石碑の女神と魔の君主

豊口楽々亭

文字の大きさ
上 下
2 / 2

石碑の女神と魔の君主

しおりを挟む
『暇だわ』

声にならない思考がこぼれた。実際は口もないからこぼれ出る先もないのだけど。
たった一人で佇んでいると、どうしたって頭の中での独り言が多くなってきてしまう。
お喋りの相手でもいれば、と思うのに私の相手ときたら時折吹く風ぐらいのものだ。

昔はもっと色んな人がいて、色んな笑い声があって、色んな気持ちが生まれたように思う。なのに、ぼんやりとしか思い出せない。
意識を持った今の方が、記憶が曖昧だった。

『どうしてかしら』

もしかしたら、寂しくて偽物の記憶を作り出して懐かしがってるだけかもしれない。
だとしたら、私は相当危ないヤツだわ。寂しい石碑暮らしが長いせいで狂ってしまったのかしら?

そんなことを悶々と考えていると、急に私は叩かれた。

「これですよね、今日撤去するヤツ」

「そうだ、そんなデケェもんでもねぇからさっさと片付けるぞ」 

少し前から度々訪れていた男達が、私に無造作に触る。
私は石碑だけど、羞恥心は持ち合わせてる。声があったら止めて!と叫んでいただろう。

でも、どんなに思っても誰にも声は届かない。

こんなにも石碑であることがもどかしいなんて…

そこまで考えて、私は気付いた。
意識が生まれた時から石碑である私が、その事に不自由に感じるなんて。

『それじゃあまるで、私に石碑じゃなかった時があったみたいじゃない』

自由を知っているから、不自由を感じているのだ。
そう気付いた途端、私と霧に閉ざされたような記憶が明瞭になっていった。

同時に震える程の恐怖が沸き上がって、頭の中で自分の声がガンガン響く。

『待って、待って!待ってっっ、私、生きてるのっ!待って、私から意味を奪わないでっっっ』

そんな願いは、地鳴りを響かせ迫る鋼鉄の機械によって掻き消されてしまった。石碑に掛かる力、めいっぱい無慈悲に薙ぎ倒される私の下から、夜よりも昏い何かが暴れ出る。

「ひっ、なんだっ、…これ、なんっ…────」

「いでぇぇえ、いたいっ、なんでっ、こんなっ…っっ」

悲鳴が上がった。
耳を覆いたくような、悲痛な声が。
細やかな粒子のような闇が石碑を避けるように広がり、工事に携わっていた男達を覆い尽くす。
闇が触れた先から皮膚を溶かし、肉を咀嚼しながら腐蝕が進んでいった。

喰らわれ、薄黄色い骨を齧られ、脂肪が溶ける。

腐敗した体液を吐き出しながら崩れ落ちる男達が横たわる地面もまた、腐った汚泥に飲み込まれていた。
石碑であったはずの私は、顔を上げる。
紅く燃えるような髪が、肩から滑り落ちていった。

見上げた先にあったのは、蒼白い美貌だった。
懐かしい顔に数百年ぶりかも分からない私の声が、細く漏れる。

「ジークリンド…」

「ブリュンヒルデ…」

彼の薄い唇が、柔らかく開かれた。
お互いが最初に口にした名前が殺し合った相手だなんて、こんな皮肉なことがあるだろうか。

私は思わず唇を歪めた。

「私を殺すために目覚めたの?ジーク」

「ああ、そうだよ。俺の愛しいブリュンヒルデ」

この上なく優しく囁く彼の声は、昔も今も変わらずに甘くて、愛しい。
この人を犠牲にした罪悪感と、痛みで心臓が止まりそうだった。
人の形を取り戻せば、記憶が鮮明になっていく。

幼い頃に繋いだ手の温もり。いつも両親に殴られていた彼を連れ出して、冒険者になった日の太陽の輝き。
初めて触れ合った時の、心臓の高鳴り。

そして、人の穢れを抱えて魔と化した彼に突き立てる、刃の冷たさ。

「だったら、早くして」

「何を言っているんだ、ブリュンヒルデ。君には俺を倒す義務があるだろう?そのために、俺はこの穢れを自分の身体に招いたんだ」

私は辛くて、真っ直ぐに彼の顔が見られなかった。なのに、彼は私に自分を倒せと囁くのだ。
私は思わず、弾かれたように顔を向ける。

人の悪意や澱を引き受け、穢れ自身となった今でも彼の瞳は変わらずに美しく、澄んでいた。

「っ…、…もう二度と、嫌よ!貴方に剣を振り下ろした時のことをまだ覚えているのにっ」

数百年前、土を癒し、人を治癒する能力のある私を人々は女神ともてはやしていた。私も期待に応えようと必死だった。

そして、引き返せないところまで来てしまったのだ。

当時、人の怨嗟を受け止め続けた大地は穢れ、腐敗が徐々に広がっていった。それを止める役割として、私に白羽の矢が立てられた。
でも、方々に生まれる穢れを癒すには私一人じゃどうしようもなくて…終わらない浄化の旅に疲弊した私に、彼が救いの手を差しのべた。

────自分が全ての穢れを引き受けるから、俺ごと穢れを討ち取ってくれ────

そう言って微笑んだ彼の笑顔が、今でも忘れられなかった。

「ブリュンヒルデ…俺はもう君に負けることはない。そして、君を贄にして生き残った者たちを、許しはしないよ」

「ジーク…っ」



私は彼の透きとおった瞳を信じられない思いで、凝視した。
彼は、私の最後の日を知っているのだろうか。女神として戦った先の物語を。
彼の肉体と共に祓われた穢れは、弱くとも僅かに燻り続けていた。祓いきれない私を無能と断じた国々は、私を封印の礎として彼の肉体と共に埋め、その上に石碑を建てたのだ。

