世界にいた。
彼女が転校してきた日、夢の中では女の子に会えず、結局その日から一度も夢を見ることがなかった。なのにその夢を僕は久しぶりにみた。
その場所をみて僕はすごく驚いた。なぜなら、たくさんあった桜の木が全て枯《か》れていたからだ。
そして、そこには女の子がいた。
「やっぱり、君だったんだね……」
その女の子は喜川桜……彼女だった。
「うん、そうだよ。君はこういうの鋭いから勘づくと思ったのに!」
笑顔で彼女は言った。
「気づいてたよ。君が転校してきたその時から」
僕がそう言うと彼女は微笑んでいた。
「そっか、気づいてくれていたんだね」
いつも通りの彼女をみて少し安心した。でも、いつも通りではないこの場所を見ながら僕は何故か違和感がずっと心の中に残っていた。
「ねぇ、なんで桜の木がこんなに枯れているの?」
この夢の世界では昔からどんな季節でも満開に桜の花が咲いていた。
「私にも分からない。でも、一つ分かることはもう時間がないということなのかもね」
「……えっ?」
「私も……君も……」
最後に彼女がぼそっと呟いた言葉は僕には聞こえなかった。
枯れた桜の木をみて彼女の身体や命がボロボロだということが僕には分かった。
そして僕は時間がないというその言葉に背筋が凍った。心のモヤモヤが酷くなっておさまらなかった。
なぜなら、絶対に七夕に消えてしまうわけではないからだ。だって、医者は『七夕までに』と言っていたらしい。その言葉が頭の中をよぎった。
「だって七夕は来週だからね。日にちがどんどん近づいている」
彼女は落ち着いた声でそう言う。
僕はまだ来週のことだ、まだ時間はある、とそんなことを思っていたんだ。いつ消えてしまうか分からないのに僕はちゃんと彼女と向き合えていなかったんだと強く思った。
「……でも、君は絶対七夕に消えるというわけではないでしょ?」
僕は苦笑いをしながら彼女にそう聞いた。
「確かにそうだね。でも、それは君も同じでしょ?だって君もいつ死んでしまうか分からないんだから。それはみんな同じだよ」
その言葉を言う彼女の声はとても優しかった。
「でも君は本当の世界に戻れば死なずにすむんだよ?」
僕は少し焦ったように言った。
「戻らないよ」
「なんで!」
僕は怒ったように強く言ってしまった。それなのに彼女は真剣な表情で僕をまっすぐ見つめていた。
「前にも言ったよね、私はこの世界が好きなの」
「お願い!本当の世界に戻って!」
つい大きな声で怒ってしまった。けれど僕には分かっていたんだ。彼女をどれだけ説得《せっとく》してもきっと彼女の意志は揺るがない。
「……」
彼女は黙りながら何かを考えているようだった。その間、この空間だけが時間の流れが止まったように静かな空気が流れていた。
「私にとって春木はとても大切な存在であの子のためなら私は何だってする。私ね、知ってたんだ。この世界に来る前、向こうの世界にいた時に記憶と命が繋がっているからなのか分からないけど春木がすごく死を怖がっていたことを。
私は昔から分かってた」
二人は双子であると同時に同じ魂を持つ、二つの世界の同一人物でもあるからきっと気持ちが繋がっているんだろうと思った。
「じゃあ、君は怖くないの?」
「私は怖くないよ。って言ったら嘘になる。でも、一つ心残りがあるとするなら君ともっと一緒にいたかった。君と出逢ったせいで死にたくなくなった。生きたくてしょうがなくなった」
「……」
「でも、私には君との思い出がある。君との思い出だけで生きていける。君が私のことを想っていてくれるだけでとっても嬉しい。私は世界一の幸せ者だね」
「……」
「……君と出逢えて良かった」
僕は彼女の話を聞きながら自然と涙がこぼれた。
「春木のことをよろしくね……それに君は何があっても絶対に生きて!」
彼女の言葉が最後の言葉に聞こえてしまう。もう、一生会えないそんな気がしてしまう。
僕は本当にそれでいいのか自分に問いかけてしまう。
『消えてほしくない』
『もっと一緒にいたい』
『でも、それは僕のわがままなんじゃないのか?』
『それでも嫌だ!』
『僕のそばからいなくならないで!』
『けれど彼女が決めたことなんだから……』
『一緒にいたい!』
お願い!お願い!お願い!お願い!
神様!どうかどうかどうか、お願いします。彼女の命をすべての世界から消さないでください。彼女からこの世界との繋がりを奪わないでください。彼女と僕の想いを繋がりを切らないでください。
『神様!お願いします』
僕は何度も願った。神に祈った。彼女の運命が変わることを必死に願っていた。
僕は昔から死ぬのが怖かった。自分の存在理由が分からなくても、この世界にいらない存在だとしても、死が怖かったんだ。
なのに、今は彼女がこの世界で生きていけるのなら僕が消えてもいい。そう思えるほど彼女に生きていてほしかった。
「僕は君に生きていてほしいんだ!」
僕は色々な想いが心の中で溢れるのと同じくらい目から涙が止まらなかった。現実の世界ではきっと泣かないくらい夢の世界では涙が溢れてきた。
彼女は僕の言葉を聞いて笑顔になった。まるで桜の花が満開に花開くような笑顔だった。
「ありがとう。君がそう想ってくれているだけで十分だよ。ごめんね……」
彼女は僕の前で初めて泣いた。
「ごめんね。最後まで涙はみせないはずだったんだけどなー」
彼女は涙をながしながら苦笑いをしていた。
そして僕は彼女に近づいて抱きしめた。
「ありがとう。僕は君と出逢えて良かった」
「うん、私も……」
彼女のその言葉を聞いて僕は抱きしめていた手を離した。自然と抱きしめてしまっていたが少し恥ずかしかった。
彼女の方を見ると彼女はなんだか申し訳なさそうな顔をしていた。
「私ね、五歳の時、まだこの世界で暮らしていた頃、君と出逢った瞬間に一目惚れしちゃってたんだ」
「えっ……」
「私が君に会いたいと強く思ったせいで君と夢の中で繋がりができちゃったんだと思う……迷惑だったよね」
そうだったんだ……。僕はそのおかげで君と出逢えたんだなとそう思った。
「迷惑だなんて思ったことないよ。だって僕の初恋は君だったから。ありがとう」
僕は思った。自分が思うより昔も今も彼女に恋していたんだと。
そして彼女は笑顔で僕との時間を噛み締めるように微笑んだ。
「最後にそれが知れて良かった。君は絶対に幸せになってね!本当にありがとう……」
その言葉を最後に夢が覚めた。
第七章 命の繋がり
目が覚め、まだぼーーっとする頭にピーッピーッと何かの機械のような音が響いていた。そしてだんだんと意識が戻りここが病院だということに気づいた。
横に座っていた僕の母が心配そうに声をかけてきた。
「空、空!大丈夫?あなた一昨日の夜に家で倒れて病院に運ばれたのよ!急いで心臓の手術が必要であと一歩遅かったら死んでたかもしれないんだからね!」
母は僕を見ながら涙目でそう言った。
僕は小さい頃から心臓の病気でずっと入院や手術を繰り返していた。だからあまり学校にも行けず友達もできなかった。
「……そっか」
僕は母から緊急手術をしたと聞かされても、またかと思うぐらいに何も感じなかった。
それよりも、僕は自分のことより彼女のことが心配でたまらなかった。
「……お母さん、ごめん。僕、行かないといけないところがあるんだ」
僕は自分の身体に何本も点滴など色々な管が繋がっていることも気にせずに急いでベットを抜け出そうとした。
「空!まだ、寝てないとダメよ!」
母が必死に僕を止めようとするが僕はすぐにでも彼女のところに行かないとと強く感じた。なんだかものすごく嫌な感じがしたんだ。
けれど僕がベットを抜け出そうとすると母が止めるので僕は身動きが取れずに困っていた。
すると病室の扉が開き彼女のお母さんが入ってきた。
僕の母が急に彼女のお母さんに深々とお礼を言っていた。
「喜川さん。この度は本当にありがとうございました」
「いえ、あの子の願いですから。きっとこれで良かったんだと思います」
