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不死身への復讐~そして幻想は現実へ

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 エリナは、婚約破棄の知らせを受けた瞬間、心に深い傷が残った。彼の言葉は、まるで冷たい刃物で彼女の心を刺し貫いた。

「エリナ、婚約は解消することにした」

 その瞬間、世界が静止したかのように感じた。彼女は呆然と彼の顔を見つめ、信じられない思いでいっぱいだった。彼の笑顔が消え、代わりに冷たい視線が向けられた。彼女の中で何かが崩れ落ちていくのを感じる。

 夜が深まり、エリナは一人、暗い部屋に閉じ込められたような気持ちで過ごしていた。月明かりが窓から差し込む中、彼女は婚約指輪を指先で転がしながら、彼の温もりを思い出していた。彼の優しい声や、二人で過ごした幸せな日々が、今では遠い思い出に感じられた。

 彼女は自分の心の痛みを押し殺し、復讐を決意する。何とかして彼に仕返しをしなければならない。彼の裏切りを許すことなどできなかった。エリナは、街の盗賊団に接触を図り、彼女の計画を練った。襲撃の首謀者として立ち回り、彼自身には姿を見せないようにしようと決めていた。

 数日後、エリナは彼が馬車で出かけることを知った。その馬車は、人気のない森を通るルートを選ぶことになっていた。そこは彼がいつも通る道。彼の習慣を利用することが、復讐の鍵となる。エリナは、盗賊団に彼を襲うよう手配した。

 襲撃の日、エリナはその場から少し離れた場所に身を隠して待機していた。心臓が高鳴り、緊張が全身を覆っていた。彼女の胸の内には、復讐の火が燃えているが、その反面、彼のことを思い出すと胸が苦しくなった。

 やがて、馬車の音が近づいてくるのが聞こえた。彼女は、息を潜め、緊張感が高まる中で、目を細めてその姿を見つめた。彼が馬車に乗っている様子が見える。彼の表情は無邪気で、まるで何も知らないかのようだった。エリナの心には怒りが湧き上がる。

「今だ……!」

 エリナは心の中で叫んだ。自らは動かず、仲間たちに合図を送りたいが、焦りで手が震える。彼女は、彼の運命が自分の手に委ねられているという緊張感を感じていた。

 仲間たちが待ち構えている位置を確認し、彼女は指示を出すために大きく息を吸った。その瞬間、馬車が人気のない森の入口に差し掛かり、彼女は合図を送る。

「今だ!」

 仲間たちは一斉に飛び出し、馬車を囲んだ。エリナはその場から見守り、心の中で彼の姿を確認する。彼は驚愕の表情を浮かべ、混乱している様子が見て取れた。馬のいななきが響き、緊迫した空気が漂う。

「お前たち、何をするつもりだ!」

 彼は声を震わせて叫んだ。

 仲間の一人が冷たく笑いながら言った。

「金品をもらい受ける!」

 盗賊団のリーダーが声を張り上げ、仲間たちが一斉に飛び出した。

 馬車の周りは一瞬にして混乱に包まれた。驚いた馬がいななき、従者たちが動揺した表情で立ち尽くす。エリナはその光景を遠くから見つめながら、自分の心の中に渦巻く緊張感を感じた。

 彼女は心の中で叫ぶ。

「今こそ、復讐の時だ!」

 盗賊たちは従者たちに飛びかかり、短剣を振り回す。彼の従者たちは混乱の中で反撃しようとするが、数に勝る盗賊団には敵わなかった。エリナは、仲間たちが次々と敵を制圧していく様子を見て、満足感が胸に広がっていく。

