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☆岩田が吠える
しおりを挟む綾部さんとの通話を終えた。
到着まで時間がある。僕は携帯を取り出し、岩田に電話をかけた。
今日病院に行ったこと、今から愛里を呉地市に連れ帰ること。そして、一番嬉しかった、岩田監督が愛里の人格障害を隠さないと誓ったことを話した。
さっき綾部さんから電話がかかってきて、岩田の様子が変だと心配していたこともちゃんと添えた。
そうか、と岩田が静かに言った。
続けて、今朝綾部さんにも禁断の関係を話す覚悟をしてたが、ダメだった、どうしても言えなかった、と嘆いた。
隠し事を打ち明けるのは辛い。なかなか言えるものじゃない。まして禁断の関係の場合、聞いた綾部さんもショックを受けるだろう。
恋が冷めるかもしれない。嫌いになるかもしれない。軽蔑するかもしれない。罵るかもしれない。
だけど、綾部さんなら……。本当に岩田のことを好きな綾部さんだから……。
「大丈夫だって、岩田」
真実味がないかもしれないけど。きっと。
「綾部さんはそんな女の子じゃない。真実を話すべきだ。嘘偽り無く自分をさらけ出せば分かってくれる。
もし仮に綾部さんが嫌だって言ったなら、岩田を突っぱねたなら、それだけのヤツだったってことだよ」
そう、全てを伝えてからでないと、何も始まらない。本当の自分を知ってもらわないと、何もできない。
綾部さんに応えることも、岩田自身の殻を破ることも。
『……、……』
「岩田よ、はっきり綾部さんにカミングアウトするべきだ。大丈夫。綾部さんならきっと理解してくれる」
少しの沈黙が流れ、岩田が言った。
『……悟りを開いたみたいな事を言うんだな』
「違うって。真実は真実。隠し事はよくないってことだ。
このまま隠し続けるつもりか? 違うだろ。
愛里ちゃんだってそう。人格障害者だとカミングアウトして、治療に専念する。
世間が騒ぎ出すだろうけど、それでもあいりんの人気があるのなら、ファンが支えてくれるのなら、愛里が芸能活動を続けたいと願えばすればいい。隠さないのが一番良いってことだよ」
滑らかに言葉が出る。
岩田が黙って相槌してくれるからもあるけれど、全てが上手く進んでいるからだ。
『そうか』
「そうだよ」
『そう思うのか……』
「もちろん。何事も隠し事はよくない」
『分かった、明日、綾部に話してみるよ』
「うんうん。頑張れ岩田!」
『次はお前だな、山柿』
「……僕」
突然岩田が妙な返しをしたので、声が裏返ってしまった。
『そうだ。隠すのが悪いって言っているお前が、一番隠し事が多い』
「えっ、いや、まあ」
『クローゼットの人形、自分の容姿、そして、心の奥底にしまい込んだ愛里への気持ち』
ちょっと、ちょっと、なに矛先を僕に向けてんだってーの!
いかん、マークⅢの口癖が伝染ってるし。
「ど、どうだっていいだろう。僕のことは」
『そうじゃない。母さんがな、言っていたんだ。坂本のお陰で、愛里が戻ってきた、と』
「意味がわからん」
『愛里の人格交代が起きたのは、俺が原因だ。だがな、セミ好きの愛里の人格で安定していたのを、ぶち壊したのはお前だ。幼稚園のときから4年以上も落ち着いていたあの愛里を心の中に閉じ込め、マークⅢを心から引っ張りだしたのはお前だ』
「僕が……、僕が引き金を引いた?」
頷く岩田。
自覚がない。全くない。
そもそも人格は愛里が困ったときに交代する。
その状況に一番対抗できる人格が代わりに主人格になるのは知っている。
岩田のいう通り僕が原因だとすると、僕は愛里が心の中に逃げ出したくなるくらい嫌がる何かをしたことになる。
それもマークⅢが交代人格として適任な何かをだ。
何をした? 僕は何をやらかしたんだ。
『よーく思い出してみろ。マークⅢが主人格に出る少し前だ』
初めてマークⅢが出たのは、愛里の感性を世間に公表するよう監督にお願いしにホテルへ行ったあの時だ。
僕が腹を割って監督と話していたら、マークⅡがいきなり乱入してきた。
監督がスタンガンでマークⅡをキゼツさせ、翌朝起きたらマークⅢが愛里の主人格に収まっていた。
マークⅡが意味もなく僕に攻撃してくるはずがない。
愛里がショックを受けたから。
ショック……なんだ、人格が交代するほどのショックって……。
監督との会話がリフレインする。
「貴様はバカか? 愛ちゃんの感性を公表するだと? あのおぞましい部屋を公表するだと? どうなるか想像がつかんのか!?」
「そんなの分かってます! 僕だってあの気持ち悪い部屋が、受け入れられないくらい!
