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第32話 アクアリウムで掴まえて
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『水族館に行ってみたい』
合宿が終わって3日間の休みを貰った明は、秋奈にそうせがまれて、気は進まないが同行することにした。それは恐らく自分の気晴らしにと、秋奈が言ってくれたであろうことが分かっていたからだ。
1985年2月10日、3連休の中日である日曜に、明と秋奈は東京から電車を乗り継いで、神奈川県横浜市、中区石川町にある『ヨコハマたのしろ水族館』に来ていた。
「ねえ、聞いてる?ねえったら」
“『スマッシュ』であのセイウチ倒せるかな”そんなことを考えていたら、秋奈の話を聞き逃していた。
「悪りい。全然聞いてなかった。反省するよ」
さほど悪いとは思っていなかったが、明は謝罪の言葉を口にした。
「もう~。どうせボクシングのこと考えてたんでしょ。単細胞なんだから」
「せっかく教えてもらったんだし、『モノ』にしたいんだよ。どうしてもロビンソンに勝ちたいんだ」
苦しい合宿を終え、安らげるオフの日であっても、片時もボクシングのことを忘れることなどできはしない。
「それもいいけど、これじゃ気晴らしになんないでしょ。それに隣にこんな可愛い子がいるっていうのに」
「それもそうだな。今日ぐらいはボクシングのこと、考えなくてもいいか」
できるかどうかは分からないが、明は努めて休日を満喫することにした。
「素直になったじゃん。明くん、最近雰囲気変わったよね。なんていうか話し易くなったというか――」
「そうか?まあ、あんな負け方したんじゃ強気にも出れねえよ。TKO食らったからな」明は敗戦の瞬間を思い出し、強く拳を握りしめた。
「悔しいよね。今度は勝ってよ。必ず応援に行くから」
秋奈はおっとりしたように見られることもあるが、芯が強い人である。
「そうだな。そう言われちゃ、絶対に負けらんねえぜ。っていうか腹減ったな。どっか入って飯でも食うか」明は腹を擦りながらそう言った。
「お弁当作って来たから」秋奈の話しぶりは、多少照れたものであった。
「おう~。気が利くじゃん!!『幕ノ内弁当』か。美味そうだな」
わりと豪華な弁当に、明は驚いている。
『幕の内弁当』とは、俵型のおにぎりを並べ、その上に梅干を乗せた主食と、複数の種類のある副食とを合わせて、杉や檜などの材木を紙のように薄く削った『経木』の箱に入れたモノを言う。由来は複数あり、芝居の幕の内に観客が食べる、幕の内側で役者が食べる、芝居の合間の時間である幕間を利用して役者が食べる、相撲取りの小結が幕ノ内力士であることから、小さなおむすびの入っている弁当をそう呼ぶようになったなど様々な説がある。
「早起きして作ったんだから残さず食べてよね。好きな物が入ってるといいんだけど」
「それなら入ってるぜ。俺はこの伊達巻玉子が大好きなんだ。毎日だって食べられるぜ」明は程良い塩加減に舌鼓を打つ。
「ふ~ん。なんでそんなに好きなの?」
「船頭だったじいちゃんが、よく食べさせてくれてよ。大好きな味なんだ」
「そうなんだ~。思い出の味なんだね。っていうか、こうしてるとほんと安らぐよね。毎日こんなに穏やかだったら良いのに」
「ま、暫くは休養できるし、ゆっくりするよ」
「本当にあんま無理しないでよ。それから、気分屋で、調子に左右されやすいのは良くないことだよ」
「それもそうだな。いつだったか、ムラがあるって怒られてよ」
「そうそう。叔父さん言ってたよ、常にコンディションを整えられて、ダメな時がないことも強さの条件なんだって」
「そういや不調な時、みやたらなかったな」
「見『当』たらなかったでしょ。ちゃんとしてよ~」
秋奈は強く言い過ぎないように、少し甘えたような言い方で言った。
