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陰謀の庭園
アゼリア
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───母を殺した犯人とヘリオスの愛人は同一人物…ベアトリーチェじゃないのか?
僕は歩きながら、自分に纏わりつく思考からどうにか頭を引き離す。
今考え込んでしまえば、きっと僕は妹の振りなどしていられなくなってしまう。
荊に絡め取られたように重い足を動かし、僕は中庭から邸宅の中へと逃げ込んだ。
使用人は全てティーパーティーのために立ち働いているのか、邸宅内は静まり返っていた。
この静けさのお陰で、ようやく息ができるようになった気がする。
僕はふ、と息を吐き出し肩の力を抜くと、フロレンスから手を離してアゼリアへと歩み寄った。
忘れる前に、やることがあったのだ。
「アゼリア様」
「はい、どうかなさいましたか?ローゼリンド公女様」
振り返ったアゼリアの、春の柔らかな曇り空に似た青い瞳が不思議そうに瞬く。
僕はアゼリアの手を取ると、手の甲に視線を落した。
「…あの、公女様?」
戸惑う声を上げるアゼリアの手の甲には、猫に引っ掛かれたような傷が数本残されていた。
「傷、そんなに深くはなさそうだけど痕が残ったら大変だから、早く手当なさって。ハンカチは治療跡を隠すために使ってちょうだい。見送りのお礼に私から貰った、と伝えれば多少はお守りになるはずだから」
傷の出血は止まっていたが、公国の中央貴族達は女性の肌に傷があるだけで、恥だと囁き合うのだ。
治療中の肌を晒すこと、見ることさえも忌避する貴族の中へと、アゼリアは再び戻らなければならない。
僕は家紋が刺繍されたハンカチを取り出してアゼリアの傷を覆った。
公爵家の権威が縫い付けられたハンカチで手の甲を隠せば、少しなりアゼリアを守ってくれるだろう。
「そんな、駄目です…ハンカチが汚れてしまいます!」
「構いません。そんな物よりあなたの方が大切よ」
戸惑うアゼリアのもう片手を引き寄せると、僕のハンカチに添えさせた。
柔らかな青い瞳が一瞬だけ泣き出しそうに揺れながら僕を映し、白い指がハンカチを握る。
「ありがとうございます、ローゼリンド公女様」
「良いのよ…これぐらいはさせてちょうだい。私のせいでもあるのだから」
「そんな、あれは…っ───」
反射的に開かれたアゼリアの唇。しかし、開いた口の中で音は詰まってしまったようだった。
アゼリアは一瞬だけ押し黙ると、背筋をしっかり伸ばし頭を深く下げる。
「…伯爵家の末娘として、ただ恥じ入るばかりでございます。申し訳ございませんでした」
伯爵家を背負って頭を下げるアゼリアの姿は、シュルツ伯爵家の中で誰よりも美しく僕の瞳に映る。
僕は柔らかく瞳を細めると、アゼリアの肩にそっと手を添えた。
「大丈夫です。理解していますから」
「ありがとうございます。ローゼリンド公女様」
アゼリアが頭を上げると、僕より少しにある顔を見下ろした。
妹と同じぐらいの歳だろうか。
そう思うと、彼女がまるで他人とは思えなくなってきてしまう。
「アゼリア様…これからは、わたくしをローゼと呼んでちょうだい」
「え…、…公女様、そんな恐れ多いです!」
戸惑うアゼリアからそっと手を離して、僕は再びフロレンスに預け。
「さあ、行きましょう。二人とも」
僕はフロレンスを伴って、再び歩き出した。
艶々に磨かれた鼈甲色の扉の前までくると、両開きの扉が使用人たちの手によって開かれる。
「わたくしがご案内いたしますから、お待ちください!ローゼリンド公女様!」