「本当にありがとうございます」
母は何度も頭を下げていた。僕は何に対してのお礼なのかまったく分からなかった。
「野咲くん。身体の容態《ようだい》は大丈夫?」
彼女のお母さんが僕のベットの隣にあるイスに座ってそう声をかけてくれた。
「はい……」
「そう、良かった」
彼女のお母さんは笑顔で微笑んでいた。まるで桜が笑顔で笑っているように見えた。
そして彼女のお母さんが僕に彼女たちの状況を説明してくれた。
なんと僕が倒れた日の夜に二人もいきなり体調が悪化して同じ病院に運ばれたそうだ。そして春木はまだ意識不明のまま眠っているらしい。
けれど、なぜか彼女のお母さんの口から桜の話はまったく出てこなかった。
僕は桜が心配で心配でたまらなかった。
僕は彼女のお母さんの話を割って入るように聞いた。
「あのっ!桜は?」
すると、彼女のお母さんの目から涙がこぼれた。
「桜は……死んでしまったの……」
「えっ……?」
僕はお母さんの言葉に顔が真っ青になった。夢の中で彼女は確かに最後の言葉のような話し方をしていた。でも、僕はまだ最後ではないとどこかで思っていたんだ。
「一昨日の夜に二人ともいきなり意識不明になっちゃって急いで病院に行ったんだけど、桜の命にはもう寿命は残っていなかったみたい。病院で色んな治療法とかを試したけど命の消滅を止めることはできなかった……」
「……」
「ごめんなさい、あの子を助けることができなかったの……」
「そうだったんですね……」
僕はなんと言えば良いのか分からずにその言葉を素直に受け止めるしかなかった。
でも、僕は気づかなかったが僕の心の中はいっぱいいっぱいでちゃんと泣いたり受け入れることができる余裕は僕の中にはまったく残っていなかった。
「お医者さんがね、桜は最近ずっと身体に異変があったりして辛かっただろうって……。きっと、桜は自分が消えてしまうことを聞く前から自分の身体の状態を分かっていたみたい。あの子のことだから家族やあなたを心配させないように黙っていたのね……」
自分の心配させるようなことは絶対に言わないで隠し通す……彼女らしいな僕はそう思ったが、辛いことは言ってほしかった。弱いところも見せてほしかった。
どうして僕はずっと近くにいたのに彼女が弱っていることに、身体の辛さを我慢していることに、気づかなかったんだろうと強く思った。
「……桜さんらしいですね。僕が少しでも気づいてあげていれば、すみません……」
泣きながら必死に話すお母さんに僕は申し訳なかった。
「大丈夫よ、あなたが気にすることは何もないわ。あなたの身体だって大変だったんでしょ。あなたに悲しまれたらあの子は絶対に喜ばないから」
「はい……」
僕は彼女のお母さんにそう言われて何も言うことができなかった。
すると彼女のお母さんは涙をふきながら心を落ち着かせているようだった。そして何か覚悟を決めたように真剣な表情で話はじめた。
「桜がね、意識朦朧《もうろう》としているなか最後に言ったの」
救急車の中で彼女は最後にこう言ったらしい。
『……お母さん。私がお母さんと過ごした時間は春木と比べたら少しだったかもしれないけど、私はお母さんが大好きだから私をこの世界で産んでくれてありがとう……これは私のわがままなんだけどね、お願いがあるの……。
……私は春木を救いたい、でも、もう一人救わないといけない人がいるの……野咲くん。彼、心臓の病気なんだ。私の命はもうすぐ消える……だから私の心臓を彼にあげて……!
すべての世界で私の一番大切な人だから……』
彼女は呼吸を荒くしながら必死に伝えていたそうだ。
「えっ……?」
僕は彼女の残した言葉を知った瞬間、頭が真っ白になって言葉が出てこなくなった。
すると、隣で一緒に話を聞いていた僕の母が静かな声で僕に言った。
「本当はドナーの人を知ることはいけないのだけど……」
母は彼女のお母さんと顔を見合わせ、頷くようにしながら口を開いた。
「……桜ちゃんは空のドナーになってくれたのよ……」
「はっ?」
僕は自分の母の言う言葉を信じられなかった。
だって、なんで彼女が僕の病気のことを知っているんだ?僕は訳が分からなかった。
「あなたの中で心臓がちゃんと動いているでしょ?桜ちゃんのおかげであなたは今生きているのよ」
「……何で?」
僕は静かにそう呟いた。
「えっ?」
「……何で?なんで彼女が病気のことを知っているんだよ!」
僕は大きな声で怒った。
どんなことを彼女に知られても構わない。でも、病気のことだけは知られたくなかった。
昔から何度も余命宣告されていた。
でも、その度に何の奇跡か分からないけどいつも命が助かってきたんだ。今度こそ死んでしまうかもしれない、そうやってずっと死に怯えてた。
だから彼女の命が消えることを知った時、絶対に助けたいと思った。
「ごめんね。空……」
母が申し訳なさそうにしていた。
「お医者さんにね、あなたの病気が悪化して心臓移植が必要だと言われたの。移植できなければ余命半年もないと言われて、いつ倒れてもおかしくない状態だったの。ごめんね、そのことを空に隠していたの」
「なんで?隠す必要なんかないだろ」
僕は少し冷たく言ってしまった。
だって、余命半年なんか何度も言われたことがある。手術なんて何回もした。入院だって数えきれないほどだ。
最初の頃は入院や手術と聞いて怖くて落ち込んでた。でも、何度も繰り返しているうちに心の感情がなくなっていった。何とも思わなくなったんだ。
だけど、夢の中で毎日のように彼女と会うようになって夢の中だけは自分の感情が出せる気がした。
何とも思わないんだから隠す必要なんかない僕はそう思った。
「あなた入院してばっかりだったから学校に行けなくて友達も全然できなかったみたいだし、勉強だって大変だったの知ってたからこれ以上悲しませたくなかったの……」
お母さんは全部知ってたのか……。
「……そっか、ごめん……」
僕は母にひどいことを言ってしまったと後悔した。母がそんな風に考えていてくれたことをはじめた知ったように感じた。
「……いいのよ、怒って当然よね。空は人に知られるのが嫌いなの分かっていたんだから。ごめんなさい、私の不注意で桜ちゃんに知られてしまったのよ」
「……」
「空の病気が悪化していると分かった時、もうすぐ二年生になって新学期が始まろうとしてる頃だった。だから新学期が始まってしばらくたった頃に学校の先生に相談したのよ……」
第八章 僕の余命
僕の余命が半年しかないことなど学校にも迷惑がかかると思った母は学校の先生に僕の身体のことを説明しに行ったらしい。
母は学校が終わった放課後に空きの教室で僕の担任の先生と話したそうだ。
「野咲くんのお母さん、今日はどうされましたか?」
僕の担任の先生は物分りのいい熱血の若い男の先生という感じだ。僕は一年生の時もこの先生が担任で、たまに検査などで休む時に授業の進みを教えてくれたり、友達のことなども気にしてくれていた。
「実は……空の病気が悪化してるみたいなんです。それで……余命が半年と言われてしまって……」
母はとても思いつめているようだった。
「……そうでしたか」
さすがの先生もどのように声をかけていいか分からないようだった。
「でも、心臓移植をすれば助かる可能性はあるんです。けれどドナーが見つからなくて、だからあの子にはドナーが見つかるまで秘密にしててもらってもいいでしょうか?お願いします」
先生はそれを聞いてすごく悩んでいるようだった。
「そのことは野咲くんは知らないということですよね?」
「はい……もし今回が最後かもしれないのなら最後まで苦しめるのは嫌なんです!」
母は今回が最後かもしれないと覚悟していたらしい。僕は何度も余命宣告されていたが心臓移植まですることになったのは初めてだったからだ。
「わかりました。野咲くんにバレないように気をつけます」
