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 一月は行く月とはよく言ったものだ。
 お正月気分が抜けきらぬうちに早くも月は半ばを越え、いよいよ例のプレゼンが迫って来ていた。
 それと同時に果梨がここを去る日のカウントダウンの数字も小さくなって行く。
 唯一大切だったものを無くした果梨とは対照的に、藤城の態度は普段と変わらなかった。
 どこまでも他人行儀で、任される仕事も単調な事務仕事だけ。数字の打ち込み、他の人間の経費管理。会議の準備、お茶汲み、コピー。資料の作成や何かは一切回ってこない。
 理由はなんとなく分かって居る。
 自分に掛かっている有りもしない嫌疑の所為だろう。香月の視線が絶対零度の如く低い事から、彼女が果穂から貰った、部署内の事情を記した用紙の存在を知っている事が推測された。
 目に見えて何かが変わったわけではない。だが、確実に藤城が果梨に話しかける頻度は減っていたし、連れ歩くような事も無い。
 望んでいたのはこう言う事だったじゃないかと、彼女は何度も自分に言い聞かせ、意が痛くなる理由は無いはずだと何度も何度も納得しようとした。それに……自分の事を話した際にこうなる事は予測済みだった筈だ。
 だがいくら「こうなる」という過程とシミュレーションを繰り返したからと言って自身がそれに耐えられるかどうかは別だと思い知らされた。準備をしておけばどんな局面でも乗り越えられるとは言うが、例え準備をしていたとしても最終的に物を言うのは自分の心なのだ。
 咲いた花がゆっくりと萎れていく。綺麗なまま散るのではなく、元気を失い色褪せ萎れていく。
 果梨が抱いた藤城への気持ちは、そんな彼女の状況とそっくりシンクロしていた。
 そんな萎れ、枯れていく果梨の様子に気付いていた人間もちゃんといる。
 一人は当然だと優越を滲ませ、出る杭は打たれるのよとほくそ笑み、もう一人は訳の分からぬ苛立ちに大声でわめきたい気分だった。
 そんな果梨に我慢できず、先に手を出したのは羽田麗奈だった。
「ちょっとアンタ。私に付き合って」
「え?」
 帰ろうとしていた果梨の手を掴んで麗奈が強引に引っ張る。
「ちょ……は、羽田さん?」
「近くでそんなお通夜みたいな顔されてるとムカつくのよ」
「でも……」
 ふと周囲を見渡せば、得意そうな香月の視線が一瞬だけこちらを見詰めているのに気付いた。ここ最近よく見る。特に例のプレゼンを彼女が引き取ってからは。
 唐突に下された藤城の理不尽な命も、果梨にはよく判った。自分にそういう内部に通じる仕事はさせられないというのだろう。もちろん白石からの抗議が有ったが藤城は「なら一人でやれ」と取り付く島もなく斬り捨てた。
 唐突な交代劇の理由を果梨は白石に話していない。
 白石が、果穂が居なくなった理由を知っていて果梨を庇っていると藤城に気付かれたら、二人の間に溝が出来ると思ったからだ。
 知らず優雅に藤城のデスクに近づく香月を眺めていた果梨は、強引に腕を引かれて抗議するつもりで振り返った。
「何?」
「鬱陶しいのよ、アンタ」
「は?」
「いいから行くわよ!」
「だから……どこに行こうっていうわけ!?」
 そのまま果梨を引きずって歩き出す麗奈に歩調を合わせながら、果梨は久々に藤城以外の事で首を傾げた。そのまま「お疲れ様です」を連呼しながら会社を後にし、連れて行かれたのは裏通りに派手に煙をまき散らす小さな焼肉屋だった。




「さ、どれにする?」
「…………あの……」
「上からランク付けがされてんのよ。やっぱ一番は人事部でしょ。ここにコネを作っといても損は無いわね。経理は頭が固い理系ばっかだからあんまりお勧めしないけど営業の派手で口先三寸よりは将来性が有りそうよね。」
「あの……もしもし?」
「建築は経営に左右されがちだから安定を求めてるのならお勧めできないかな~」
「もしもーし」
「開発は課長があれだから、細かい細かい。てか細かいの集めてるよね、絶対。それから―――」
「ちょっと羽田さんッ」
 自分のスマホを高速でスクロールさせ、次から次へと男性の連絡先を表示させる麗奈に果梨は眩暈がした。
「なによ」
 ケロッとした顔の麗奈が顔を上げる。
「ど……どれにするって……お肉じゃなくて?」
「肉みたいなもんでしょ」
 その発言アリですか!?
