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プロローグ

それは7日前のこと

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16才の双子の妹が行方不明になった。
その一報に、僕は地面の底が抜けたような驚きと、半身が砕かれるのに似た衝撃を覚えた。
ぐらり
世界が揺れて足元がおぼつかなくなると、執務机の天板に片手をついて身体を支える。
余程酷い顔をしていたのであろう、言葉を伝えに来た父の従者であるカルロッソの表情が、蒼白になっていく。

「公子様、お気を確かに」

カルロッソが駆け寄ってきて、そっと背中にてのひらをおいた。
伝わってくる気遣いと体温が、辛うじて僕を正気でいさせてくれた。
ジークヴァルト・フォン・カンディータ。
僕が産まれた時に与えられたのはこの名前と、この国、エスメラルダ公国の中で二つだけ存在する、公爵家の跡継ぎであるという地位。
そして双子の妹の存在だ。

妹の名はローゼリンド・フォン・カンディータ。
名のごとく、天上に咲き誇る薔薇のような少女だった。
銀糸を織り込んだかのように、日射しに透ける豊かな髪。
頬を染めて微笑う姿は、咲き乱れる春先の薔薇。
亡き母に良く似た瞳は、美しい瑠璃るり色だった。
いつだって明るい声が、優しく僕を兄と呼んでくれた。
僕と同じ顔であるはずなのに、こうも印象が違うものなのかと…不思議に思うほどだった。
あまり優秀とは言えない僕が、公子として前を向いていられたのも、大公子妃たいこうしひとして定められ、ひたむきな努力を重ねる妹がいたからだ。
いずれの日にか、輝く王冠をいただく彼女を支えられるような、公爵になる。
それが僕の目標だった。

───将来の大公妃になるため、ずっと努力し続けてきたローゼが自分の意志でいなくなるはずなんて、ない。

妹を見守ってきた僕には、確信があった。
あの子を今すぐ、探し出さなければ。
僕は気持ちを奮い立たせると、先触れも出さずに父の元へと駆け出した。

「父上!いえ、ノヴァリス公爵!!何があったのですが!?」 

勢い良く扉を開くと、そこには執務中の父…ノヴァリス・フォン・カンディータ公爵の姿があった。
温和で優しい父の書斎は植物に溢れ、花はかんばしい香りを放ち、葉は常に柔らかな新緑の色を湛えている。
いつもと変わらない風景の中、僕だけが異物のように浮き上がっているようだった。

「落ち着きなさい、ジークヴァルト」

父は穏やかな声でそう告げると、後から僕を追い掛けてきた父の従者であるカルロッソと僕だけを残して、部屋にいた従者たちを下がらせた。
背後で静かに扉が閉じ人が出払った瞬間、父が机の上に突っ伏した。

濃い鋼色はがねいろの髪が乱れ、勢いに耐えかねた書類が雪崩なだれを起こし、床へと崩れていく。
温厚で、おおらかな寛容かんようさに満ちた父しか知らない人々には、見せられない姿だ。

「どうしよう、ジーク。私達のローゼがいなくなってしまった」

父のしおれた声に応えるように、室内の全ての草花が生気を失い、先程まであんなにも活力に満ちていた姿が嘘のように枯れていった。
ウィリンデ緑の精霊の加護をもつカンディータ公爵家の、植物を従える異能いのうが影響しているのだ。
当主である父は公爵家の血統の中でも、取り分け力が強い。
願えば、公国の植物全てを枯らすこともできるほどだ。

「落ち着いて下さい、父さん。植物が枯れてる。外にまで広がったらどうする気ですか」
「……国の草木を枯らせば、ローゼを見つけやすくなるかもしれないよ?」
「止めてください。逆賊ぎゃくぞくとして、家を危険に晒すつもりですか。ローゼが悲しむ」

僕がローゼリンドの名を持ち出すと、ぴたり、と植物の立ち枯れは止まり、再び青々とした葉が芽吹き始めた。
影響力の凄まじさを改めて見せつけられる。同時に、我が子に対する愛情の深さも知らしめていた。
精霊の血筋である公爵家には、異能だけではなく性格も代々引き継がれている。
僕たちウィリンデ緑の精霊の家系であるカンディータ家は、愛情深く、慈愛に満ち、人々に豊穣ほうじょうを約束する一族だ。
だが、大切な者のためなら、どんな犠牲も厭わない────深すぎる愛は狂気も孕んでいるのだ。

父の性格はまさに、ウィリンデの家系の典型だった。

「3日後はあの子が待ちに待った日、婚約が公示される晴れの舞台だ……あんなに喜んでいたのに。このままではあの子の瑕疵かしになってしまう。それに、あの子になにかあったら、私は────」

父は震える手で顔を覆って俯いた。
婚約式はすぐそこに迫り、すでに発表もされている。
外では祝いの準備が続き、婚約式に使われるドレスが大公子妃の宮で妹を待っていた。
失踪した、なんて騒ぎになれば公爵家の名と信用は地に落ちるだろう。
でも、それより何より恐ろしいのは、妹に集まる批判と噂だ。
婚約を嫌って逃げ出したやら、駆け落ちをしたやら、いわれのない誹謗中傷の嵐にか弱い妹が晒される。
想像するだけで、怒りが込み上がった。

「父さん、ローゼの行き先に心当たりは?」
「ない、というより、いつ居なくなったのか、誰も知らないのだよ。無事でいてくれるかどうか」

父の指は震え、祈るように組み合わされる。
僕の胸にも、不安が募った。
しかし今は、できることをやるしかなかった。
いつ戻って来ても良いように、妹の輝かしい前途を守らなければならない。
僕は拳を胸に押し当て、まっすぐに父上を見つめた。

「父さん、人を使って探して下さい。見つかるまで、僕が妹の身代わりになります」

僕は妹になりかわることを決めたのだった。
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