「ありがとうございます!それで、きっとこれから体力も弱っていくだろうし、色々と支障も出てくると思うので先生方にも今まで以上に意識して見ていてもらえるとありがたいんですがお願いしてもよろしいでしょうか?」
母は前から先生などによく相談していた。でも今回ばかりはとても心配しているようだった。僕からしたら過保護すぎるようにも思えるほどだった。
「はい、もちろんです。これからもしっかりとサポートしていきますのでご安心ください。あまり無理はさせないように気をつけますので大丈夫ですよ」
先生も母の心配を少しでも和らげるために安心させるような言葉をかけてくれている。
「すみません、本当にありがとうございます。これからもよろしくお願いします」
母は深々と頭を下げてお礼をした。
そして教室にドアを開けようとした時に、ガタンッとドアに何かがぶつかったような音がした。
でも母が教室から出た時、廊下には誰一人もいなかった。母は気のせいだと思った。
そして家までの帰り道を一人で歩いている途中で後ろから声をかけられた。
「あの!野咲空くんのお母さんですよね?」
桜が母に声をかけてきたそうだ。
「はい、そうですけど……」
「……えっと、私は野咲くんと同じクラスで友達の喜川桜といいます。その……私、野咲くんの病気の話を聞いちゃったんです」
彼女は申し訳ないと思いながら素直にそう言ってきた。
「えっ……」
「すみません!盗み聞きするつもりじゃなかったんです。ただ通りかかった時に野咲くんの名前が聞こえてきてつい聞いちゃいました、本当にすみません!」
彼女は何度も謝っていた。
母は僕の友達に知られてしまったと焦った様子だった。
「あ、あの!絶対にあの子には話さないでくれませんか?」
「分かっています。野咲くんには秘密なんですよね?」
「ええ、そうだけど……ありがとう」
彼女が病気のことを秘密にしてくれると分かり母は安心したように肩の力を抜いた。
僕は彼女が僕の病気のことを知ってどう思ったんだろうかと母の話を聞きながら思った。
「……こんなこと他人に話したくないと思いますけど、野咲くんの病気は心臓の移植をしないと治らないということですか?」
彼女はとても真剣な顔で母にそう聞いた。
だけど母はなんと言えばいいか困っているようだった。
そして母は彼女を家に連れていき家の中で彼女と二人で話したらしい。
「家までおじゃましてしまってすみません」
「いいのよ、どうぞ上がって」
「はい……おじゃまします。あの、野咲くんは今家に?」
彼女は僕が家にいるのか気にしているようだった。
「いいえ、あの子は今出かけているから何でも話してくれて大丈夫よ」
「そうですか」
その日はちょうど放課後、病院に定期的に見せにいかないといけない日で僕は彼女の思い出づくりを断っていた日だった。
そして母は彼女にだけは病気のことを話そうと思ったそうだ。彼女のことは信じることができると謎の信頼感があったらしい。
母は深呼吸をして話す覚悟を決めた。
「それでさっきの質問の続きだけど、そうね……完全に治るかは分からないけれど移植しないといけないのは本当よ」
「そうなんですね……」
彼女は本当なんだと少し落ち込んでいる様子だった。
「……ドナーが見つからないんですよね……手術をしなかったらどうなるんですか?」
彼女はそう聞いていたがその声は震えているようだった。
母は少し考えるようにしながら正直に話した。
「このままいつまでもドナーが見つからなかったらあの子は……死んでしまうかもしれない、今はギリギリ持ちこたえているけどいつ倒れてもおかしくない状態みたい」
「そんな……!」
彼女は自分の口元を手で抑えながら目にはいっぱいの涙が溜まって今にも溢れ出しそうだった。
すると母も彼女につられるように涙腺《るいせん》が緩くなり涙が落ちそうになっていた。そして僕の小さい頃の思い出を思い出しながら彼女に話したそうだ。
「昔からね、友達ができなかったから学校に行っても無表情で楽しくなさそうで、どおせ友達ができてもまたすぐ入院したりして会えなくなるからって友達をつくろうとしなくなって何にも興味を持たなくなったの」
桜はそういう事かと思うような表情で納得していた。
「そうだったんですか……」
「でも二年生になってからの最近ね、空の表情が明るくなって嬉しかった……。きっと学校でいい出会いがあったんだろうって、それがあなただったのね。空と出会ってくれてありがとう」
「いえ、私は何もしてませんよ。野咲くんの力で心を開いたんだと思います」
彼女は嬉しそうにしていた。
「空にもちゃんと大切な思い出がたくさんできたようで良かったわ」
母は安心したように彼女に言ったが少し寂しそうな顔をしていた。
「あの子にはあまり思い出をつくってあげられなかった……。一緒に出かけたのだって数回できっとあの子の思い出に残っているのは花見ぐらいかな」
「花見ですか……?」
桜は何か思い当たることがあるようだった。
「……五歳の春頃にね、やっと退院できて喜んでたの。やっと遊びに行けるって、でも心臓の病気は感染症になりやすいからってあまり人の多いところには行けなかった。でも近くに桜の花見ができるところがあってね、家族で花見をしに行ったの。桜がとっても綺麗だった。それなのにね、せっかく出かけたのにあの子迷子になっちゃって……」
母は懐かしそうに話していたが少し悲しそうな表情にも見えた。
母の話を聞きながら彼女は驚いたような顔をしたがその後、嬉しそうに笑顔で頷いていた。
「なんだか、懐かしいなって思いました!」
「えっ?」
彼女は自分の記憶が繋がったかのように喜んでいた。
「私も五歳くらいの時に家族で花見をしに行ったことがあったんです」
「そうなの?」
「はい、そこで私だけ迷子になってしまって寂しくてその場に座り込んで泣いちゃったんですよね。そしたら一人の男の子と出逢ったんです」
第九章 花吹雪
桜の花が満開に咲いている木の下で一人の女の子が地面に座り込んで泣いている。
「お母さーん、お父さーん、春木ー、どこー!……うわぁーん!」
彼女は家族で桜の花見に来たが迷子になって泣いているようだ。周りには人が歩いていたり、シートを広げてお弁当を食べている人がいるが誰も彼女に声をかけない。みんなこんな広場や道のど真ん中で泣いている女の子のことを迷惑そうに他人顔で横目に見ていた。
「そんなに泣いてたらせっかく綺麗な桜が見れるのにもったいないじゃん!」
泣きながら俯《うつむ》いている彼女に一人の男の子が声をかけた。
そして男の子は彼女の前にしゃがんでしっかりと目線を合わせていた。その目はとても優しくて愛しいものを見るそんな暖かい目線だった。泣いている彼女を周りの人は冷たい目で見ていたのにその男の子だけは暖かい目で彼女を見ていた。
「何で泣いてるの?」
男の子は彼女の前にしゃがんで不思議そうな顔をした。
でも彼女は泣くだけで何も答えない。男の子はどうしようと困っているようだった。
するとふわっと強い風が吹いた。
「ねぇっ!上を見て!」
男の子は楽しそうな声でそう声をかけた。
彼女が顔を上げて空を眺めるように上を見た。
すると満開だった桜の花が風で飛ばされて花吹雪《はなふぶき》のように空からたくさんの花びらが降っていた。
彼女は目を輝かせながら笑顔になった。
「わぁーっ……!すごーい!」
さっきまで泣いていた彼女の顔から一瞬で涙が消えたようだった。涙が笑顔に変わって男の子も嬉しそうにしていた。
「やっと笑った!」
「……ありがとう」
彼女は少し恥ずかしそうにお礼を言った。
「君、迷子なの?」
「……うん」
「同じだ!僕も迷子なんだ!」
なぜか男の子は喜んだように笑顔で言った。
「なんでそんなに嬉しそうなの?」
彼女は不思議そうな顔をした。
「だって、せっかく花見に来たのに悲しい思い出にはしたくないから!それに君にも出逢えたんだよ!迷子になったからって一人じゃない。悲しいことだけじゃなくて楽しいこともある。だから面白いよね!」