 ぎょっとする果梨を、麗奈はじーっと見詰め、やおら半眼で溜息を吐いた。
「あっそ。じゃ、私の上カルビ、カルビ、中落ちカルビのラインナップは置いておいて」
 置いておくだけ!?
「何食べる? 私は塩ホルモンとタン塩と鳥皮と軟骨でいいわ」
 あとビールね。
「…………お、王道じゃないんだ……」
 何そのチョイス。親父か! と内心で突っ込みながら、果梨は普通にロースやカルビなんかを頼んでいく。
「これ美味しそうじゃない? 梅肉セセリとか……」
「で?」
「え?」
 どうせ二人で食べるのだから、二人で楽しめる物が良いんじゃないかと気を利かせて尋ねた所、疑問形の単語が飛んで来た。
「で!?」
 ややトーンが跳ね上がる。
「……え?」
 果梨の眉間に皺が深くなる。店員さんが忙しそうに背を向けて去っていくのを見ながら、麗奈が「あんたのお通夜の原因よ」と唐突に切り出した。
「お……つや……」
「最初に言ったわよね。あんた、終日お通夜みたいな顔してるって」
「終日は言ってないわよ」
「じゃあここ二週間」
「それも言ってない」
「んな揚げ足取りはどうでも良いのよ。実際二週間お通夜みたいだったし」
 そうかもしれない、と果梨は苦笑し胸の中で想像する。棺に入った『関係が壊れる前の自分』。それを弔おうと静かに涙する―――自分。
「その顔ッ! ムカつく」
「え?」
 サービスのナムルを口に運びながら麗奈が、鼻に皺を寄せて指摘した。
「その顔よ、その顔! 自分一人が辛いみたいな顔しちゃって。悲劇のヒロインですか~?」
 馬鹿にした口調に、果梨は久々にカチンと来た。
 だったら何が悪い。散々人に振り回されて、結果見付けた物を台無しにした。
 完璧な悲劇のヒロインじゃないか。
「…………羽田さんには……判らないわよ」
 奥歯を噛みしめながら果梨は告げた。視線をやって来たビールのジョッキに注いだ。金色の液体の中を自由奔放に細かな泡が漂っている。室温は暑いくらいで、グラスの縁を丸い水玉が滑り落ちて行った。
(そう……誰にも……判らないわよ)
 入れ替わりなんかしなければよかった。あのまま普通に生活して、普通に職を探して新たな生活を始めれば良かった。そうしたら、藤城康晃という男に出会う事も無かったし、あんな風に酷い言われようで責められることも、疑いの眼差しで罵倒されることも無かった。
 入れ替わりなんかしなければ良かったんだッ!
(果穂になんか関わらなければ良かった……)
 悲劇のヒロイン。
 大いに結構じゃないか!
「―――馬鹿じゃないの」
 もう何度目になるか判らない涙が、じわりと視界を霞ませた。その瞬間、冷たい井戸水に更に氷を入れて冷蔵庫で冷やしたような、歯が痛くなる程冷たい水のような声が果梨の全身にぶっかけられた。
 はっと顔を上げると、頬杖を付いた麗奈がひやひやする眼差しで果梨を見詰めていた。
「……何がよ」
 溢れ出る「馬鹿じゃないの」オーラに気圧されて、掠れた声で尋ねると麗奈がは、と鼻で嗤った。
「悲劇のヒロイン気取りたいんなら、その中途半端な不幸ですオーラ出すの止めてくれない?」
 …………不幸ですオーラ?