 彼は馬車の中で身を縮め、恐怖に震えている。エリナはその姿を見て、彼に対する憎しみが再び燃え上がる。彼女は、自らの手で彼を捕らえ、復讐を果たす決意を固めていた。

「やれ!」と声が上がる。仲間たちが彼を取り囲み、ついに彼を馬車から引きずり出した。彼は必死に抵抗し、周囲の仲間たちを睨みつける。

「お前たち、何をするつもりだ!」

 その叫び声は虚しく響き、彼の恐怖が仲間たちに伝わる。しかし、エリナはその声を無視し、仲間たちが彼を捕まえる様子を見ていた。

 彼が捕らえられ、地面に押し倒された瞬間、エリナの心の中には達成感が広がった。彼を始末することができる。これで彼の命運は尽きたのだ。

 盗賊団が彼を制圧し、手際よく彼を縛り上げる。エリナはその光景を見つめながら、自分の計画が成功していることを実感した。

 その後、盗賊たちは金品を奪い、彼の従者たちも同様に捕らえられていた。エリナは、仲間たちの手際の良さに感心し、復讐の道が確実に進んでいることを実感していた。

「埋める準備をしろ」とリーダーが指示を出す。エリナはその言葉を聞いて、胸が高鳴った。彼を埋めることで、完全に始末できる。彼の存在をこの世から消すことができるのだ。

 彼を埋めるための場所は、森の奥深くにあった。エリナはその場からは見えない場所で、盗賊たちが掘った穴を眺めていた。彼の運命が決まる瞬間を待ちながら、心の中には不安と期待が交錯していた。

「これで終わりだ」とエリナは心の中で呟いた。彼の命が失われることで、彼女の心の傷も癒えるのではないかと信じていた。彼女の計画が成功したことを実感し、ほっとした息をついた。

 数分後、彼が埋められると、エリナは仲間たちの姿を目にした。彼女は、彼がこの世に存在しないことを実感し、胸の内にあった重荷が少しずつ軽くなっていくのを感じていた。

「これで確実に始末できた」とエリナは思った。心の奥底から湧き上がる安堵感と共に、彼の姿を思い出すことは二度とないだろうと誓った。

 翌朝、エリナは目を覚ますと、心の中に新たな感情が渦巻いていた。昨夜の出来事が自分の思い描いた通りに進んだという安堵感があったものの、心のどこかに残る不安が彼女を包み込んでいた。彼を埋めたはずなのに、本当にこれで終わったのかという疑念が、彼女の胸に重くのしかかる。

 朝食を済ませて町に出ると、目を引くのは一面に掲げられた新聞の見出しだった。「貴族、謎の襲撃を受ける」と書かれている。その見出しを見た瞬間、エリナは心臓が跳ね上がるのを感じた。

「よし、これで全てが終わった……」

 自分の計画が成功したという確信が胸を満たし、頬には微笑みが浮かんでいた。彼が襲撃されたことは、まさに自分が望んだ通りの展開だった。しかし、その高揚感は長くは続かなかった。

 街を歩くエリナは、心の中で計画の成功を確かめ続けていた。だが、ふと感じる視線に不安が募り、無意識に周囲を見回す。すると、彼の姿が目に飛び込んできた。普通に街を歩いている彼の姿が、信じられないことに目の前に広がっていた。

「彼は生きている……?」

 心臓が高鳴り、混乱が彼女を襲った。昨日の計画がうまくいったと思っていたのに、目の前に立つ彼の姿は、まるで彼女の心に冷水を浴びせるかのようだった。襲撃されたはずなのに、彼は元気そうに歩いている。

 彼が周囲を見渡しながら自信に満ちた表情で歩いてくる。その瞬間、彼の目がエリナに合った。彼が近づいてきて、彼女の前に立ち止まる。彼の視線は冷たく、微笑みを浮かべていたが、その微笑みにはどこか挑発的な響きがあった。

