ワケあり公子は諦めない

豊口楽々亭

文字の大きさ
上 下
23 / 62
陰謀の庭園

アゼリア

しおりを挟む
───母を殺した犯人とヘリオスの愛人は同一人物…ベアトリーチェじゃないのか?

僕は歩きながら、自分に纏わりつく思考からどうにか頭を引き離す。
今考え込んでしまえば、きっと僕は妹の振りなどしていられなくなってしまう。

荊に絡め取られたように重い足を動かし、僕は中庭から邸宅の中へと逃げ込んだ。
使用人は全てティーパーティーのために立ち働いているのか、邸宅内は静まり返っていた。
この静けさのお陰で、ようやく息ができるようになった気がする。
僕はふ、と息を吐き出し肩の力を抜くと、フロレンスから手を離してアゼリアへと歩み寄った。
忘れる前に、やることがあったのだ。

「アゼリア様」
「はい、どうかなさいましたか?ローゼリンド公女様」

振り返ったアゼリアの、春の柔らかな曇り空に似た青い瞳が不思議そうに瞬く。
僕はアゼリアの手を取ると、手の甲に視線を落した。

「…あの、公女様?」

戸惑う声を上げるアゼリアの手の甲には、猫に引っ掛かれたような傷が数本残されていた。

「傷、そんなに深くはなさそうだけど痕が残ったら大変だから、早く手当なさって。ハンカチは治療跡を隠すために使ってちょうだい。見送りのお礼に私から貰った、と伝えれば多少はお守りになるはずだから」

傷の出血は止まっていたが、公国の中央貴族達は女性の肌に傷があるだけで、恥だと囁き合うのだ。
治療中の肌を晒すこと、見ることさえも忌避する貴族の中へと、アゼリアは再び戻らなければならない。
僕は家紋が刺繍されたハンカチを取り出してアゼリアの傷を覆った。
公爵家の権威が縫い付けられたハンカチで手の甲を隠せば、少しなりアゼリアを守ってくれるだろう。

「そんな、駄目です…ハンカチが汚れてしまいます!」
「構いません。そんな物よりあなたの方が大切よ」

戸惑うアゼリアのもう片手を引き寄せると、僕のハンカチに添えさせた。
柔らかな青い瞳が一瞬だけ泣き出しそうに揺れながら僕を映し、白い指がハンカチを握る。

「ありがとうございます、ローゼリンド公女様」
「良いのよ…これぐらいはさせてちょうだい。私のせいでもあるのだから」
「そんな、あれは…っ───」

反射的に開かれたアゼリアの唇。しかし、開いた口の中で音は詰まってしまったようだった。
アゼリアは一瞬だけ押し黙ると、背筋をしっかり伸ばし頭を深く下げる。

「…伯爵家の末娘として、ただ恥じ入るばかりでございます。申し訳ございませんでした」

伯爵家を背負って頭を下げるアゼリアの姿は、シュルツ伯爵家の中で誰よりも美しく僕の瞳に映る。
僕は柔らかく瞳を細めると、アゼリアの肩にそっと手を添えた。

「大丈夫です。理解していますから」
「ありがとうございます。ローゼリンド公女様」

アゼリアが頭を上げると、僕より少しにある顔を見下ろした。
妹と同じぐらいの歳だろうか。
そう思うと、彼女がまるで他人とは思えなくなってきてしまう。

「アゼリア様…これからは、わたくしをローゼと呼んでちょうだい」
「え…、…公女様、そんな恐れ多いです!」

戸惑うアゼリアからそっと手を離して、僕は再びフロレンスに預け。

「さあ、行きましょう。二人とも」

僕はフロレンスを伴って、再び歩き出した。
艶々に磨かれた鼈甲色の扉の前までくると、両開きの扉が使用人たちの手によって開かれる。

「わたくしがご案内いたしますから、お待ちください!ローゼリンド公女様!」
「あら、わたくしの名前はローゼよ。アゼリア様」

少し暮れかけた夕日が、石造りの階段に影を落とす。
そのすぐ先の馬車回りには、招待された家の数だけの馬車が並んでいた。
フロレンスが先立って階段を下り僕の手を引いていくと、慌てて下りてくるアゼリアの声が僕の背中に投げ掛けられる。

「そんなっ、ローゼリンド様っ…」

僕は肩越しアゼリアを振り返ると少し目を細めて、無言で愛称で呼ぶように促した。
戸惑ったアゼリアが助けを求めてフロレンスを見詰めたが、フロレンスも可笑しそうに笑うばかりで止める気はないようだ。