 ぽかんとする果梨に、麗奈は一気にまくしたてた。
「勘違いしてるようだけどね、世の中不幸や悲劇なんて千差万別、一から十、松から梅、上空五千メートルから海底五千メートルまであんのよ。その中であんたの不幸ってどのレベルよ? 財産無くしたの? 天涯孤独? 病気で余命何か月ですとかなわけ!? あんたより不幸な人間なんて探せばいっぱいいるの! それをまあ……この世の終わりみたいな顔しくさっちゃって」
 酷い言われようだ。
 だが、紛れもなく痛む胸を抱えているのは事実なのだ。
「確かに、私はそう言う……海底五千メートルの人の不幸ほど不幸じゃないわよ。でも私だって私なりに辛くて―――」
「だ、れ、が! 海底五千メートルが最上級に不幸だって言ったのよ」
「………………え?」
 はー、これだからお子ちゃまは、と麗奈がぐいーっとビールのジョッキを傾ける。それからやって来た肉を煙を上げる七輪に並べながら吐き捨てた。
「深海五千メートルはイカ大王にとっては天国よ」
「………………ダイオウイカです」
「ダイオウイカだろかイカ大王だろうがどうでも良いのよ! んなことは! 私が言いたいのはね! あんたが不幸面してるのは結局自分が不幸だと思い込んでるからでしょってことよ! でもそれは他の人に取って見れば別段大したことじゃなかったりするわけ。松のうな重が食べれなくて梅しか食べれなくても、その人にとって最上級に美味しければどっちも幸せなのよ」
 幸せレベルで考えろ、馬鹿者。
(幸せ……レベル)
「アンタの幸せよ」
 ここまで言われなきゃ分かんない馬鹿だとは思わなかったわ。
 そう吐き捨てながら、麗奈は「取り敢えず食べなさい」とホルモンを果梨のゾーンに並べていく。
「いえ……あの私、内臓系は……」
「煩い、あたしの気遣いを蔑ろにするわけ!?」
「………………」
 座った眼で睨まれ、落ちた油で炎がぱっと燃え上がる。七輪から溢れる煙の幕を眺めながら、果梨は今言われた事をじっと考えた。
 幸せレベル。
 果穂から持ち掛けられた入れ替わり。そのお蔭で、自分は康晃と出会うことが出来た。彼から逃げようと必死になったが……結局捕まって。
 彼は、ちゃんと「果梨がやった」ことを評価してくれた。叱責後、悪かったと謝ってくれた。最低な元彼から護ってくれた。最高に幸せなクリスマスを経験させてくれた。
 自分の人生の中で初めて、「果梨」が幸せだった。
(あ……)
 不幸だと堪えた涙が、幸せの前には脆く瓦解する。ぼろぼろと涙が零れ果梨は掌で頬を拭った。
 そうだ。初めて果梨が幸せだった。
 物心ついた時から、果梨は姉である果穂の後を着いて歩いていた。何故なら果穂は積極的で楽しい事が大好きで、彼女に付いて行けば間違いなく楽しかったからだ。
 だがそれはいつしか、果梨として考える事を放棄する事態に繋がって行った。
 果穂から「いっしょにこうして」と頼まれれば同じファッションをしたし、「美人双子姉妹で売り出そう」と謎の提案を受けて二人でコンビを組んで、友人たちとカラオケではしゃいたりした。
 果穂は積極的にいろんな人と交流し、果梨はそれの後ろから付いて行く。
 それはやがて、果梨の中で「楽な」選択肢になって行った。
 果穂の真似さえしていれば、日の中を歩いているような気になったのだ。自分が輝いて見えた。
 果穂が自分を輝かせるためにやっていた事を、ただ真似ていただけなのに。
 いつの間にか自分は、自分で試した事も無いのに「輝いて」いるような気になって居た。
 だから、初めて出来た彼氏があんな最低人間だと気付きもせず、頼られていると満足した。
 なのに「果穂」の鎧が無い自分が弱かった所為で失敗して逃げ出して……最高の安息地である果穂から入れ替わりを提案されて飛びついた。
 また……果穂の真似をするだけで……彼女の鎧を借りる事で……他人の人生を覗き見るだけで……自分は傷付かないと。
 ナイトの鎧を着たポーン。
 それは身の丈に合わないと思っていたが、実は果梨自身が合わせることを拒んでいたのではないか?
 ポーンさえ頑張れば……とてつもない努力をして敵陣に乗り込めば……ナイトを素っ飛ばしてクイーンになることだって出来たのに。
 なのに。
 何一つ努力もしてない癖に悲劇のヒロインだと?
 それで康晃さんに信じて貰おうって?
