21 / 62
陰謀の庭園
巡り遭う
しおりを挟む
フロレンスは静まり返った周囲を見渡すと、ゆっくり唇を開いた。
「幼くして母を亡くした者がいるならば、名乗りでよ。公国を護るため自分を犠牲にできる者は、前に進み出れば良い。その者だけが、公爵家に石を投げることが許される」
凛として透き通って響くフロレンスの言葉は、齢12の頃から公国の守護者として戦場の前線に立ち続けているからこそ、人々の心に重くのし掛かった。
不穏な空気が一掃される代わりに、誰しもが自分を恥じるように俯く。
静まり返った庭園の中央で、フロレンスの薔薇色の瞳に射抜かれたヒルデだけが、怒りに燃え上がる紅い瞳を僕とフロレンスに向けていた。
「ヒルデ嬢、君に尋ねたい。母を亡くし、父と兄と、そして民から信用を失いかけながら、幼い頃から公国を背負う重責と戦い、公国のために生きるローゼリンドを…君は大公妃に相応しくないと言うのか?」
フロレンスの問い掛けに、ヒルデは歯を軋ませる程に噛みし締める。
ダンッ、とテーブルを両手で叩き椅子を蹴倒しながら、ヒルデは立ち上がった。
「そうよ!私の方が相応しいんだから当たり前でしょ!!」
ヒルデがテーブルを叩いた勢いでティーカップが引っくり返り、陶器がぶつかる甲高い音が悲鳴のように響く。
中身の紅茶が、血のように白いテーブルクロスに広がっていった。
「お姉さま、なんてことを仰るのですか!!」
「うるさい!!」
アゼリアは顔を真っ青にしながらヒルデの腕を掴むと、ヒルデは汚い物を振り落とすようにアゼリアの手を叩く。
鋭い音が、庭園に響いた。
「っ…」
声を殺して痛みに耐えるアゼリアの白い手は、みるみるうちに赤く染まり、爪が当たったのであろう血の筋が手の甲に滲んでいた。
妹に怪我を負わせるという、淑女にあるまじき失態を犯した姉を庇うよう、アゼリアは手で傷を隠していた。
そんな妹を憎々しげに見下ろすヒルデは、金切り声を張り上げる。
「私の方がヘリオス様に相応しいしでしょ!マルム王国の血を引くわたくしなら両国の架け橋になるって、お母様が常々っ」
「およしなさい、ヒルデ」
唐突に響いた淑やかな声は、大きくもないのに空気にしっとりと滲んで、人々の耳に汲まなく染み込んでいった。
ヒルデは息を詰めると、恐れを抱えて縮こまるように背後を振り返る。
つられて視線を向けると、中庭の中央に敷かれた石畳を踏みながら、ゆっくりと近づいてくる靴音が優雅に響いた。
微かに吹く風が、僕たちを遠巻きにする令嬢たちの合間から滑り込み、甘く蠱惑的な匂いが僕の鼻先を擽った。
途端に、背中にぞろりと虫が這うような悪寒が走る。
甦ったのは、婚約式の夜の不貞の声。
そして、僕が、最後に母を見た時の記憶だった。
「…、…この匂い…」
「ローゼ…大丈夫かい?」
緊張し、ドクドクと痛いぐらいに脈打つ鼓動のせいで、フロレンスの声が上手く聞き取れない。
両手を胸に添えて抑えながら、コルセットに阻まれて上手く膨らまない肺に、どうにか酸素を送り込んでいく。
───落ち着け、これは…チャンスだ。
自分自身に言い聞かせる僕の前で、ゆっくりと人垣が割れていく。
そして妖艶という言葉に肉体を持たせたような女性が、姿を現した。
「幼くして母を亡くした者がいるならば、名乗りでよ。公国を護るため自分を犠牲にできる者は、前に進み出れば良い。その者だけが、公爵家に石を投げることが許される」
凛として透き通って響くフロレンスの言葉は、齢12の頃から公国の守護者として戦場の前線に立ち続けているからこそ、人々の心に重くのし掛かった。
不穏な空気が一掃される代わりに、誰しもが自分を恥じるように俯く。
静まり返った庭園の中央で、フロレンスの薔薇色の瞳に射抜かれたヒルデだけが、怒りに燃え上がる紅い瞳を僕とフロレンスに向けていた。
「ヒルデ嬢、君に尋ねたい。母を亡くし、父と兄と、そして民から信用を失いかけながら、幼い頃から公国を背負う重責と戦い、公国のために生きるローゼリンドを…君は大公妃に相応しくないと言うのか?」
フロレンスの問い掛けに、ヒルデは歯を軋ませる程に噛みし締める。
ダンッ、とテーブルを両手で叩き椅子を蹴倒しながら、ヒルデは立ち上がった。
「そうよ!私の方が相応しいんだから当たり前でしょ!!」
ヒルデがテーブルを叩いた勢いでティーカップが引っくり返り、陶器がぶつかる甲高い音が悲鳴のように響く。
中身の紅茶が、血のように白いテーブルクロスに広がっていった。
「お姉さま、なんてことを仰るのですか!!」
「うるさい!!」
アゼリアは顔を真っ青にしながらヒルデの腕を掴むと、ヒルデは汚い物を振り落とすようにアゼリアの手を叩く。
鋭い音が、庭園に響いた。
「っ…」
声を殺して痛みに耐えるアゼリアの白い手は、みるみるうちに赤く染まり、爪が当たったのであろう血の筋が手の甲に滲んでいた。
妹に怪我を負わせるという、淑女にあるまじき失態を犯した姉を庇うよう、アゼリアは手で傷を隠していた。
そんな妹を憎々しげに見下ろすヒルデは、金切り声を張り上げる。