「おや、エリナ。あれは君の差し金かな?」

 その言葉は鋭い刃のようにエリナの心を突き刺した。彼の声には余裕があり、まるで彼女を見下しているかのようだった。

「だが残念だったな。あの程度で僕は殺せない」

 彼はそう言い残し、エリナの目の前を通り過ぎていった。その背中が遠ざかるにつれ、エリナは呆然と立ち尽くす。彼の言葉が頭の中を反響し、絶望感が押し寄せてくる。

「どういうことなの……」

 頭の中で混乱が渦巻き、彼の言葉が繰り返される。昨日の計画は全て無駄だったのか? 彼を始末できないという事実が、彼女の心に重くのしかかる。

 周囲の人々が普通に行き交う中、エリナはただ呆然としていた。彼の存在が、彼女の心に不安と恐怖を植え付けていた。自分の計画が崩れ去った瞬間を目の当たりにし、彼女は今、自分が何をすべきか分からなくなっていた。

 彼の姿が見えなくなるまで、その場から動けなかった。心の中に残る彼の冷ややかな笑顔が、エリナを苛立たせ、そして恐怖を掻き立てた。

 エリナは盗賊団のアジトに足を踏み入れた。心の中には緊張と不安が渦巻いていたが、彼女には確かめなければならないことがあった。彼を本当に始末したのか、それともまだ生きているのか。数日前の襲撃がどのような結果をもたらしたのか、直接聞く必要があった。

 薄暗い室内に入ると、盗賊たちが彼女の到来に気づき、一斉に視線を向けてきた。グリフがこちらを見てニヤリと笑う。

「おお、姫様。どうした? 何か用か?」

 エリナは心を落ち着けて、言葉を絞り出す。

「彼は……生きているのですか?」

 その言葉が放たれた瞬間、室内は静まり返った。盗賊たちの表情が一瞬にして変わり、緊張感が空気を支配する。グリフの顔がわずかに引きつり、周囲の盗賊たちも互いに目を合わせる。エリナは、彼らの反応から何か異変が起きたことを感じ取った。

「埋められて生きてる奴なんていねーよ」とグリフが言い放つ。

 エリナはその言葉に思わず口を噤んだ。心の中に広がる不安が彼女を苦しめる。彼を始末したという確信が揺らぎ、疑念が湧き上がる。

「じゃあ、なんで……」

 その時、ひとりの盗賊が恐る恐る口を開いた。

「まさか……不死身?」

 その言葉が室内に響くと、エリナの心臓が大きく跳ね上がった。彼が不死身だなんて……。それは想像を絶する恐怖だった。彼女の視界がぼやけ、周囲の盗賊たちの冷たい視線が重くのしかかる。エリナはこの状況がどれだけ危険なのか、今さらながら痛感することになった。

「そんなことあり得ねー」とグリフが否定の声を上げるが、その声には動揺が隠せない。周囲の盗賊たちも互いに顔を見合わせ、緊張が一層高まる。

 その時、部下が慌てて駆け込んできた。

「頭! 奴が生きてました!」

 エリナはその言葉を聞いて凍りつく。部下の口から出た言葉は、彼女の心に恐怖の影を落とす。彼が生きているとは……。信じられない現実が目の前に立ちはだかり、彼女の胸は苦しくなった。

「まじかよ!」と盗賊の一人が驚愕の声を上げる。彼の表情には信じられないという思いが色濃く表れていた。

「まさか本当に?」周囲には動揺が広がり、盗賊たちは一斉に不安な視線を交わす。エリナもその場に立ち尽くし、恐怖が彼女を包み込む。彼が不死身なら、次はどうすればいいのか。頭の中は混乱し、冷たい汗が背中を流れ落ちた。

 アジトの中に静けさが広がり、エリナの心は重く沈んでいった。彼女は、自分の計画がどれほど危険だったのか、今さらながら実感することになった。逃れられない運命に、彼女は立ち向かわなければならなかった。

 エリナは、グレンゼルに接触を試みる決意を固めた。彼は騎士団に指名手配されている放火魔で、誰もが恐れる危険な人物だ。そんな男に協力を仰ぐことは、まるで地雷の上を歩くようなものだが、彼女にはそれ以外の選択肢がなかった。