 ――――馬ッ鹿じゃないの。
 果梨はあまりの己の情け無さに、そしていかに果梨を蔑ろにしていたかに気付いて、再び涙が零れるのが判った。
 それは後から後から溢れて、テーブルに水溜りを作るかと思われた。
 だが、それは確実に流れ、身体の外へと出て行く。
「―――麗奈さん……」
 静かに、だが派手にぼろぼろ涙を零しきった後、掠れた声で果梨が言う。
「なによ」
 タン塩を口に突っ込む麗奈に、ぐすっと鼻を鳴らしながら果梨は心の底からこう告げた。
「煙が目に沁みるから、ホルモン焼くの止めて貰えます?」






 ちらちらと雪が降る一月深夜。ふらふらした足取りの二人が細い路地をどこかに向けて歩いて行く。
「麗奈ししょー……あたしぃ~……しあわせになりたいれすー」
「あー、無理無理。あんた、自分意識低すぎなのよー」
「自分意識ってー?」
 あの後、お腹いっぱい肉を喰い、麗奈に奢ろうとして「あたしが誘ったんだからあたしが奢るのよ」と麗奈に押し切られた。
 イイ女は金払いも良いのよ、と彼女は目元を赤くし、座った眼差しでそう告げた。
 完全に羽田麗奈という人間を見誤っていた。
 単なる何も考えてない、リア充で有る為だけにリア充を目指してる女性だと思っていたのだ。
 だがその逆だ。
 彼女は「羽田麗奈」の為に、自分の為だけに、やりたい事・やりたくない事を選別し徹底しているだけなのだ。メンドクサイが……かなりなメンタルを持ってないと出来ないだろう。
 そんな麗奈がうふふ、と不気味に笑った。
「あたしはね~……幸せな結婚をしてぇ~馬鹿共を見返すのが最終目的なのよ~」
「…………それ……性格悪くないっすか~?」
「じゃああんたは何が最終目的なのよ」
「さいしゅうもくてき……」
「そー。その為に今現在やってることよ~」
 今日初めて、ようやく「果梨」を蔑ろにして来た事に気が付いた。なんとなく、でここまで来た。選べる道は一つしかないと、結果流されてここに居る。
 そうじゃなくて、高槻果梨、ただ一人が選ぶべき事は?
「…………私……」
 ふと顔を上げると、目の前にコンビニが有った。煌々と明かりのついた眠らない小さな店。そこに人は色々な理由で入り、色々な理由で出て、人生を歩いて行く。
 そこに寄る人も居れば寄らない人もいる。だが、二十四時間、年中無休でそこにあるのだ。
 それが街のいたるところに。
 人が居て、入ると「いらっしゃいませ」。帰ると「ありがとうございました」と言ってくれる。
「ちょいと果穂さん……寒いから肉まん買って喰うぞー」
「ししょー、あれだけ肉食べといてまだいけるんっすかーマジぱねぇっすねー」
 オカシナ子弟を演じながら、酔っ払い二人がど深夜に笑い転げる。
「やばくな~い、私達超やばいよね~、夜中の二時に肉まんとか、肉食女子かっての」
「ししょーに関しては否定しないっす」
「しーろーよー」
 けらけら笑いながら正面に辿りつき、果梨は明るく灯ったガラスの奥をじっと見詰めた。
「ししょー」
「あによ」
 ぶるっと身を震わせて中に入ろうとする麗奈に、果梨は後ろから声を掛けた。
「私ね……ちょー自分を蔑ろにしてましたわ」
「ほう?」
 振り返った麗奈が、真っ白な吐息を吐きだす。その向こうで果梨がぼんやりと店の灯りを見詰めていた。
「ししょーが言った最終目的……私……ひっどい恋愛をして逃げ出したとき……夜遅くまでやってた喫茶店で……ぼんやりしてたんですよね」
「ふーん」
「…………いい店だったなぁ……」
「潰れたの?」
「営業中っす」
 おいおい、と突っ込んだ後、「その話、落ちないんなら先に行く」と麗奈が酔っ払って尚自信に満ちた足取りでコンビニの中に入って行った。
「……いいですよね……誰かに何か言われたわけじゃないのに、そこにあるって……」
 ただそこにある事でほっとする。
 ぐっちゃぐちゃの自分だったが、そこに行くと「普通の時間」が自分の中に流れた。人が居て、コーヒーがあって、美味しいご飯があって。いつもと変わらない、「いたって普通の時間」がある。
「それって……いいですよね……」
 逃げ込める場所だケド、甘やかしてくれるわけではない。
 ただただ……フラットなのだ。
(深海五千メートルが幸せなイカ大王……)
 あれ、ダイオウイカだっけ? まあ……どっちでもいいか。
 上空五千メートルを飛ぶ飛行機に乗る人も、恐らくコンビニで買い物をする事もあるだろう。
 人が生きている、その場所の。いつもと変わらない、普通の時間。
(ルーク……)
 実家の喫茶店を思い出し、果梨は目を閉じた。
 果穂の望みでここに居る。
 だがそれは自分で選んだことでもある。
 きっかけは果穂でも選んだのは果梨だ。
 そして幸せな時間を得て、愚かさゆえに失った今の自分が、ここから始めなければならない事は?
