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☆広島へ戻ろう、その2

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 人格交代とは違う……、不安定。
 今の愛里を、そう決めつけていいだろう。
 元愛里の人格とマークⅢの人格が愛里の身体を出入りしている。
 まだマークⅢの支配が強いけれど。
 
「ダメだ……アイツが……、どんどん侵攻して来やがって、クソッ……あたしの心が……」

 椅子に座った愛里は、ブツブツおやじのように一人談義している。
 もう僕と二人っきりで部屋にいるのは慣れた、というより、それ以上重大な事件が愛里の心中で起こっていると思われる。

 すっかり着替えを終えた僕は、鏡台の前で、さきほど愛里に引っ掻かれた顔の傷を見ていた。
 出血しているけど大したことない。
 国民的美少女愛里に傷つけて貰えるなんて、普通なかなか無いぞ。
 親しいからこそ受ける印だ。ありがたいありがたい。

「よし、愛里ちゃん。早くここを出よう!」

 愛里は気だるそうに軽く頷き、だけど嫌がることもなく、すんなり僕と手を繋いでくれた。
 二人で普通に廊下を歩いてゆき、エレベーターの来るのを待った。
 もう僕の身体からドラクエモードは消えているみたいなので、愛里を背負って階段を滑走するというわけにはいかない。
 箱が到着して乗り込むと、携帯が着信の振動をした。

 ――岩田監督――。

 表示を見た瞬間、監督の知的な鋭い目と、罵声がリフレインした。
 
 ――愛ちゃんを連れて何処へ行く! 正気か坂本。この業界を敵に回すつもりか?

 出たくない。出来れば出たくない。
 無視しようかと考えたけど、監督は僕が愛里を連れ出した事くらい、綾小路から聞いて知っているだろ。
 とすると、無視したら逆効果かもしれない。
 娘が変態ロリコン男に連れ回されている――と警察に通報されたりして。
 やりかねない。あの監督なら迷わずしそうだ。

「もしもし……」

 受話口を耳に添える。

『坂本……。聞いたぞ。愛ちゃんをどうするつもりだ』

 やはりな。

「……広島に、連れて帰ります。もう芸能活動はさせません!」

『ほう、親でもないお前が、よく言い切るな」

「はい。子供を売る親よりずいぶんマシかと思いまして」

『……なるほど……、そうか……、良いだろう。坂本の好きにするといい』

「はい? ……あのぉ……」

『坂本の思うようにしろ、と言ったのだ。私は愛ちゃん抜きでも十分(じゅうぶん)ヒット作を出せるからな』

 あっさり、余りにも簡単に引き下がったので拍子抜けした。
 僕の弱みを突きつけてくるかと思っていたが――。
 
『綾小路から電話で聞いたぞ。強化ドアを破ったそうだな。ボディガードを二人とも倒したそうじゃないか。綾小路を感電させたとか』

「ええ、まあ……」

『フッフッフッ……アッハッハ! ……あーいや、スマンスマン。思い出し笑いだ。さっきの電話、綾小路のヤツがヒーヒー興奮しててな。ひどく可笑しかったぞ』

「そなんですか」

『ああ、そうだ。聞いててスカッとした。ざまあみろと思った。皆怖くて意見すら言おうとしないのに、お前ときたら……まあ良い。
 終わったことは仕方がない。しかしな、これからが大変だ。綾小路は政財界にも通じる男。何をしてくるか想像もつかん』

 深刻な自体だと言っているわりに監督は、ふっふっふっと受話器越しに笑った。
 本当に嬉しそうに、開き直ったみたいに声を出して笑い続けた。

 監督も、とばっちりを受けるだろう。
 綾小路は岩田監督の映画の配給元や出版社、それから出演する俳優たち、現場スタッフなどに圧力をかけてくるに違いない。
 監督がこれから先、映像世界で仕事が出来なくなるかもしれない。

「す、すいません……」

『まあ、良い。本来なら私が……、むしろ私がきっぱり断るべき……、
 ……いや、坂本の取った行動が正しい。結局、私は坂本に救われたのだろうな、たぶん……』

「あ、はい……」

『ジャッジメントの収録は私たちだけで向かうと綾小路に伝えておく。坂本は愛ちゃんと広島へ帰ると良い』

「綾小路が、それで納得するでしょうか……」

『しなければ、それまでだ。私たちも帰るとするさ。番組の内容を変更するだろうよ』

「はい」

『ひとつだけ訊くが、坂本よ』

「はい」

『ずっと昔に……、私が20歳のときに……、綾小路に襲われたあのときに……、
 坂本……お前がもし存在していたら、やっぱり助けに来てくれたか?』

 受話器越しに、低く穏やかな声が届いた。
 表情は分からない。だけど、なんだか、岩田監督自身が悲しんでいるような、そんな気がした。
 自分をレイプした相手綾小路を憎んでいるはずなのに、わざわざ自分の娘を同じ相手にレイプさせる――。
 理解しがたい行為だった。
 だけど、僕は相手がどんな人間だろうと、苦しんでいれば助ける。
 それが愛里の母親ならば、絶対にだ。
 
「もちろんです……」

『ありがとう……。そうそう、東京駅へ向かう前に、ABCホテルに来てくれないか? 交通費を渡したいし、セナたちも坂本を待っている』

「はい。分かりました」

 なんだか、胸のしこりが溶けたような、肩が軽くなったような、そんな気分だ。
 これで上手くいく。まずは広島へ帰って、愛里を入院させるんだ。


 チーンと鳴って箱が1階に到着した。
 エレベーターのドアが左右に開かれるにつれ、正面フロアーに機動隊が数十名、強化アルミの盾及びヘルメットの完全武装で待機しているのが見えた。 
 セナさんに警察を呼ぶよう言ったが……、あれは綾小路の悪事を止める為だったのだけど……今ごろ来ても……。ああそうか、綾小路と元K―1選手とあの相撲取りを連行する為なのかな、などと考えつつ、僕は愛里の手を引いてエレベーターから出た。
 機動隊の邪魔にならないよう、遠回りして正面玄関に向かおうとしたら、機動隊がバタバタと早足で僕と愛里を取り囲んだ。

「な、なにかの冗談か?」

「坂本氷魔だな! 司会者綾小路への暴行、器物損壊容疑で逮捕する」

 はれ……。

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