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第22話 五十嵐 敬造ここにあり
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明とグラッチェの死闘が終わり、皆が盛り上がりを見せていた頃、五十嵐の世界タイトル防衛戦が決まった。世界チャンピオンを巡るタイトルマッチのファイトマネーは1500万円以上と言われている。相手は五十嵐のたっての希望でアメリカ国籍のマイク・レイ・ロビンソンとの対戦となる。試合5日前、いつものように練習してはいるが、重苦しい雰囲気が漂っている。
「なぁ、おっさん。ロビンソンってのはどんな奴なんだ?引退を掛けて挑むってことは、相当に強い奴なんだろ?」
明の言葉にいつになく緊迫した雰囲気の五十嵐が口を開く。
「奴は異なる階級の選手を比較する『パウンド・フォー・パウンド』において現役の中で最強との呼び声が高いボクサーだ。まだキャリアが浅いにも関わらず、多くの者がそう考えるのは、奴の持つスピードの優位性と高度なコンビネーション技術、『ピーカブースタイル』を用いた強固で卓越したディフェンスによるところが大きいと言える」
「勝てないってことか?今まで幾多の難敵をマットに沈めて来たんだろ?今回だって大丈夫なんだよな?」
「それを確かめるために試合をするのさ。最後までどちらが勝つか分からない。それがボクシングだ」
「おっさんより強い奴なんて居ねえんだよな?俺は世界最強の男、五十嵐 敬造の勝利を信じて疑わないからな」
この質問は五十嵐にとって簡単なものだったが、明の手前返答に困るものでもあった。
「俺はもう17年もボクシングをやっている。自分で自分の実力が分からない程バカではないさ。ボクシングに絶対はない。勝つために、乗り越えるために、練習し続けるのが世界チャンピオンだ」多少鈍い明にも、あやふやでも分かり易い返答であった。
「七夕決戦。楽しみにしとくよ。いいとこ見せてくれよな」
“明に気を遣われるようではまだまだだな”五十嵐はそう思うと「ああ」とだけ言い残し、米原とスパーリングを再開した。
1984年7月7日。さいたまスーパーアリーナにて試合は行われようとしていた。明と秋奈は開戦15分前、五十嵐のコーナー側の最前列の席で選手入場のタイミングを待ち侘びていた。しばらくするとアナウンサーらしき男が準備を始める。
「赤のコーナーからは31戦30勝1敗18KOの五十嵐 敬造選手。身長166cm、体重118ポンド(54kg)でトランクスの色は金色です。力石 丈やカーロス・メンドーサなど、数々の名選手を破って来ました。冷静だが熱い一面も併せ持つクリーンファイターであります」このアナウンスが明には少し引っかかったようだ。
「1敗?おっさんが負けたことなんかあんのかよ」
この問いに秋奈は少し得意げに答える。
「だから因縁があるって言ってたでしょ」
明は納得が行ったが、その相手と闘いたい気持ちがますます強まった。五十嵐がいつものように谷村 新司のチャンピオンを入場曲として入場する。そこで、会場が少しざわめく、どうやら五十嵐が何もないところで躓いてしまったようだ。
「敬造、お前」米原は身体から血の気が引くのを感じた。
「忠次郎、何も言わないでくれ。これは俺の最後の試合。人生を懸けた集大成なんだ」
米原は迫られた決断と自責の念で今にも気が狂いそうな心境であった。
「いつからだ?どうして気付いてやれなかったんだ――すまねぇ。だが、これだけは言わせてくれ」米原は全てを受け入れ、五十嵐の目を真っ直ぐ見て言った。
「生きて――帰って来てくれ」五十嵐は静かに首を縦に振った。
「続いては青のコーナー。アメリカはニューヨーク州、オズウェルトジムのマイク・レイ・ロビンソン。生後3歳までをオクラホマ、9歳までをミシガンで過ごし、母方の祖父が白人でクオーター。ボートを漕いで腕力を鍛えました。6ヶ月で11試合を消化し、あのトレバー・バルボアを倒したこともあります。天衣無縫、自然で美しいファイトスタイルを見て、人は彼を『ノックアウトアーティスト』と呼ぶようになりました」
ロビンソンは『バイソン』の通り名が付いているだけのことはあり、筋骨隆々で如何にも屈強な黒人といった風貌であった。
アメリカの人種は多様で、混血の人々に対していくつかの呼び名がある。ヨーロッパ系白人とインディオの混血の人々である『メスティーソ』アフリカ系黒人とインディオの混血の人々である『サンボ』白人と黒人との混血の人々である『ムラート』他にもスペイン領植民地において、スペイン人を親として現地で生まれた人々を指す『クリオーリョ』など多くの人種が混在している。
ロビンソンは父親が黒人、母親が『ムラート』のクオーターで白人の血が4分の3入っていた。ヘビー級に居てもおかしくないと思える程のその筋力は、混血の子は強いと言われる域に収まらない程の体格であった。身長173cm体重118ポンド(54kg)とバンタム級では長身の部類に入る。暴力的な試合をする『ラフファイター』であるアントニー・ボルビックを試合開始わずか10秒でKOしたこともあると紹介された。
審判がルール説明を行い、両者コーナーへ戻り、あとはゴングを待つだけとなった。五十嵐側のセコンドは、初めてタイトル戦を行った時のように緊迫した空気に包まれている。日本の国歌である『君が代』と米国の国歌である『ザ・スター・スパングルド・バナー(星条旗(せいじょうき))』が流れ、厳(おごそ)かに試合が始められようとしていた。
大きな盛り上がりを見せ、試合が開始されようとしている中、五十嵐が左手首を右手で抑えていた。普段、試合前にこんな動作をすることはなかった。どう見ても身体に異常がある。