(もう一度…………)
「おまたせ~」
 肉まんでしょ、ピザまんでしょ、あとアンマンとカレーマンと変わり種でチョコレートマン。
 ずっしり重たく、なのにふわりと暖かい袋を掲げる麗奈に、果梨は真っ直ぐに視線を合わせた。
「……麗奈師匠」
「……いきなり改まったな」
 怪訝そうな顔をする麗奈の肩を、果梨ががっしりと掴んだ。
「ちょっと……お付合いくださいませんか」





 タクシーを降りて見上げたそこは、オレンジの灯りが灯るマンションのエントランス。
 一人は肉まんを頬張り、一人はじっとスマホを見詰めている。
「ここどこよ」
 もぐもぐしながら尋ねる麗奈に、ちらっと視線を寄越すと果梨は深呼吸をした。それから徐に電話帳から引き出した番号を眺めた。
「果穂?」
「師匠」
 スライドさせて通話を開始する。耳に当てながら、果梨はひたと麗奈を見詰めた。
「今から私……全てに決着を付けます」
「…………決着?」
「お通夜の決着です」
「…………それって」
 マンションを見上げ、それから果穂に視線を戻す。いくらか酔いがさめ、冷気に当たった所為で青白くなった彼女の頬に麗奈は不安になった。
「もしかしなくても……」
 麗奈の予想では、果穂は何らかの事情で藤城部長と喧嘩をしたのではないかと言う事だ。それが鬱陶しくて、発破をかける為に連れ出したのだが。
 もしかして彼女がこれからやろうとしている事は……?
「もしもし」
 つながった電話の向こうから聞こえる声に、果梨は震える息を吐きだした。
「高槻果梨ですが、どこに居ますか?」





「おはようございます」
「おはよー」
「お疲れ様です」
「課長! これ承認してくれって頼んじゃないですか!」
「誰だよ……両面コピー失敗したの」
「あ、俺っす」
 ICHIHA社内は今日も順調にスタートを切り始めている。真面目に働く人、適当に働く人、取引先に謝りに行くのに胃が痛い人、社長巡回があるのできりきりしている部長等々。
 いたって変わらない日常だなと、昨日とは百八十度違う「果梨」が周囲を見渡した。
 何も変わっていない。ただ劇的に変化したのは自分だけ。
(そう……自分だけ)
「はよー」
 ぽん、と肩を叩かれて振り返る。そこにはにやりと笑った羽田麗奈が居た。
「…………ふーん?」
 今日の彼女の様子を頭から爪先まで見て麗奈のにやにや笑いが更に深まった。
「な、に、よ」
 眉間に皺を寄せて睨み返すと、彼女がクリームを前にした猫のような笑みを浮かべた。
「いやあ……お通夜頑張って、高槻果穂さん」
(余計なお世話よ)
 苛立ちながら内心で突っ込み、紺と黒の己のカッコウに苦笑する。
「ま、確かにお通夜か」
「じゃ、今日も張り切ってお仕事しましょうかね~」
 さっさと先に行く彼女はミニのスカートの白のブーツというレベルの高い格好だ。
 いつもの羽田麗奈だ。
 その後ろ姿に声を上げる。
「ちゃんと自分の仕事してよね、羽田さん」
 それに振り返った彼女がピンクの唇をアヒル型にした。
「もちろんですぅ」
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