「私の方がヘリオス様に相応しいしでしょ!マルム王国の血を引くわたくしなら両国の架け橋になるって、お母様が常々っ」
「およしなさい、ヒルデ」
唐突に響いた淑やかな声は、大きくもないのに空気にしっとりと滲んで、人々の耳に汲まなく染み込んでいった。
ヒルデは息を詰めると、恐れを抱えて縮こまるように背後を振り返る。
つられて視線を向けると、中庭の中央に敷かれた石畳を踏みながら、ゆっくりと近づいてくる靴音が優雅に響いた。
微かに吹く風が、僕たちを遠巻きにする令嬢たちの合間から滑り込み、甘く蠱惑的な匂いが僕の鼻先を擽った。
途端に、背中にぞろりと虫が這うような悪寒が走る。
甦ったのは、婚約式の夜の不貞の声。
そして、僕が、最後に母を見た時の記憶だった。
「…、…この匂い…」
「ローゼ…大丈夫かい?」
緊張し、ドクドクと痛いぐらいに脈打つ鼓動のせいで、フロレンスの声が上手く聞き取れない。
両手を胸に添えて抑えながら、コルセットに阻まれて上手く膨らまない肺に、どうにか酸素を送り込んでいく。
───落ち着け、これは…チャンスだ。
自分自身に言い聞かせる僕の前で、ゆっくりと人垣が割れていく。
そして妖艶という言葉に肉体を持たせたような女性が、姿を現した。
0
お気に入りに追加
41
あなたにおすすめの小説
お妃さま誕生物語
すみれ
ファンタジー
シーリアは公爵令嬢で王太子の婚約者だったが、婚約破棄をされる。それは、シーリアを見染めた商人リヒトール・マクレンジーが裏で糸をひくものだった。リヒトールはシーリアを手に入れるために貴族を没落させ、爵位を得るだけでなく、国さえも手に入れようとする。そしてシーリアもお妃教育で、世界はきれいごとだけではないと知っていた。
小説家になろうサイトで連載していたものを漢字等微修正して公開しております。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【完結】6人目の娘として生まれました。目立たない伯爵令嬢なのに、なぜかイケメン公爵が離れない
朝日みらい
恋愛
エリーナは、伯爵家の6人目の娘として生まれましたが、幸せではありませんでした。彼女は両親からも兄姉からも無視されていました。それに才能も兄姉と比べると特に特別なところがなかったのです。そんな孤独な彼女の前に現れたのが、公爵家のヴィクトールでした。彼女のそばに支えて励ましてくれるのです。エリーナはヴィクトールに何かとほめられながら、自分の力を信じて幸せをつかむ物語です。

【完結】悪役令嬢の反撃の日々
くも
恋愛
「ロゼリア、お茶会の準備はできていますか?」侍女のクラリスが部屋に入ってくる。
「ええ、ありがとう。今日も大勢の方々がいらっしゃるわね。」ロゼリアは微笑みながら答える。その微笑みは氷のように冷たく見えたが、心の中では別の計画を巡らせていた。
お茶会の席で、ロゼリアはいつものように優雅に振る舞い、貴族たちの陰口に耳を傾けた。その時、一人の男性が現れた。彼は王国の第一王子であり、ロゼリアの婚約者でもあるレオンハルトだった。
「ロゼリア、君の美しさは今日も輝いているね。」レオンハルトは優雅に頭を下げる。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。

叶えられた前世の願い
レクフル
ファンタジー
「私が貴女を愛することはない」初めて会った日にリュシアンにそう告げられたシオン。生まれる前からの婚約者であるリュシアンは、前世で支え合うようにして共に生きた人だった。しかしシオンは悪女と名高く、しかもリュシアンが憎む相手の娘として生まれ変わってしまったのだ。想う人を守る為に強くなったリュシアン。想う人を守る為に自らが代わりとなる事を望んだシオン。前世の願いは叶ったのに、思うようにいかない二人の想いはーーー
神様 なかなか転生が成功しないのですが大丈夫ですか
佐藤醤油
ファンタジー
主人公を神様が転生させたが上手くいかない。
最初は生まれる前に死亡。次は生まれた直後に親に捨てられ死亡。ネズミにかじられ死亡。毒キノコを食べて死亡。何度も何度も転生を繰り返すのだが成功しない。
「神様、もう少し暮らしぶりの良いところに転生できないのですか」
そうして転生を続け、ようやく王家に生まれる事ができた。
さあ、この転生は成功するのか?
注:ギャグ小説ではありません。
最後まで投稿して公開設定もしたので、完結にしたら公開前に完結になった。
なんで?
坊、投稿サイトは公開まで完結にならないのに。
侯爵令嬢に転生したからには、何がなんでも生き抜きたいと思います!
珂里
ファンタジー
侯爵令嬢に生まれた私。
3歳のある日、湖で溺れて前世の記憶を思い出す。
高校に入学した翌日、川で溺れていた子供を助けようとして逆に私が溺れてしまった。
これからハッピーライフを満喫しようと思っていたのに!!
転生したからには、2度目の人生何がなんでも生き抜いて、楽しみたいと思います!!!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる