ワケあり公子は諦めない

豊口楽々亭

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陰謀の庭園

シュルツ伯爵

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最初に男を見て受ける印象は、剥きたての茹で玉子だ。
首との境目が曖昧な丸い顔。
丸々とした胴体は、白で統一された盛装がほどこされている。
太い首を締め上げるアスコットタイが、どうにも窮屈そうだった。
下りてきた男…シュルツ伯爵は滲んだ汗をハンカチで拭いながら、僕とフロレンスの前で立ち止まった。

「シュルツ伯爵自らお出迎えくださいますなんて、感激ですわ」

僕はスカートの裾を優雅につまみ上げて、膝を折る。
隣のフロレンスは、僅かに頭を下げて礼をしてみせた。
非常時に対応できるようにと、いつも男装を崩さないフロレンスは、今日もロイヤルブルーのアスコットタイに、家紋の刺繍が胸に施された細身の黒いジャケット、そして同色のパンツを履きこなしている。
長い足にすらりとした身体、美しい顔立ちは女性的でありながら凛とした気高さに満ちていた。
その横顔が、僕のことを好きだと言った少女のような顔と重なる。

僕は急に恥ずかしくなると、できる限りフロレンスを見ないように視線をシュルツ伯爵に向けた。

「お二人の公爵家に比べればみすぼらしい我が家でございますが、お楽しみ頂ければ幸いです」

僕は、シュルツ伯爵の言葉に誘われ周囲を見渡す。
エントランスホールの天井は吹き抜けとなり、丸いドーム型の天井の頂点には、明かり取りの十字窓が一つ。
柔らかく波打つ硝子を透かして陽射しが降り注ぐと、十字架のように落ちる窓の影。
邸宅の柱は、年輪を重ねるよう深い艶を帯び壁の一部として等間隔に鎮座していた。
素朴さと重厚さを尊重するエスメラルダ公国らしい作りだ。

しかし、その素朴さと相反して邸宅の中は目映いはがりの色彩だった。
十字架の影が落ちる床は、黒と白の大理石でモザイク柄を作っている。
本来は白か、もっと穏やかな色であろう壁は、臙脂色に変えられ、金の蔦柄が箔押しされていた。

壁際に置かれた休憩用の椅子の枠組には緻巧な彫刻が施され、目映い黄金に輝いている。
緞子張りの派手な座面が、鮮やかな色彩で僕の目を痛め付けた。
様々に飾り付けられた室内は、まさに絢爛豪華を良しとするマルム王国の様式だった。

真新しさと古めかしさが混在する邸宅を、異国情緒と捉えるか、異質と捉えるかは意見が分かれるところだ。

「いえ、見事なお屋敷です。まるでマルム王国を訪問しているようだ。これはやはり、伯爵婦人の采配ですか?」
「ええ、家のことは妻に任せておりましてな」

フロレンスが問い掛けると、シュルツ伯爵はさも嬉しそうに頷いて見せる。

「家にも力を入れてはいるんですが、特に妻がこだわっているものがありましてなぁ」
「あら、奥様は何がお好きなんです?」

僕が興味を惹かれたのを見るや否や、綺麗に生やしている口髭を指で引っ張りながら、シュルツ伯爵は得意気に胸を張ってみせた。

「我が伯爵家では、植物に最も力を入れてるのですよ。庭は全てマルム王国風に整え、庭師も同国から雇い入れた者でしてね」

僕の脳裏に、馬車から見た庭の姿が思い浮かぶ。
各国に戦端を開いては、領土拡大を重ねているマルム王国を象徴するような猛々しく赤一色に染められていた。

「確かに、お庭を拝見しましたが植物もマルム王国の物ばかりでしたわね」
「さすが緑の精霊の公女様。気付かれる方は少ないのですが、全てマルム王国から取り寄せたものでしてな」
「あら、素敵だわ…特に珍しいお花など、ございまして?」

興味本位に問い掛けた僕に、待ってましたと言わんばかりに目を輝かせるシュルツ伯爵は、少しだけもったいつけるようなゆっくりとした動きで、僕らの方へと顔を寄せてきた。

「これは、妻に内緒にするように言われているのですが…実はですな、マルム王国の王室のみで栽培が許されている花があるのです。妻が嫁入りの時にその花を下賜されて、持参してきたのですよ」
「奥様は…マルム王国の王弟が侯爵家に入婿されて生まれた方でしたね、確か」

傍らのフロレンスが確かめるように口にした言葉を、伯爵は誇らしげに頷いて肯定してみせる。
そうなるとシュルツ伯爵の妻である伯爵婦人は、マルム王国の現国王の姪子にあたる方だ。
そんな方なら、王室から花を賜ったとしてもおかしくはない。

「妻と庭師しか近寄ることのできない花でしてね、妻専用の庭で育てているのですよ。その花で作った香水を身に纏った妻は、本当に女神のような美しさでしてな」

少年のように頬を綻ばせて妻を褒め称える伯爵は、良くも悪くも裏表のない人のように見えた。
僕は思わず口許に手を添えると、密やかに微笑みを漏らした。

「伯爵様は、奥様を深く愛していらっしゃるのですね」
「え、ああ…はい。私にはもったいない美しく、しとやかな妻でして」

伯爵は、卵のようにつるっとした頭に滲んだ汗を、隠しきれない面映ゆさと一緒に拭ってみせる。

「マルム王国との関係もあって社交界には余り顔を出さんのですが、今日は挨拶にやりますのでどうぞ話してやってください」
「わたくしも、楽しみにしておりますわ」

照れ臭そうに笑うシュルツ伯爵の純粋さに、妹の失踪に絡んでいるのではという疑いが、わずかに薄れる。
肩の力を少し抜く僕の背後へと、伯爵が視線を向けた。

「おお、私としたことが長々とお引き留めして申し訳ない。どうやら娘達が首を長くして待っているようですな」

シュルツ伯爵の視線の先を追って振り返ると、そこに着飾った従女が頭を下げて佇んでいた。

「どうぞパーティーを楽しんでいってください」
「ありがとう存じます、シュルツ伯爵様」
「感謝します、伯爵」

僕とフロレンスがそれぞれ礼をすると、シュルツ伯爵に背を向けて、従女の案内に従うために踏み出した。
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