「えっ……」
あまりにも男の子がポジティブすぎて彼女はびっくりしているようだった。
「僕と一緒にみんなを探そうよ!」
「うん!」
男の子のその言葉に彼女も安心したように大きく頷いた。
それから一緒に家族を探しながら桜の花を眺めたり走り回って遊んだりした。結局、夕方まで家族を見つけることができなくて、その後親に心配したと怒られた。
そして男の子と別れたが男の子を見つめる彼女の頬は赤く染まっていた。
「……ってことがあったんです」
桜は昔の思い出を母に話した。
「そんなことがあったのね……」
彼女の思い出話を母は静かに頷きながら聞いていた。
「私はまだ幼くて気づかなかったんですけど、きっとその男の子に出逢った時から恋してたんだと思います」
彼女がそう言うと母ははっとしたような表情をした。
「まさか、その時出逢った男の子って……」
「はい。野咲くんです」
彼女は頷きながらそう言った。
「やっぱりそうだったのね……。そんなに昔から出逢っていたなんて繋がりってとても不思議ね」
母はとても嬉しそうにしていた。きっと僕の思い出を知っている人がいるということが嬉しかったんだと思う。
すると彼女も嬉しそうにしていたが、急に彼女の表情が変わった。
「……だから、私も野咲くんに長生きして欲しいんです。それに実は私の命ももう長くないんです……」
なぜか彼女は命が消えることを知らされる前から自分の命が長くないことを知っているようだった。
「えっ!何か病気なの?」
「えぇっと、なんて説明したらいいか分かんないんですけど……そんな感じです」
驚く母に彼女はなんと説明すればいいか困っているようだった。
「そう、あなたも病気なのね……」
「……私はもう治らないんです。だから私がいなくなったらこの心臓を野咲くんに使って欲しいんです」
「そんなことできるわけないでしょ!」
真剣な表情でそう言う彼女に母は怒るように言った。
「まだ、なくなっていない命を捨てるようなことを言ってはいけない!命だけじゃない心臓も自分自身も大切にしなさい!」
「お願いします!まだ私もどうなるかは分かりません。でも自分の存在を、命を、無駄にはしたくないんです。この世界でなかったことにはしたくない……それに絶対に野咲くんを助けたいんです!」
彼女はものすごく強い覚悟を持ってそう母に言ったそうだ。
僕は母の話を聞いてやっと分かった。
夢の中で彼女と出逢う前、五歳のあの日、僕らはすでに出逢っていたんだ……!
やっとそのことに僕は気づいた。そしてこれまで彼女がどうして僕なんかに関わるのか分からなかったがやっとその理由が分かった気がした。
退院後、僕は彼女と最後に会った高台に行った。
彼女が倒れる前に高台で桜の花見の約束をした時には、彼女の身体は限界を迎えていて辛かったはずなのに、僕に心配かけないように強がっていたんだと知り胸がいたんだ。
だけど彼女は最後に夢の中で僕に会いに来てくれたんだと思った。家族や春木ではなく最後に僕を選んでくれたんだと分かり、僕は少し嬉しかったが彼女にはまだ伝えていないことがあると後悔したように心が締め付けられた。
夢の中では泣いたのに現実の世界では涙が一滴も出てこなかった。彼女は死んでしまったのに涙すら出てこなくて心が無感情になったようだった。
それでも僕は何の感情もなく、何にも感じないまま高台からただただこの町を、この世界を、眺めていた。
第十章 彼女のいない世界
そして僕は高校三年生になった。
彼女がいなくなった夏から約半年、新学期を迎えようとしている。また春が来て、学校の木にはたくさんの桜の花が咲いている。
桜はクラスの人気者だった為、先生の気遣いによって彼女は急な親の転勤で海外に留学したことになっている。みんな最初は悲しんだりびっくりしていたが今は落ち着いている。
彼女は人が悲しんだり心配したりするのを嫌がるからきっと彼女もこれでよかったと思っているはずだ。
そして僕は彼女がくれた心臓のおかげで拒否反応もなく元気に過ごせている。
でも、やっぱり泣くという感情が僕の中からなくなってしまったようだ。
この半年、笑いもしないが泣きもしなかった。
春木は彼女の命と引き換えに意識を取り戻し、学校に復帰した。彼女が僕の前から消えてから春木とは話していない。
新学期のクラス替えで僕と春木は同じクラスになり、春木の変化に僕はすぐに分かった。
春木の中には、まるで桜がいるように明るくなっていたから。春木の周りには一年の頃と違って友達が集まっているようだった。
僕は放課後に図書室で一人本を読んでいた。前と変わらないことといえば、やっぱり図書室には誰もいなくて静かだということだ。
すると春木が図書室に入ってきた。
「久しぶりだね。野咲くん……」
僕たちは同じクラスだが喋らないのでとても久しぶりに感じて少し気まずかった。
「久しぶり喜川さん。もう体調はいいの?」
「うん。野咲くんは?」
「もう、すっかり元気」
「そっか……」
なんだかすごくぎこちない会話をしてしまった。でも僕は教室でいつも春木を見ると、一年の時とは何かが違うと感じていた。
「喜川さん、変わったね。なんか明るくなった気がする」
すると、春木は自分の胸に手をあてながら何かを感じていた。
「そうかも、桜に会って私は変わった。桜が私の中にいるみたいって今は思うの。だって桜と私は元々同一人物だったんだから……」
春木はそう自分に言い聞かせているようだった。
確かに二人は同一人物だけど、桜と春木はまったくの別人のように感じていた。だけど僕は春木のことを同じ苗字で呼んでいたし、桜に関しては名前すら呼んだことがなかった。
同一人物だからってすべてが同じじゃないのに二人の違いを説明する言葉が僕の中には出てこなかった。
でも二人の違いを一言で言うなら名前なんだ、僕はやっと名前の大切さが分かった気がした。
「……ねぇ、今さらだけど喜川さん、いや、春木って呼んでもいい?」
「えっ?本当に今さらだね、名前なんてどっちでもいいよ……」
春木は驚いていたが興味なさそうにしていた。
「どうでもよくないよ!名前って大事なものだと思う。だって、自分だって証明できる大切なものだから。どこにいたって離れてしまったって顔を忘れても名前を覚えているだけでその人が本当に生きていた証になる。その人のことをずっと想っていられる!」
僕は名前をどうでもいいと思っている春木に怒ってしまった。すると春木は驚いたような顔で目を大きく見開いていた。
「えっ……、その言葉、桜の言葉みたい。桜がよくそんなことを言ってたから……」
僕は桜が転校して来た日に言われたことを思い出していた。そして、僕は彼女と全く同じ言葉を口にしていた。
「うん、僕も彼女にそう言われたんだ……。これは彼女の言葉だよ」
「そっか、桜らしいね……」
春木は懐かしむように頷いた。
「……なんとなく分かった気がする。私は春木、私は桜じゃないし他の誰でもない。私は私でいいんだ……。なんだか桜がそう言ってくれているような気がする」
「うん……そうだよ、彼女は君の、春木の幸せを願っていると思う」
僕がとっさに名前に言い換えると春木は嬉しそうに微笑んだ。
「ねぇ、野咲くん。今なら分かるよね?桜がどうして私の自慢のお姉ちゃんなのか」
花火大会の時、ちゃんと理解出来なかったその言葉が今の僕には分かった。
「うん。今なら分かるよ。妹の未来を自分の命と引き換えに死んでも守る立派なお姉ちゃんだったんだね」
春木は静かに頷いた。
「……だから、今度は僕が君を守るよ。彼女が命をかけて守りたかった君のことを僕が守る」
僕が真剣な顔でそう言うと春木は首を横に振った。
「私は君に守ってもらわなくても大丈夫。だって私の命には桜がいるから、この命は桜が守ってくれたその事実があるだけでいい。今度は自分自身を私が自分で守っていく」
「でもっ……」
春木は桜がいなくなった世界でも強く生きているのに僕はずっとその場に立ち止まっているままだと思った。
「君が今しなきゃいけないことはそんなことじゃないでしょ?」
春木が僕に向かってそう問いかけたが僕にはまったく分からなかった。
『桜がいないこの世界で僕が生きてる意味ってなに?』
考えても考えても分からない……。
「……僕は彼女がいなくなった世界でどうしたらいいか分からないんだ!」
僕は大きな声でそう言い図書室を飛び出してしまった。
そして僕は公園の高台に向かった。
なんとなく高台にいると心が落ち着く気がする。
高台で彼女のことを思い出しながら景色を眺めていると後ろから声をかけられた。
「君!」
僕は桜に声をかけられたと思い、すぐに振り返るとそこには春木が立っていた。
僕はさっき図書室を飛び出してしまったことが申し訳なくて黙ってしまった。
「……ねぇ、君は私のことが好きだった?」
「えっ……!」
僕は春木の突然な質問に驚いてしまったが春木は僕の反応を見て静かに微笑み何かに気づいたようだった。
「違うでしょ?もし君が一年の頃、図書室で出逢った時に好意を持ってくれていたとしても今は違う」
「……」
「だって君が好きなのは桜だよね。だから今、君がするべきことは桜を想って泣くことだよ。……君、まだ一回も泣いてないでしょ?」
「……」
春木の優しい声が僕の心に響いていた。
「私ね、最後に意識がなくなった時に夢の中で桜に会ったんだ。桜は笑顔で私に生きてほしいって言ったんだ……。
私は、桜に生きていてほしかったのに……」
春木の目から一筋《ひとすじ》の涙がこぼれた。
「桜、言ってたよ。最後は君に会いに行くって……。それに命をかけても助けたい人がいるから死ぬのは私じゃなくて自分でいいって」
僕はずっと桜に助けられてきた。ずっと、ずっと……前から。
僕は桜に何も出来なかった……。
「桜は君のことが大好きだったんだね」
春木の話を聞いていたら突然、僕の見ている世界が歪んでいるように見えた。気づいたら目頭が熱くなって目の中が涙でいっぱいになっていた。まだ涙は流れていないが自分の心が震えているのが分かった。
「大好きで大好きで君のことが一番、いや、世界一。
もう、どんな言葉でもあらわせないほど大好きだったんだと思う。だから桜は最後の最後に自分の命の残りわずかな力を使って君に会いに来たんだよ。そして大好きな君の命を守ったんだよ」
すると僕の目からやっと涙がこぼれ落ちた。
まったく感情のなかった僕の心にぶわぁっと悲しい感情が湧いてきた。
春木は僕が涙を流しているのを見て安心したような顔をした。
「だから君は私を守るんじゃなくて桜のことを想っていてあげてほしい……でもこれは私の願いであって、きっと桜は君に幸せになってほしいと思ってると思う」
僕は何も言わないで泣きながら頷いていた。
「なので、これが私からの最後のお願いです。
君は幸せに生きてください。これは桜の願いでもあるから。ありがとう野咲空くん」
僕は涙が止まらなかった。きっとこれまで泣けなかった分がいっぺんに溢れ出ているようだった。
そして僕はまるで世界の中心ですごく泣いているような気分だった。もうどの世界にも彼女はいない、その事実が僕にはやっと分かった気がした。
第十一章 変わらない僕
それから時が進み、僕は大学四年生になった。
もうすぐ就職活動が始まろうとしているのに僕は彼女がいなくなってからずっと自分のしたいことが分からなくなってしまった。
……いや、自分自身が何の為に存在するのか分からなかったんだ。
桜がいたらどんな生活をしていただろうか……。
ありもしない世界の想像ばかりしてしまう。
そんな時、僕は学校を終え、いつも通り家に帰ると桜のご両親が僕を訪ねて家に来ていた。春木とも年に数回、連絡を取るか取らないかなのに。
「久しぶりだね、野咲くん」
彼女のお父さんが軽く頭を下げながら言った。僕は何だか久しぶりに緊張が走った。
「お久しぶりです。……あの、今日はどうされたんですか?」
「今日はね、あなたに渡したいものがあって来たの」
「渡したいもの?」
彼女のお母さんにそう言われ、何だかやっぱり桜に似てるなと一瞬そう思ってしまった。
いや、今僕が考えるべきことはそこじゃないと頭を切り替えた。
それに僕は桜のご両親とも高校以来会っていないのに、今さら渡したいものとは何だろうと思った。
すると彼女のお父さんが僕に言った。
「それを渡す前に君と二人で話したいんだけどいいかな?」
えっ?二人なんて緊張するんだけどなぁ、っと思ったが断るわけにはいけないと思った。
「はい……」
別に説教される訳じゃないのになぜか僕の手は汗ばんでいた。
そして僕は自分の部屋で話すことにした。
リビングでは僕の母と彼女のお母さんが世間話や思い出話で楽しそうに話している。彼女が僕のドナーになってくれたことで気まずい雰囲気になるかもと不安だったがその心配はいらなそうだ。
だけど僕の部屋は気まずい雰囲気と謎の緊張感が漂《ただよ》っている。
「あの……話とは?」
「君には僕らの話を聞いてもらおうと思ってね」
僕が恐る恐るそう聞くと彼女のお父さんは落ち着いた声で言った。
「話……何のですか?」
「君は、僕が桜と同じ、違う世界の人間だということは知っているよね。だから僕が桜と春木、二人のお母さんと出逢った話だ」
第十二章 桜の花言葉
彼女と出逢ったのは僕が大学生の時だった。
僕は自分のしたいことが分からなくて、ついには自分の存在自体にも意味がないと思ってしまっていた。
そんな時、悩みながら気分転換にと思って近くの森に入ったんだ。今思えば何かに導かれているような感覚だった。
その山は誰も入ることのないような山で、ものすごく草木に覆われていた。道はなく獣道《けものみち》のような場所をひたすら進んで行った。とにかく僕はこの世界から、この現実から、逃げ出したかったんだ。
そして無我夢中で進んで行く僕には立ち入り禁止の看板が見えなくてそのままどんどん奥へと進んで行った。
実はその山は並行世界を研究している科学者や研究施設の人達が実験や調査をしている場所だったんだ。
すると山の奥に広くぽっかりと空いている場所があった。その場所の中心に一本の木が生えていた。その木は不思議な木でなぜか春でもないのに桜の花を満開に咲かせていた。
でも、もっと不思議なのはなぜかその桜の木に扉がついていたんだ。誰かが後から付け足したようにも見えるその扉は不思議な色をしていた。宇宙のような、透けているような、変わった色をしているのになぜか見とれてしまって引き込まれそうな扉だった。
「……」
僕は恐る恐る近づくと扉の取っ手に手をやった。
すると心の中からワクワクと興味が湧いてきた。何をするにも感情を感じなかったのにこの時は僕の人生の中で一番感情が高ぶった瞬間だった。そして僕は何かに導かれるように扉を開けた。
ピカッ……!っと白いような、いや言葉にできないような光が扉の中で輝いていた。扉の中は見えないがその光がいっぱいに差し込んでいてとても綺麗だった。
「わぁっ……綺麗……!」
僕は息を吐くようにそう呟いた。そう言わずにはいられないほど綺麗だったから。
僕は覚悟を決め、消えてもいいと思いながら扉の中に入った。
扉の中は光がいっぱいで眩しくて目をつぶると、すーっと光が消え知らない場所に繋がっていた。
「痛っ!」
声が聞こえて目を開けるとそこは道路で女の人が倒れていた。その女の人はどうやら転んでしまったみたいだ。
僕は周りを見渡したがそこは普通の道路で周りの世界も普通だった。でもここがどこだか僕には分からなかった。
僕が後ろを振り返るとそこには確かに扉があるのだが、そこにある扉は普通に木材でできているような扉で通った時のような不思議な色はしていなかった。そして桜の木に扉がついているのではなく、今度はごく普通のどこにでもあるような電柱に扉がくっついていた。
僕はどうなっているんだと考え込んだがやっぱり全然分からなかった。
すると倒れていた女の人が立ち上がって僕のことを怒ったように睨んでいた。
「ちょっと!何してくれてるのよ!」
「えっ?」
僕は彼女が何に対して怒っているのか分からなかった。
「えっ?じゃないでしょ!何もない所からいきなり出てきたせいでぶつかったじゃない!」
「す、すみません……」
僕のせいで倒れてしまったんだと知り謝った。すると彼女は少し呆れたような顔をしながらも許してくれた。
「まぁいいけど、気をつけなさいよ。もし、子どもやお年寄りなら大怪我だったかもしれないんだからね」
「はい……」
僕は偶然とはいえ危ないことをしたんだなと反省した。そして彼女は落ち着いたのか今度は僕のことを不思議そうな目で見つめていた。
「……ねぇ、あなたに何者?さっきどこから出てきたの?」
確かに周りは一本道の道路で飛び出してこれるような曲がり角や建物はない。あるのは定間隔に立っている数本の電柱と一本の電柱にある扉だけだ。
「えっ……この扉から……」
僕はそう言いながら自分の後ろにある扉を指さした。
「扉?どこに?」
「……えっ、ここにありますよね?」
「ないけど、扉なんてどこにも……」
彼女は周りを見渡しながらどこにあるのか探しているようだった。僕には扉が見えているのに彼女は見えていないようだった。
僕はとっさにもう一度、扉を開けようとしたが扉は鍵がかかっているかのように開かなかった。
「……え」
僕は訳が分からずに寒気がするほど怖くなった。そんな僕のことを察したのか彼女は僕を心配してくれた。
「あなた、どこから来たの?」
「ぼ、僕にも分からなくて、それに帰り方も分かりません。これから僕はどうしたら……」
僕はどうすればいいのか分からずテンパってしまった。
「ちょっと、落ち着いて!とにかく君、名前は?」
彼女は冷静にそう言った。僕はなんだか分からないけど彼女の君って呼び方にすごく安心したんだ。
「……喜川冬哉《きがわ とうや》です」
「冬哉さんか……じゃあ、家に来る?」
「えっ!でも……」
「気にしなくていいよ。私はフラワーショップを経営しててね、お店の二階はアパートとして貸してるんだ。元々、私のおじさんの建物で私が大学に進学しないでお店を出すって言ったら譲ってくれたの」
彼女は気軽そうにそう言うがやっぱり申し訳なかった。
「そうなんですね……」
「私、早くに親を亡くしてるから今は一人暮らし、だから何も気にする必要はないよ。それに君、お金持ってないんでしょ?だったら払わなくていいよ」
「いや、本当にそれは申し訳ないので……」
「じゃあ、君が家事をしてくれるならいいでしょ?私はお店で忙しいから」
「……それなら、お願いします」
彼女は微笑みながらそう言った。僕はそういう条件ならと部屋を貸してもらうことにした。それに彼女のことをもっと知りたくなったから。
「ちなみに私は白原春花《しらはら はるか》です。これも何かの縁かもね」
彼女は笑顔でそう言った。
その笑顔は眩しくて春の花、まるで桜の花が満開に咲いているような笑顔だった。
「春花さん、よろしくお願いします」
「うん!よろしくね!」
僕はその日、彼女の家に行った。
彼女が言っていた通り一階はお店で二階は部屋の中にいても花の良い香りがしていた。そして僕は彼女が住んでいる二階の部屋の隣の部屋を貸してもらうことになった。
僕は家事をするという約束通り夕飯を作って持っていくとなぜか彼女の部屋で一緒に食べることになった。
「美味しいー!」
彼女はそう言いながらパクパクと食べてくれた。
「良かったです。味が薄ければ何かかけてください」
「大丈夫だよ。君、味つけも完璧だね!料理すごく上手だし料理人になったらいいよ!」
彼女が喜んでくれるのが僕にはすごく嬉しかった。
それに料理は昔から好きで大学だって料理系の学科を選んだ。でも、まだまだだってダメだしされたり、料理を課題にされることによって料理をすることが楽しくなくなったんだ。
何の為に自分はこんなことをしているのかと思ってしまっていた。
「……僕なんか料理人なんて無理ですよ。料理ができても作る僕の気持ちなんてまったく入っていませんから」
すると彼女はきょとんとした顔をしていた。
「何で無理だって決めつけるの?気持ちが入っていないって自分で分かっているのなら気持ちを込めればいいんだよ」
彼女は簡単そうにそう言うがそれが何よりも難しいことを僕は知っていた。
「そんな簡単に言わないでください」
僕が少し怒りながら言うと彼女は考えながら言った。
「食べる人が美味しいって思いながら料理を食べるように、作る人は美味しくなってほしい、食べる人が笑顔になってほしいって思いながら作るんでしょ?」
「……」
「でも、一番大切なことは誰を笑顔にしたいと思うかじゃないのかな?それに人を笑顔にするにはまず自分が笑顔にならないといけないんだよ。だから君は自分が思うように楽しく笑顔で料理しなよ」
彼女の言葉を聞きながら本当にそうだなと感じた。
「……そうだね。ありがとう」
僕は自分に欠けていたものが何なのか、やっと分かった気がした。楽しいと笑顔ですること、できなくて悔しいと思うこと、色々な感情があるのに僕はすべての感情を消してしまっていたんだと強く思った。
彼女のおかげで僕は人生において一番大切なことを気づくことができた。
そして僕は彼女に今日起きた出来事と扉の話をした。
すると、彼女は帰り方が分かるまでいてもいいと言ってくれた。
それから僕と彼女の生活の日々が始まった。
彼女はいつも朝早くから起きて店の花に水をまいている。僕が彼女の仕事中に掃除、食事の用意、買い出しをしていた。洗濯は各自でするというなんだか家族になったような感覚だった。
実は僕も早くに両親を亡くしてしまってずっと一人暮らしだった。だから誰かと一緒の生活はとても嬉しかったんだ。
そして僕は少しずつ彼女に惹かれていき、ついに彼女と付き合うことができた。
それから何年もかけてやっと今いるこの世界が自分がいた世界とは違う世界であることを知った。最初は衝撃的すぎて落ち込んだり、違う世界に影響してはいけないと考えて悩んだり、色々考えて二人で話し合った。
それでも、僕らは一緒にいることを誓い結婚した。
そして冬の季節が春に変わろうとしている頃、二人でまだ花を咲かせていない桜並木の下を歩いていた。
「ねぇ、私思うんだけど私の名前は春花だから春が来なければ花は咲けない。君は私にとっての春だね。君の名前には冬があるけど冬の次は春、冬は春を連れてくるから。君がいれば私は咲き誇れる……そんな気がする」
彼女は優しく微笑みながらそんなことを言った。
「いきなりどうしたの?」
僕はどうしたんだろうと思いながら苦笑いをした。
「あなたがいつか自分の世界に帰ってしまう時が来るかもしれない。でも、私との思い出だけは忘れてほしくないから」
彼女は寂しそうな表情をしていた。
「大丈夫、僕は忘れないから。それに君をおいて帰ったりしないよ」
「そっか……」
僕がそう言うと彼女は少し安心したようだった。
「ねぇ、春の花っていうと何だと思う?」
「やっぱり桜かな」
「私もそう思う。自分の名前も春花だけど桜って言われてる気がする……変かな?」
彼女は静かにそう言った。
「変じゃないよ。春の花にもいっぱい種類はあるけど一番僕の記憶に残っているのは桜だから」
「……そうだね」
「そうだ、知ってる?桜の花には私たちにぴったりの花言葉があるの。少し悲しい言葉だけど私の気持ちを代弁してくれているような言葉」
「へー、桜の花言葉か。どんな言葉なの?」
すると彼女は何かを思いついたようにくすくすと笑った。
「ううん、やっぱり教えない。君は自分で調べてみて!」
彼女はからかうように笑顔でそう言った。でも、彼女の気持ちを代弁している言葉なんてどんな言葉なのだろうかと思った。
「君はまだその言葉を知らないかもしれないけど、約束ね」