「行きましょう、フロレンス」

もじもじして口を開かないアゼリアを無視して、再び先を歩き出すと、びっくりするような大きな声が僕の鼓膜を叩いた。

「…ローゼ様!!」
「ふふ、なぁに。アゼリア様」

嬉しくなった僕は、アゼリアの方を振り返ると、自然と目元が和らぎ、唇からは笑みが零れた。
途端に傍らのフロレンスはなぜか固まり、僕より二段上にいるアゼリアは大きな瞳をぱちぱちと瞬かせると、柔らかそうな頬を赤く染めていく。
僕は戸惑いながら、二人の姿を交互に見詰めた。

「どうかしたの、二人とも?」
「えっと…あの、ローゼ様が美しくて…驚いてしまいまして」
「私は、君の笑顔を見慣れているはずなのに、一瞬…ジークヴァルトを思い出したよ」

フロレンスの言葉に、僕の背筋に緊張が走る。
僕は誤魔化すように片手を頬に添えて、妹の所作を真似るようにおっとりと首を傾げた。

「双子だもの、兄様と似てしまうのは仕方ないわ」

僕は顔を背けるように前を向くと、フロレンスの手を掴んで引いた。

「さ、フロレンス、馬車に向かいましょう。アゼリア様を引き留め過ぎては悪いもの」
「お待ちください、ローゼ様。わたくしが先に参ります」

アゼリアは慌てて声を上げると、フロレンスと僕より一歩先に進み出た。

「分かったよ。行こう、ローゼ」

一歩遅れるような形で、フロレンスも再び僕と一緒に歩き出した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【コミカライズ2月28日引き下げ予定】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。

氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。 私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。 「でも、白い結婚だったのよね……」 奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。 全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。 一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。 断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。

いっとう愚かで、惨めで、哀れな末路を辿るはずだった令嬢の矜持

空月
ファンタジー
古くからの名家、貴き血を継ぐローゼンベルグ家――その末子、一人娘として生まれたカトレア・ローゼンベルグは、幼い頃からの婚約者に婚約破棄され、遠方の別荘へと療養の名目で送られた。 その道中に惨めに死ぬはずだった未来を、突然現れた『バグ』によって回避して、ただの『カトレア』として生きていく話。 ※悪役令嬢で婚約破棄物ですが、ざまぁもスッキリもありません。 ※以前投稿していた「いっとう愚かで惨めで哀れだった令嬢の果て」改稿版です。文章量が1.5倍くらいに増えています。

いつか彼女を手に入れる日まで

月山 歩
恋愛
伯爵令嬢の私は、婚約者の邸に馬車で向かっている途中で、馬車が転倒する事故に遭い、治療院に運ばれる。医師に良くなったとしても、足を引きずるようになると言われてしまい、傷物になったからと、格下の私は一方的に婚約破棄される。私はこの先誰かと結婚できるのだろうか?

【完結】悪役令嬢は3歳?〜断罪されていたのは、幼女でした〜

白崎りか
恋愛
魔法学園の卒業式に招かれた保護者達は、突然、王太子の始めた蛮行に驚愕した。 舞台上で、大柄な男子生徒が幼い子供を押さえつけているのだ。 王太子は、それを見下ろし、子供に向って婚約破棄を告げた。 「ヒナコのノートを汚したな!」 「ちがうもん。ミア、お絵かきしてただけだもん!」 小説家になろう様でも投稿しています。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

廃妃の再婚

束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの 父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。 ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。 それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。 身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。 あの時助けた青年は、国王になっていたのである。 「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは 結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。 帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。 カトルはイルサナを寵愛しはじめる。 王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。 ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。 引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。 ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。 だがユリシアスは何かを隠しているようだ。 それはカトルの抱える、真実だった──。

君は妾の子だから、次男がちょうどいい

月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。

拝啓、婚約者様。ごきげんよう。そしてさようなら

みおな
恋愛
 子爵令嬢のクロエ・ルーベンスは今日も《おひとり様》で夜会に参加する。 公爵家を継ぐ予定の婚約者がいながら、だ。  クロエの婚約者、クライヴ・コンラッド公爵令息は、婚約が決まった時から一度も婚約者としての義務を果たしていない。  クライヴは、ずっと義妹のファンティーヌを優先するからだ。 「ファンティーヌが熱を出したから、出かけられない」 「ファンティーヌが行きたいと言っているから、エスコートは出来ない」 「ファンティーヌが」 「ファンティーヌが」  だからクロエは、学園卒業式のパーティーで顔を合わせたクライヴに、にっこりと微笑んで伝える。 「私のことはお気になさらず」

処理中です...