「あら、わたくしの名前はローゼよ。アゼリア様」
少し暮れかけた夕日が、石造りの階段に影を落とす。
そのすぐ先の馬車回りには、招待された家の数だけの馬車が並んでいた。
フロレンスが先立って階段を下り僕の手を引いていくと、慌てて下りてくるアゼリアの声が僕の背中に投げ掛けられる。
「そんなっ、ローゼリンド様っ…」
僕は肩越しアゼリアを振り返ると少し目を細めて、無言で愛称で呼ぶように促した。
戸惑ったアゼリアが助けを求めてフロレンスを見詰めたが、フロレンスも可笑しそうに笑うばかりで止める気はないようだ。
「行きましょう、フロレンス」
もじもじして口を開かないアゼリアを無視して、再び先を歩き出すと、びっくりするような大きな声が僕の鼓膜を叩いた。
「…ローゼ様!!」
「ふふ、なぁに。アゼリア様」
嬉しくなった僕は、アゼリアの方を振り返ると、自然と目元が和らぎ、唇からは笑みが零れた。
途端に傍らのフロレンスはなぜか固まり、僕より二段上にいるアゼリアは大きな瞳をぱちぱちと瞬かせると、柔らかそうな頬を赤く染めていく。
僕は戸惑いながら、二人の姿を交互に見詰めた。
「どうかしたの、二人とも?」
「えっと…あの、ローゼ様が美しくて…驚いてしまいまして」
「私は、君の笑顔を見慣れているはずなのに、一瞬…ジークヴァルトを思い出したよ」
フロレンスの言葉に、僕の背筋に緊張が走る。
僕は誤魔化すように片手を頬に添えて、妹の所作を真似るようにおっとりと首を傾げた。
「双子だもの、兄様と似てしまうのは仕方ないわ」
僕は顔を背けるように前を向くと、フロレンスの手を掴んで引いた。
「さ、フロレンス、馬車に向かいましょう。アゼリア様を引き留め過ぎては悪いもの」
「お待ちください、ローゼ様。わたくしが先に参ります」
アゼリアは慌てて声を上げると、フロレンスと僕より一歩先に進み出た。
「分かったよ。行こう、ローゼ」
一歩遅れるような形で、フロレンスも再び僕と一緒に歩き出した。
僕は歩きながら、自分に纏わりつく思考からどうにか頭を引き離す。
今考え込んでしまえば、きっと僕は妹の振りなどしていられなくなってしまう。
荊に絡め取られたように重い足を動かし、僕は中庭から邸宅の中へと逃げ込んだ。
使用人は全てティーパーティーのために立ち働いているのか、邸宅内は静まり返っていた。
この静けさのお陰で、ようやく息ができるようになった気がする。
僕はふ、と息を吐き出し肩の力を抜くと、フロレンスから手を離してアゼリアへと歩み寄った。
忘れる前に、やることがあったのだ。
「アゼリア様」
「はい、どうかなさいましたか?ローゼリンド公女様」
振り返ったアゼリアの、春の柔らかな曇り空に似た青い瞳が不思議そうに瞬く。
僕はアゼリアの手を取ると、手の甲に視線を落した。
「…あの、公女様?」
戸惑う声を上げるアゼリアの手の甲には、猫に引っ掛かれたような傷が数本残されていた。
「傷、そんなに深くはなさそうだけど痕が残ったら大変だから、早く手当なさって。ハンカチは治療跡を隠すために使ってちょうだい。見送りのお礼に私から貰った、と伝えれば多少はお守りになるはずだから」
傷の出血は止まっていたが、公国の中央貴族達は女性の肌に傷があるだけで、恥だと囁き合うのだ。
治療中の肌を晒すこと、見ることさえも忌避する貴族の中へと、アゼリアは再び戻らなければならない。
僕は家紋が刺繍されたハンカチを取り出してアゼリアの傷を覆った。
公爵家の権威が縫い付けられたハンカチで手の甲を隠せば、少しなりアゼリアを守ってくれるだろう。
「そんな、駄目です…ハンカチが汚れてしまいます!」
「構いません。そんな物よりあなたの方が大切よ」