「何の約束?」
僕が笑ってそう言うと彼女も笑顔で笑った。
「これから私たちにどんなことがあっても、その花言葉の意味通り私の願いを守ってくれるって約束!」
「分かった、しょうがないから約束してあげるよ」
そんなふうに僕が笑いながら上から目線で言うと彼女は笑顔でうんと頷いた。
僕はその日、彼女がいう桜の花言葉も知らないのに約束をかわした。後で調べたその言葉の約束は絶対に守ろうと心に決めた。そして今でもその約束を守り続けている。
そして春、僕たちに双子の子供ができた。
二人とも女の子だった。だけど実は産まれる前から不思議なことがあったんだ。彼女が妊娠してから赤ちゃんを産むまで定期的に検査に行っていたがいつもお腹の中には一人だけしか写っていなかった。そして産まれてくるまで誰一人も双子だとは想像していなかったんだ。
後で知ったが、並行世界の人間との間に産まれた子供だったので世界の歪みによって本当は違う世界で産まれるはずだった子が双子として産まれてしまったそうだ。
だけど二人とも無事に産まれてきてくれただけでとても嬉しかった。
そして僕たちは名前を決めた。
名前は『桜《さくら》』僕たちが出逢ったことによって春の花が満開に咲きますようにという願いと花言葉の約束を込めて。
名前は『春木《はるき》』春の木は春の花を咲かせる。桜と同じ意味を持ちながらも自分だけの花をいつか咲かせ、桜の木を支えながら一緒に未来へ進んでいけるようにと想いを込めて。
そう、名付けた。
第十三章 昔ばなし
僕は桜のお父さんの話を聞きながら桜の名前の本当の意味が分かった気がした。
「……そんなことがあったんですね。それに二人の名前の意味も初めて知りました」
「君には知っていてほしかったから……」
「はい……」
僕は壮大《そうだい》な話を聞いた後で何と言えばいいのか分からなかった。でも気になることはあったんだ。
「あのっ!お父さんが最初に入られた扉って本当は何だったんですか?」
そういえば桜も扉の話をしていたが結局何なのか分からなかった。
「……あの扉はね、僕が桜と一緒に向こうの世界に連れ戻された後、僕は雑用でもいいからと扉の研究施設で働いた時に聞いたんだ」
「……」
僕は真剣な顔で話を聞いた。
「僕がこっちの世界に来るよりもずっと前にあの扉は作られたんだ……」
昔、扉を専門に作っている職人がいたそうだ。
ある日、職人は扉の材料を探すために森に入っていった。
すると森の奥に開けた場所があり、そこには大きな桜の木が二本生えていた。その桜の木は春ではないのに花を満開に咲かせている不思議な木だった。
職人は一本だけ桜の木を切り倒し、その木を使って扉を作った。
そして職人が朝起きると作ったはずの扉が消えていた。
不思議に思った職人はもう一度、桜の木に向かった。
すると、もう一本の桜の木に扉が立てかけられていた。
まるで桜の木に導かれて扉がひとりでに動いたようだった。
職人は扉を持って帰ろうとしたが、その扉は木にぴったりとくっついているかのように動かなかった。
職人は仕方なく持って帰ることを諦め、扉を開けると中から光が溢れ出ていた。
職人は恐る恐る扉をくぐると違う世界に繋がっていた。
職人は違う世界で一人の女性と出逢い恋をした。
だけどある日、目が覚めると元の世界に戻っていた。きっと扉の力で元の世界に引き戻されたんだ。
そして職人は恋した女性と二度と会えなくなってしまった。
それから何回も扉を開けたが世界が繋がることはなかったそうだ。
「そして何十年、何百年後か分からないが職人の強い想いが奇跡を起こし、もう一度世界を繋げ、今度は僕が扉に導かれたんだろうと考えられている」
僕はその話を聞いて、その職人はもう二度と大好きな人には会えず、ちゃんとお別れすらもできなかったんだなと思った。
「その人、可哀想ですね……」
「でも、本当かどうかは分からないよ。昔ばなしのようなものだと思うけどね、でも本当だったら悲しい話だよ」
僕はとてもその扉が今どうなっているのか気になって仕方がなかった。
「今、その扉はどうなっているんですか?」
「今もその扉はあるよ。ちゃんとこっちの世界とも繋がっている。最近の研究では色々なことが分かっているんだよ」
「色々なこと?」
僕は扉のことをもっと知りたくなってしまった。
「あの扉は僕や桜のような向こうの世界の人間にしか見えないみたいで、こっちの人だと通り抜けることもできないみたいだ」
もし、その扉で他にもある違う世界に行けるのなら、もう一度桜に会いたいと思った。
桜と春木のように違う世界の同一人物でも別人のようだから桜がそのままいる訳ではない。
でも、死後の世界でもいいから会いたかったんだ。
「そうなんですね……」
僕は少しがっかりした。そんな僕を見て彼女のお父さんがこんな話をした。
「桜の木や花はね、想いを繋げることができるんだ。
世界を越えて、時代を越えて、遠くにいる想い人まで繋げることができる。きっと死後の世界であっても繋げることができる。
だから、桜の扉はいずれ出逢うか分からない運命の人まで世界と想いを繋げてくれているんじゃないかな。
想いが強ければきっと届くよ」
想いが強ければきっと届く、死後の世界まできっと。
僕はすごくその言葉に救われた。
「そうですかね?」
「ああ、きっとね」
彼女のお父さんは笑顔で頷いた。
「扉は確かに運命の人まで繋げてくれるが、それは単なる奇跡であってまだ運命じゃないんだ。
そして扉は大切な人と引き離す。
だからその奇跡をどう運命に変えるか、それが想いじゃないかな。
想いは強くてもいいけど、もう一度会わせてほしいと思う『願い』と『祈り』は違うからね」
「……はい」
僕は運命と奇跡、願いと祈りの本当の意味がなんとなくだが分かりそうな気がした。
僕が真剣に考えていると彼女のお父さんは嬉しそうに微笑んでいた。
「そうだ、君の名前にはどんな意味があるのか教えてくれないか?」
「僕の空っていう名前は……
世界のどこにいてもたった一つ繋がっているのは空であり、すべての世界の架け橋となるようにって母がつけてくれたんです」
そうだ、僕の名前はすべての世界を繋げる『空』なんだ。空はどこの世界でもどの時代でも存在し繋がっているんだ。
僕にはそんな立派な名前がついているんだとやっと分かった。
「そうか、いい名前だね。君と桜が出逢ったのは奇跡だったのかもしれない。でも奇跡を運命にするのは君次第だと思う。だって僕たちの出逢いが運命だったから桜と春木が世界に存在した。人生をどうするかは君が決めるといい」
そう言いながら彼女のお父さんは一つの封筒を渡した。
第十四章 過去形の手紙
封筒の裏の名前を見て僕は驚いた。
なんと、喜川桜と書かれていた。
「えっ!?」
「これは桜が亡くなる前に君宛に書いた手紙だ。桜の部屋を整理している時に見つけたんだよ。ゆっくり考えながら読むといい」
そう言うとお父さんは部屋を出ていった。
封筒を開いて中をみると手紙が二枚入っていた。そして手紙を取り出すと気づかなかったが付箋《ふせん》のメモのような紙が封筒の中に入っていた。
そのメモにはこんなことが書いてあった。
『この手紙を最初に見つけた人へ
この手紙はやっぱり野咲空くんには渡さないでください。せっかく書いたんですが、もういない人はきっと何も言い残さない方がいいと思うから。でも、もしどうしても渡すと言うのなら最後の二枚目の手紙は渡さないでください。お願いします』
彼女の小さい字で書かれていたそのメモには僕に渡さないように記されていた。でもきっとこの手紙を見つけた彼女のお父さんは封筒の中まで確認していないので気づかなかったんだなと思った。
彼女には悪いがそのおかげでちゃんと手紙を読むことができるので良かったなと感じた。
僕は深呼吸をして手紙をそっと開いた。
これが本当に彼女からの最後の言葉だと思ったから。
『野咲空くんへ
これを読む頃には私はもういないかな?