 暗い森を抜け、彼女はグレンゼルの隠れ家があるという場所へと向かった。心臓の鼓動が高まり、緊張感が全身を包む。隠れ家の近くにたどり着くと、エリナは立ち止まった。周囲には不穏な空気が漂い、何かが彼女を見張っているような感覚に襲われた。

 隠れ家の入り口にたどり着くと、深呼吸をし、心を落ち着ける。彼に接触することがどれほど危険かは理解していたが、今はその恐怖を押し込めるしかなかった。

「グレンゼル……あなたに話があるの」

 静寂の中、彼女の声が響く。しばらくの沈黙の後、薄暗い影から一人の男が姿を現した。彼は黒いローブを纏い、鋭い目つきで彼女をじっと見つめている。

「お前は誰だ」

 その低い声に、エリナは緊張を感じながらも、意を決して続けた。

「エリナ・フォン・リーデル。あなたに協力をお願いしたいのです」

 彼の冷たい視線が鋭く彼女を捉える。エリナはその視線に耐え、さらに言葉を重ねる。

「私は、あなたの力を借りたい。特定の貴族を燃やす手助けをしてほしいのです」

 その言葉を聞いた瞬間、グレンゼルの目が一瞬輝いた。彼は無言で彼女を見つめ、エリナはその静寂に身を委ねる。

「貴族を燃やす? 面白い。お前、かなりの度胸だな」

 エリナは彼の反応を見て、心の中で小さく勝利を感じる。彼女は続けた。

「彼らは私の人生を狂わせ、私を傷つけた。私に復讐する機会を与えてほしい」

 グレンゼルはしばらく考え込み、彼女をじっと見つめた後、口元をほころばせた。

「俺に協力しろと言っても、ただで済むと思っているのか?」

「もちろん、あなたの望みも考慮します。私もあなたの力が必要です。私たちの目的は共通しているのです」

 グレンゼルは一瞬、興味を引かれたような表情を見せたが、その後、彼の目に閃光が走った。

「いいだろう、貴族どもを燃やしてやる。だが、俺はリスクなんて考えねえ。俺のやり方でやるから覚悟しとけ」

 エリナは彼の言葉に驚きと同時に期待感が高まった。彼の目に宿る狂気のような輝きは、彼女の心に火を灯す。

「あなたの方法で構いません。私は、彼らを絶望させたいだけなのです」

 グレンゼルは一瞬、彼女をじっと見つめた後、笑い声をあげた。

「その情熱、嫌いじゃねえ。さあ、計画を立てようぜ。燃やす楽しみを共有しようじゃねえか」

 エリナの心には、復讐の炎が燃え上がっていた。彼女の計画は、ここから始まる。全てを焼き尽くすために、彼女は彼と共に歩み始めた。

 数日後、グレンゼルは準備を整え、悪名高い放火魔としての名を馳せていた。彼の心の中には、貴族への復讐と同時に、無邪気に暮らす市民への恐怖を与える目的があった。彼の目的は明確だった。街を燃やし尽くし、全てを灰にすること。

 暗い夜が訪れると、グレンゼルは一団の仲間を率いて街に忍び込んだ。彼の目は狂気に満ち、周囲の静寂が不気味に響く。月明かりの下、彼の姿はまるで闇の中から這い出た魔物のようだった。仲間たちは、彼の指示を待ち望むように静かに息をひそめ、緊張感が漂っていた。

「今だ、始めろ」

 彼の一声で、仲間たちは動き出した。手にした松明を高く掲げ、燃える炎が次々に街の建物に投げつけられる。炎が宿った木材が瞬く間に燃え上がり、街は明るく照らされる。木々が焼け焦げ、石造りの壁が崩れ落ちる音が響く中、グレンゼルは冷静に指揮を執り続けた。