「細けえな。それより、気になってたんだけど、赤城は卒業したらどうするつもりなんだ?俺と同い年だから、今年卒業だろ」
「う~ん。内緒にしとこうかな。陰ながら明くんを支える仕事」
「なんだよ、それ。気になるじゃねえか」明は不満に思っている様子だ。
「それは、卒業してからのお楽しみってことで。それより、もう食べ終わったから行こう」秋奈は先を急ぐかのように立ち上がって見せた。
「そうか~。まあ、楽しみにしとくよ」
明はかなり気になったが、無理に聞くのは止めておいた。同じようにして立ち上がり、秋奈の行く方向へと歩を進める。
「耳があるのがアシカで、ないのがアザラシなんだよ~」
“可愛いな”得意げに話す秋奈の、嬉しそうな顔を見て、明は密かにそう思った。
他愛もない話をしながら動物のいる檻を見て回っていると、側にいた『オタリア』が秋奈の帽子を持って行ってしまった。オレンジ色のたてがみが、ライオンのように雄だけに生える『オタリア』は南米に多く生息し、体長が雄は2.6m、雌は1.9mほどで、10頭の雌に対し、一頭の雄がハーレムを形成するという羨ましい習性がある。どうやら帽子を奪って行ったのは雌のうちの一頭らしく、鼻先に乗せ、嬉しそうに身体を揺らしている。
「返してよ~」
秋奈が追いかけても、右へ左へ素早く動き、柵の奥へと逃げ込んでしまった。そして、逃げ込んだ先で他の雌と一緒に帽子を投げ合って遊び始めてしまった。しばらくの間、雌たちがそんなことを続けていると、岩陰からのしのしと雄のオタリアが顔を出して来た。
そして、帽子を持っている雌に近づき、グイッと顔を寄せて奪ってしまった。我が物顔で帽子を弄ぶ雄のオタリア。秋奈は白くてツバのあるお気に入りの帽子が、汚れてダメになるのではないかと気が気ではなかった。
「任しとけよ」
その光景を一頻り見ていた明は、自信ありげにそう言った。雄オタリアを威嚇するように拳を動かし、シャドーボクシングをして見せた。
「ガアアアア」
怪獣のように鳴いた後、明の方を見たが、雄オタリアはこちらに来ようとはしなかった。代わりに少しおちょくるように帽子を持ったまま、檻の中を動き回った。
「待てよ、この野郎」
明は先程の雌よりも更に広い範囲で縦横無尽に移動する雄オタリアを、置いて行かれないようにして追いかけた。15分ほど追いかけると、雄オタリアが明の前に来て、挑発するように帽子を動かして見せた。
まるで『取れるもんなら取ってみろ』と言わんばかりだ。明は真っ直ぐに構えて、雄オタリアを見据える。そして、ジャブ、フック、アッパー、ストレートと言った具合に、帽子目掛けて拳を繰り出す。しかし、雄オタリアはそれを軽々と躱し、余裕を見せて軽く構えていた。
「やるじゃねえか。仕方ねえ、これは取って置きだが、また奥に引っ込まれる訳にもいかねえし、特別に使ってやるよ」
そう言って明はスリークオーターで構え、帽子目掛けて拳を打ち込んだ。雄オタリアは最初何が起こったのか分からなかったが、帽子を取られたことに気付いて「ウガアアアア」と悔しそうに鳴いた。明は不敵に笑い、秋奈のもとへと帽子を届けに行った。
「ありがとう。今の『スマッシュ』だよね?合宿で練習してた時より速くなってるんじゃない?」お礼を言われ、明は得意げにシャドーを見せる。
「まあな。あれから毎日、試合をイメージして打ってんだ。技に磨きがかかってるだろうよ」
「そうなんだ~。今度の試合が楽しみだね」秋奈は嬉しそうに笑った。
「おうよ。誰が相手だろうと、負ける気がしねえぜ」明も嬉しくなって答えた。
それから二人は水族館を後にし、近くの商店街を歩いて回ることにした。
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ここまで読んで頂いてありがとうございます。
ただいま作者の崗本は『賞レース中にて書籍化のチャンス』に直面しております!!