人々には、私が自ら犠牲となったと喧伝し。

「ジーク…っ、私それでも良かったの!裏切られても、貴方が側にいてくれたから…、…私の死にも、貴方の死にも、意味があるって思えたからっ…」

「駄目だよ、ブリュンヒルデ。駄目なんだ…俺が守りたかったのは君の命、君だけの幸せ。でも、全く叶わなかったじゃないか!!」

私の悲鳴は彼に届かなかった。
代わりに彼の悲痛な声が、私のは鼓膜を穿った。
私は両手を伸ばして、虚ろ掴むように掻き握る。知ってほしかった彼への愛を集めるように。

その手を彼が、優しく包み込んで引き寄せた。

彼の皮膚から溢れだす昏い穢れは、私の肌の上を舌のように這い回り、触れた先から崩れ落ちていった。
全てを腐敗させる彼に、私だけがこうやって触れられる。

「ずっとずっと、戦おう。君が俺に勝てばもう一度、世界を救った女神になればいい。でも、もしも世界が終わったら…俺と結ばれよう…ブリュンヒルデ」

抱きすくめられると、彼の胸の中に私は閉じ込められる。
甘く昏い告白の行く末は、私にも彼にも分からなかった───
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

恋文

初心なグミ@最強カップル連載中
恋愛
──今、キミは何をしていますか?国の王子である主人公は、将来を誓いあった隣国のお姫様に恋文を送り続ける。しかし、恋文は何枚送っても帰って来ない。恋文が返って来ないのを知りつつも、愛しているキミにボクは恋文を送る。また、キミと逢えることを願って……

完結 そんなにその方が大切ならば身を引きます、さようなら。

音爽(ネソウ)
恋愛
相思相愛で結ばれたクリステルとジョルジュ。 だが、新婚初夜は泥酔してお預けに、その後も余所余所しい態度で一向に寝室に現れない。不審に思った彼女は眠れない日々を送る。 そして、ある晩に玄関ドアが開く音に気が付いた。使われていない離れに彼は通っていたのだ。 そこには匿われていた美少年が棲んでいて……

マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子

ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。 Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。

【完結】捨てられ正妃は思い出す。

なか
恋愛
「お前に食指が動くことはない、後はしみったれた余生でも過ごしてくれ」    そんな言葉を最後に婚約者のランドルフ・ファルムンド王子はデイジー・ルドウィンを捨ててしまう。  人生の全てをかけて愛してくれていた彼女をあっさりと。  正妃教育のため幼き頃より人生を捧げて生きていた彼女に味方はおらず、学園ではいじめられ、再び愛した男性にも「遊びだった」と同じように捨てられてしまう。  人生に楽しみも、生きる気力も失った彼女は自分の意志で…自死を選んだ。  再び意識を取り戻すと見知った光景と聞き覚えのある言葉の数々。  デイジーは確信をした、これは二度目の人生なのだと。  確信したと同時に再びあの酷い日々を過ごす事になる事に絶望した、そんなデイジーを変えたのは他でもなく、前世での彼女自身の願いであった。 ––次の人生は後悔もない、幸福な日々を––  他でもない、自分自身の願いを叶えるために彼女は二度目の人生を立ち上がる。  前のような弱気な生き方を捨てて、怒りに滾って奮い立つ彼女はこのくそったれな人生を生きていく事を決めた。  彼女に起きた心境の変化、それによって起こる小さな波紋はやがて波となり…この王国でさえ変える大きな波となる。  

夫が寵姫に夢中ですので、私は離宮で気ままに暮らします

希猫 ゆうみ
恋愛
王妃フランチェスカは見切りをつけた。 国王である夫ゴドウィンは踊り子上がりの寵姫マルベルに夢中で、先に男児を産ませて寵姫の子を王太子にするとまで嘯いている。 隣国王女であったフランチェスカの莫大な持参金と、結婚による同盟が国を支えてるというのに、恩知らずも甚だしい。 「勝手にやってください。私は離宮で気ままに暮らしますので」

それぞれのその後

京佳
恋愛
婚約者の裏切りから始まるそれぞれのその後のお話し。 ざまぁ ゆるゆる設定

女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。

矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。 女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。 取って付けたようなバレンタインネタあり。 カクヨムでも同内容で公開しています。

愛娘(JS5)とのエッチな習慣に俺の我慢は限界

レディX
恋愛
娘の美奈は(JS5)本当に可愛い。そしてファザコンだと思う。 毎朝毎晩のトイレに一緒に入り、 お風呂の後には乾燥肌の娘の体に保湿クリームを塗ってあげる。特にお尻とお股には念入りに。ここ最近はバックからお尻の肉を鷲掴みにしてお尻の穴もオマンコの穴もオシッコ穴も丸見えにして閉じたり開いたり。 そうしてたらお股からクチュクチュ水音がするようになってきた。 お風呂上がりのいい匂いと共にさっきしたばかりのオシッコの匂い、そこに別の濃厚な匂いが漂うようになってきている。 でも俺は娘にイタズラしまくってるくせに最後の一線だけは超えない事を自分に誓っていた。 でも大丈夫かなぁ。頑張れ、俺の理性。

処理中です...