愛里ちゃんの感性が不気味だって思ってますから!」
――おぞましい部屋。あの気持ち悪い部屋が受け入れられない。
――愛里ちゃんの感性が不気味。
そうか……いや、でも、それしか考えられない。
「愛里は聞いたんだ……。聞かれちゃいけない、あの会話を……」
一番信じていた人が、勇者さまと慕っていた人間が、実は自分を気持ち悪い、不気味、受け入れられない、と思っている。
表向きだけ愛想よくして、心の中では拒絶している。
自分を裏切った。嘘をつかれた。
ショックだったに違いない。心が張り裂けそうだったに違いない。
『お前が本気で言ったわけじゃないくらい、俺は知っている』
胸が苦しくなる。携帯を持つ手が震える。
「……岩田よ、あれが原因だと思う……」
絶望が憎しみに変わる。
愛里は僕に敵意を持ち、マークⅡと交代して僕を攻撃した。
しかしスタンガンで返り討ちにあい、そのまま心の中に消えた。
代わりに主人格なったのが、僕を嫌いで、僕をいじめるマークⅢだったというわけか。
心中にいるセミ好きの愛里は、僕を嫌ったままなのだろうか。
いや、そうだろう。そうに違いない。
もう慕ってはいない。むしろ軽蔑している。
綾小路とボディガードの一戦で僕を魔法でサボートしてくれたのは、愛里の優しさだ。同情だ。
『このままで良し、と思ったか。マークⅢのまま人格が安定するのを望んでいるのか』
唸るような低い声だった。
ドキリとする。心臓が竹刀で突かれたように苦しく、呼吸が激しく乱れた。
すやすや眠っている愛里のその顔。
閉じられた瞳の奥にある心の世界から、愛里がじっと息を潜めて僕を見ているのかと思うと……。
「な、なにを馬鹿な!」
そう否定しても後が続かない。辛い。
答えがない問題を永遠に解き続けるしかないのか、僕は。
『同じだよ、山柿。さっきお前が言っていただろう、隠さないのが一番だと』
隠さないのが一番。
『自分の全てを、思っていることを愛里に伝える。伝えたことで、愛里がどうなるのかは分からない。状況がどう変化するか分からない。だけどな、全てをさらけ出す事こそが一番大切なことだ』
さっき僕が言ったセリフを言いやがる。
『一番隠しているのは、気持ちを押し込めているのは、お前だ。一番開放するべきは、お前だ』
「僕の……気持ち……」
『愛里に言ったか? 直接言ったか? 今まではっきりと伝えたことが無いだろう自分の気持ちを、考えを』
「そ、そうだ……、誤解は解かないとな……」
気持ち悪いとか思っているわけじゃ――。
『そんなことじゃない。言ってないだろ。もっと大事なことを』
もっと大事なこと。
ま、まさか――告白?!
「そ、そんな……、僕みたいな大学生が、小学生を相手に……」
『馬鹿野郎――――っ!』
信じられないが、岩田が吠えた。
高校時代、女子にモテまくる岩田を妬む男子が《感情を捨ててしまっている男》とアダ名するほどのポーカーフェイスぶりの岩田がだ。
初めて岩田家におじゃましたとき、僕が愛里にちょっかいを出したと勘違いした岩田が声を荒らげ、大声で怒鳴った。
あれと同じだ。あのときと全く同じだ。
受話口からでも、岩田の息の乱れが伝わる。
『K大寮で俺に話したお前の決意、あれは嘘だったのかっ!』
「嘘じゃない。嘘なわけあるか」
『だったらなんだ! 恥ずかしいのか? 世間体が気になるのか? 告白するのか死ぬほど怖いのか?』
返事ができない。
全部だから。情けない。図星だから。
『それとも俺の妹が、あんなだから……、人格障害者だから……、告白するに足りないわけか?』
「馬鹿いえっ! そんなわけあるか」
『じゃ、なぜ言えない。言って妹を、愛里を喜ばしてやろうと思わない! どっちの人格か決まるその前に、お前の口で伝えないといけないんじゃないのかっ! そうだろうが!』
――どっちの人格か決まるその前。
見ないふりをしていたわけじゃない。
考えなかった。考えたくなかった。
どっちも決められない優柔不断な自分を誤魔化し、他人まかせにしていただけ。
僕は、僕は……。
『どうして何も言わない。どうして黙ってるんだ!
……いいだろう。お前がそうなら、俺がその腐ったヘタレ性根ごと、まとめて一刀両断してやるっ!』
「岩田……」
『殺されたくなかったら、愛里に伝えろ。その気持ち。お前のその屈折した気持ちを正直に!
どちらかを選べと言ってるんじゃない。好きだって、大好きだって、俺の妹に言ってみろっ!』
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