下記サイト(Note創作大賞2023)にて各話♡ハートボタンを押して頂けたら幸いです。
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「せっかく教えてもらったんだし、『モノ』にしたいんだよ。どうしてもロビンソンに勝ちたいんだ」
苦しい合宿を終え、安らげるオフの日であっても、片時もボクシングのことを忘れることなどできはしない。
「それもいいけど、これじゃ気晴らしになんないでしょ。それに隣にこんな可愛い子がいるっていうのに」
「それもそうだな。今日ぐらいはボクシングのこと、考えなくてもいいか」
できるかどうかは分からないが、明は努めて休日を満喫することにした。
「素直になったじゃん。明くん、最近雰囲気変わったよね。なんていうか話し易くなったというか――」
「そうか?まあ、あんな負け方したんじゃ強気にも出れねえよ。TKO食らったからな」明は敗戦の瞬間を思い出し、強く拳を握りしめた。
「悔しいよね。今度は勝ってよ。必ず応援に行くから」
秋奈はおっとりしたように見られることもあるが、芯が強い人である。
「そうだな。そう言われちゃ、絶対に負けらんねえぜ。っていうか腹減ったな。どっか入って飯でも食うか」明は腹を擦りながらそう言った。
「お弁当作って来たから」秋奈の話しぶりは、多少照れたものであった。
「おう~。気が利くじゃん!!『幕ノ内弁当』か。美味そうだな」
わりと豪華な弁当に、明は驚いている。
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「早起きして作ったんだから残さず食べてよね。好きな物が入ってるといいんだけど」
「それなら入ってるぜ。俺はこの伊達巻玉子が大好きなんだ。毎日だって食べられるぜ」明は程良い塩加減に舌鼓を打つ。
「ふ~ん。なんでそんなに好きなの?」
「船頭だったじいちゃんが、よく食べさせてくれてよ。大好きな味なんだ」
「そうなんだ~。思い出の味なんだね。っていうか、こうしてるとほんと安らぐよね。毎日こんなに穏やかだったら良いのに」
「ま、暫くは休養できるし、ゆっくりするよ」
「本当にあんま無理しないでよ。それから、気分屋で、調子に左右されやすいのは良くないことだよ」
「それもそうだな。いつだったか、ムラがあるって怒られてよ」
「そうそう。叔父さん言ってたよ、常にコンディションを整えられて、ダメな時がないことも強さの条件なんだって」
「そういや不調な時、みやたらなかったな」
「見『当』たらなかったでしょ。ちゃんとしてよ~」
秋奈は強く言い過ぎないように、少し甘えたような言い方で言った。
「細けえな。それより、気になってたんだけど、赤城は卒業したらどうするつもりなんだ?俺と同い年だから、今年卒業だろ」
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「なんだよ、それ。気になるじゃねえか」明は不満に思っている様子だ。
「それは、卒業してからのお楽しみってことで。それより、もう食べ終わったから行こう」秋奈は先を急ぐかのように立ち上がって見せた。
「そうか~。まあ、楽しみにしとくよ」
明はかなり気になったが、無理に聞くのは止めておいた。同じようにして立ち上がり、秋奈の行く方向へと歩を進める。
「耳があるのがアシカで、ないのがアザラシなんだよ~」
“可愛いな”得意げに話す秋奈の、嬉しそうな顔を見て、明は密かにそう思った。
他愛もない話をしながら動物のいる檻を見て回っていると、側にいた『オタリア』が秋奈の帽子を持って行ってしまった。オレンジ色のたてがみが、ライオンのように雄だけに生える『オタリア』は南米に多く生息し、体長が雄は2.6m、雌は1.9mほどで、10頭の雌に対し、一頭の雄がハーレムを形成するという羨ましい習性がある。どうやら帽子を奪って行ったのは雌のうちの一頭らしく、鼻先に乗せ、嬉しそうに身体を揺らしている。
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そして、帽子を持っている雌に近づき、グイッと顔を寄せて奪ってしまった。我が物顔で帽子を弄ぶ雄のオタリア。秋奈は白くてツバのあるお気に入りの帽子が、汚れてダメになるのではないかと気が気ではなかった。
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「まあな。あれから毎日、試合をイメージして打ってんだ。技に磨きがかかってるだろうよ」
「そうなんだ~。今度の試合が楽しみだね」秋奈は嬉しそうに笑った。
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