戸惑うアゼリアのもう片手を引き寄せると、僕のハンカチに添えさせた。
柔らかな青い瞳が一瞬だけ泣き出しそうに揺れながら僕を映し、白い指がハンカチを握る。
「ありがとうございます、ローゼリンド公女様」
「良いのよ…これぐらいはさせてちょうだい。私のせいでもあるのだから」
「そんな、あれは…っ───」
反射的に開かれたアゼリアの唇。しかし、開いた口の中で音は詰まってしまったようだった。
アゼリアは一瞬だけ押し黙ると、背筋をしっかり伸ばし頭を深く下げる。
「…伯爵家の末娘として、ただ恥じ入るばかりでございます。申し訳ございませんでした」
伯爵家を背負って頭を下げるアゼリアの姿は、シュルツ伯爵家の中で誰よりも美しく僕の瞳に映る。
僕は柔らかく瞳を細めると、アゼリアの肩にそっと手を添えた。
「大丈夫です。理解していますから」
「ありがとうございます。ローゼリンド公女様」
アゼリアが頭を上げると、僕より少しにある顔を見下ろした。
妹と同じぐらいの歳だろうか。
そう思うと、彼女がまるで他人とは思えなくなってきてしまう。
「アゼリア様…これからは、わたくしをローゼと呼んでちょうだい」
「え…、…公女様、そんな恐れ多いです!」
戸惑うアゼリアからそっと手を離して、僕は再びフロレンスに預け。
「さあ、行きましょう。二人とも」
僕はフロレンスを伴って、再び歩き出した。
艶々に磨かれた鼈甲色の扉の前までくると、両開きの扉が使用人たちの手によって開かれる。
「わたくしがご案内いたしますから、お待ちください!ローゼリンド公女様!」
「あら、わたくしの名前はローゼよ。アゼリア様」
少し暮れかけた夕日が、石造りの階段に影を落とす。
そのすぐ先の馬車回りには、招待された家の数だけの馬車が並んでいた。
フロレンスが先立って階段を下り僕の手を引いていくと、慌てて下りてくるアゼリアの声が僕の背中に投げ掛けられる。
「そんなっ、ローゼリンド様っ…」
僕は肩越しアゼリアを振り返ると少し目を細めて、無言で愛称で呼ぶように促した。
戸惑ったアゼリアが助けを求めてフロレンスを見詰めたが、フロレンスも可笑しそうに笑うばかりで止める気はないようだ。
「行きましょう、フロレンス」
もじもじして口を開かないアゼリアを無視して、再び先を歩き出すと、びっくりするような大きな声が僕の鼓膜を叩いた。
「…ローゼ様!!」
「ふふ、なぁに。アゼリア様」
嬉しくなった僕は、アゼリアの方を振り返ると、自然と目元が和らぎ、唇からは笑みが零れた。
途端に傍らのフロレンスはなぜか固まり、僕より二段上にいるアゼリアは大きな瞳をぱちぱちと瞬かせると、柔らかそうな頬を赤く染めていく。
僕は戸惑いながら、二人の姿を交互に見詰めた。
「どうかしたの、二人とも?」
「えっと…あの、ローゼ様が美しくて…驚いてしまいまして」
「私は、君の笑顔を見慣れているはずなのに、一瞬…ジークヴァルトを思い出したよ」
フロレンスの言葉に、僕の背筋に緊張が走る。
僕は誤魔化すように片手を頬に添えて、妹の所作を真似るようにおっとりと首を傾げた。
「双子だもの、兄様と似てしまうのは仕方ないわ」
僕は顔を背けるように前を向くと、フロレンスの手を掴んで引いた。
「さ、フロレンス、馬車に向かいましょう。アゼリア様を引き留め過ぎては悪いもの」
「お待ちください、ローゼ様。わたくしが先に参ります」
アゼリアは慌てて声を上げると、フロレンスと僕より一歩先に進み出た。
「分かったよ。行こう、ローゼ」
一歩遅れるような形で、フロレンスも再び僕と一緒に歩き出した。
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