「いつも通りにやるだけだ。なぁ敬造」
米原は五十嵐の緊張を察したのか、言葉を選びつつ場を鼓舞する。小さく頷いた五十嵐から、米原は目を離すことができなかった。
「なぁ、おっさん。ロビンソンってのはどんな奴なんだ?引退を掛けて挑むってことは、相当に強い奴なんだろ?」
明の言葉にいつになく緊迫した雰囲気の五十嵐が口を開く。
「奴は異なる階級の選手を比較する『パウンド・フォー・パウンド』において現役の中で最強との呼び声が高いボクサーだ。まだキャリアが浅いにも関わらず、多くの者がそう考えるのは、奴の持つスピードの優位性と高度なコンビネーション技術、『ピーカブースタイル』を用いた強固で卓越したディフェンスによるところが大きいと言える」
「勝てないってことか?今まで幾多の難敵をマットに沈めて来たんだろ?今回だって大丈夫なんだよな?」
「それを確かめるために試合をするのさ。最後までどちらが勝つか分からない。それがボクシングだ」
「おっさんより強い奴なんて居ねえんだよな?俺は世界最強の男、五十嵐 敬造の勝利を信じて疑わないからな」
この質問は五十嵐にとって簡単なものだったが、明の手前返答に困るものでもあった。
「俺はもう17年もボクシングをやっている。自分で自分の実力が分からない程バカではないさ。ボクシングに絶対はない。勝つために、乗り越えるために、練習し続けるのが世界チャンピオンだ」多少鈍い明にも、あやふやでも分かり易い返答であった。
「七夕決戦。楽しみにしとくよ。いいとこ見せてくれよな」
“明に気を遣われるようではまだまだだな”五十嵐はそう思うと「ああ」とだけ言い残し、米原とスパーリングを再開した。
1984年7月7日。さいたまスーパーアリーナにて試合は行われようとしていた。明と秋奈は開戦15分前、五十嵐のコーナー側の最前列の席で選手入場のタイミングを待ち侘びていた。しばらくするとアナウンサーらしき男が準備を始める。
「赤のコーナーからは31戦30勝1敗18KOの五十嵐 敬造選手。身長166cm、体重118ポンド(54kg)でトランクスの色は金色です。力石 丈やカーロス・メンドーサなど、数々の名選手を破って来ました。冷静だが熱い一面も併せ持つクリーンファイターであります」このアナウンスが明には少し引っかかったようだ。
「1敗?おっさんが負けたことなんかあんのかよ」
この問いに秋奈は少し得意げに答える。
「だから因縁があるって言ってたでしょ」
明は納得が行ったが、その相手と闘いたい気持ちがますます強まった。五十嵐がいつものように谷村 新司のチャンピオンを入場曲として入場する。そこで、会場が少しざわめく、どうやら五十嵐が何もないところで躓いてしまったようだ。
「敬造、お前」米原は身体から血の気が引くのを感じた。
「忠次郎、何も言わないでくれ。これは俺の最後の試合。人生を懸けた集大成なんだ」
米原は迫られた決断と自責の念で今にも気が狂いそうな心境であった。
「いつからだ?どうして気付いてやれなかったんだ――すまねぇ。だが、これだけは言わせてくれ」米原は全てを受け入れ、五十嵐の目を真っ直ぐ見て言った。
「生きて――帰って来てくれ」五十嵐は静かに首を縦に振った。
「続いては青のコーナー。アメリカはニューヨーク州、オズウェルトジムのマイク・レイ・ロビンソン。生後3歳までをオクラホマ、9歳までをミシガンで過ごし、母方の祖父が白人でクオーター。ボートを漕いで腕力を鍛えました。6ヶ月で11試合を消化し、あのトレバー・バルボアを倒したこともあります。天衣無縫、自然で美しいファイトスタイルを見て、人は彼を『ノックアウトアーティスト』と呼ぶようになりました」
ロビンソンは『バイソン』の通り名が付いているだけのことはあり、筋骨隆々で如何にも屈強な黒人といった風貌であった。
アメリカの人種は多様で、混血の人々に対していくつかの呼び名がある。ヨーロッパ系白人とインディオの混血の人々である『メスティーソ』アフリカ系黒人とインディオの混血の人々である『サンボ』白人と黒人との混血の人々である『ムラート』他にもスペイン領植民地において、スペイン人を親として現地で生まれた人々を指す『クリオーリョ』など多くの人種が混在している。
ロビンソンは父親が黒人、母親が『ムラート』のクオーターで白人の血が4分の3入っていた。ヘビー級に居てもおかしくないと思える程のその筋力は、混血の子は強いと言われる域に収まらない程の体格であった。身長173cm体重118ポンド(54kg)とバンタム級では長身の部類に入る。暴力的な試合をする『ラフファイター』であるアントニー・ボルビックを試合開始わずか10秒でKOしたこともあると紹介された。
審判がルール説明を行い、両者コーナーへ戻り、あとはゴングを待つだけとなった。五十嵐側のセコンドは、初めてタイトル戦を行った時のように緊迫した空気に包まれている。日本の国歌である『君が代』と米国の国歌である『ザ・スター・スパングルド・バナー(星条旗(せいじょうき))』が流れ、厳(おごそ)かに試合が始められようとしていた。
大きな盛り上がりを見せ、試合が開始されようとしている中、五十嵐が左手首を右手で抑えていた。普段、試合前にこんな動作をすることはなかった。どう見ても身体に異常がある。
「いつも通りにやるだけだ。なぁ敬造」
米原は五十嵐の緊張を察したのか、言葉を選びつつ場を鼓舞する。小さく頷いた五十嵐から、米原は目を離すことができなかった。
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