「騎士どもはどこだ! 見つけ出せ!」

 彼の言葉に応じて、仲間たちは街中を駆け回り、騎士たちを捜し出していく。彼らが見つけたのは、街を守るために配置されていた騎士たちだった。無警戒な彼らは、突然の襲撃に驚き、恐怖に目を見開く。

「お前たちに逃げ道はない!」

 グレンゼルは、鮮やかに焰を舞わせながら突進し、無抵抗の騎士たちを一人また一人と無情に倒していく。彼の手には剣が握られ、血が跳ね上がるたびに狂おしい笑みが浮かぶ。逃げようとする者たちを、彼は炎で包み込む。あまりにも簡単に、彼らは焼き尽くされていった。

 騒ぎは街中に広がり、悲鳴と混乱が交錯する。家々が炎に包まれ、黒煙が空を覆い尽くす。女性や子供たちが助けを求めて叫ぶ声が響くが、グレンゼルには何の情もない。彼は冷酷に見つめ、そこに立ちはだかる者たちを容赦なく一掃していく。

「燃やせ! 全てを燃やし尽くせ!」

 その声は、街を貫くような轟音となり、仲間たちの心を奮い立たせる。グレンゼルは、炎の中で踊るように走り回り、燃える街を見つめながら笑い続けた。彼にとって、これはただの復讐ではなく、恐怖の象徴だった。

 彼の目には、燃え上がる街並みと絶望に沈む人々が映っていた。それは彼が望んだ光景であり、無慈悲な復讐の果てに立ち現れる彼の支配の証だった。女子供を問わず、すべてが炎に飲み込まれていく様子は、彼の心に充足感を与えていった。

「これが俺の力だ。誰もが俺を恐れるべきだ」

 グレンゼルの心には満足感が広がり、燃え盛る街の中で彼は確信した。これからの世は、彼の恐怖の中にあるのだと。

 燃え盛る街の中、エリナは冷や汗をかきながらその光景を目にした。街の至る所から立ち上る黒煙が空を覆い、炎に包まれた建物が轟音を立てて崩れ落ちていく。彼女の心臓は不安と恐怖で高鳴り、目の前の惨劇に呆然とした。

「どうしてこんなことに……」

 彼女は自分が呼び寄せた恐怖が、想像を超えたものになっていることを悟った。グレンゼルに依頼したのは、婚約者の復讐だけを狙うことだったはず。しかし、目の前の光景は無差別な殺戮と化していた。

 エリナは急いで彼の元へ向かった。彼の姿が見えたとき、彼の周りには炎の中で踊るようにして仲間たちが集まっている。彼の笑みは狂気に満ち、楽しげに燃え盛る炎を見つめていた。

「グレンゼル! やめて! お願い!」

 彼女の声が届くのか、グレンゼルは振り向いた。彼の目には、勝ち誇った表情が浮かんでいた。

「やめる? なぜだ?」

 エリナは必死に言葉を続けた。

「私が頼んだのは、あの男だけを狙うことだったの。無関係な人を燃やす必要なんてないの!」

「それが俺のやり方だ」

 彼は平然とした口調で答えた。エリナの心は焦りで満たされ、彼がどれだけの危険を引き起こしているかを理解していないように思えた。

「目撃される可能性ごと燃やすのが俺流だ」

 彼はその言葉とともに、燃え盛る街を指さした。彼にとって、この混乱はただの遊びのようだった。彼の冷たい笑みは、エリナの胸を締め付けた。

「お願い、罪のない人を燃やさないで!」

 エリナは絶望的な叫びを上げたが、グレンゼルの目には同情の色はなかった。彼は冷酷にその場を離れ、仲間たちと共に次の標的へと向かっていった。エリナはその背中を見つめながら、燃え盛る街の中で取り残される不安に押しつぶされそうになった。

 彼女は、復讐のために雇った男が、無関係な人々を巻き込んでいる現実に愕然とした。彼女の意図とはまったく違った結果が待っていることを痛感し、ただ立ち尽くすことしかできなかった。