ごめんごめん、冗談だよ。
でも、私がもういないとしてここでは話すね。
この手紙がいつ君に届くか分からないけど単刀直入に言います。
君がもし私のいなくなった世界で生きるのが辛くて暗い世界にいるのなら、私のことは忘れてください。
私の存在が君の人生を辛くするのは嫌だから。
だって私の願いは一つ、君に幸せになってほしい。
ただそれだけだから。
今、もし君に会えたら聞きたいことがあります。
私と出逢ったこと後悔していますか?
君はどうして私が君の病気のことを知っているのか怒っていると思います。
ごめんなさい。でも、君に生きていてほしかったんです。
五歳の頃、桜の花見をしていて君に初めて出逢った時のことを君は覚えているかな?
あの時の私の感情が君と私を夢で繋げたんだよ。
それとね、君に謝らないといけないことがあるんだ。
実はね、私、向こう世界にいた時から自分が死んでしまうことを知っていたの。こっちの世界に行くと寿命が減る可能性があるけど大丈夫ですかってお医者さんに言われてたけどそんなことはないだろうって信じないようにしてた。
だから、本当に死ぬって知って動揺してしまったけど君に心配させてごめんね。
あと、本当に死ぬかもしれないって思ったから実は春木の為の思い出づくりじゃなくて自分の為の思い出づくりだったの。君を騙しちゃってごめんね。でも、すごく楽しかった。ありがとう。
それから、転校してきた日、君に声をかけたのは偶然じゃないんだ。
実は春木に君のことを聞いてたの、面白い子がいるって。
だから、声をかけたんだけど、君の顔を見た瞬間に夢の中の子だってすぐに分かった。
なので、知らない人のふりをしてしまってごめんなさい。
謝るのはこのくらいかなー(笑)
あっ!でも、一つだけ言っとくね。
今、私には好きな人がいます。
だから、今の君は好きじゃありません。
やっぱり伝えとかないとね。
君はどう思ってくれてるか分からないけど未練を残すのはダメだよね。
君、ちゃんと私が伝えたいこと理解してるかな?
君は鈍感だからね。
なのでちゃんと伝えます。
私が言いたいのは君には生きる価値があるんだよ。だから君を助けたの。
君のことだから自分の生きてる意味ややりたいことが分からなくなってるんじゃない?
君がまだ仕事を決めてないなら私が君にぴったりの仕事を決めてあげよっか?(笑)
君は自分で決めるから余計なお世話だよ、っとか言っちゃうかな。
でも、本当は自分でしたいことを見つけた方がいいんだけど、私的にはね……。
看護師!
看護師がいいよ。君にぴったりだと思う。病気を診る医者じゃなくて患者《ひと》をみる看護師がいいと思う。
君、人のことよく見てるし、よく気づくからね。
でも、君が本当にしたいことがあるなら私はそれを応援する。
頑張ってね!
そしてきっと私は最後に夢で君に会いに行くから、ここでは多分君に言えないことを言うね。
本当は死ぬのがすごく怖い。
全身に寒気がして夜寝る前にずっと震えるほど怖いです。
最近は一人でいると自然に涙が出てきて、人前でちゃんと笑えているか分からないくらい。
でも、君の中で私の心臓はずっと生きてるんだなって思うと少しほっとします。そう思うのはおかしいかな。
でも安心するんだ。
私ね、春木には絶対に言えないけど、春木が夜中に泣きながらお母さんに話してるとこ聞いちゃったんだ。
死ぬのが怖い。死にたくない。
でも、こんな事どっちかが死ぬって分かっている桜には絶対に言えないって泣いてるところ。
大丈夫。春木を死なせることは絶対にさせないって思った。
元々、私が死ぬって覚悟してたけど、それが確定したみたいだった。
でも、同時にすごく怖かった。
部屋で声を殺して一人で泣いたんだ。
大丈夫。大丈夫。君がいれば私は大丈夫ってずっと自分に言い聞かせてた。
でも君を助けるためには選択肢なんてないもんね。
春木も君も助ける、それがこの世界に残せる私の存在理由なのかなって最近思うんだ。
ごめんね。さっきは私のこと忘れてって言ったけど、
やっぱり……いや、本心は言わないでおこっかな。
気になるなら桜の花言葉を調べてみて。
君にとってこの手紙は本当の意味で私からの最後の言葉になるってことだよね?
さっきは今、好きな人がいるって言ったけどまだ告白できてないんだ。
でも私が死んじゃったら告白も過去形になっちゃうんだ。
これ、君との時間差ができるから大変だよね。
じゃあ、私の最後の言葉を手紙の二枚目に書くからね。
君、覚悟はいい?』
二枚目を開こうとしたが手が震えてしまって深呼吸をした。そして恐る恐る二枚目を開くと……。
『私は空《きみ》のことが好きでした』
手紙にはその一文だけが大きく書かれていた。
僕は彼女の最後の言葉に涙が溢れて止まらなかった。
それに彼女の本当の気持ちを聞いたのも初めてで、好きと言われたのも初めてだった。
「……好きってなんだよ。忘れろって言ったくせに……。
桜の花言葉は前に君が言ってたじゃないか。
確か……、『私を忘れないで』
……君のこと忘れられるわけないだろ。それに今さら好きって言われても、もう返事できないじゃん……」
僕は泣きながら独り言のように呟いた。
なぜ彼女の告白が過去形だったのか僕には少し分かる気がした。
彼女が生きている時の僕は好きであって、死んだあとの僕は好きではないと言うことだったんだなとやっと理解した。
彼女は自分がいなくなった世界で告白しても僕が落ち込まないように傷つかないようにと未練を断ち切ってくれたんだ。僕はそう強く思った。
終章 願いを祈りへ
その夜、夢をみた。
いつもの桜がある場所に僕はいた。
当たり前だが、そこに彼女の姿はなかった。
以前は、たくさんあった桜の木の中心に一本の大きな桜の木が生えていたが、その大きな木も枯れてしまって倒れていた。
僕はそっと倒れてしまっている木に近づきあることに気づいた。
「……!」
木の根元から小さな芽が生えていた。
その芽は朝つゆを浴びたように光り輝いていた。
僕は、いや、彼女の手紙を読むまでの僕はきっと最初に扉を作った職人のように扉を作って死ぬまで彼女を想い続けるなんてことをしていたかもしれない。
彼女のいるかもしれない世界と繋がるまで重い思いをずっと彼女に向けていたかもしれない。
でも、今の僕はもう彼女に縛られることはないし、もう彼女の想いを縛ったりなんてしない。
僕は僕自身をこの世界で自分らしく生きていこうと思っている。
そして僕は思った。
いつかこの芽が大きな桜の木になり満開の花を咲かせた時、僕はまた彼女に会える。
そんな気がするんだ。
何十年、何百年たってもいい。
僕がいつか死んでしまっても、精一杯生きて、彼女にもう一度会えた時に幸せな人生だったと言えるように。
生きたいんだ。
もう、彼女の運命を願ったりなんてしない。
今度は僕がただの奇跡を祈り続けるから。
僕はそう思いながら果てしないほど広い空を僕は眺めた。
たくさんある世界の中で君と出逢ったから僕は今生きていて、僕と君の世界が繋がっているように僕と君の命もちゃんと繋がっている。
すると、空から一枚の桜の花びらが落ちた。
「君に会いたい……」
僕は静かに呟いた。
大丈夫。きっと会える。だって……、
この世界はすべて繋がっているのだから。
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