「お願い、無関係な人を巻き込まないで……私の思い描いていたのは、ただ彼だけを……!」

 無情に燃え広がる炎の中、エリナの叫びは虚しく響き渡った。彼女は、自らの選択が招いた恐怖と混乱に直面し、深い後悔の念に包まれていた。

 炎が徐々に近づく中、エリナはもはや動くことすらできなかった。心の中で決意が固まる。自分の選択が生んだこの恐ろしい現実から逃げることはできない。彼女はただ、全てを終わらせることを望んでいた。

「もうこのまま自分も死のう……」

 彼女の心の奥底で、燃え盛る炎が全てを焼き尽くしてくれることを願った。苦しみから解放されるために、炎の中に身を投じることができればと考えた。しかし、その瞬間、彼女の視界に全身が炎に包まれた男が現れた。

「エリナ、早く逃げろ!」

 ルークだった。炎に囲まれながらも、彼は力強く叫び、彼女に向かって駆け寄ってきた。彼の姿はまるで悪夢のようだったが、同時にその存在は彼女に救いをもたらした。

「私……」

 エリナは呆然としたまま、言葉を続けようとした。しかし、ルークはそれを遮った。

「後で聞くから、早く逃げろ!このままだと死ぬぞ!」

 彼の言葉には、切迫した緊張感が漂っていた。エリナはその必死な声に突き動かされ、彼の手を握った。心臓の鼓動が高まり、まるで彼と一緒にいることで命がつながっているように感じた。

 二人は燃え上がる街から脱出するため、全力で駆け出した。後ろから聞こえる炎のうなり声や、崩れ落ちる建物の音が彼女たちを追い立てるように響いた。ルークの力強い腕に引かれながら、エリナは自らの運命を受け入れようとしていた。

「待って! ルーク、どうして生きているの?」

 エリナは必死に質問を投げかけたが、ルークはその問いに答える余裕はない様子だった。彼はただ、一心に道を切り開き、逃げることに集中していた。彼の姿を見つめる中で、エリナはその強さに少しだけ救われた気がした。

「説明は後だ。今は逃げることが最優先だ!」

 ルークの言葉が響く。二人は燃え盛る街から、少しずつ距離を取っていった。エリナは自分の選択がもたらした結果と向き合う勇気を、彼からもらったのかもしれないと思った。

 彼らが街の外に出たとき、ようやく安堵の息を吐いた。しかし、エリナの心には、これからどうなるのかという不安が広がっていた。

 丘の上、炎から遠く離れた場所にたどり着くと、エリナはルークに全てを説明する決意を固めた。彼女の心臓は高鳴り、何を言えばいいのか分からなかったが、真実を話さなければならないと思った。

「ルーク、私が……あの盗賊団に襲わせたの。あなたを狙うために、グレンゼルを頼んだの……」

 エリナの言葉が空気を切り裂いた瞬間、ルークの表情は凍りついた。彼は一瞬何も言えなくなり、ただ彼女を見つめた。次の瞬間、彼の顔が真っ赤になり、怒りが溢れ出した。

「なんてことをしてくれたんだ!」

 ルークの拳がエリナの頬を直撃した。彼女はその痛みを感じながらも、彼の怒りを理解していた。何を言っても、今は彼の怒りに触れるだけだとわかっていた。

「ごめんなさい……本当にごめんなさい……!」

 涙を浮かべ、彼女は謝罪を繰り返す。しかし、ルークの目は激しい怒りで燃えていた。

「お前、あのグレンゼルを頼るなんて、どれだけ阿呆なんだ! 街を燃やして平然としている奴に頼んで、何を考えていたんだ!」

 エリナは恐れを抱きながらも、ルークの言葉に込められた痛みを感じていた。彼の怒りは彼女へのものだけでなく、復讐相手を狙うために自分を危険にさらしたことへの悔しさでもあった。

「私は、あなたを狙うつもりだった。でも、グレンゼルに頼んだことで、無関係な人たちまで巻き込んでしまった……」

 エリナは心の中で苦しみながら謝罪を続ける。しかし、ルークの怒りは収まらない。

「街が燃えて、子供たちも死んでいるんだぞ! 奴が指名手配されてるのには相応の理由があるんだ! お前は本当に何を考えている!」

 彼の声は次第に冷静さを取り戻し、エリナに向かって言った。

「……まぁお前を怒っても仕方ないか。これからどうするかが大事だ。騎士には通報したが、グレンゼルを見つける必要がある。彼が何をするか分からないからな」

 エリナは心の中で安堵の息を吐いた。彼が冷静さを保ち、次の行動を考えていることに安心感を覚えた。

「俺はあいつを捕まえに行く」

 エリナは驚きのあまり言葉を失った。彼女の目が大きく見開かれる。

「待って、ルーク! それは危険すぎる! グレンゼルは本当に手に負えない人物よ。1人じゃ危険だし、騎士を待った方がいいわ!」

 彼女は彼を引き止めようとしたが、ルークはそのまま振り返りもせずに言った。

「もう、これ以上奴の暴挙を許しはしない」

 ルークの声は静かだが、自信に満ちていた。彼女の心配を理解しながらも、彼には自身の力があった。

「俺は不死身だから、大丈夫だ」

 ルークは毅然とした表情で、再び足を進めた。その姿はまるで、運命に立ち向かう戦士のようだった。

「じゃあな、エリナ」

 彼の言葉が彼女の耳に届くと、心のどこかで安堵の感情が芽生えた。しかし、同時に彼を失う恐怖が彼女の心を締め付けた。

 ルークの不死身という特性を知りながらも、彼が直面する危険に心が痛む。彼の決意は固く、もう止めることはできない。

「どうか無事でいて……」

 エリナは祈るような思いでルークの背中を見つめた。彼の勇気に感謝しつつ、彼が戻ってくることを願っていた。

 そして、彼女は再び自分の行動を考え始める。ルークの言葉が頭の中で響き渡る。

「じゃあな、エリナ」

 心の中の不安を抱えながら、二人はそれぞれの道を進んでいく。

 エリナはその場で泣き喚いていた。

「どうして……どうしてこんなことに……!」

 自分のせいでどれだけの人間を殺したのか、彼女には理解できなかった。心の中に渦巻く罪悪感が、まるで猛獣のように彼女を襲ってくる。もうどうすればいいのか分からない。頭を抱え、涙が止まらない。彼女は泣き続けた。

 周囲の景色がぼやけていく中で、エリナの意識は次第に遠のいていった……。

 気づくと、彼女は暗い部屋にいた。白い壁が囲む、その空間はどこか冷たい。彼女の手には拘束具がはめられ、体が動かせない。おそるおそる周囲を見回すと、見知らぬ人々がこちらを見ている。彼女の目が虚ろになり、心の中の叫びはますます大きくなった。

「ルーク! ルーク! どこにいるの……!」

 彼女はただ、名前を呟き続けた。現実が歪み、彼の姿が見えないことに恐怖を感じた。周囲の人々は何かを囁いているが、彼女には聞こえなかった。ただひたすら、ルークを求める声だけが彼女の中で響いていた。

 その瞬間、彼女は気づく。

 これは……現実ではない。

 心の奥で、彼女の現実と幻想が交錯する。彼女が望んだはずの復讐は、全てが彼女自身を壊す結果になってしまった。そして、彼女は理解した。

 自分が抱えていた罪の意識は、決して消えることはないのだと。

 エリナは、自分が精神病院にいることを理解した。

「もう終わりだ……終わりだ……」

 彼女はただ虚ろな目で、ルークの名前を呟き続けた。

「ルーク……ルーク……」

 その声は、彼女の心の中で繰り返される。
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